強めのモブウマ娘になったのに、相手は全世代だった。   作:エビフライ定食980円

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第70話 hail to reason

 ハッピーミークへのお土産は『ぱかうけ』にした。正確にはトレーナー室に置く常備お菓子って扱いだけど。とりあえず普通のアソートセットのやつのほかに、生産工場限定品の『イカ七味マヨネーズ味』。とはいえゴールドシチー用のお土産に買ったような90袋入りパックのやつではなく、10袋入りの通常サイズだ。

 

 ……よくよく考えてみれば『ぱかうけ』って2個で1袋だから、ゴールドシチーに行ったやつって180枚入りなんだなあ、と他人事ながら考える。この世界、ウマ娘という規格外がいるから、食品に関しては謎の超巨大アイテムが結構巷に溢れている。

 

 翌日、その『イカ七味マヨネーズ味』をはむはむ食べているハッピーミークを目撃したので、そこそこ味は気に入ったようである。だったらもっと買ってきても良かったかもしれないが、こればかりは運ゲーだしなあ。

 

 

 

 *

 

 翌週の初めに、データをまとめた葵ちゃんにトレーナー室に呼ばれた。私はクールダウンのための完全休養期間で、ハッピーミークはトレーニング中だったのでトレーナー室には葵ちゃんと私だけ。その葵ちゃんも区切りの良いところでハッピーミークのトレーニングの監督に戻ると思う。

 

「あの……サンデーライフ。おっしゃっていたアイビスサマーダッシュでのハロンタイムが出ましたが……」

 

「どうしました? なんというか、歯切れが悪い物言いですが葵ちゃん……」

 

「いや……何と言いますか。サンデーライフにとってはきっと予想外な結果かもしれないです」

 

「……?」

 

 もしかして、ラスト1ハロンでの追い上げのタイムが別にさほどでもなかったのだろうか、と思ってそのタイムを見たら――1ハロン11秒ジャスト。

 

 

 ……うーん。実際かなり早い。が、後先考えない走りのタイムとして見るならば特段大したことはない。ってことは、あの最後の最後のタイミングで私はそこそこ消耗していたことになる。

 てっきり10秒台は出ていると思っていただけに、ちょっと予想外。

 

 ……ん? でも待って。最後の加速局面で200m11秒かかっているということは、そこを平均として見たときに1000mで55秒……私のゴールタイムとほぼ同等になってしまう。

 別に何もおかしくない? いや、だって私は中盤400m程度はペースを落として走っていたはず。だから帳尻が合わない。

 

 何か変だ……と、思って全ラップタイムを見渡したときに、見つけてしまった。

 

 

 200m地点から400m地点までの1ハロンタイム――ここが10秒2になっている。これは自己ベストのハロンタイムを更新していた。

 

「つまりですねサンデーライフは最後の1ハロンではなく、この序盤でのタイムで自己ベストを出していたのですよ」

 

「マジですか……。確かに下り坂ですけれども、全く気付いていませんでした」

 

 そりゃ最後で全力を出そうとしても出ない訳である。先に自己ベストのような後先考えない絶望ペースを繰り出していたのだから。

 って、この区間ってカルストンライトオを追えないって判断した場所じゃん! もし、あのまま追走判断をしていたら私は潰れていたということか……。怖すぎる。

 

 つまり全部が数段階ギアが入ってぶっ壊れた状態だった。

 最初『大逃げ』くらいのペースって言ってた頃が自己ベスト更新くらいの破滅必至の暴走をしていて。ギアを落として脚を溜めるとかやっていた区間でようやくいつもの『大逃げ』で何とかあり得るくらいのハイペースだったということ。

 そりゃあかつてダイヤモンドステークスで3400m走った私のスタミナも枯渇するわけである。全区間でペースの見誤りを起こしているのだから、逆にラスト1ハロンで良く再スパートをかけられたってレベルの話だ。そのまま沈んでいても全くおかしくないレースだった。

 

 

 ただし。その思いがけない自己ベスト更新タイムである1ハロン10秒2とは。

 ――時速換算にするとおおよそ70.6km/h。

 

 ……いつの間にか私のスピードは最速で70km/hの大台を超えるまでになっていた。

 

 

 

 *

 

 とはいえ、この1ハロン10秒2のタイムなんて1000m直線の平坦コースで芝がかなり良好な場所を走っての理想タイム。それでもなおガス欠ギリギリの走りなので、この速度を他のレース場で活かすのは極めて難しいだろう。むしろ、今回のように意図せず出したら着外すら余裕で起こり得る危険なペースだ。

 

 自己ベストの更新という観点で見れば喜ばしいことではあるものの、改めて私のペース配分が正確に体内時計で刻めるわけではなく、相対化の指標で考えていることがモロに欠点として出てしまった。

 いつもは徹底した周囲の確認をしていたからこそ、そのペースの変調に気付くことが出来ていたが、アイビスサマーダッシュにおいては体幹のブレを軽減するために首を動かしての状況確認を敢えてしなかった。

 

 判断ミスとまでは言えないと思う。実際に体幹のブレが生じていたらもっとタイムは落ちていたのは間違いないし。これより速くは走れないというところまでの走りは出来ていた。

 しかし、その代償として自身のペース配分を見誤った。正直、ケースバイケース過ぎる。

 

 ただし。葵ちゃんは状況を俯瞰しつつ恐る恐る私に次のように指摘した。

 

「あの……サンデーライフ。つかぬことをお伺いいたしますが……。

 ――あなた、先日のレースで日本レコードが出ることを……『分かって』いましたね?」

 

「……っ!」

 

 その問いはあまりに突然であったために、私は肯定も否定も返すことが出来ずに言葉を飲み込んでしまった。そしてその反応の時点で、葵ちゃんに概ね察せさせてしまった。

 

「……やっぱり、そうだったんですね」

 

 ここから誤魔化しても良かった。けれども、葵ちゃんがその結論に至った理由も気になった。

 

「……どうして……そう思ったのですか、葵ちゃん?」

 

「――1ハロン10秒2のタイムは……サンデーライフの身体能力で引き出せる限界を超えています。『勝利への渇望』をあなたがあのレースで剥き出しにしていたようにも思えませんので、その『実力以上の実力』が出せた理由を求めた際に……行き着く答えが私にはそれしか浮かばなかったからですね。

 ……『日本レコード記録を阻止』することにサンデーライフは勝機を見出していたのでしょう?」

 

 

 ……トレーナーとしての分析能力でそこまで分かるのか。

 葵ちゃん視点では10秒2というタイムは私の実力を凌駕したタイムということになる。レース中にウマ娘が本来の実力よりも上回るような力であったり、いつも見せていたものではない潜在能力を開花させるということは無いわけではない。

 具体例はセイウンスカイのレコード菊花賞とかかな。1着を充分に狙えるウマ娘であることは周知の事実であった彼女であれど、あの場でレコードを出すとは本人も含めて誰も思っていなかったはずだ。

 

 そうした能力限界を超越した走りというのは本来は『勝ちたい』という絶対の意志と切磋琢磨する強者のライバルなどの諸要因が重なって発現することもあるもの。だからこそ、そもそも『勝てるなら勝つ』レベルの私の意志では、そうしたマインドセットそのものを行っていないので『実力以上の実力』などというものは引き出せず、調子安定性の高さで常にレースに臨んでいた……はずだった。

 

 しかし、先のアイビスサマーダッシュでは、その前提が崩れたというのが葵ちゃんの評価である。確かに、普通に考えてしまえば私が70km/hオーバーで走行出来るのが『100%の実力の範疇』であると考える方がおかしいし、様々な超高速化の条件が重なっていたとはいえ、それでも私が通常のマインドセットで引き出せる走りの領域の外にある。

 

 『勝てるなら勝つ』――その勝ち筋を導く中で、いつの間にか私は『日本レコード阻止』というとんでもないものをセッティングしてしまっていた。勿論それは自分自身でレコードを塗り替えるということではなく、序盤のうちにカルストンライトオの意識や集中を削ぐようなデバフを上手いことやってかけて、それでペースをぶっ壊して沈ませるのが狙いだった。けれども、その作戦の根幹には最初はレコードペースの走りに『追走』するということが必須要件であった。

 

 そして本来の実力では『追走』は不可能。でも策の実行のためには不可能な領域が前提条件。……え、それで実力以上の力を無意識的にあの200~400m地点で私は引き出していた?

 

 

 私が続きを促すように目線を送ると、それに軽く頷いてそのまま葵ちゃんは言葉を続けた。

 

「……ただ、これがサンデーライフにとって良いことなのか悪いことなのかはちょっと私には判断できかねます。

 確かに全力以上の力を従来通りの精神性で引き出せる……ということはメリットのように思えますが……。

 ただ、サンデーライフ自身が200~400m区間にて最高速を出していたことに気付いていない以上、無自覚で起こり得るという点が1つ。

 そしてその区間で酸欠状態を引き起こしていたのにも関わらず、一種のランナーズハイに近い走っている際の多幸感によって、サンデーライフ最大の武器である『状況認識』に齟齬が生じているという点も懸念事項です」

 

「……」

 

 今、葵ちゃんが挙げた2つのデメリットは共に相関していることだ。つまり速く走ることで運動量、ひいては酸素消費量が激増して思考リソースを圧迫している。だからどうしてもレース最中の判断能力の低下に繋がってしまう。

 アイビスサマーダッシュで生じた認識の齟齬とは『自己ペースの誤認』。確かにミホノブルボンのように自身の感覚として正確なラップタイムが刻めるわけではない私はペース配分については定性的な面に頼っているところが多いが、それにしたって自己ベストを超えるペースを誤認していたのは、改めて葵ちゃんの意見を踏まえて考え直すと末恐ろしいものがある。

 

 つまり、あの時私は『カルストンライトオを追えない』という判断を最終的に下すことは出来ていたが、その理由付けについては全く正しい状況に即したものでは無かった。ヒヤリハット事例である。

 ――過程がめちゃくちゃな状態で、結論だけが合っていた。それが指し示すことはもう一度同じような状況に陥った際に正しい判断が出来るかどうかは運次第ということである。

 

 そしてその誤判断によって引き起こされるのがペース配分のミスによって終盤に大失速するとか、途中で走るのを断念するとかならまだマシであるが……怖いのは『酸欠』の程度をあのとき『認識していながらそれを軽視』していた。

 リスクを許容して攻めに転じたわけではない。『状況把握能力』の低下によって『今までレースで怪我なんてしたことないから多分大丈夫』と息苦しさに対して『正常性バイアス』が働き、完全に軽く見積もっていた。

 

 だから。

 あの自己ベストタイム200m10秒2とは『レースペースについて』後先考えない走りではない。

 ――『今後の選手生命について』後先考えない走りなのである。

 

 そう考えると、『全力以上の力』を引き出せるという一見メリットのようなこの現象の意味がまるで変わってくる。

 私は達成困難な作戦目標に固執しすぎると、これまで制御して統制していた安全マージンを『無意識』で捨て去る危険性が顕在化した。

 

 それを踏まえてでも、普通のウマ娘であれば『速く走れる』という多大なメリットに惹かれて、これを飼い馴らそうとする者も居るだろう。

 

「一応、お伺いいたしますが。

 この70km/hオーバーの速度って、脚に悪い影響があるものではないのですか?」

 

 

「……他ならぬサンデーライフですからお答えしますけど。

 例えばトレーニング中の『屈腱炎』の発症時の負荷ですが。患者全体の9割近くは1ハロン15秒より遅いペースでの走行時で発生しております。

 ですので、そもそもウマ娘の脚にとって。トレーニングレベルの負荷の時点で脚に多大な悪影響があるのですよ。

 

 だから1ハロン10秒台で走ったところで『屈腱炎』に関して言えば、さして発症リスクが変わるわけではありません。『繋靭帯炎』などは高速ペースで発生しやすいとは言われてはおりますが、さまざまな全体の怪我率を鑑みると恐らく速度上昇だけでは一般に考えられている程には急激にリスクが向上するということは無いでしょう。

 とはいえ、当然高速で走る方が脚に負荷はかけているわけですから、リスクが変わらないとまでは言いませんが……少なくとも速度上昇に対して1対1対応で比例相関するものではありません」

 

 史実ではBNW全員にブライアン、タキオンやフジキセキ、マヤノトップガンなどを引退に追い込んだ『屈腱炎』。それらは別に高速で走行することによる局所的な負荷ではなく、むしろ恒常的なトレーニング負荷の蓄積によって発生する現象である。

 この『後先考えない』ペースで走ることによる脚への悪影響は当然大きいけれども、そもそも普通にトレーニングするだけでも悪影響がかなりあるというわけで。……それは、伝えるウマ娘によっては自暴自棄になりかねない事実である。

 

 

 だからこそ自己ベストタイムで走ることによる脚のリスクよりも、考えるべきは『怪我のリスクを軽視する』判断能力の欠如によるリスクの方である。

 

「……無意識に限界を超える……とは言いますが、このアイビスサマーダッシュで初めて見られた現象ということは、余程無理な『策』を練らない限りは発生し得ないということですよね?」

 

「恐らくは。それにサンデーライフ自身が『策』の完遂に固執する傾向があることを自己把握しただけでも、発生について抑制できるかと思われます。

 裏を返せば、促進も可能ですが――」

 

 

 強くないウマ娘であれば。きっとこれが最後の希望と縋っただろう。

 強いウマ娘であれば。きっとこれが自身の能力を最大限に引き出すトリガーとしてリスクを許容しただろう。

 

 

 でも、私は。

 ――『強めのモブウマ娘』である。

 

「……認めましょう。アイビスサマーダッシュの私の作戦は……誤っていました。

 『勝てれば勝つ』という精神性から逸脱した『日本レコード阻止』という目標を設定して、破綻していることに気付けなかった。

 GⅠで優勝争いが出来るほど強くはなくて、でもこれに縋らなければいけない程追い詰められてもいない私にとっては、いずれにせよ『過ぎたる』モノです。

 

 ……使いませんよ、こんな『想定外事態』しか引き起こせない代物なんて」

 

 

 勝利を希求していない私に、こんな形の能力強化は必要ない。

 

 

 だって。私が真に優先すべきは。

 ウマ娘としての本能でもなければ。己の目標に通じるものでもない。

 ――『理性』なのだから。


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