本日はニ月の十四日。
言うまでもなく、女性が男性にチョコレートを贈り、日頃の感謝やささやかな想いを伝える心ときめく一大イベントである。近年では様々な形式に派生したりもしているらしいが、このスタイルが廃れることは当分ないだろう。
ここトレセン学園においてもまた、この日は大層色めき立つものだ。
学生から男性トレーナーへのチョコレートやらクッキーやらの贈呈、そうして如何に色よい返事を引き出すかという心理戦が主となるが、しかしそれだけには留まらない。女性が大多数の学園である以上、同性同士でもプレゼントの投げ合いが行われるだけである。
そこに込められるのは親愛であったり、尊敬であったり、はたまた挑発であったりとさまざま。いずれにしても、日本における一大興行を牽引しているこの学舎が、こんな美味しいイベントをみすみす見逃すはずもないのであった。
テンションが天井を突破したのか、見境なく絡んでくるウマ娘たちを軽くいなしつつ、朝っぱらから黄色い声の煩い本校舎の廊下を足早に抜ける。
後ろに誰も尾いてきていないことを確認したあと、突き当たりにある生徒会室の扉を軽く叩いた。
「三人とも失礼する。ルドルフに用件だ」
返事を待たず、僅かに開いた隙間からするりと部屋に身を滑り込ませる。
不躾なのは百も承知だった。
それでも、ただでさえ学園きっての人気者シンボリルドルフと、そのトレーナーであり尚且つ男性でもある私のことだ。この瞬間を誰かに目撃されれば、やれ逢瀬だ告白だとあることないこと言い触らされる未来が目に見えていた。
よく見れば……いやよく見なくても、お互い普段の業務を遂行しているだけなのは明らかなのだが。しかし、甘ったるい雰囲気に脳みそを溶かされてきった生徒たちには、そのような正常な思考回路はもはや期待出来ない。
ぱたん、と極力音を立てないよう慎重に扉を閉めて、おもむろに振り返ると目の前にあったのは三つの山だった。
「うわっ……圧巻」
丁寧に包装された手のひら大の箱から、色とりどりの紙袋。飴玉の詰め込まれたボックスに、丁寧に仕立てられた造花の束等々……恐らくその下に埋もれているであろう机を礎として、こんもりと新たな地形を形成していた。よく見れば、床に崩れ落ちた端と端が繋がっているから、これはもう山脈と呼ぶべきだろう。
気のせいだろうか、年を経るごとに規模が拡大しているように思える。一向に見慣れることがない。
「ああ、トレーナー君。いらっしゃい……今年も、見ての通りだよ」
しばし呆気に取られていると、突如真正面にそびえる一際鮮やかな最高峰が喋りだした。
ぐらぐらと山全体が揺れたあと、器用に切り崩された隙間からルドルフが顔を覗かせる。
「毎年のことではあるが、やはりこの時期になるとどうしてもね。こうも多くの者が心を寄せてくれることは、上に立つ者として恐悦至極ではあるのだが」
困ったように頬を掻きながら笑っている。
一時期、他者に畏れられ打ち解けられないことに悩んでいたルドルフだから、こうして素直に気持ちを届けてもらえるのはやはり嬉しいのだろう。
その苦労を間近で見てきた私としても、彼女の想いが報われたのは喜しいと思う。もっとも、別に昔だって人望が無いわけではなかったのだが。諸々の工夫の甲斐あって、親しみが出てきたと言うことだろうか。
「まぁ、君が喜んでいるならなによりだ。折角だから、これも撮って学園の広報アカウントに載っけてみようか。きっとバズるぞ」
「呑気だなトレーナー。この後始末は中々に手間だぞ。こうなれば、貴様にも手伝ってもらうからな」
今度は右手にある山が喋り始めた。
ニコニコマークの包み紙が施されたニンジンキャロットが正面に来ているせいで、普段であれば逆らい難い女帝の威厳もさっぱり損なわれている。
「ウマ娘が三人もいれば十分だろう」
「……ブライアンは逃げた。ここには昨日の朝から来ていない」
「流石。状況がよく分かっている」
「副会長としての職務放棄だ。まったく褒められたものではないな」
憤懣やるかたなしといった様子で唸るエアグルーヴと、そんな彼女を宥めるルドルフ。
毎年のことだから、この二人とて当然に予測していたことだったのだろうが、持ち前の責任感の強さで投げ出せなかったのだろう。彼女たちさえいれば生徒会は回るので、これ幸いと抜け出したブライアンはやはり身の振り方が上手いというかなんというか。
だとすれば、それが分かっていながらみすみす飛び込んできた私はなんなんだろうな。
とりあえず、生徒会長のデスクに近づいて、うず高く積み上げられた箱のうち目についた一つを取り上げる。ピンクを基調として赤と白のラインが入った包み紙。器用に結ばれたリボンとの間にメッセージカードが挟まれている。
表には、少し崩れたカタカナで名前がしたためてあった。
「それは今朝一番に学園の事務局へ届けられたものでね。なんでも海外にいる私のファンからだそうだ」
「そうか。君の人気もとうとう海を越えるようになったんだな」
「ああ……感慨無量と言うほかないよ。期待に応えるためにも、なお一層身を引き締めなければな」
「またそう言って、無理なさるのは厳禁ですからね会長。貴女になにかが起きて、悲しむのは彼女たちなのですから」
「分かっているさエアグルーヴ。それはあの感謝祭で身に染みて理解したとも」
「なら良いのですが」
相変わらず顔の見えないままそう気遣うエアグルーヴの前にも、似たような箱が山程あるが。
近づいて分かったことだが、一見無秩序に思えた贈り物の塊も、実際には大きく二つに仕分けられているようだった。
学園内の関係者から贈られたものと、外部の者から届けられたもの。私が来るのを見越して、ルドルフが予め分別しておいてくれたのだろう。
そのうち後者の塊の中から、とりあえず菓子類については持ってきた袋に詰めて回収していく。
万が一のことを考慮して、贈り主の顔が見えない食べ物は生徒に与えてはならない決まりになっている。好意を無下にするようで大変心苦しいが、生徒間のやり取りですら記名が必須という徹底振りに免じて許して欲しい。
ファンを長く続けている者はそのあたりも分かっているので、代わりに花やぬいぐるみなんかを贈ってくれるのだが。しかしそちらも点検が必要なことは同じである。
そういう本人にとって気の進まない作業を引き受けるのもトレーナーの仕事だった。
……ちょくちょく男性の名前もあるんだな。同性同士のみならず、男性から先にアプローチするパターンもアリなのか。喜ぶべきことなのだろうか、ふつふつとつまらない感情が沸き上がってくる。
特にバレンタインはこうあるべきなんて拘りもないので、来年からは私も真似させてもらおうか。
「……そうそう。ほらトレーナー君。私から君へのハッピーバレンタインだ」
だいぶ山が崩れて、ルドルフの上半身も露になってきた頃。
彼女が引き出しから小さな箱を取り出して、机越しに手渡してきた。
特に凝った飾り付けはないが、一目で格調高いものだと伝わってくる。仮にも中央トレーナーとして高給を得ている私ですら、滅多に足を運ばないような場所で買い求めたものだろう。
「お、ありがとう。ここで頂いても?」
「うん。是非とも感想を聞かせて欲しい」
促されるまま、個別に包装されたそれらの内一つを口の中に放り込む。
トリュフチョコか。蕩けるような甘さの後に、甘酸っぱい風味がすっと抜ける。これはブランデーかな。
「ああ、美味しいよ。君からこれ程の物を貰えるなんて、私はとことん幸せ者だ」
「そ、そうか。私には大人の味というものがよく分からなくてね。君の口に合ったのなら幸いだ」
ややぎこちない仕草で、大仰に頷いて見せるルドルフ。その両耳は前と後ろを行ったり来たりと、なんとも落ち着かない様子で遊んでいる。それが見えていないはずのエアグルーヴが、一つ呆れ気味の溜め息を漏らした。
照れている……わけではないな。
長年トレーナーとして寄り添ってきた私には分かる。耳をバラバラと動かすサインは同じだが、これは照れ隠しではなく緊張だ。最近はすっかり見せなくなったが、かつてはパドックに向かう地下通路でよく披露していたものだった。
つまり、ルドルフはなにか機会を窺っている。そして恐らく、それが私にバレるのも覚悟しており……むしろ突っ込んで欲しいとすら思っているのだろう。
「少し隣失礼するよ」
「あ、ああ」
……そこまで理解していながら、私は敢えてそれを無視することにした。その方が見ていて面白いし、なにより彼女の狼狽える姿を見るのも懐かしい。
机をぐるりと半周し、前方からは見えなかった部分についても確認しておく。案の定、そちらの空間も埋まっていた。
「すまない。なにぶん置き場所がないものでね。無下に扱うわけにもいかないし、どうしたものかと」
「贅沢な悩みだことで。君は男の敵だな」
「ふふっ、ちょこっと猪口才なことを言ってしまったかな。チョコだけにね」
「相変わらずへなちょこなセンスだこと」
ルドルフの腰かける椅子の下には幾つかの段ボールがある。これはきっと、昨日の内に生徒から手渡されたものだろう。
トレセン学園は全国から選りすぐりのウマ娘を集めた養成機関であり、女子校という括りに分類される。トレーナーを除けば、基本的に関わる相手は女性ばかりになるので、その中で男役のような立ち位置となる生徒も一定数出てくる……らしい。
フジキセキやシリウス、オペラオーといった意図的にそれをこなしている者もいれば、ナカヤマフェスタのように勝手に人気が集まる者まで。そういう連中はこのイベントで贅沢な泣きを見る羽目になる。
思うに、ルドルフはその最たるウマ娘だった。
正直、男である自分から見ても漢らしいのである意味当然の帰結かもしれない。似たような属性としてブライアンもいるが、やはりなにかと目立つのはルドルフの方だし。純粋に人望でチョコを稼ぐエアグルーヴやシービーらも大概だが、それと比べても彼女は頭一つ抜けていた。
一学年ぶんは優に超えているだろう。チョコの一つに一喜一憂していたかつての自分がアホらしくなってくる。ああ、どうして女性であるルドルフにバレンタインデーで敗北感を抱かなくてはならないのだろう。これがステージの違いというものなのか。
「とりあえず、去年みたくオグリキャップに助力を願おうか。これを全て食べたら太り気味を通り越して糖尿病まっしぐらだろう」
「そうだな……ん。なんだろう。なにかトレーナー君からいい匂いがする」
ふと、ルドルフが私の方に……正確には、ジャケットの内ポケットのあたりに視線を注ぐ。
流石。これだけのチョコに囲まれながら尚も鼻が紛れていないとは。
懐に手を突っ込み、それを見せつける。
白地に赤の入ったいかにもな紙袋に、これ見よがしに大きなハートマークの装飾があしらわれている。中を開けると、透明な袋で個包装されたカップケーキが幾つか入っていた。整った生地の上に、丁寧に細工がされた見事な一品。
ついでに放り込まれたメッセージカードには、歯の浮き立つような文言がずらりと並べられていた。得意分野だろうし、むしろこっちが本命なんだろうな。
「凄いだろう。手作りらしいよこれ」
「そ、そうだな。ところで……差出人は?」
落ち着きのなかったウマ耳が途端に跳ね上がり、揃ってピンと天を貫きながらこっちを向いた。反対に、力なく垂れ下がっていた尻尾が振り子のようにゆらゆらと揺れ始める。
うん。面白いな、これ。
普段は感情の制御が完璧なルドルフだからこそ、このギャップが見ていて新鮮だ。皇帝だなんだと気負うのも彼女らしいが、たまにでいいからもっとこうして素直になってくれればいいものを。いや、そういった仮面を剥がせるのがこういった催し事の醍醐味だろうか。
ちなみにウマ娘同士での渡し合いのみならず、ウマ娘からトレーナーへ贈る場合も記名は必須である。私は紙袋の底面にデカデカと、本人がノリノリで書いたであろうその名を提示する。
「Sirius SymboliとMr.CB。連名のバレンタインチョコって初めて見たよ」
まぁ、彼女たちからはまた個別に貰っているのだが。そちらはとっくにトレーナー寮の冷蔵庫の中に収納済みだ。この日にチョコを抱えて担当の前に顔を出すのも憚られる。
しかしこれだけは絶対にルドルフに
ためしに一袋ぶん中身を取り出し、封を開けてちょうど一口大のそれに手をつけた。
なんというか、味自体は完璧なのがかえって腹立つな。一体どちらが作ったのやら。こういうのは言い出しっぺが担当するものと相場が決まっているが、あの二人の場合どちらが言い出したとしても全く不思議じゃない。なんならどちらともなく共謀した可能性だってあり得る。
無言で咀嚼する私を、ただおろおろと見守るルドルフ。
紙袋を凝視して、私を見上げて。また紙袋に視線を落としたかと思えば、今度は自力で整理をしている最中のエアグルーヴに助けを求める。
彼女は私とルドルフの顔を交互に見比べた後、助太刀する必要なしと判断したのか再び自分の机に視線を落としてしまった。頼みの綱が切れたことを悟り、反対側の机へと目をやるものの、生憎そこには昨日から誰もいない。
うん、滅茶苦茶可愛い。この場にいないあの二人と是非とも感想を分かち合いたい気分だった。
ただもうそろそろ潮時か。
ルドルフがこちらに向ける目も、ちらちらと様子を探るものから情けを求めてすがりつくものに変わってきている。ここで私に助けを求める時点で見当違いな気はするが、何時までも意地悪して根に持たれても堪らない。
「ところで、ルドルフ。そろそろ君の手作りも欲しいのだけれど」
「………うん」
観念したのか、それとも迷いを捨てて満足したのか。ルドルフはあっさりともう片方の引き出しを開けると、そこからさらにもう一箱取り出して渡してきた。
包装は、一枚の紙に軽くリボンを施したシンプルなもの。メッセージカードには"Symboli Rudolf"とただ記名だけがなされている。
質素なものだが、しかし手抜きというわけでは決してない。むしろ迷いに迷った末にこの形に落ち着いたのであろうことが、微かに何度も手直した跡が残るリボンの結び目からも見てとれる。
それはこれでもかと盛りまくったシリウスとシービー謹製のジョークグッズよりも、遥かに気持ちが伝わってくるものだった。なるほど、こういうのを見るとやはり贈り物とは見た目ではないのだと改めて実感する。
「開けてもいいかな?」
「ど、どうぞ……」
緊張でがちがちに固まってしまっているルドルフ。もう何度も繰り返してきたイベントだろうに、彼女は一向に初心なままだった。こればっかりは、エアグルーヴでもなんとも出来ないそうで。
蓋を開けて見れば、中にあったのは二列に並べられたチョコトリュフ。先程贈られた市販のそれと似ているが、さらに少しだけ手が加えられているようだった。
一つ摘まんで口に放り込み、ゆっくりと舌の上で転がしながら咀嚼する。流石に学生の手作りということもあってか、酒の風味こそ感じられなかったが……だからこそ、チョコの味わいがそのままに流れてくる。とろとろと、甘ったるさと共に儚く溶けていく舌触りは、どんな店で売られているそれよりも遥かに高給なものに感じられた。
当然か、だってこれは彼女が私のためだけに作ってくれたものなのだから。そもそも値段など付けられるはずもない。プライスレスだ。
「どうだろうトレーナー君?私は菓子作りは殆ど経験がないから、上手く出来た自信がないのだが……」
黙ったままの私を前にして不安になったのか、ルドルフはペタンと両耳を伏せながらおどおどと口を開く。
こと恋愛というか男女関係絡みのこととなると、何故か自己肯定感が低くなるのが彼女だった。妙に渋っていたのも、踏ん切りがつかなかっただけではなく、そもそもの仕上がりに自信が持てなかったからか。
だとすればそれは杞憂だった。
担当の贔屓目を抜きにしても、間違いなく逸品と評せられる程の出来栄えなのだから。とてもじゃないが、経験の乏しい者の作品とは思えない。
その裏に一体どれ程の苦労があったというのだろう。訊ねてみたところで、きっとルドルフは教えてはくれまい。
しかし、どう答えたものだろうか。
頭の中であれこれ言葉を捻って転がしてみるものの、どうしても納得のいく返しが出てこない。
「……トレーナー…くん……?」
「ん。美味しかったよ。これまで食べたどんなチョコよりも、ずっと。去年君がくれたものよりもさらにね」
「本当か!?」
沈黙を悪い方向に解釈したのか、いよいよ目が潤んでいくルドルフを前にして、咄嗟に飛び出したのはなんとも陳腐な褒め言葉。
それでも目を輝かせ、尻尾を振り回す彼女のなんと健気なことか。
自分の語彙力の乏しさが心底悔やまれる。
こういう時にすっと気のきく返事を捻り出せる脳みそがあれば……なんて、そんなことを今さら後悔したところで仕方がないか。
エアグルーヴの生暖かい視線を浴びながら、懸命に尻尾を振り続けるルドルフの頭をそっと撫でた。
「ホワイトデー、楽しみにしていてね。なんたって三倍返しなんだから」
「っ……ああ!!」