強めのモブウマ娘になったのに、相手は全世代だった。   作:エビフライ定食980円

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第79話 勝利とは(5)

 アイネスフウジンの突然の来訪。

 葵ちゃんと私はトレーナー室をぐるっと一通り見回して、隠さないといけないものがあるかどうかを確認する。……本棚などを漁られれば色々なデータをまとめた書類が出てきて、そこには戦術的に見られたくないものもあったりするものの、アイネスフウジンがいきなりそういう非常識な行動はするとは全く思えない。

 

 ……入れても大丈夫そう。

 

 一応手元で見ていたタブレット端末をロック状態にする。それと同時に葵ちゃんが示し合わせたようにドアの方へ行き、アイネスフウジンを招き入れた。

 

「……って、他のトレーナーさんの部屋に入っちゃっても良いの? 場所を変えた方が……」

 

「いえ、アイネスフウジンさんがよろしいのであれば、こちらで構いませんよ。

 私が居て困るようでしたら、サンデーライフだけ置いて席を外しますが?」

 

「ありがとうなのっ、サンデーライフちゃんのトレーナーさん! ……それと、席を外していただかなくても平気なの、というかむしろ一緒に聞いてもらった方が良いことかも――」

 

「あ、アイネスさん。紅茶入れておきますね?」

 

「サンデーライフちゃん、お構いなくなのー」

 

 アイネスフウジンは遠慮してきたけれども、結構腰を落ち着かせて話をする必要があるみたいな雰囲気。

 うちのトレーナー室はコーヒーメーカーが無いので、ホットドリンクは紅茶か緑茶がメイン。一応ハーブティーとかフレーバーティーとかも置いてはいるけどさ、客人にティーバッグを振る舞うってのはちょっと、ね。友達とはいえそこは妥協しない。

 

 給湯室は無いものの簡単な洗面台と電気ポットはあるので、まず先にティーポットと、ティーセットに白湯のまま注いで暖める。一旦お湯を切った後に、ティーポットに茶葉を入れて再びお湯を注ぐ。お湯の温度は95度。かなり熱めである。

 

 そのまま2分ほど蒸らす。なお入れた茶葉は『ケニア』という種類……前にシンボリルドルフに直接入れてもらったのと同じ茶葉。あの時は会長は『エアグルーヴが持ってきた』と言っていたが、私の入手経路はと言うとこの茶葉――ファインモーションから頂いた直近で行ったラーメン会の返礼品である。つまり生徒会室に置かれていた茶葉もまたアイルランドからの品だったようでピルサドスキーが女帝宛てに贈った代物らしい。

 

 どうにもアイルランドではこのフレッシュでありながらもコクと濃さが併存している茶葉が流行しているそうで、そのお裾分けといったところだ。

 なお私は紅茶についてはこの学園に来てからのニワカ教養しかないので分からなかったが、茶葉を頂いたときに葵ちゃんに銘柄など一切明かさずに淹れた際には、飲む前に香りを嗅いだ時点で無言でフリーズしていた。

 つまり桐生院家は紅茶の造詣にも深いようで、この茶葉の価値が青天井な代物だということを葵ちゃんは一言も口に出さずに所作で証明してみせた。『ケニア』という品種自体が高級なのではなくて、王家御用達の茶園かブランドかがヤバいってことみたい。

 

 私が紅茶を入れている間は、葵ちゃんがアイネスフウジンと他愛無い会話をしている。友達相手にも関わらず敢えて私が給仕に回ったのは、アイネスフウジンに私が淹れた紅茶を飲んでもらいたいという想いもあることながら、本命としてはアイネスフウジンが何しにここへ来たかを葵ちゃんに探りを入れて貰ってある程度応対の想定をすることにある。

 だからこそ、あまりにも高級な茶葉を敢えて使っているのも策謀のうちである。アイネスフウジンは葵ちゃんにも同席していて欲しいと言っていた。だからその内容はおそらくレースにまつわるものであること、もしくは私のトレーニング等に影響するものだろうという類推は立つ。

 

 であれば、ここでのやり取りがターフの上に直結する可能性があるため決して気を抜いてはいけない場面なのだ。

 ウマ娘聴力を活かして聞き耳を立てれば、葵ちゃんとアイネスフウジンは私のことを話していた。まあ、この2人の接点らしい接点は確かに私くらいだけどさ。……今はアイネスフウジンが私の抱きしめ心地の良さを力説してる。それだと私が口出しできる余地が無いから黙々と紅茶を淹れる作業を続行しなければならない。

 

 しかも葵ちゃんも葵ちゃんで、その感覚自体は共有できる概念なのよね。

 ついでに言えば、私の抱きしめ心地が良いのは、身体的な側面ではなく単に技巧的な要因じゃないかな。『王子様』ロールをはじめて以降は、抱きしめる機会も抱きしめられる機会も急増したし、『フェリスミーナ』の記事が出回ってからはガチ恋勢の子をほぼ日常的にぎゅってしているから物凄い勢いで習熟しているだけだと思う。

 

「……全く。2人して何を話しているのですか。紅茶淹れましたから」

 

「サンデーライフちゃん! ありがとうなのっー!」

 

 そして、まず2人のティーカップを供した後に、最後に自分の分とシュガーポットを持って行く。その間に一瞬紅茶の香りで固まった葵ちゃんが居たけれども、私は気にせずストレートで飲みながらアイネスフウジンにもすすめる。

 

「……とっても美味しい。サンデーライフちゃんの愛が籠っているの!」

 

「ふふっ、そういうことにでもしておきましょうか」

 

 ……その味の大部分は愛ではなく茶葉の良さだとは思うけれど。愛情が不純物になりかねないほどに、茶葉の方に途方もない価値があるわけで。

 

 付け焼き刃ではあるけれど、なんか優雅っぽい所作については密かに練習を重ねているので、澱みなく風格を保ったままもう一口紅茶に口を付けた後に私は言葉を続ける。

 

「……私としてはアイネスさんとこうして午後の黄昏に時間の流れに身を委ねる、というのも一興だとは思いますが。でもアイネスさんはご用件があって私を訪ねたのですよね? 伺いましょうか」

 

「おおーっ! 結構サマになっているねっ! ライアンちゃんがふとしたときに魅せる仕草に、似ていてびっくりしたの。結構練習したんでしょサンデーライフちゃん」

 

「あはは……まあ、一応世間体的には『王子様』ですからね、私」

 

 

 私は苦笑いしつつも納得する。そっか、アイネスフウジンの同室のメジロライアンって、筋肉少女かつ純情乙女という印象が強かったけれども、よくよく考えてみればメジロ家であることには違いないから日頃の所作から気品というか優雅さみたいなものがにじみ出ていて、それをアイネスフウジンは共に過ごす時間が長いから認識しているのね。

 で、そういう所作を練習していたのが一発で看破されたのは何というかものすごくカッコ悪い。けど、アイネスフウジンとはジュニア級からの付き合いだし、元々そういう気質では無かったことくらいは分かっているもんなあ。

 

「サンデーライフちゃんは、最初に会った頃から随分と変わったよね?」

 

 改めて振り返るとアイネスフウジンと福島で激突したのはジュニア級の11月の出来事だったっけ。その未勝利戦から考えてみればもう2年近くが経過していた。

 確かにその頃から考えれば色々なことが変わっていた。

 

「……そうですね。アイネスさんと出会った頃には、今の私がこうなっているなんて想像もつきませんでした」

 

 王子様も障害転向も宝塚出走も……全てが想像しなかった出来事の連続だった。未勝利戦で奮闘していた頃の私は、クラシック級の夏という未勝利戦終了のタイムリミットより先の未来を描くことは難しかった。

 シニア級の今頃は、Pre-OP戦に居たかもしれない。あるいはローカル・シリーズに活路を見出して中央から地方トレセン学園へ転校手続きをしていたかもしれない。

 

 あらゆる未来の中で、今の私が勝ち取った『これ』は確かに意味のあるものなのだろう。

 

「……サンデーライフちゃん?」

 

「はい、アイネスさん。何でしょう」

 

「……キミは色々変わったけど……今でも、あの『最初に過ごした年末』の時の言葉――変わらないの?」

 

「……」

 

 私はアイネスフウジンの言葉に閉口した。

 『最初に過ごした年末』――それは私達がジュニア級だった頃の有記念の日。暮れの中山にハルウララという桜吹雪が舞って、私とアイネスフウジンは一緒に画面越しにそれを見ていたときの話。

 

 あの時、私は。アイネスフウジンに対して『2度と戦うつもりはない』と言い放った。当時は隔絶とした実力差があった。朝日杯フューチュリティステークスでGⅠ勝利を飾った少女と、未勝利戦にて燻り続けていた私とでは明らかに届かない差があった。

 

 その差は今なお歴然として存在する――GⅠ2勝・ダービーウマ娘アイネスフウジンと、オープン戦未勝利ウマ娘サンデーライフとして。

 

 しかし。これを言葉として紡いだ以上は、アイネスフウジンが何のためにここに来たのかは察しがついた。

 

「……アイネスさん。それを言い出すということは――」

 

「うん……サンデーライフちゃん。

 私達はお互いに1勝1敗1引き分け――だから! レースの舞台で私達の決着を付けるのっ!」

 

 

「……アイネスさん、どういう勝敗計算すればそうなるんですか……」

 

 口には出したがアイネスフウジンの思考パターンはきっとこう。

 まず福島での未勝利戦はアイネスフウジンの勝利。うん、これは私も異論はない。

 次に宝塚記念。アイネスフウジンが8着で私が14着だから、普通に考えればアイネスフウジンの勝ちなのだけれど、これを彼女は『引き分け』と規定しているらしい。

 

 この時点で大分おかしいが、それを百歩譲ったとしてもう1戦が何故か増えている。

 それが何かと言えば。あの小学校校庭での1ハロン以下の模擬競走。テレビカメラの前で走ったとはいえ、公式戦でも何でもない『勝負』を彼女は戦績に計上している。

 

 いや、確かにあれは勝ったけどさ。トゥインクル・シリーズレースと同列で扱って良いものなのか。……釈然としない。

 

 

 とはいえ、今考えるべきはアイネスフウジンとの認識の相違ではなく、レースでの対決の申し出である。

 正直に言えば――『2度と戦うつもりはない』というジュニア級のときの言葉は、今なお私の気持ちを指し示したものとしては適切である。

 

 ……けれど。変わったこともある。

 もう、それを『勝負』を望む少女に向かって真っ向から言い放つことが出来なくなっていた。

 

 重賞入着を繰り返すようになった私はもう――誰かの夢をへし折る(・・・・・・・・・)側のウマ娘だ。サマースプリントシリーズを通して、勝利へのビジョンが鮮明となりつつある今……ううん、本当はもっと昔からずっとそういう立場だったことは分かっていた。未勝利戦の時点でも私は数多くの夢を潰してきた。

 

 ただ、あの時は自分のことで精一杯だっただけ。

 今の私は様々な人の想いを背負っている。だからこそアイネスフウジンの『想い』を私は否定することが……もうできない。

 

 

 アイネスフウジンと戦いたくない。これは私の本心であり。

 アイネスフウジンの『戦いたい』という気持ちを無下にしたくない。これもまた、私の本心なのだ。

 

 二律背反のような考えが私の中で交錯する。選べる答えはただ1つだけ。

 ――戦うか、それとも拒絶するか。

 

 しかし、その二者択一を私は選ぶことが出来なかった。

 

 

 だから。

 その沈黙を破ったのが、私でもアイネスフウジンでも無かったことは必然だったのかもしれない。

 

 

「……サンデーライフの次走の構想は。

 ……私といたしましては『信越ステークス』の予定です」

 

 

 ――その言葉は葵ちゃんから発せられた。

 

 

 

 *

 

 信越ステークス。10月前半に新潟レース場の芝・内回り1400mで執り行われる短距離のオープン戦。

 

 口には出していないものの、私が次走に選定しようとしていたレースである。

 主流であるマイル・中距離を避けつつ、同時に私が得意なように思える新潟レース場の舞台。1400mという距離は初めてながらも、内回りコースなので1200mとほぼ走る場所は重複する。その芝1200mの経験レースの名は、清津峡ステークス……私が勝っているレースだ。

 

 アイビスサマーダッシュとキーンランドカップを越えた私にとって、9月後半から10月前半レースとしては最も条件が良いレース。

 葵ちゃんは私の考えを完全に看破していたのである。

 

 そして。それを言葉に出してアイネスフウジンに伝えた。

 

「……サンデーライフちゃんのトレーナーさん。話しにくいことを伝えてくれて、ありがとうございますなの。

 あたしのトレーナーとも相談してみるのっ!」

 

「いえ、構いませんよアイネスフウジンさん。……あ、でもトレーナーさんにはお早めに伝えておいた方が良いかもしれませんよ。トレーニング予定などもあるかと思いますので」

 

「あっ、そっか! ご丁寧にどうもなの! じゃあ、サンデーライフちゃん、よろしくなのー!」

 

「あ、はい……」

 

 そう言ってアイネスフウジンは走り去ってしまった。……というか良いのかな、アイネスフウジンの構想外であろう短距離レースなのだけど。

 

 ――ただ。そんなアイネスフウジンのトレーナーさんのこれからの苦労に思いを馳せる余裕は、今の私には無かった。

 

「……あーおーいーちゃん? どうしてアイネスさんに私の次走をバラしたので――」

 

 その言葉は、葵ちゃんの差し出したタブレットによって遮られる。

 ……正確には、タブレット端末上に表示された1つのレース名によって。

 

「10月後半にはなりますが、新潟の芝1000m直線のオープン戦『ルミエールオータムダッシュ』がございます。ちょっと期間が空きますが……サンデーライフ。

 ――信越ステークスではなく、こちらのレースを選ぶ選択もありますよ?」

 

「……つまり。アイネスさんには信越ステークスに出走してもらって、私はそれを回避してルミエールオータムダッシュに出る、と。そういうことでしょうか?」

 

「悪い言い方をすればそうなりますが、ですがそれを決めるのは――サンデーライフ、あなたですよ?

 加えて言いますとアイネスフウジンさんのトレーナーが、信越ステークスというヒントがありながら『ルミエールオータムダッシュ』のことを見落とすとはとても思えません。

 逆読みして、彼女たちの陣営がルミエールオータムダッシュの方を選択する可能性だって当然あります」

 

 ……まあ、確かに葵ちゃんを除いた他のトレーナーの方々で最も私に対する理解度が高いのはアイネスフウジンのトレーナーさんだ。

 阿寒湖特別のあとの次走方針にて、障害転向ではない場合のルートとして『丹頂ステークス』一点読みをしてきたのがこのトレーナーである。その私の思考プロセスのノウハウの多くを葵ちゃんが正式に私の担当をする覚悟を持ったことで明け渡していたものの、本来の既定路線はアイネスフウジンのトレーナーさんこそ、掛け持ちで私のトレーナーになる可能性が高かったのだ。

 

 葵ちゃんの初期の私に対するメタ読みの高さは少なからず、このトレーナーの手腕の影響もあるわけで。更に自らの担当ウマ娘が特別視に近い眼差しを向けている相手なのだから、その頃以上に私のことは把握しているだろう。だから絶対ルミエールオータムダッシュを見落とすことはない。

 

「少し……考えさせてもらってもいいですか?」

 

「ええ、もちろん。出走登録までまだ1ヶ月近くありますから」

 

 

 ――しかし。私達の予想に反してアイネスフウジン陣営の動きは速かった。

 翌日のことである。

 

 

「あたし……アイネスフウジンは、次は『信越ステークス』に出走することに決めたのっ! 記者のみなさん、よろしくなの!」

 

 ……信越ステークスの一点賭け。そして記者会見を利用した出走意志表明で退路を断ってきた。

 

 一応報道向けの理由として、GⅠウマ娘である彼女がオープン戦を選んだのは『スプリント路線でどれだけ通用するかのチェック』という話が彼女のトレーナーさんから説明がなされたし、スプリンター転向を志している動機の部分さえ除けば確かに一定の説得力がある話であった……私達以外にとって。

 辛うじて記者会見で『戦いたい相手が居る』とか私の名が出たりすることは無かったものの、しかし私に対する暗黙の宣戦布告であるのは間違いなかった。

 

 恐らくルミエールオータムダッシュの存在を知ってそちらに私の逃げ道があることを踏まえて尚の出走意志表明だろう。

 

 

「……サンデーライフ。私はあなたが、どのような判断をしたとしても尊重いたします。それがどのような結果を生んだとしても、私は絶対にサンデーライフの味方であることを誓いましょう」

 

 

「……その誓いの言葉は何に(・・)対して、誓えますか?」

 

「無論。私の左手の親指と、あなたの左手の人差し指に対して――です」

 

 

 葵ちゃんの左手親指には私達の『目標実現』が捧げられている。

 そして私の左手人差し指には私達の『進むべき方向』が捧げられている。

 

 ――葵ちゃんは、これらに誓いを立てた。

 

 

 それは私達の関係性の中で最上級に等しい保障の確約であった。

 

「その上で……サンデーライフ。1つだけ質問をいたします」

 

「なんでしょう……葵ちゃん?」

 

 葵ちゃんは、私の問いかけに対してひと呼吸置いてから、こう話した。

 

 

「サンデーライフにとって――『勝利』とは、一体どのようなものなのでしょうか?」

 

 

 

 *

 

 ――『勝利への渇望』が無い私にとっての『勝利』とは?

 『勝利』とは私の最終目標ではない。ただ賞金を得るためだけの推奨条件でしかない。それが1つの側面であり、1つの答え。

 

 ……でも。今まで私が唯一無二の明瞭な答えや指針を掲げたことがあっただろうか。特に自身の根幹に影響を与える部分では私は常に曖昧で、相反する考えを持ち、時には矛盾すらも内包して、分かりにくいパーソナリティでもって――しかしその全てが調和した存在こそが『サンデーライフ』ではなかったか。

 

 

 そして、そんな私はこれまでずっと――『勝利』と対峙し続けてきた。

 

 

 

 ◇

 

 ――サンデーライフ。君なら、もしこの私――シンボリルドルフと戦うことになったとして、どうやって『勝利』を掴む?

 

 ◇

 

 ……私が資料室の管理者となって、初めて生徒会室でシンボリルドルフと対峙したときに放たれた言葉。

 あの時。絶対に勝てないシンボリルドルフ相手に私は『ポロ』でもって共に戦いチームとして『勝利』することを指し示した。

 

 

 既に、私にとってのアイネスフウジンは『絶対に勝てない』相手では無くなっていた。

 

 

 

 ◇

 

 ――この『勝利』は実力によるものでもなければ、作戦勝ちでもない。

 私は。レースの興行規則で『勝利』したのである。

 

 ◇

 

 ……これは、3勝クラスの清津峡ステークスで勝利した後に私自身が考えたこと。私は『正攻法ではない勝利』と形容した。当時は全く自覚が無かったが、後々――かきつばた記念の後の葵ちゃんとのお泊りで言及されたようにこの『想定外の勝利』は私にかなりのメンタルダメージを与えて、その後のURA非公式抗議の直談判といったレース外の行動面にまで波及した。

 

 アイネスフウジンを回避しての勝利。それ自体は実に冷静な判断だと思うし、レース選定はそうした強い相手が居るレースを避ける、といった意味合いでも極めて重要な作業である。

 ダービーウマ娘が出走を決めているレースがもしあるのならば、そのレースには出ない、という判断は至極当然のことだと思う。

 

 ……だけど、私と戦いたいがために彼女が一度も公式戦で走ったことの無い短距離レースで。そして本来彼女が出走する意味がまるでないオープン戦という格のレースまで照準を合わせてくれたアイネスフウジンの想いをかなぐり捨ててまでの勝利を、私はもう欲していなかった。

 

 

 

 ◇

 

 ……? どういうこと?

 みんなと一緒に走るのってすっごく楽しいよ? 次は負けないぞーってなるけど、サンデーライフちゃんはレース楽しくないの?

 

 ◇

 

 勝利に全く重きを置かない少女・ハルウララの言葉。有記念を勝利して頂に上り詰めた彼女は、その実ハルウララ(・・・・・)のままであった。

 

 『勝利への渇望』は言わば『競走寿命の前借り』。そして命を賭してレースをするからウマ娘は美しく、その一瞬の輝きは誰の目をも奪う。

 ……そういう在り方からは隔絶した少女こそハルウララ。しかしそんなハルウララの走りもまた、世界を魅了していた。

 

 そして私も、レースに……走ることに対する楽しさの気持ちは確かにあった。宝塚記念の後、葵ちゃんから引退を勧められたとき、理屈でもって説明したが『レースが楽しくなってきた』という精神的な理由も本心であった。

 私はターフで走るのが『楽しい』から、今この場所に立っている。

 

 

 

 ◇

 

 ……あの、俺。どうしてもウマ娘相手に勝ちたいんです!! お願いします、どうしたら勝てますかっ!?

 

 ◇

 

 私とアイネスフウジンが小学校で『走り方』を教えるというニュース番組の特集の出演を受けたときに、その小学校の男子生徒から告げられた慟哭に近しい言葉。

 あの日、確かに『人間がウマ娘に勝てない』ことを部分的にだが覆した。しかし、それはまさしくこの少年の言葉が無ければ成し遂げられない出来事であった。

 

 ……その言葉の裏には、1人のウマ娘の少女に置いてけぼりにされたくないという、少年の淡く純粋な想いが宿っていた。

 

 確かに50mハードル走という条件設定をしたのは私であったが、ラスト0.5秒の勝敗分岐点において、結果を『同着(・・)』にしたのはまさしくあの少年の力によるものだ。

 

 

 

 *

 

 ――私にとって『勝利』とは。

 

 

「……葵ちゃん。記者会見を開いたり、出走の意志を表明する必要はありませんが1つお願いごとを頼まれてくれないでしょうか?」

 

「ええ、何なりと」

 

「――第1回特別出走登録を期限ギリギリでお願いいたします。

 出走1週間前までこちらの動向は秘匿してアイネスさんをそわそわさせてやりましょう。なに、私と戦いたいとアイネスさんが言うのなら、これくらいの盤外戦術は私のやり口の中では可愛いものでしょう?」

 

「……っ! それで、サンデーライフ。

 出走するレース名について教えて頂けますか?」

 

 

「……くすくす。葵ちゃんも悪い子ですね、全部分かった上で聞いてくるんですもん。

 ――『信越ステークス』で、真っ向からあの風神を迎え撃ちますよ」

 

 

 アイネスフウジンの出走するレースに合わせるなど愚かでしかない。それを笑いたければ笑って構わない。批判の言葉はシャットアウトするが、批判が出ること自体は認めよう。

 

 けれど私にとって『勝利』とは……『無価値』であると同時に『かけがえのないもの』になっていた。

 

 私にとって勝利とは無価値である。何故なら、それは究極的には私は、レースにおいてそれを必要としていないのだから。

 私にとって勝利とはかけがえのないものである。何故ならアイネスフウジンの、親しき者の想いを無下にしてまで拾うほど――安いものではないから。勝利とはもっと尊く、輝かしいものだ。

 

 

 信越ステークスでアイネスフウジンに勝てるかどうかは分からない。

 けれど、勝利に価値が無く、同時にかけがえがないからこそ、私はその信越ステークスに出走登録をすることが出来る。

 

 ……そして、勝てるなら勝つ。

 全力で、しかし全力以上ではなく。徹底的に理性的に突き詰めて……ね?


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