強めのモブウマ娘になったのに、相手は全世代だった。 作:エビフライ定食980円
残暑が残る中での8月末のレースだったので汗が凄い。このまま控え室の冷房にあたったら身体を冷やしてしまうし、とにかくまずはシャワー。泣きはらしたせいでメイクは全部やり直しだけど、誰だってレースの後はシャワーを浴びるだろう。そこで全部一旦洗い流されてリセットされるので泣いていたのがバレにくいってのは、ちゃんと配慮されている。
泣いても泣いてなくてもウイニングライブの準備にかかる時間が変わらないというのは良い。これが運営側の意図したものなのかは分からないが、多分私の知らないところで今までのレースでも数え切れないウマ娘たちがひっそりと涙を流していたことだろう。……そこに思いを馳せるのがシニア級の夏の終わりというのは些か機を逸している感は否めないけどさ。
思いっ切り泣いちゃったけど、とはいえ予想外の事態が起きたわけでもないためメンタルへのダメージは多分ほとんどない。……ホントだよ? 変に溜め込むよりかは、全然スッキリしていると思うし、その後にシャワーを浴びたってのも結構気持ちの切り替えになった気がする。
それに、もし万が一自分で調子を見抜けていなかったとしても、葵ちゃんが私のことをちゃんと見てくれているという安心感もあるから尚更だ。
それでGⅢなのでライブ衣装は共通衣装である。もうこれにも何度袖を通したことか分からなくなってきた。もう慣れたけどさ、このバックダンサーとしても踏まえると一番着ることになる衣装の癖してへそ出しってのはどういうことなのよ。
だから普段から長時間外でトレーニングしているけれども、日焼け対策もかなり本気だ。だってイヤだし、お腹は真っ白なのに腕とか顔が明らかに色違いになってたら。
なら全部焼いちゃえば良いじゃんという考え方もあるけど、学園指定の水着でも隠れる部分がガッツリ焼けてたら、こいつどんな格好でトレーニングをやってんだって思われるし。ウイニングライブのために日サロに行くという発想を持てないファンや有識者も居るからね。
だからこの共通衣装のせいで、かなりの苦労を強いられている。多分、これは私以外のウマ娘もね……もしかして、GⅠウマ娘の中にはそれもあって夏のレースを避けるって子も居るのかな。夏合宿でもケアは絶対怠らないとは思うけど、夏の間に共通衣装を着るとなったらやっぱりケアの熱量は全然変わるからねえ。
それにGⅠが夏場は無いから絶対ライブは共通衣装だし。
……で。案外こういうところに気が配れるかどうかってレースの走りの上でも大事だったりする。残酷な話ではあるが、気付けないという情報だけでも、周囲に監督者が不在だったり、情報共有に不備があったりという部分でバックアップが不足しているか、分かっていてもそこにリソースを割けないくらいにトレーニング負荷をかけているか――みたいなことは分かってしまう。だから競走者目線で、ライブで見られる場所のケアが完璧ではない子を見てしまうと、どうしても『切羽詰まって余裕が無い』って印象を持ってしまうのだ。
ファン目線は知らない。日焼け跡美味しいです、くらいにしか思っていないかもしれん。
なお。ウイニングライブは本日のメインレースということもあり、カレンチャンが曲の雰囲気に合わせつつファンサを沢山織り込ませていた。そして目の当たりにしたキングヘイローが自身のソロパートで1着の名誉を損なわない範疇で対抗してきたことで、私もバランス調整のためにその流れに乗らざるを得なかった。
なのでファンサまみれのウイニングライブとなった。
ライブが終わった後、キングヘイローとは二言三言交わした。そんなに大事な話はしなかったけれども、私から彼女の勝ち筋に乗って戦ったことをわざわざ指摘するのも謝るのも違うし……。
だけど別れ際に、
「……次は負けないわよサンデーライフさん」
と闘志剥き出しの状態で言って、そのまま私の返事を待たずに去ってしまった。
うーん……私としては『次』はもうあって欲しくないんだけどなあ。でもそれを言うためだけに追いかけるのもカッコ悪すぎだし……何より。
2着と3着とはいえ着順が上になった者の責務として、たとえネームドであっても黄金世代の一柱であっても、ライバルだと見做されてそれを無下にするのは『一流』を名乗る彼女の相手に相応しくないかなと思って、特にそれ以上の言葉を投げかけることなくそのまま見送った。
それに。
舞台裏の待機場所に無造作に置かれた北海道のローカル新聞を見やる。
サマースプリントシリーズは9月まで続くけれども、8月のレースはこれで終わり。だから夏の北海道重賞レースの総振り返りの記事が今日の夕刊には早くも出ていた。
そこには7月のジュニア級重賞・函館ジュニアステークスの勝者として次の名前が刻まれていた。
――ニシノフラワー、と。
まだまだスプリント路線の猛者たちが続々とデビューしてきている。
だから――私との勝負じゃなくても楽しめるレースは今後もいっぱいあると思いますよ、キングヘイローさん?
*
一緒にライブを踊ったカレンチャンにも一言声を掛けておこうかなと思ったが、ヒシアケボノとお取込み中だったので、2人に軽く挨拶の言葉だけで交わす。そうしたら、カレンチャンに明日の予定を聞かれたので『空いている』と答えたら、もしよければ遊びに行こうって話になって、私も断る理由は無かったので、葵ちゃんに相談の上で、という注釈つきでOKという返事を出して、チェックアウトのときにホテルロビーで集合ということになった。
それは取り敢えず明日のことなので、そのまま札幌レース場を後にして私は葵ちゃんとともにレンタカーが停めてある駐車場へ向かう。その時に、明日の予定が出来たことを話す。
レース場で涙を流したから葵ちゃんに心配かけちゃったかな、と思ったが、私も葵ちゃんももう普段通りであった。
……そっか。もう葵ちゃんには涙を見せたとかそういう表に出てくる部分ではないところで私のメンタルがどういう状態にあるかを理解しているのか。確かに、今の私は一度泣いたのと、ウイニングライブでファンの声援を一身に浴びたこともあって、結構気持ち的には整理できていた。
だから、もう葵ちゃんも何も言わない。ここまで理解されていると、嬉しさと共に恥ずかしさすら生まれてくる。
「……そう言えば、今日の夕ご飯はどうします?」
レンタカーに乗ったときに葵ちゃんはそう話しかけてきた。確かにライブ前にちょっと軽食を入れただけだし、何か食べたさはある。
「……あ。ちょっと出発待ってもらえますか? 1ヶ所電話したいところが……」
その時、ふと思い出したのはかつてファインモーションに連れられて行ったラーメン屋さん。『阿寒湖の絆』のサインが飾られている昔ながらのラーメン屋さんである。
ただし、あのお店。閉店時間は20時だった。
迷惑をかけるつもりは無い……はずなのだけれども、電話をかける時点でそもそもあわよくばという想いがあるのは確か。だから、本当に迷惑をかける気が無いなら電話すらしない場面ではあるので、確実に私情が入り混じっている。
それでも私は電話をかけた……1コールで出た。
「あの……すみません。トレセン学園のサンデーライフという者なのですが――」
私の第一声に対して、電話口の向こうからは――
「よかった、もしかしたらと思って準備していたスープが無駄にならなくて済みます。
自惚れだと思っていたけれども万が一のことを考えてご用意していた甲斐がありました。何時でも構いませんのでお待ちしておりますよ」
と、確かにそう返ってきた。
感謝の言葉と、今からレース場を出る旨、そして葵ちゃんと2人で行く旨を若干涙声になりながらも告げて電話を切る。
「……ちょ、ちょっとサンデーライフ大丈夫ですか? どこに電話をして……」
葵ちゃんから手渡されたポケットティッシュで鼻をかんだ後に、目的地を告げる。それだけで葵ちゃんは何があったか概ね察したようだった。
「サンデーライフ。良い巡り合わせをしたようですね?」
「……そうですね。競走ウマ娘を続けていると、予想外のことがいっぱい起こります。勿論、他の道を選んでも、それは同じなのかもしれないですけれど……でも。
こうして私が歩んできた軌跡というのが、確かに他の方の胸中にも残っているのを目の当たりにすると……やっぱり感じ入るものはありますね」
1年前にたった一度しか行ったことの無いラーメン屋さん。確かに競走ウマ娘という目立つ立場ではあったけれども、あの頃の私はまだメディア露出も、『王子様』も無かった時代。というかあれが最初のメディア取り上げのきっかけとも言えるのかな……アイルランドの国営放送だったけど。
そんな私のことを覚えていた……というのは、あり得ることなのかもしれない。あれから1年で私は随分と有名になった。
けどさ。何も言っていないのに、営業時間外なのに、無駄になるかもしれないのに……私のために準備をしていた、というのは流石に知名度だけでは推し量れない話である。
それから葵ちゃんの運転で30分程度の時間の後に、件のラーメン屋さんに辿り着く。
『国道沿いの昔ながらのラーメン屋さん』といった佇まいは、前に来た時から一切変化していなかった。
「サンデーライフっ! 私、こういうお店でご飯を食べるのにずっと憧れていましたっ! ハルウララさんのトレーナーにもお話したことはあっても『桐生院トレーナーにはまだ早い』っていつも言われていたので……」
「なんで葵ちゃんは同期のトレーナーさんに保護者をしてもらっているのですか……」
そう言えば葵ちゃんが一番仲の良いトレーナーってウララトレだったっけ。女性のトレーナーさんだったね。もしサポカ編成していたらこの2人で温泉旅行に行っているはずである。この世界にサポカとかいう概念があるのかは知らないが。
それで、レンタカーを駐車したあとに、灯りの付いている店内に入ればこのお店の店主夫妻が再び出迎えてくれた。そこから葵ちゃんと私でわざわざ営業時間を過ぎているのにお店を開けてくれたことに感謝の言葉を告げて、私は去年マンハッタンカフェに先手必勝されて頼めなかった味噌ラーメンの『白』を注文する。
ここのお店のラーメンは白・赤・黒の三色があることから葵ちゃんはしばらく頭を悩ませていたが、私が前に食べたのが『黒』と知ったことで『赤』に決めたようだ。
「……だって、そうすれば、私の分を少し分けてあげればサンデーライフは三色全部食べたことになるでしょう?」
もしかして葵ちゃんって私のことを妹か娘かなにかだと勘違いしてる? まあ、別に良いけどさ……。
あれかな、私もカレンチャンみたいに葵ちゃんのことを『お姉ちゃん』って呼んだ方が良いのかな、なんて。もっともカレンチャンのトレーナーさんは男性だったから、呼び方は『お兄ちゃん』の方だったけど。
そうして私はやっぱり2回替え玉をしたり、葵ちゃんの分もちょっぴりもらったりした。
それで、食べ終わった後に、また店内を見渡してみれば1年間でいくつかサインが増えていた。
……なんか今年の2月ごろにゴールドシップが来ててサインが2個になっている。レースでも無いのに何をしに札幌まで来たんだ一体……。
後は先月末にファインモーションも来ている。こっちはまあ分かる。GⅢ・クイーンステークスの開催があったからそれに出走したからなのだろう。
あと、珍しいところで言えば今年の札幌のオープンレースのUHB賞に出走していたらしい『リンドシェーバー』というウマ娘の名前もあった。史実では結果的には弥生賞が最終レースで早すぎる引退をしたが、それまでの戦績は朝日杯フューチュリティステークス勝利を含む6戦4勝、2着2回の連対率100%というトウカイテイオーと同期の競走馬である。
そんな弥生賞で引退していたはずの魂を持つウマ娘が8月のUHB賞に出走していたということは、今なお現役で走っているわけで。アイネスフウジンやアグネスタキオン、あるいはヤマトダマシイとかサイレンススズカもそうだけど、リンドシェーバーもまた現役続行組ということになる。
そんな彼女のメイクデビューはまた何の因果か札幌であり、ある意味ではここにあるサインは史実では成し遂げられることの無かった札幌再凱旋の証明なのだ。……まあ流石に今のクラシック戦線は王道路線はディープインパクト、ティアラ路線をトウカイテイオーがタッグを組んで蹂躙しているかのような状態なのでリンドシェーバーでも流石に分が悪いが。
閑話休題。
私も何だかんだでGⅠ出走ウマ娘の端くれくらいにはなった。だから2枚目のサインを残したとして問題は無い……それどころか、来たのに置いていかない方が失礼になってしまうだろう。営業時間外にわざわざ開けてくれるという誠意を見せてくれた相手に代金だけしか払わない、というのは流石に、ね?
そんな私の新たなサインは前にファインモーションとマンハッタンカフェとの共筆となった『阿寒湖の絆』の2つ隣――最新のファインモーションのサインの真隣に置かれることとなった。
*
翌朝。チェックアウト処理を済ませた私はロビーで待っているカレンチャンの姿を目にした。
「あ……すみません、カレンチャンさん? ……この呼び方で良いのですか?」
「サンデーライフちゃん、ちょっとそれはどうかなーって思うな。カレンって呼んで?」
「……じゃあ、カレンさんで」
まあ冠名呼びだけど、こればっかりは仕方ない気がする。段々私も冠名で相手を呼ぶことに慣れてきたし。……自分が呼ばれるときはフルネームじゃないと反応できないし、ほとんどの相手はフルネームで呼んでいるけどねえ。
というか私の名前って多分どっちも『冠名』では無いと思うけど一応ね。
「ちょっと距離を感じるけど、それは今日詰めれば良いよね? じゃあ、行こうかサンデーライフちゃん!」
「えっと……あの、カレンさん? ヒシアケボノさんとか他の子は待たなくても?」
「あれっ!? 言ってなかったっけ? ……今日はサンデーライフちゃんと2人だけのデート、だよ? お兄ちゃんとサンデーライフちゃんのトレーナーさんは一緒だけどねっ!」
「……ええと。ではデートプランについてはカレンさんにお任せしても?」
「もちろんっ! 今日はカレンのエスコートを楽しんでねっ……『王子様』?」
……何というか、女の子同士なのにデートって言われてあんまり動揺もなく順応できるようになっちゃったのは、良いことなのか良くないことなのか分からない。