1,
「トレーナーさん、そろそろ携帯をスマートフォンにしてみては?」
メールの確認のため、携帯を私がピコピコ動かしているとたづなさんがそんな事を言って来た。
私は手に持ったガラパゴス携帯を折りたたみ、彼女に言葉を返す
「これに愛着がありまして、変える気が起きないのですよ」
「愛着があるにしても、何年使っているんですか」
「ははは」
「はははじゃありません。担当ウマ娘の子との連絡に不便が出ますよ」
「今私が担当しているウマ娘はいないので大丈夫ですよ」
「私が、大丈夫ではないのです」
そう行って可愛らしく怒るたづなさんから目をそらし、私は言い訳を口にする。
「たしかにそろそろ変えようと思うときはありますが、今は『委員会』の仕事が忙しいですから」
そう、私は今『委員会』としての仕事があるので忙しいのです。
だが、そう思い込み言い逃れをしようとする私をたづなさんは逃さなかった。
「ですけど、この頃いたって暇ですよね?」
「…うぐぅ」
たづなさんの言葉が私の心に突き刺さる。
そう『委員会』としての仕事がこの頃ない。つまり暇なのである。
日夜『恋』に囚われているトレーナーを救うためなのが『委員会』の仕事だが、『恋』に囚われた人から直接助けを求められない限り、そう易々とトレーナーと担当ウマ娘とのお神聖な関係に割り込むわけにも関わるわけにもいかない。
つまり『暇』ということは、誰も『委員会』に助けを求めてきていないということで…
「みんな危機感が足りないのですよ…」
そんな私のぼやきが、静かな部屋に吐き出されて消えていく。
そんな私を見てたづなさんがクスクスと笑った。
「トレーナーさんは少し考えすぎですよ。あの頃と違い人も多く入ってきていますし」
「確かにそうですが…」
私はそう呟きながら、たづなさんが出してくれたお茶の入った湯呑みを受け取り、口につけ……ん?
「このお茶、美味しいですね」
「わかります?実は家から持ってきたお気に入りなんですよ」
「え…よかったんですか?必要なら経費でおとしますよ?」
「そんな経費『委員会』にはないでしょう?」
たづなさんがおかしそうに笑う。
そう、そんな経費など今の『委員会』には存在しない。
この使われなくなった小さな部屋とこの部屋に残されていた備品のみが『トレセン学園存続委員会』の全財産である。
「昔のような資金があれば…」
「ありもしない事に思いを巡らせても悲しいだけですよトレーナーさん」
私の感傷に答えるたづなさんの声を聴きながら
私はもう一度、湯呑みに口をつけ、ホッと一息をついた
2,
トレセン学園、ウマ娘たちが集まる教育機関。
そしてウマ娘達を導き、共に駆ける存在であるトレーナー。
ウマ娘はトレーナーが、トレーナーがあって初めて最大限に輝くことができると昔から言われ、その輝きを消さないようにするためにトレセン学園は存在します。
だが昔、そんなトレセン学園は苦境に立たされていたと聞いています。
その原因はウマ娘の数に対してトレーナーの数の減少。
ベテラントレーナーがチームを作り、一度に多くのウマ娘を見ると言う方法はよくある基本的な事で、それゆえにウマ娘に対してトレーナーの数が少ないのは当然のことです。ですが、それを考慮してもその時代のトレーナーの数が少なすぎました。
なぜ少なくなったのか、それは単純でどうしようもないこと。
定年退職です。
トレセン学園ができて第一世代や第二世代のトレーナー達が老いて隠居し始めたのです。
彼ら彼女らはトレーナーというものの下地を作り上げた優秀な人々であった。老いてもまだ気力があった。だがせまり来る老いが原因の、視力の低下、思考の鈍化、聴力の低下、そして日々更新される新しいトレーニング技術に老いた脳が追いつけなくなってしまったのです。
頑張ってポケベルから携帯に移行してやっと使えるようになったのに、今度はパソコンなんて覚えられるか!!年齢を考えろ!
と80間近のトレーナーが嘆き自らの老いに怒りを示していたと父が言っていたのを覚えています。
そんなこんなでトレーナーの数は減りました。
ですが、新しく入って来るトレーナーがいるから総数は変わらないのでは?と思うでしょう。
確かに新人は入って来ていました。ですがその人数は年々減少していたと記録に残っています。
その理由は中央試験の難易度上昇。
ただでさえ難しい中央トレーナー試験は時代が進むごとに求められる新しい知識や技術が増え、その難易度が青天井のように年々上がっていました。
それに加え、人々はウマ娘のレースを見ることは好きですが、関わることに興味を持つものは少なかったのです。
映画を見て『こんな映画を作る仕事に関わりたい』と思う人よりも『またこんな映画を見たい』と思う人の数が多いように、劇の壇上にあがるよりも観客でいる方に楽しみを見出す人間が多いのは当然のことでしょう。
そしてそんな壇上に上がろうと思った少数の人間に待ち受けるのは、年々難しくなる凶悪な難易度の試験。
そりゃあ新人が中々入ってこないのは当然でしょう。
なら、試験の難易度を下げるか?
それこそありえない。
ウマ娘と共にあるトレーナーに妥協は許されません。
だから当時のトレセン学園は悩みました。
悩んで、苦肉の策を導き出しました。それこそ『トレセン学園存続委員会』だったのです。
委員会の目的は一つ、トレーナーをトレセン学園に止めること。
ただ止めるだけではない、トレーナーが万全の状態で働けるようにサポートしケアする仕事でした。
初代『トレセン学園存続委員会』の会長であった父はあらゆる手を尽くして頑張ったと幼い頃の私に語っていました。
高齢トレーナーが仕事しやすいように学園内のバリアフリーの強化、高齢トレーナーのための様々なサポートサービスの実装、食堂に高齢者のための健康メニューの追加、非常にわかりやすいパソコンの使い方講座の開催、ありとあらゆる高齢者サポートをトレセン学園に『委員会』は組み込みました。
今を生きる私からしたら、一体どこの高齢者ケアサポートセンターですか?と首をかしげるようなことですが、当時の彼らは真剣にそれらを行なっていました。
その力の入れようは介護サービス関係者が参考にしたいと、連日訪れるほどで、そのおかげで今のトレセン学園は高齢者にも足を壊して車椅子を使うことになってしまった子にも暮らしやすいバリアフリーに富んだ学園となっています。
そうやって引退者を減らし、トレーナーの減少を減らしていましたが、それでは原因の解決にならずじわじわとトレーナーの総数は減っていきました。
入って来る人間が少なければ、結局どうしようもなかったのです。
これからどうするのか、試験の難易度を下げてしまうのか
そんな話し合いがトレセン学園で連日されていたある日
1組みのトレーナーとウマ娘がそれを救いました。
彼女達は連日レースで勝利を重ね、その走りは多くの者達を魅了し、ありえないと言われていた偉業を達成していきました。
トレーナーと共に夢へと駆けていくまるで『皇帝』のような姿は、ウマ娘を、トレーナーを一つの夢に導いたと聞いています。
『彼女達のようになりたい』
その思いはまだトレーナーになっていない若き人々にも伝染し、同じ夢を抱かせ、その思いは原動力となり、多くの人々がトレセン学園の門を叩き、その熱意を維持と努力に変化させ、最難関の中央トレーナー試験に向かわせました。
その結果、トレセン学園へ多くの新人トレーナーが入って来ました。
ですが、それは『トレセン学園存続委員会』の終わりも意味していました。
トレーナーの数をどう適正に戻すか、それが『委員会』の意義であり、その目的は達成されていたのです。
もう色々と限界のトレーナーを引き止める必要性がなくなり、老いで限界のトレーナー達も未来への希望に満ちた新人の流入に安心して引退していき、それと同じように役目を終えた『委員会』も解散していきました。
…ですが『委員会』は帰って来た。帰って来てしまったのです。
目的は同じ『トレーナーをトレセン学園に止める事』
しかし今回は原因が違います。その原因は…『恋』
一人のウマ娘を育て上げたトレーナーがそのウマ娘が卒業すると同時に、トレセン学園を退職し、彼女について言ってしまう事態が多発したのです。
もちろん全員がそうではなく、多くのトレーナーが新たに担当した子と新しい夢に走り始めたり、最初の担当と一緒にドリームトロフィーリーグに挑むトレーナーもいる。
だがドリームトロフィーリーグに行けるのはトゥインクルシリーズで好成績を残したウマ娘のみ。そんなウマ娘はひとつまみしかいない。残りの多くのウマ娘達は各自新たな夢へと歩んでいきます。
…で、それにトレーナーがついて行ってしまう事件が発生しています。
理由は2つ。
一つ。トゥインクルシリーズで3年も密接に関わりあう二人。共に夢を目指し、いつもトレーナーは担当のことを考え、共に喜び悔しがり、喜怒哀楽を共有する。約1095日、朝から晩まで四六時中トレーニングの名の下に一緒にいる。
そりゃ両者ともに『恋』してしまう人が現れてもおかしくありません。
そんな存在をトゥインクルシリーズが終わり3年経ち卒業するので、はいサヨナラとなんの感傷もなく別れることができるトレーナーやウマ娘は少ないでしょう。
そしてここでもし、両思いになり、卒業したので恋人同士になったトレセン学園を去ることが、ままあります。
だがここで疑問に思うでしょう。なぜトレーナーをやめる必要性があるのだろうかと、わざわざ、苦難の末、難関であるトレセン学園の狭き門をくぐって手に入れたと中央トレーナーという立場を捨てる必要性があるのかと。
確かに恋人となったウマ娘の実家が家業をやっていてそれを継ぐために、それを継ぐために止めるなどはあるだろうが、それはごく少数です。
ならなぜか、それが二つ目の原因です。
二つ目。それはウマ娘達の持つ独占欲や勝ちたいという欲望です。
トレセン学園にいるウマ娘の中に、勝利の欲がない気弱な子はいません。
普段は気弱なウマ娘がいるかもしれませんが、レースになると話は変わります。
レースに勝ちたい、絶対負けたくない、あの子に勝ちたい、何がなんでも勝ちたい。
そんな強い思いが必ずあります。
なければそもそもトレセン学園に入学できません(一部別の欲が強すぎて入学できる猛者、もとい変態勇者はいますが)
そんな、ウマ娘が、三年ともにトゥインクルシリーズを走り抜けたトレーナーが、自分の目の届かぬ場所で、自分にしてくれたような事を他の子に行う。
自分が独走している担当トレーナーへの恋のダービーを他者が走り始め、自分を追い抜かし、先にゴールするかもしれない。
そんなことを許せると思うのでしょうか?
それこそありえない。
許せる子が存在しないことはないですが、許せない子は確かに存在します。
そんな子達に捕獲されるトレーナーがトレセン学園から消えていくのです。
捕獲方法は様々ですが、そんな『恋』に囚われたウマ娘が年に数回、大騒動を起こしひどい事になります。
人間なんて容易く組み伏せ屈服させれるウマ娘達が、正常な思考を『恋』によって乱され、『恋』に囚われた心のままに、一人の人間を捕獲しようとするその姿はハリウッドのホラー映画も真っ青な恐怖映像。
私が最初にあの光景を見た時、2年はトラウマになりました。
ウマ娘は天井も這うことができるらしい。
つまりここまでのことを簡単に言うと。
このままでは『恋』が原因でトレセン学園は崩壊すると言うことなのです。
それを危惧した初代『トレセン学園存続委員会』委員長の息子であり、中央トレーナーである私は『委員会』を復活したのです!!
……なお、他のトレーナー達は『引退した奴ら結局幸せそうだしいいんじゃね?』の理論のもと、同意してくれる人は一切いませんでした。
あなた達、絶対に他者の担当ウマ娘による担当捕獲に巻き込まれたくないだけでしょう……
その結果、『委員会員』の募集をかけていたのにもかかわらず、現在の『委員会』のメンバーは私とたづなさんだけとなってしまっています。
かなしい。同士は一人だけなのですか…
「私は理事長から、お願いされて入ってるだけなので、私も同士というわけでは…」
たづなさんのそんな声を右から左に流しながら、私はため息をつく。
『トレセン学園存続委員会』
前途多難である。