強めのモブウマ娘になったのに、相手は全世代だった。   作:エビフライ定食980円

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第87話 シニア級12月後半・名古屋グランプリ【JpnⅡ】(名古屋・ダ2500m)

 名古屋グランプリへの中央からの出走予定メンバーが内定して私が最初に行ったのはインディゴシュシュに会うことだった。メッセージアプリで連絡を取って、彼女のトレーナーさんのトレーナー室で面会することとなる。……まあ、向こうのトレーナーさんは警戒するよねえ。

 

 思えば他者のトレーナー室に行くのは初めてかもしれない、そう思いながらちょっとドアを開いてからのノック。そうしないと音が響かないからね。

 とはいえ、事前に訪問する時間も伝えていたので既にお茶も用意されていて、部屋もきちんと整理されていた。

 

 一応、来る前に軽くインディゴシュシュの三条特別後の出走歴は確認している。見た感じIFローテ……というか、恐らく名前に聞き覚えの無い点も含めてやっぱり彼女は私の知る競走馬の魂を有するウマ娘ではない――いわゆる私と同じモブウマ娘というやつだろう。1勝クラスの突破にクラシック期の秋までかかり、2勝クラスはシニアの冬、3勝クラスで勝って晴れてオープンクラスになったのだって今年の夏であり、まだオープン戦を2戦程度しかこなしていなかったのにも関わらず、JpnⅡである名古屋グランプリへの出走を決めていた。なのでオープン戦での優勝歴も無い。

 

「……まさか、三条特別での『約束』がこのような形で叶うことになるとは思いませんでしたね」

 

 いくつか二言三言、話をしてから『名古屋グランプリ』への出走の真意を聞きだす。インディゴシュシュはあっさりと答えた。

 

「来年の名古屋グランプリには私はきっと出走できないからですよ。ですから今年のこのタイミングしかありませんでした」

 

「……え?」

 

 聞けばインディゴシュシュはほぼ成長のピークを迎えているようで、すぐに衰えることは無いものの、流石に来年の名古屋グランプリまでは待てないだろうということであった。

 外から見たときに私の出走予定を読み切るのは至難の業だし、しかもここのところずっと芝の短距離路線を走っていたからダート戦に出る予測すら立たなかっただろう。そんな中でダートウマ娘であるインディゴシュシュとしては一筋の光明であった『名古屋グランプリ』を選択せざるを得なかったということだ。

 

「……それに、サンデーライフさんとの約束を果たすためではなく自分のためでもありますよ? ……ここ(・・)で走れない実力になっても地方で走り続けるつもりですので、『名古屋』はその候補の1つ……ということでもありますから――」

 

 ああ……駄目だ。彼女の目は覚悟を決めた子のそれであった。オープン戦勝利を挙げられる貴重なピーク期間を――JpnⅡという彼女にとっては絶望的なレースを選択してまで出走表明していた。私との約束を履行するために。

 ――思えば、宝塚記念のとき。インディゴシュシュは私の勝負服イメージについて『教会のシスター』を挙げていた。

 

 私にとってもあの『審議』は大きな出来事の1つだったが、当事者であった彼女にはもっと大きなものであったのだろう。

 ……ああ、なんて重たい『想い』なのだろう。彼女にとって最早、勝利よりも私との再戦の方が重要なのである。最も自分が力を発揮できる一戦を私との対決のために、位置付けていた。

 

 ――私が。私が彼女のために出来ることは。

 かつての勝者として、彼女の『挑戦』を受け取ることのみ。

 

「……なるほど。分かりました。

 では、当日は――良い勝負にしましょう。インディゴシュシュさん」

 

「はい、よろしくお願いしますサンデーライフさん」

 

 

 そして。私はこれから先のレースでも、同様の経験を幾度となくすることだろう。

 でも……ううん。だからこそ、立ち止まれない。

 

 

 

 *

 

 インディゴシュシュの想いを理解した私は考える。

 

 

 まずヴァーミリアン。史実ではディープインパクトと同世代である彼女は芝での成績不振からダート転向を行い成功、そのままの勢いでクラシック級ウマ娘でありながら名古屋グランプリへの出走を志してきた。そんな史実ヴァーミリアン号は『ダート競走獲得賞金額』の史上最高額の記録を有している競走馬で生涯賞金は何と11億円オーバー。私の適当目標の3億円すら遥かに隔絶する相手。

 しかも名古屋グランプリの勝鞍があるという、史実から鑑みればどう見ても最有力候補だ。

 ただし、未知数な点が1つだけ。史実におけるヴァーミリアンのクラシック期名古屋グランプリは、出走表明こそしていたが降雪によって中止されている。だから結果が存在しないレースなのである。

 

 

 ただし、この世界における本命という意味では、ハルウララだろう。今年はドバイシーマクラシックの後の出走がなく、2連覇していたJBCスプリントすらもスルーして名古屋グランプリを急襲してきた。

 有ウララであり、昨年にはステイヤーズミリオン対象レースに出走したイギリス遠征歴すらもある彼女は、この世界においてはダートの最有力スプリンターであると同時に芝のステイヤーとしての名声も高い。

 名古屋グランプリの2500mという距離設定は紛れもなく、有記念と同じ距離。正直絶望感しか無いが、さりとて気になる点はある。トレーナー室に行ったタイミングで葵ちゃんにも確認を取る。

 

「ハルウララさんのダート出走歴で最長レースは、2年前のエルムステークスの1700mのマイル戦ですよね?」

 

「はいっ! 芝では4000mに出走していましたが、ダートではそれが一番長いです」

 

 ハルウララはダートでマイル戦以上の経験が無い。いやまあ、私もダート最長距離経験は未勝利戦のテイエムオペラオー戦の京都1800mのマイル戦が最長だけどさ。

 障害ダートを含んで良いなら阪神2970mなんてのもあるけれど、障害レースのダート区分ってぶっちゃけ最終直線だけがダートになっているって意味だしね。障害競走の走路は基本芝だからこれをダート経験に含めていいのかは微妙だ。

 

 だからあんまり大差無い……と思いきや、気になることはある。

 だって2410mのドバイシーマにおいてハルウララは最下位であった。たった10mとはいえ、それはウマ娘の距離区分で言えば『長距離』レースに分けられるはずだったのにも関わらず。長距離適性を有しているのは間違いなく、有やステイヤーズミリオンなどからもそれは明らかな一方で、明確な中距離レースには芝・ダート双方ともに一度も出走していない。

 何が言いたいのかと言えば、このハルウララはいまいち適性に関して言えばウマ娘アプリの額面通りに受け取りにくい相手でもあるのだ。徹底してダートではマイルまでしか走らなかった、あるいはトレーナーさんが走らせなかったことに、もしかしたら理由があるのかもしれない。望みがあるとすれば、その部分だ。

 

 脚質で見ればヴァーミリアンもハルウララも明確に差し傾向が強い。だからこそ逃げのインディゴシュシュがレース展開を担う可能性が高いだろう。

 で、名古屋レース場のスペックを確認すると、まず2500mの発走地点は実は1400m発走場所と同じホームストレッチのポケット。つまり、かきつばた記念とスタートの位置は一緒なのである。これは明確に私のアドバンテージとなる部分だ。

 何故そうなっているのかと言えば、名古屋レース場の1周がぴったり1100mだから。トゥインクル・シリーズ開催レース場と比較してしまえばかなりこじんまりとまとまったレース場である。そのためホームストレッチ側の直線は3回走る形でレース場を2周する。

 

 で、こじんまりとしている以上、カーブがかなりキツいし最終直線も改めて数字を出すが194mしかない。1ハロン以下だ。

 こうなれば基本的には前に居る方が圧倒的に有利になる。少なくとも最下位から追込でごぼう抜きなんてのは難しく、終盤に入るまでにある程度高めの順位に付けておかないと間に合わない。……考えれば考える程に、かきつばた記念で出遅れて取り返せなかったのが当然と思えてくる。

 

 ……うーん。これ、どう考えても『大逃げ』や『逃げ』は警戒されているよね。芝ではあるけれども3400mで大逃げしちゃっているし、距離が長いからって警戒を緩和はしてくれないだろう。意表を突くなら直前の発言と完全に矛盾する『追込』選択という候補もあるけど……ヴァーミリアンとハルウララとの差し脚勝負になるし、そもそもハルウララ同室のキングヘイロー相手に追込を見せているので、今回はちょっと考慮外かも。

 

 まあ無難ではあるけれども『先行』かな、うん。

 

 

 そんなことを考えていると。葵ちゃんが私に向かってとんでもないことを言ってきた。

 

「……サンデーライフ? 作戦ですが……考えなくても良いのではないでしょうか?」

 

「……へ? えっ、葵ちゃんそれジョークか何かの類です?」

 

 まさかのレースに作戦は不要とも取れる、トレーナーにあるまじき発言が飛び出た。流石に私もびっくりする。

 

「いえ――本気ですよ。だってサンデーライフは、もうレース中に展開と位置取りなどから適宜作戦を変更するじゃないですか。

 状況に即したレースをぶっつけ本番で出来るならば、多分のびのびと走った方が応用が効くと思いますよ?」

 

 初期の頃から、先行と差しの両取りポジショニングをして周囲の出方でどっちか決める……みたいなことはしていたが、最近はそうした作戦幅についても成長が見られていた。

 例えばアイビスサマーダッシュ。あの時の作戦はカルストンライトオのハナを取ることが最初の目的であったが、それが不可能と分かった途端に一旦大きく位置取りを下げて不完全ではあったもののラスト1ハロンで改めて差すという展開だった。

 あるいは前走・信越ステークスでは、レース前は大逃げをやる気でターフの上に立っていたのにも関わらず、周囲が私の大逃げ警戒でペースをゆったり取っていたことが分かるや否やスローペースの逃げに作戦変更を行っている。

 

 JpnⅡという大舞台で、様々な想いを背負っているのにも関わらず自由に走ることを、ここに来て葵ちゃんは提案してきた。

 

「……面白い、面白いですよっ葵ちゃん!」

 

 

 きっと誰よりも『勝利』に固執しておらず、絶対的に相対化され順位が付けられるレースの中で、私は自身の存在価値をレースの『相対化指標』の順位等にはまるで依拠していなかったけれども。

 私の走りそのものは、どうしようもなく他者を意識しての走りであり、他のウマ娘が居る前提の下でずっと組み上げられてきたものであった。

 

 1人で走っても、誰かと並走してもパフォーマンスが碌に変わらない私だけど。レースの中で常に私は誰かのことを考えて走っていたのである。

 

 

 自分の走りたいように自由に走る。

 そのときの私の走りは、きっと――。

 

 

 ……そして私は、葵ちゃんの発案で名古屋グランプリまでをコーナー練習に費やすこととなった。あー、確か葵ちゃんってコーナー育成に定評があったね。

 そう言えば、いつの間にかハッピーミークもコーナーにおける速度調節が前よりも飛躍的に上手くなっていたし、序盤・中盤で一息つく方法も心得ていた。……多分、弧線のプロフェッサーと鋼の意志だよね、それ。

 まあ私のコーナー技術は速度面というよりかは、位置取りとかの技巧っぽさはあるんだけど。

 

 

 

 *

 

「今年はクリスマス・イヴのメインレースとなりました、ダート2500mのJpnⅡ・名古屋グランプリ。今日は名古屋レース場から皆様へ『夢』をプレゼントいたします――」

 

 天気は曇り、バ場状態は稍重の発表。雨こそ降っていないが、天気予報で示されるパーセンテージの湿度は高め。12月で真冬もいいところなので『飽和水蒸気量』の観点から見れば空気中に含まれる絶対的な水分量はパーセンテージが指し示すほどには大きくなかったりするけれども、それでも、今日の名古屋レース場のダートには砂埃が舞わない程の『重さ』があった。

 

 この湿った環境下においては、タイムが高速化しやすい。

 

 そしてフルゲート12名の発走で、1番人気は8枠11番のハルウララ。2番人気が6枠7番で私。

 4枠4番ヴァーミリアンはクラシック級ウマ娘であることも考慮されての3番人気。

 

 インディゴシュシュは2枠2番で9番人気だった。後は、目ぼしいところで言えば笠松トレセン所属の地方ウマ娘・ミツアキサイレンスという名前が、大外8枠12番であったりした。

 ミツアキサイレンスは既にこの『名古屋グランプリ』を2年前に勝利したウマ娘……ではあるが、今年は6戦行っているもののその中での最高戦績は3着で、しかも夏からは調子を落としていて入着出来ないレースが続いている。そのためミツアキサイレンスの人気は優勝歴があるのにも関わらず7番人気まで低迷していた。……まあ、高知から中央に出て結果を出しているシンデレラストーリーの体現者・ハルウララと、ずっと名古屋グランプリを目標レースに掲げて謎の東海地方人気がある私の2人にファンの人気がスポイルされているというのもあるだろうが。

 

 ――けれども。今日の私は、誰が相手であっても問題無かった。

 パドックから観客席に居る葵ちゃんの下へ直行する。

 

「2度目の名古屋はどうですか、サンデーライフ?」

 

「……やっぱり、こうして踏みしめてみるとダートの印象ってトゥインクル・シリーズのレース場とは少し違いますね」

 

 URAと愛知県レース組合の砂質基準の違い、あるいは砂の産地の違い。それは、意識してみれば確かにある気がする。前回のかきつばた記念の時にはレース時には気付けなかったものだ。

 蹄鉄もチェックをしたし、仮に落鉄したとしても今度は速やかに予備シューズに履き替えることが出来るはず。同じハプニングはもう想定外じゃないので。

 

 そして今日は自由に走ると決めたので、最早ここで何か意気込みを改めたり、作戦について話し合う必要すらない。ただ自然体で会話していた。

 

「あっ! そう言えば今日のレースの観戦には愛知の県知事さんが来ているらしいですよ!」

 

「へぇー、そうなんですね葵ちゃん。でも『愛知県知事杯』って確かローカル・シリーズレースの東海ダービーや東海菊花賞の方でしたよね? 良いんですかね、名古屋グランプリに見に来てしまって……」

 

「見てはいけないって訳ではないとは思いますが……」

 

 なおこの会話は葵ちゃんと私の間で『名古屋グランプリ』が文部科学省が賞を提供する『文部科学大臣賞典』であることを前提としている。正式名称には、この文言がレース名の前に入るし。

 

 そして私はまるでコンビニに買い物へ行くような気軽さで葵ちゃんに言葉を紡ぐ。

 

「じゃあ、そろそろゲートに行ってきますね」

 

「あ、はい。楽しんで来て下さいねっ!」

 

「もちろん! 葵ちゃんも楽しんで見ててください――」

 

 

 そしてゲートに向かうけれども。

 少なくとも『レースを楽しむ』ことについては私よりもキャリアの長いプロフェッショナルが、今日の名古屋グランプリには居た。

 

「やっと一緒に走れるねえ、サンデーライフちゃん!」

 

「……そうですね。今日は楽しみましょう、ハルウララさん」

 

「うんっ、楽しもうっ!」

 

 ……色々と思うところはあるけれども、少なくともハルウララは私と『一緒に走りたい』という本当に言葉通りの意味で名古屋グランプリに競合してきただろう。

 ハッピーミークと何度も戦って楽しかったからこそ、同じトレーナーの下に付いている私のことが気になった……あるいは、キングヘイローの影響かもしれないけどさ。

 

 まあ、何というか言葉尻とは裏腹にハルウララからは澄んでいるかのような雰囲気というかGⅠウマ娘としての凄味も感じるけれども……今日は、そういうものは私には関係ない。

 

 で、他の子たちにも一言ずつ挨拶をする。前走・信越ステークスのときのそれは策略だったけれども、今回のは本当に何も無いただの挨拶だ。

 

 どう考えても策を講じているようにしか見えないから警戒はされるんだけどさ。ただ、ハルウララを除けばインディゴシュシュだけは自然体で私に返事を返してくれた。

 

 

 ――そしてゲートイン。

 何というか不思議な気持ちだ。

 

 リラックス……と言うわけでは無いが、物凄く清らかな平静さを感じる。

 高揚感、というほどの心の高まりを直に感じているわけでは無いけれども、これから始まるレースに向けての楽しさがひしひしと冷静な心の中にじんわりと伝っている。

 集中力が研ぎ澄まされている感覚も無い。けれど、私の五感は今日のレースを全身で楽しもうとこれから始まる2分40秒ほどの時間に向けて準備を整えているようなイメージ。

 

 

 今日はいつにも増して他のウマ娘がゲートインする所作や雑踏が全く気にならない。まだゲート入りを済ませていない子が数人というところで――私はふと、記憶が蘇る。

 

 

 

 ◇

 

 ――じゃあちょっとだけ! ファル子に協力してくれるかな、サンデーライフちゃん?

 

 ――もしかしたら王子様が気付いていないかもしれないので、一応! 一応言っておきますけれども!

 

 ――『花いかだ 浮きし流れる 水の上』

 

 ◇

 

 かきつばた記念を共に走ったスマートファルコンと、アグネスデジタル。そしてカレンチャンの和歌。

 何気なしに足元を私は見る。

 

 その瞬間――ほんの一瞬だけだったが、私の目には確かに右脚の蹄鉄が光っているように見えた。

 その柔らかな光はすぐに消えてまるで靴裏からの発光など錯覚だったかのように、元に戻る。

 

 両脚を踏みしめる。蹄鉄はしっかりと付いていた。

 

 

 ……今日は、大丈夫だ。

 根拠は無いが、何故か私にはそう思えた。

 

 

 そのまま私は前を向き、ホームストレッチの直線だけをただ見つめる。

 

 

「――お待たせをいたしました。名古屋レース場第11レース、文部科学大臣賞典・名古屋グランプリ、JpnⅡ。12人のウマ娘たちが駆けます。

 ほぼバ場を2周いたします、2500mの長距離戦。クリスマス・イヴのメインレースに記念すべき名古屋のグランプリを飾るのはどのウマ娘でしょうか――ゲートイン完了。

 

 ……スタートしました! 各ウマ娘、大きな出遅れはありません。注目の先行争いは、どのウマ娘が行くのでしょうか――」


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