1.
漂うは沈黙。
重すぎる空気が屋上に漂っている。
私も、テイオーも、そしてネイチャですら一言も発しない。
いや、本当…嘘でしょう?
祈るように何度ディスプレイを見ても、画面は真っ暗。
完全に通話は切れている。
え、いや、嘘でしょう?
頭の中に同じ言葉が幾度となく反復する。
思い浮かべるのはネイチャのトレーナーが最後にこぼした言葉
『僕が好きなキラキラは、テイオ』
最悪だ。最悪のタイミングで通話が切れた。
彼はナイスネイチャのトレーナーだ。それも極上だ。
自らの愛バのために身も心も削りきる最高のトレーナー。
別名、 男性観破壊装置。
ゆえに彼の一番はネイチャであることは確実。
それは、さっき彼と話した様子から間違えようがない。
ゆえに、彼が言いたかった言葉は
『僕が好きなキラキラは、テイオーではなく君だ』
『僕が好きなキラキラは、テイオーよりもナイスネイチャなんだ』
とかそこらへんなのだろう。
ネイチャはテイオーを良い意味でも悪い意味でも気にしすぎている。
だがらこそ、彼女に送る言葉の中にテイオーが含まれていてもおかしくはない。
まぁ、通話越しのこの場にテイオーがいる事を知っていたのなら流石に含まれなかったと思う。たぶん
だが、そんな言葉は最悪のところで切れた。
いつものネイチャならサラッと流せたのかもしれない。
だが今は…
私は身の危険を感じ焦りながら、懇願するように、再度通話を試みようとしますが…
これは…
「ニブ君先生!リダイアル!リダイアル!!」
「さっきからしようとしています!でも画面が映らないんです!!」
「えぇ!?」
そう、真っ暗だ。
ディスプレイは光1つ灯さない。
いくら携帯のボタンを押しても変わらない。
電池切れ?いや、電池残量は満タンだったはず…
私が焦りながら自らの携帯をいじっていると、テイオーが慌てて近寄ってきて颯爽と私から携帯を奪った。
「ちょっと貸して!」
「うぉっと」
彼女はカチャカチャと私の携帯を動かし始める。
突然奪われたことには文句はない。こういった電子機器は今の若い子のほうが詳しいだろう。
だが、奪い取った時に、「なんでスマホじゃないの!僕ガラケーなんて初めて見たよ!」というのはやめてほしい。心に痛みが走る。
…ってそんなことはどうでもいい。
私は祈るような気持ちでテイオーの行動を見守るが、私の携帯はうんともすんとも言わない。あいも変わらず画面は真っ暗。
テイオーの焦るような表情から、どうしようもないことがうかがえる。
いや、これは…まさか、完全な故障?
私の携帯お亡くなり?
まさか、このタイミングで?
あまりの事態に私の目の前が真っ暗になったような感覚に陥る。
これほど目の前が暗くなるのは私の担当バの足に異常が見つかった時以来だ…
いやそれはいいすぎか。というかこんなこと考えている場合ではない。
なぜこんなタイミングで?
運が悪いというか、間が悪すぎでは?
こんなの対策のしようが……
『トレーナーさん、そろそろ携帯をスマートフォンにしてみては?』
『愛着があるにしても、何年使っているんですか』
『はははじゃありません。担当ウマ娘の子との連絡に不便が出ますよ』
『私が、大丈夫ではないのです』
………………ありましたね
思いっきり、たづなさんに忠告されてましたね
思い出すのは過去の彼女の小言。
今まで何度も彼女から言われていた言葉。
スマートフォンという新しいものに変えるのが面倒だったからという理由で聞き流してきた忠告。
その代償を、最悪の形で私は今支払う羽目になっている。
今思い返して後悔しても、もう遅い。
過去はもう戻らない。
というか過去ではなく今現在進行形で事件は起きている。
頭の中で巡るのは後悔ばかり
「ボーとしないでニブ君先生も何とかしてよ!このポンコツ骨董品!」
そんな私を咎めるような助けを求めるような悲鳴が私の意識を覚醒させ...って
「ポンコツってなんですか!ポンコツって!10年近く共に日々を暮らしてきた相棒なんですよ!」
そう相棒。私と苦楽を共にしてきてたくさんの思い出が詰まった相棒なのです
「わぁ、良い携帯ですね」って昔の担当バが笑ってくれた思い出なのです。
たとえ、その担当バが現在ではいい加減に機種変してくれという視線をくれていたとしても、今の現状を引き起こした元凶だとしても、大切な相棒をポンコツだなんて
「10年も同じの使ってたら壊れるに決まってるじゃん!」
胃が痛いテイオーの反論
まさに正論である
だが、私は引くに引けない
感情の向くままに反論してしまう
「アンティーク品という言葉を知らないんですか!どんなものも大事に使っていると味が出てくるのですよ!」
「それはコップとか皿とかそういうものでしょ!ニブ君先生が使ってるのは携帯電話!電気機械!そんなのが10年持つわけないでしょ!」
「いや、今まで持ってたさ!!」
「今っていつさ!」
「さっき…」
「そのさっきが問題なんでしょ!」
胃が痛いテイオーの反論
まさに正論である
だが、私は引くに引けない
感情の向くままに反論してしま…
「ねぇ」
一言。
たった一言で屋上から音は消えた。
私とテイオーは言葉を発しなかった。
発することができなかった。
いま下手な事を喋ったらまずい。
互いにそれを理解していた。
そう今のこの場所は、最初にこの場所に来た時と似ている無音に近い空間。
いや、音はしてはいる。
グランドで走る生徒たちの掛け声、遠くから聞こえる車の排気音。
夕暮れを告げるカラスの鳴き声、風が木々を揺らす音。
そんな日常的な音が聴こえてくる。
だがそんな音は全て押しつぶされている。
なにに?
私とテイオーが意図的に視界に入れていない場所にいるウマ娘が放つ空気にだ。
いい加減現実逃避はやめよう。
私とテイオーは意図的に彼女から意識をそらしていた。
先ほど『最初にこの場所に来た時と似ている無音に近い空間』と表現した。
『似ている』ということは違う点があるということだ。
それはなにか?
それは。彼女、ナイスネイチャの放つ圧倒的な空気感の重さだ。
じっとりとしながらも、まるで実際に重量があると勘違いしそうな重い空気。
空気というかもはや重力場かもしれないという、ふざけた事を考え現実逃避したくなるような存在感。
あの、トゥインクルシリーズを走りきったテイオーが怯えていることから、ただの一般的な元トレーナーが受けていいプレッシャーではない。
そりゃ怖くて意識を彼女から逸らすのもしょうがないと思ってほしい。
よく言うじゃないか、人の恋路に関わる奴はウマ娘に蹴り殺されるって
え?文章が違うって?うるさいですね、そんな訂正するのなら、今私の目の前にいる、自分の最愛のトレーナーが好きだと言ったキラキラがテイオーだと勘違いしているネイチャの前に立って指摘してくれ。
本当指摘していいから変わってくれ、助けてくれ…
だが、そんな私の願いなど届くわけもなく
「ねぇ、ニブ先生、テイオー」
重力バ少女の問いかけの声色は無色。
怒りも悲しみも、何も感情がのっていない無色。
それが、それがいかに恐怖を感じさせるかは、今までの経験上、よく知っているつもりだ。
このままではまずい。
その警告が私の脳を揺らす。
私は慌てて、言葉を紡ぎ口から吐き出した。
「まぁ、待ってくれネイチャさん。冷静になってほしい。君のトレーナーの最後の言葉は…」
「ねぇ、ニブ先生、テイオー」
「さっきのはたまたま、悪いところで切れただけで…」
「ねぇ、ニブ先生、テイオー」
「決して君が思っていることはありえないと私は思う…」
「ねぇ、ニブ先生、テイオー」
「………」
だめだ、これはダメだ。
かかってる。バチボコにG1クラスのウマ娘がかかってしまっている。
ちらりと彼女の表情を伺うが、彼女はうつむきその表情は見えない。
だが彼女が今普通の状態ではないことは確かだ。
今彼女を刺激してはならない。
今でギリギリ。これ以上行くと『光』が灯る。
私はそう思い、隣にいるテイオーをちらりと見る。
彼女は『光』を知らないだろうが、おそらく似たような事を考えていたのだろう。
テイオーも私に視線を向けていた。
互いに頷き、慎重にネイチャの動きを待つ。
重苦しい沈黙が辺りを包む。
5秒、10秒と時がすぎていく。
音は先ほどと同じように聴こえな…いや違う。
かすかに声が聞こえる。
小さな声すぎて気がつかなかった。
いったいこの声は?
もしやテイオー?
そう私は思い、改めてテイオーの表情をうかが……
え?青い
めっちゃ青ざめている
すごいカチカチ奥歯鳴らしてるじゃないですか
この小声はテイオーではないのは確かだ。
ならこの声は……
「..か、わかっ…ね。で……言うみ…前向きに…….いよね。私……ならなきゃ。私….ーに、テイオー…」
「……」
かすかに。本当にかすかにネイチャの声が聞ける。
わからない。
ウマ娘のように耳が良くない私の人耳には彼女がつぶやいている言葉の細部はわからないが。
これが非常にまずい事であるのは理解できている。
だが、下手にアプローチすると『光』が灯るという可能性を捨て切れない。
しかしこのまま放っておいては…
そんな私の心の声が届いたのか、スッと突然小声が消えた。
再び静けさに支配される屋上。
一拍おいてネイチャの言葉が屋上に静かに浸透してきた
「ねぇ、ニブ先生、テイオー。聞いてくれる?」
「……はい」
「……うん」
私たちは頷くしかない。
私たちの了承の声を聞きネイチャは下を向いたまま、言葉を紡ぎ始める。
紡がれたのは彼女の半生だった。
「私ね。この学園に入った時はG1ウマ娘になるんだ、私はキラキラした娘になれるって思いながら入ってきたんだ。」
「でも、現実は違った。テイオーたちみたいな私よりもキラキラした娘がいて、その子達には何をしても勝てない、そもそも最初から違うって思い知らされさ、打ちのめされた」
「テイオーは覚えてないかもしれないけど、最初の授業の時なんてさ、順番に走っていけなんて言われて、私は自信満々だったんだけれど…」
ポツリポツリと紡がれたのは彼女の半生。
それは…それはこの学園でよくある事です。
この学園に入ることができる子は一握り。合格して入学できることは名誉なことです。
ですが、入学することはゴールではない。そこからがスタートなのです。
数多の受験生を押しのけトレセン学園に合格したという名誉を手にして満足した子の中には、入学後に自分は井の中の蛙出会った事を思い知らされる子は多くいます。
そしてその中には、そのまま退学したり、ふてくされて不真面目になったりする子達もいます。
ですが
「でも、でも諦められなかった。レースを諦め切れなくて、どうせ勝てないって心のどこかで思いながらもずっとずっと頑張ってて」
そう、彼女は諦めなかった。
いや諦めていたのかもしれない。だが彼女は前に足を進め続けていた事を私は知っている。
でもそう語る声は、絞り出すような、苦しみもがいた心の捻れが傷が封入された声であった。
夢を諦めたかっただろう。諦め切れなかっただろう。
テイオーのようなキラキラしたウマ娘たちを見て苦しかっただろう。憧れただろう。
そんな苦しく重い心の声。
だがその声がふと軽くなった
「でもね、そしたら、トレーナーさんが現れてくれたんだ」
その言葉を紡ぐ彼女の声はとても朗らかで楽しそうな声色だ。
今までの苦しみから解放されたかのような声。
その声色のまま彼女の言葉が次々に出てくる。
「トレーナーはいつも一緒にいてくれて、悩んでくれて、手助けしてくれて、どんな時でも私と一緒に駆けてくれた」
声が紡がれるごとにあたりの空気が軽くなる。
「私がくじけそうな時は励まして寄り添ってくれて、私が奮起した時は一緒に頑張ってくれて、私が泣いた時は一緒に泣いてくれた」
心の重りが取れるかのように、ゆっくりとゆっくりとネイチャの重圧が軽くなっていく。
「他の娘と比べて苦しんでいた私を救ってくれた。私のためにトロフィーを折ってくれた。」
ああ、ネイチャにとってトレーナーは、語るだけでも思い出すだけでも、心が軽くなる。とても大切なものなのだろう。
「だから私は私のためでもあり、彼のためにもトゥインクルシリーズを頑張れた。」
先ほどまでの重い空気を醸し出していたネイチャに怯えていたテイオーが、重圧が薄まったことに瞳を輝かせ、ウンウンと頷いている。
「叶わないと思っていたキラキラした娘相手にも頑張れた、戦えた」
このまま、このまま行けば、いつものネイチャに戻ってくれると思ってテイオーも安心しているのだろう。
「だって、私はトレーナーの1番を譲りたくなかったから、トレーナーが、私が一番だって言ってくれたから」
いつもの、ちょっぴり卑屈だけど心優しく落ち着きのある子に戻ってくれるのだとテイオーは思ったのだろう…
だが、それはない。
「でもやっぱり、テイオーが一番キラキラしてるのには変わりはないよね」
ネイチャの口から言霊がこぼれ落ちた。
突然の怒りも苦しみも楽しみも、喜怒哀楽のない声。
感情の乗らない機械じみた無機質な言葉。
疑問でもない疑念でもない、ただ彼女の中にあった確信。
急激な変化に隣から、ヒェ…という息を吸い込むような音が聞こえる。
確かに先ほどはトレーナーの事を語るたびに、思い出すたびに、ネイチャの重圧は軽くなっていった。
だがそれと同時に、下を向いてはいるものの髪の隙間から見える怪しい『光』が点り始めたのを私は見逃さない。
私は伊達に、『トレセン学園存続委員会』を名乗っているわけではない。
『トレセン学園存続委員会』として、幾度となく私は見てきたのだ。
そしてそれを止められた事は一度もない。
私はあの『光』を知っている。
あの『光』はパートナーとの信頼から生み出された煌めき。
あの『光』はレースに勝ちたいという欲望に近い輝き。
あの『光』は強い独占欲からくる燭。
あの『光』は専属トレーナーに男性観を破壊されたことによって生じる閃光
私はこの光が灯る前にどうにかしたかった。
その『光』はウマ娘を変えてしまう
変えてしまったウマ娘は欲求に突き進む。
この『光』が灯さない事が『トレセン学園存続委員会』の使命なのだから。
ネイチャは顔をやっとあげて私たちを見る。
その表情はいつものネイチャではあるが、瞳にあの『光』が灯っている
ああ、もう止められない。
何故ならば、この『光』を灯すのはいつだって…
「なら、私もテイオーになればいいよね」
『恋』に囚われたウマ娘なのだから。