1.
「それにしても、また失敗してしまいましたねぇ」
「うぐっ」
お茶を飲みゆっくりしていると、たづなさんの何気ない一言が私の心をえぐった。
そんな彼女の手には、『トレセンの希望の星ついに結婚!!?』という見出しが書かれた雑誌が開かれています。
「彼、一回ここに相談しにきましたよね」
「…半年ぐらい前ですが」
そうなのです、昨日引退が決定した『希望の星』と呼ばれた彼は一度この部屋に来ていました。
相談内容は担当との関係について。
そのとき、私は意気揚々と答えました。
『男らしく正面から担当の思いを受けるべきではないでしょうか』
今思えは我ながらもう少し考えて喋るべきでした。
その言葉の意味を私は深く考えずに、それが『恋愛』的な意味だとは一切考えずに喋ってしまったのです。
昔、担当ウマ娘から言われた
『あなたは『恋』について知らなさすぎるし鈍感すぎます!』
という言葉が頭に反復されます。
「あの時、ずいぶんとトレーナーさん担当ウマ娘の『恋』を応援していましたね」
たづなさんが、私をからかうように聞いてくる。
「まさか、恋愛ごとだとは思わなかったのですよ…」
「それぐらい気がついてください」
「殺生な…」
私は再度、机に突っ伏してうなだれました。
確かに『恋』をどうにかしようと思っていますが、『恋』を察するのには、まだまだ鈍すぎるようです。
ですがそれよりも…
「何故みんな『恋』だの『愛』だの…別にそれらは自由ですが、トレーナーをやめなくてもいいじゃないですか……ここは婚活会場じゃないのですよ」
そんな私の声は虚しく空を舞い、そんな私を慰めるようにたづなさんが空になった私の湯呑みにお茶を入れてくれました。
コンコンッ
そんな時でした。ドアをノックする音が聞こえたのは。
私は突っ伏していた体をすぐに正す。
そして軽く頬を叩き気合を入れ直しました。
ウジウジと悩んでいても仕様がありません。
私は「トレセン学園存続委員会」であり、『委員会』の仕事のために私の思いのために『恋』に打ち勝たなければなりません。
たとえそれがお節介だとしても、次こそは『恋』に囚われ消えていくトレーナーを引き止めたいのです。
「どうぞお入りください」
私はそう告げ新たな相談者に促す。
すると廊下とつながるドアがガラリと音を立てて開いていく。
今度こそは、『恋』に絡め取られたトレーナーを救うと私は心に決心し、今度こそ失敗しないと心に決め…
「失礼します…ここにくれば『恋愛ごと』の相談に乗ってくれると聞いて来たのですが…」
………うん
いや、さすがにあなたの『恋』をどうこうするのは無理ですわ。
入って来た一人の男。
ナイスネイチャの専属トレーナーを見ながら私は、早速諦めた。
2.
ナイスネイチャ、
ほぼ掲示板を外さない堅実な走りで多くのレースで活躍し、多くの猛者達と争った経歴を持っている。
少し謙虚すぎるところはあれど、親しみやすく多くのファンに愛され、近くの商店街では一番人気のウマ娘。
彼女のトゥインクルシリーズで最後を飾った有馬での戦いはウマ娘の歴史に残るほどの名勝負でした。
そんなウマ娘の担当トレーナーが今私たちの正面で、足元にバッグを置いてパイプ椅子に座る彼。
彼らのことは有名です。それはレースだけが原因ではありません。
彼もまた若く優秀なトレーナーでありますが、それと同時に何というか…彼とナイスネイチャの関係は甘酸っぱいのです。
本人は隠しているつもりの好意を、恐る恐る恥ずかしながら担当トレーナーに見せるネイチャと、それに対して100点満点の対応を一切照れずにやるトレーナー。
ぱっと見、いや、誰が見ても『恋人』同士にしか見えない二人の関係は、いったい何人のトレセン学園の人々がその様子に口角が上がり、自身の青春に思いを馳せて悶えたのかわかりません。かく言う恋愛ごとに疎い私も彼らを見て「あなた達は恋愛小説の登場人物かなにかですか?」と呟いてしまうほどである。
まぁそんなことから、彼らは『恋』に埋まっているのは一般常識であり、もちろんそれはトレセン学園の中だけの話で広く広まっているわけではありませんが、彼女達がよくいく商店街ぐらいなら知っていることです。
そんな彼が相談にやって来た。
私たち『委員会』の仕事は『恋』に囚われ、引退という名の海底へ沈んで行くトレーナーを助け、トレーナー業から引退しないようにする事です。
ですが、最初から『恋』で体を縛り、自ら海底へ潜って行くダイバーを助けるのはさすがに無理ゲーです。
彼が『恋』で引退しても、私は、さすがに仕様がないと思いますし、結婚式には呼んでくださいと思うしかありません。
再度言いますが、そんな彼が相談にやって来た。
……一体何があった?
しかも『恋愛ごと』?
ここは『恋』に立ち向かう場所でありますが、どう恋愛を進めて行くか相談する恋愛相談所ではないつもりです。
なのでそう言った質問をされても私は答えられませんし、たづなさんもダメでしょう。
ではそれ以外…まさか…!!
嫌、それはない。彼も彼女も真面目ですし、さすがに手を出してしまったことはない…はず。
もしそうだとしても、私たちではなく身近な友人や家族に相談するはずです。
なら…ならなんだ?
彼を見ながら私は頭を悩ませる。
一体どんな相談なのだろうかと、隣に座るたづなさんに視線を向けると彼女もまた同じ疑問を抱いているのか、少し訝しんでいるような表情をしていました。
まぁ、このまま考えていても仕様がありません。
「それで相談事とは?」
私は彼に促すと彼は深く思い悩むような表情で答えてくれた。
「信じられない事ですが実は……ネイチャが僕に『恋』をしているようなのです。それでその思いにどう答えようかと思いまして…」
……………
…………………???
「へ?」
「え?」
私とたづなさんの惚けた声が口から飛び出る。
え…?今この男なんと言った?
思わぬ言葉に私の頭の中が真っ白になる。
そんな私とたづなさんの様子に勘違いしたのか、彼は慌てて喋り始めた
「えっと、確かにお二人が疑問に思うのもわかります!!」
いや、疑問にも思いませんでしたし、逆にあなたの言葉で疑問ができましたよ?
「僕としても今まで一切そんなそぶりを見せてこなかったネイチャがまさかそんな気持ちを僕に向けていたなんて思いもしませんでした」
いや、バリバリ見せていましたよね?
「確かに一緒にショッピングしたり、旅行にいったり、ご飯を作りに来てくれたり、こんど温泉に行く予定を立てていたりしましたが、まさか…恋愛感情を向けられていたとは思いもせず…」
彼はそう言い唇を噛み締める。
…えっと
あっと…こっちがまさかって気持ちです
私はそんな彼を信じられない目で見つめてしまう。
まさか…まさかだと思いますが、この男。
ネイチャの好意にトゥインクルシリーズの三年間を共に走って気がついていなかったのですか?
あんな純愛青春小説のような日々を暮らし、あんな100点満点の対応をしながら、恋人のように接しながら、この男はネイチャの『恋』に気がついていなかったのか?
バカな…ありえない
私は、まさか私よりも『恋』に疎い存在がいることに戦慄が走りました。
私はあまりの事に呆然とし、彼に何と声をかければいいのか思考を巡らせていると、私よりも早く気持ちを持ち直したたづなさんが口を開いた。
「えっと、そうですね。まず、何故その思いに気がついたのですか?」
そうだ、この恋愛鈍感男が自分から気がつくわけがない。
何故彼がネイチャの思いに気がつくことができたのだろうか。
すると彼はすぐに答えてくれました。
「ああ、それはネイチャが直接私に告白して来てくれたからです」
「…はぇ?」
「…へ?」
再び繰り返される私たちの惚けた声。
だが今回はそこで思考を停止させず、何とか私は疑問を口にすることができた。
「あの、ナイスネイチャさんが?」
「はい、そうです」
私の疑問に彼はうなずく。
彼が嘘を言っているようには思えませんし、彼がそんな嘘をつくような人間でないことは知っているので、彼が言っていることは本当なのでしょう。
ですが、信じられない。
あの、この頃は少しずつ前向きになっているとはいえ、元々は自分に自信が持てず、何事も慎重に物事を進め、恋愛に関しては恐る恐るだったナイスネイチャが本人に告白…?
「トレーナーさん、いったいどういった状況で告白されたのですか?」
同じ疑問を抱いたのか、たづなさんが尋ねる。
その問いに対して、彼は少し照れ臭そうに口を開いた。
「実は、この前のショッピングの帰りに、レースを終えたお祝いとして、こっそり予約していたお高めのレストランにネイチャを連れて行ったのですよ。そこで夜景を見ながら色々と思い出話をして、食後にサプライズとしてアクセサリーを渡したら、まるで思わず漏れたように口からポロリと…」
「………」
「………」
頬を染めながら話す彼を見て黙る私たち。
声も出ないということは、こういうことを言うのでしょう。
過去に鈍感鈍感と再三担当ウマ娘に説教された私でも、ここまで酷くないと自信を持っていえます。
おそらくネイチャは今まで行った事がないようなおしゃれなレストランで、綺麗な夜景をみながら、過去の幸せな二人だけの思い出を語り合い、最後に思いもよらなかったプレゼントを送られたのでしょう。
そんな乙女心や情緒をぐちゃぐちゃにするような事を好きな男からされたら、それはもう口から想いが溢れるのも仕様がありません。
むしろ、そのままお持ち帰りしなかったネイチャに拍手を送りたいぐらいです。
ですが、ここまでの事をしておいてこの男は…
「状況はわかりました。それを踏まえて、あなたは今までネイチャが自分に『恋』をしている事に気がつかなかったと?」
色々と言いたいことはあれど、それを鋼の意思で耐え、私は彼に質問する。
「はい、彼女が僕にそんな気持ちを持つわけがないと思っていたので…」
「僕にって…ではあなたはナイスネイチャにそのような気持ちを向けたことは?」
「そんな!僕はネイチャに『恋』なんて下心を持つわけがありません!!」
ナイスネイチャのトレーナーが顔を赤らめ否定する。
下心なんて言った覚えありませんし、もし彼の言う『下心』が『恋』の事を指すのなら、あんな365日間ネイチャといちゃいちゃと湿度の高い『恋人』のような関係性を持ちながら、下心がないは嘘でしょう。
もしあれで下心がないのなら、『恋人』ではなくて『変人』です。
…というかこんな赤い顔をしている時点で彼の本当の内心は丸わかりです。
こんな表情を半年前に『希望の星』が浮かべていたのを覚えています
だったら彼の相談事である「思いにどう答えるか」については答えが決まっているようなものです。
ですが、それを真正面から伝えたら、彼もまた『希望の星』と同じように引退への道を進む可能性があります。
はてさてどう彼に伝えたものかと思考をし、ちらりと横を見るとたづなさんが目を細めながら視線をドアへと向けていました。
彼女が話に集中せず、よそ見をするなんて、珍しいと言うか見た事がありません。
一体どうしたのか?
そんな疑問が浮かぶと同時に、たづなさんは扉に向かって声をかけました。
「誰か…そこで盗み聞きしてますね?」
放たれるたづなさんの鋭い声。
廊下からは怪しい物音などは私は一切聞こえなかったが、彼女には何らかの物音が聞こえたのかもしれない。
だからこそ、彼女は声をかけた。
そしてどうやらそれは正しかったらしい。
ガタッ!タッタッタッ
ドアの向こうで誰かが立ち上がり、走り去る音が聞こえる。
その足音の速さから、ウマ娘だとわかる。
まさか、盗み聞きするような子が現れるとは思っていなかった私は、ポカンと口を開けていると、突然椅子が倒れる音が部屋に響いた。
何事かとそちらに目を向けると、ネイチャのトレーナーが慌てた様子で椅子を引き倒しながら急に立ち上がっていた。
「待ってくれネイチャ!!!」
彼はそう叫び、急いで立った影響で中身が床にぶちまけられたバッグにも目もくれずドアに向かって走っていき……って
「ネイチャ?」
私がそんな疑問を言葉にこぼす頃には、彼はすでにドアを開け廊下を走って部屋から去っていました。
この部屋には廊下との窓はありません。ゆえに走り去る彼女の姿は見えなかったはずです。
それでも誰かがわかったと言うことは…
「担当の足音で判断したのでしょうね」
「それは…凄まじいですね」
たづなさんの言葉に私は呆然とするしかなかった。
普通扉越しに聞こえた足音でそれが誰なのかなんて、普通の人間にわかるわけがありません。
それでもわかったと言うことは、彼に特殊な才能があるか、聞き間違えないほどネイチャの足音を聞いてきた証なのでしょう
…まぁそれよりもです。
もし本当に今走り去った盗み聞きの犯人がナイスネイチャと仮定するのならば、人よりも聴力が高いウマ娘の彼女はこの部屋で行われた彼との会話を全部聞いたことでしょう。
それなら、彼女は自分のトレーナーが最後に話した事も聞いたわけで…
「これは…まずい事になりましたね」
私は頭を抱えて天を仰ぐ。
これが、ナイスネイチャ騒動の始まりの合図であった。