強めのモブウマ娘になったのに、相手は全世代だった。 作:エビフライ定食980円
キーンランドカップまでの最後1週間の練習は、ロングスパート追込のためのカーブでの走法の強化を行った。アプリ的に言えばコーナー加速〇とか仕掛け抜群とかそういう類のスキルで表されるようなものかもしれない。
で、あまり知られていないことかもしれないが、葵ちゃんって実はコーナー育成に地味に定評がある。まあ、割と何でも出来るんだけどさ。
アプリミークの積載スキルは4つでそのうち2つがコーナー巧者〇にコーナー回復〇な辺りは、ここを勝負どころと見極めていそう。ちなみに、残りのスキルが集中力と直線加速なので、朧気ながら葵ちゃんの戦術意識というのが見えてくる。
スタートでミスをしないように注意して序盤・中盤は展開に任せて最終コーナーからギアを入れて最終直線にて加速をかけて勝つ……というのが恐らく理想形なはず。ハッピーミークの脚質適性が先行・差し型だからそういう構成なのかもしれないけどね。
ただこの世界においては、スキルptを割り振っただけで強化できるなんてことは多分無い。というか回復スキルって割と意味分からないし。スタミナ消費を抑えるくらいなら走り方次第でまだ何とかなるかもしれないが、走りながら体力回復するなんてそれはもう永久機関なんだよね。
そしてアイビスサマーダッシュにて私の処理能力の限界が見えてきたということもある。少しでもルーティン化出来る部分は、身体に染み付かせて思考しなくても身体が動くようにしてしまいたい。
限界突破してまで無理をするつもりはなくても、それは効率化で出来る範囲を広げていく努力を怠る理由にはならない。
自身が主導権を握らないコントロール外のレースにて、どこまで徹底的に制御出来るのか。強いてキーンランドカップでの目的を据えるとしたら、そこだろう。
自己統制を前提として、レース展開に依らない流動的な柔軟性を確立すること――それは一見すると相反することのように思えるが、今までの私の走りを統合しただけの話だ。……悪く言えば、行き当たりばったりとも言う。策士なのにね。
――そして最終調整の1週間はすぐに過ぎて、前日に札幌入り。札幌のレースは2回目だが函館にも2回出走しているので、北海道は正味4回目となる……結構多い。
でも北海道入りは流石に飛行機だ、うん。
函館までなら新幹線が通っている。ただ札幌へ行くとなると函館からでも距離があるから時間的には飛行機一択だ。北海道新幹線が延伸されればもっと変わるかもしれないけど……レース日程と同じく電車のダイヤとかも基本は2020年準拠なのだろうか、この世界。いや、電車のことは全く分からないから確かめようが無いんだけどさ。
でも仮に2020年の永久ループだと、いつまで経っても札幌まで新幹線通らないじゃん。
*
札幌レース場。本日の発走は15時台後半。天気は晴れ。そして芝は良バ場発表。
「――今週も絶好のレース日和となりました札幌レース場、サマースプリントシリーズ第5戦・キーンランドカップに今年もフルゲートの16名が出走してまいります。
さあ、本レースの見どころはどういったところになるでしょうか?」
「そうですね。まずは何と言っても芝の短距離GⅠウマ娘3名が一堂に会した、ということでしょう。特にカレンチャンはサマースプリントシリーズ制覇もこの一戦にかかっておりますからね、絶対に落としたくないレースだろうと思われます。
……後は、サマースプリントシリーズの3戦目のアイビスサマーダッシュにて日本レコードが飛び出しましたが、そこで好走を見せたサンデーライフ。4番人気ではありますが彼女にも注目ですね」
今日の私の人気は4番人気。とはいえ上の3人は同じ芝の1200mGⅠ勝者なのだから順当であるし、なによりGⅠウマ娘を除けば最も高い評価をされていると考えれば、期待されていると言っても過言ではないだろう。
まあ、宝塚記念とかきつばた記念を見なかったことにすれば私の調子って確かに外から見ると良さそうに見えるし。確実に『王子様』効果だけで人気バフがかかっていたときとは違うファン層もしっかりと私のことを見てくれている。
キングヘイローの事前会見の影響もあるだろう。
でも。ここまで私が走ってきたこと、そしてレース外でやってきたことというのは決して無駄ではないと思えるような4番人気である。
アイビスサマーダッシュのときが18人で3番人気だったことを考えれば、数字だけ見ると人気が落ちているかのように見えるけれども、そうじゃないと今の私は確信をもって言えた。
パドックのお披露目が終わって観客席の葵ちゃんの元へ。珍しく葵ちゃんの方が先に声をかけてきてくれた。
「――サンデーライフっ! 今、すっごく良い顔していますよ!」
そう話す葵ちゃんは満面の笑みであった。
「……ふふっ。じゃあ葵ちゃんは、私に惚れちゃいますね?」
私がそんな軽口を叩くと、葵ちゃんは私の左手を両手で掬い取るようにして手を優しく掴む。
そして腕から手のひら、そして私の人差し指を包み込むようにして両手で持ちながら、葵ちゃんはその私の人差し指に軽く……口付けをした。
「……懐かしいですね、これも。
前は、私が葵ちゃんの親指にしてあげたことでしたね……」
クラシック級時代の最後のレースであった3度目の障害未勝利戦の勝利後に、私から既にやっていた。これは、その逆構図。
あの時私が葵ちゃんへ捧げたのは左手の親指。『目標実現』のパワーが宿っているとされる場所。
しかし、8ヶ月越しの葵ちゃんからのお返しは『左手の人差し指』である。その意味は――
「――左手の人差し指には、精神力を高めて進むべき方向を指し示す力があるらしいですね、サンデーライフ?」
「……って、感じの指輪を売りたいメーカーさんの意向なんでしょうけどねー」
前にも似たようなことを言ったけれど、人差し指の方の『インデックスリング』には、親指の『サムリング』のときのような古代ローマがなんたらみたいな歴史的なこじつけすらもしていない辺り開き直っている感がある。
それでも葵ちゃんは私の左手をぎゅっと彼女の胸元に手繰り寄せて更にこう付け加えた。
「そうなのかもしれませんけれども。けれど、前のサンデーライフの気持ちはしっかりと受け取りましたから。今度は私から贈らせてもらっても……良いでしょう?」
「……まあ、その気持ちはありがたく受け取りますけれど。でも良いんですか、葵ちゃん? こんな衆人環視の中でこれだけ大層な『演出』をしてしまったら後戻りできなくなるかもしれませんよ?」
……一応、前に私が葵ちゃんの親指に願いを込めたときは関係者用通路で人の出入りが少ない場所だったのに。大観衆の目の前でそういうことしたら絶対勘違いされるでしょうよ。
葵ちゃんは、時折こういうところが抜けているから困る。
……まあ、多少のフォローはしておくか。主に誇張して助長する方向性で。周辺に居る報道記者さんたちにも聞こえるくらいの声量で私は立ち回る。……って、ここぞとばかりにマイクを手渡されたので、その記者の企みに全力で乗る。
「最大の献身を施してくれた我がトレーナーに皆様、どうか賛辞を――。
……ありがとうございます。そして。
最良の舞台でたった1分と少しの舞踏を共に舞うこととなる此度のライバルの方々へは……敬意と、そしてささやかながらの挑戦状とさせていただきましょう――」
この後、実はひっそりと練習していた、なんか優雅っぽく見える感じの一礼をしてマイクを返してゲートへ向かう。服装が体操服なので外から見たときには微笑ましさもかなり残ってしまっている気がするけど、それはそれ。
万雷の拍手を背にゲートへ向かうと、今のが策略なのか素なのか判断に悩んで困り顔をしている15人のウマ娘たちが出迎えてくれた。……いや、正確には14人だった。
というのも、1人だけ全てを察したであろう物凄く良い笑顔のカレンチャンが居た。
「――初めまして、サンデーライフちゃん!
とってもカワイイ照れ隠しだったよ♪」
あれだけの立ち回りを見て『カワイイ』判定してくるのだから大したものである。バレてしまっている以上は、別に取り繕わなくても良いか。
「……いや、まさかあのタイミングで指にキスされるなんて思わないじゃないですか……。
斜め上に吹っ飛ばして最初から仕込みがあったように見せておかないと――」
「でも、イヤじゃなかったんでしょう?」
「……自分のトレーナーがあそこまで自分のことに夢中になってくれていて、嬉しくないわけないじゃないですか」
なお、この私の言葉にカレンチャンとヒシアケボノは全面的に賛同してくれたが、他の子の反応は賛否両論って感じだった。その後、ヒシアケボノやキングヘイロー……どころか他の出走ウマ娘からも全員一言ずつ揶揄われてからのゲートイン。
一応1枠2番の内枠でのゲートインなのだけども。今日は追込だし、そもそも札幌芝1200mは最初のバックストレッチでの直線が長めに取られているので枠番での有利不利というのはあまり無い。
「さあゲートインが始まっております。1番人気は4枠8番のカレンチャン……現在サマースプリントシリーズのポイントランキングではカルストンライトオ、アグネスワールドと並んで1位タイとなっております。
さあ、快速ウマ娘16名全員が揃いました、ゲートイン完了。……スタートを切りました! ややバラついたスタートです」
ポケット地点からスタートして400mのバックストレッチ直線では速度を出さず極力後方に付く。
私より後方に付いたのは1人だけなので、15位。まずはこの位置をしばらくキープする。
「先行争いですが、好スタートから中央を抜けましてマチカネライメイが先行して、2番手はカレンチャン、以降は固まっておりますね」
「4番人気のサンデーライフ、内枠で絶好の『大逃げ』条件が整っておりましたが、後ろに付けておりますね」
「ファンの間でも今日は『大逃げ』が見られるかも……と思われておりましたが不発なようです。しかしマチカネライメイが率いる先頭集団は崩れずそのまま5人、6人揃ったまま上がっていきます」
後ろに付いたことで一目瞭然になったが、前のペースがちょっと早すぎる。洋芝なのでパワーを使っていることを考慮しても尚、アイビスサマーダッシュ以来再びのヤバいペースで推移しているような気がしてならない。
「先頭のマチカネライメイと追走する先行集団はかなりのペースで飛ばしているようですね」
私のちょっと先には2人が並んでいて、その奥にキングヘイローを含めた3人の集団が見える。この5人がおそらく差しであろう。となると後ろの子と私とで追込は2人といったところか。後の9人は、ここからでは正確に数えられないのでざっくり逃げ・先行グループということで保留。
でも前の方もちょっと見える。既に随分と横に広がっているみたい。
そしてその差し後方2人と私との間は徐々に開いていく一方。この感覚には覚えがある。中山でのマイル戦、ダービー卿チャレンジトロフィーの際にダイタクヘリオスの爆逃げにみんなで追走していたときの感覚……ほぼあれに近い。
ってことは差し集団までがハイペースの影響下ってことだろうか。1200mだから逃げ切られる可能性も十二分にあれど、このペースに追走して条件を等しくする必要はない。
私はいつもよりもペースを抑え気味に走るような心構えで、多少前との差が開こうとも、コーナーでの仕掛けどころを待つこととする。
「依然6人が固まったまま最先頭集団、その後方にはヒシアケボノが率いる2番手集団が3人といったところでしょうか、外に外に広がっております」
「先行集団の2つの塊が大きく横に広がっているので、これを後ろから抜かそうというのは容易ではなさそうです」
まだ直線だがそろそろ第3コーナーに入るところ。仕掛けるのは流石に早すぎる、が……ちょっと前の方が詰まっているようにも見える。まだ大分速いペースで推移しているから問題にはならないが、垂れてきたときにどうすれば良いのだろうか。
はたまた、ロングスパートをかけるタイミングでも広がりっぱなしだったとするならば、どこから進出すれば良いだろうか。
「各ウマ娘400m地点を通過してここからカーブといったところで、ここでのハロンタイムは10秒3」
「――いくらなんでもちょっと早すぎですね。前残りがしやすいとはいえ、このハイペースであれば後ろの子たちにも充分にチャンスがありそうですが……。大分前が膨らんでおりますから、抜かすのであればかなり大外を迂回する必要がありそうです」
レースペースは追込の私にとっては理想に近い暴走気味のぶっ壊れペース。
しかしそのぶっ壊れに皆して追走しているがために、かなり前が広がっているという位置取りの不利も抱えている。
……さて。この難局をどうやって乗り越えていこうか。