あなた依存症 作:パンデモウム
──おねーちゃん。
またこれだ。
──おねーちゃん。
振り向けば、私を誰かが追っている。
──おねーちゃん?
やめて、やめて。そんな目で私を見ないで。
──おねーちゃん!
あぁ。本当に、悪い夢だ。
「おねーちゃん」
「……なにかしら?」
「元気無さそうだけどどうかしたの?」
「嫌な夢を見ただけよ」
最近、悪夢をよく見る。思い返そうとしても内容は殆ど覚えていなくて、へばりつくかのような不安だけが目を覚ました時には残っている。
そしてそれを見る日は決まって昨日のように彼と過ごした日。関連性などある筈もないのに、偶々な筈なのに、そうではないと頭の何処かは決めつける。
たまに思うのだ。日菜の目に映るものはなんなのかと。
キラキラと、澄んでいて眩しさすら感じ取れるその瞳には一体何が映っているのか。
「今日は何の予定もないの?」
「予定……今日は何もないわね」
「そっか。おねーちゃんにも予定がない日ってあるんだね」
「私をなんだと思っているの?」
そんなことを言えばアイドルである日菜の方が忙しくあるのではないのか。まぁ、そうでないことは知っているのだけれど。
だがまぁ、私だって休みの一つや二つくらいある。私は永久機関でも、マグロでもないのだ。
車にガソリンが必要なように、私も霞を食べて身体を動かせるわけではない。必要なのだ、彼が。
私は一人では動けない。いつからか、私は疲れに対して鈍くなった。
勿論それを感じる事はできるし、止まることだってできる。だが、動かしてしまうのだ。身体を、心が。
もし、あなたを感じられなかったら私は、一体どうなってしまうのだろう。
「……ねぇ、昨日は何してたの?」
「映画を観に行ってたわ」
「え~、あたしも誘ってくれたら行ったのに」
「あなたはパスパレの練習があると言っていたでしょう」
コーヒーを飲む。熱い、そう思うのはほぼ反射で、実際はそうではないというのはよくある話。印象的な記憶が事実を上書きしている、子供が注射を嫌いと言うようなものだ。
「よくそんな苦いの飲めるよね」
「……そんな苦いかしら?」
「うん、さっきこっそり舐めさせて貰ったけど、あたしには無理だったよ」
言われてみればそうかもしれないし、そうではないかもしれない。まぁ、そんなことはどうだっていい。
スマホが鳴ったので見てみれば、今井さんから買い物のお誘いだ。予定もない、断るのも悪い、二日連続でとはなるが出掛けるとしよう。
「……誰から?」
「今井さんからよ」
「ふーん……」
何か言いたげな様子。なんだ、もしかして一緒にきたいのだろうか。そう訊ねてみれば、今日は予定があってと返された。
手元のコーヒーを飲み干し支度をする。やはり苦かったのか、舌の上で何かが残留しているような感覚がしたので洗い流す。
彼と飲んだ時は美味しかったと思ったのだけれど。いや、お店が出すものがそれだけ出来がいいということだろうか。
「おねーちゃんって甘いの好きだっけ?」
「別に、好きでも嫌いでもないけれど」
彼との記憶の味、忘れる筈もない。それと比べれば、何もかも泥みたいなものだ。コーヒーを好んで飲み始めたのもあの時から。優しい味、それを感じ取れる気がするのだ。
後ろから何か聞こえた気がして振り返る。そこには中身を使いきった小さな棒状の袋がいくつかあるだけで、
「なんでもないよ。行ってらっしゃい、おねーちゃん」
彼女は小さく手を振って、私の背を送り出した。
人混みはあまり好きではない。ライブで大勢の前に立つが、それとこれとでは別。
白金さんのように苦手というわけではなく、ただ好きではないだけ。そうこう考えている間にも私の前を誰かが通りすぎていく。
もしこの人の波の中にあなたがいたら。別に好きでもない人混みを、そんな望みを込めて眺めている。
あなたも人混みが、というよりも外出自体がそんなに好きではないことは承知の上。誰とも認識できない誰かが視界の端から現れ、消えていく。
ふと、瞳を閉じればそこに、あなたの姿を幻視して……
「待たせちゃった?」
「いいえ、時間通りです」
「そうじゃなくて。どうせ時間より前にいたんでしょ?」
「待っているのは私の勝手ですから」
目を開けば彼の姿は消えていた。当然、そこにあなたはいないのだから。
今井さんは来る途中に買ってきたのか、なんとも甘そうな飲み物を両手に私の隣に座る。
私の分と片方を手渡されたが、どうにも見ているだけで胸焼けがしてしまうほどだ。
気づいた時にはあなたの事を目で追っていた。いつしか、私はあなたの姿を幻視するようになっていた。
幻覚というべきか、妄想というべきか。どちらにせよ、それは本物ではないのだから等しく価値がない。
「紗夜ってさ、たまに何処か遠くを見てるような気がするんだよね」
「そういうつもりはないのですが……」
「日菜もそういう時があるし、やっぱり双子なんだなって思うんだ」
そんなものなのだろうか。眼を閉じて、開いて、前を見る。
そこに映るものはなんなのか? そんなもの、人混みであることから変わりがある筈もなくて。
あなたは今ゲームでもしているのだろうか、それとも学生らしく課題にでも追われているのか。まさか、休みだからとこんな時間でもまだ眠っているのだろうか。
どれもあっさりと浮かんで来る。そればかりに夢中になって、目の前に何があったかなんて全く見えていなかった。
静かな場所は好きだ。これまたライブハウスはうるさいものであるという前提の元、それが嫌いというわけではない。
結局のところ、場所と雰囲気だ。ライブハウスでの音量を注意する人物はいないだろうが、図書館で煩くしている人を見かけて嫌な気にならない人の方が少ない。
だから場所も、雰囲気も何もかもがどうでもない今のような状況では静かな方が好み、それだけだ。
「紗夜はほんとに綺麗だよね、なんでも似合うし」
「それで、その手に持っている物はなんですか?」
私に似合いそうな服を見かけたので持ってきたとのことだけれど、それにしては量が多すぎる。
私なんてどれがいいかもわからず、未だ一着も手に取れていないというのに。
「紗夜ってさ、好きな人とかいるの?」
「……突然どうしたんですか?」
「なんとなく。いいじゃん、減るものじゃないんだし」
私に服を当てながらそんなことを言ってくる。今井さんは世話焼きすぎる、今だって、自分の服なぞ一つも探してないだろうに。
「ええ、いますよ」
別に隠す必要もない、言わなかったのだって必要がないから。
実際、負い目も引け目も感じていないものを隠す意味はない。恥ずかしいだとか、そういうのはあるのかもしれないけど私にはなかった、それだけだ。
この想いに偽りはない。病的に、純粋に、狂うほどに。ならば誇るものではないにしろ、隠すものでもない。
私の心はあなたに侵されている、溺れている縛られている。不満なんてもの何一つとしてある筈もなく。
しばし待たれど返答はなし、どうしたのかと今井さんの方を見れば、信じられないものを見るかのような目でこちらを見ていて。
「……初耳だよ」
「言ってませんでしたから」
知ったところで何もありはしないのに一体何故聞くのか。まぁ、話に添えるくらいには十分か。
最もそんな話、誰が興味を持つのかという内容だが。
だから、何故なのだろう。日菜と彼がいて、あんなにも胸の内がざわめいたのは。
「これ着てみて、絶対似合うと思うんだ」
これはいけないものだと解れているから、わかりましたと考えるのを放棄して指示に従う。
逃げるように、隠れるように。そう、こんな時はあなたの事を思えば、不安も恐れも隠してくれて、消し去ってくれる。
あなたは優しくて、あなたは素晴らしくて、あなたを感じたくて、あなただけを感じたくて。
そして、背につたうナニカを一秒でも早く、洗い流したくて仕方がない。
「それじゃ、また今度ね」
買い物を終え、お昼御飯を食べたり音楽機材を見にいったりして彼女と別れた。
彼女の背を見送りながら、既に用も終えた筈なのにこの場を離れる気にならない自分がいて、壁に背をかけながらただ何をしたいわけでもなく、ただただ人混みを眺める。
独占欲、そんなものは抱いてはいけない。されるのはいい、求められるのはいい。でも、一人占めしたいだなんて傲慢にも程がある。
去り際、今井さんは私に協力するねと言っていたが、一体何に対してなのだろうか。それに彼の事について何度も何度も聞いてきたが、興味でも沸いたのだろうか。
「あなたと、日菜と……」
私はあなたになら全てを捧げることができる。既に心は奪われていて、身体だってあなたが望めばいつでもあなたの好きなようにして構わない。
それこそ、あなたがそう望むのであればあなた自身を手放すことだっていとわない。
姿を見せるなと言われれば身を隠そう、消えてくれと言われたならあなたの前から消えて見せよう。そしてもし、死ねと言われたなら……
まさか、それこそ失礼だ、本当にどうかしている。
彼が、そんなことを言う筈も、思う筈もないのに。
代わり映えしない、飽き飽きとしてくるような人の波。騒々しい筈の足音も、話し声も、どれも気になることはなかった。
だから、こちらに向かって走ってくるその存在の事もどうでもよく眺めていて。
「おねーちゃん、一人で何してるの?」
「……あなたこそ何しているのかしら?」
「あたしはね~……」
彼女が何かを言おうとして、気付く。彼だ、彼がいる。あなたが近くにいる。
味わってない、匂いもしない。触れていない聞こえてない見えてない。それでもわかる、あなたがいると。
第六感、所謂それだが外した事は一度もないし、無論、外すかもしれないなど、微塵たりともありえない。そして、感覚の通り彼が目の前へとやってきて。
「こんにちは」
────あ
身に余る、でも感じずにはいられない。きっと末期症状とやらだ。身体が、思考が、心が溶けそうになる。
あなたからは優しい匂いがする。当然、そんなものを感じているのは私だけ、そして私はそれにすら多幸感を感じてしまう。心配しなくてもあなたが臭いというわけでは断じてない。
ああ、あなた以外どうでもいい、そんな風に思えてしまう程、私はグズグズに溶けきっていた。
依存なんてしてはいけない。わかっていて、でもしてしまう。許して欲しい、この感情は私の中でだけ押し止めておくから。絶対にあなたの肌には触れさせないから。
「ねぇ、聞いてる?」
「聞こえてるわよ」
「ならいいんだけど……」
あなたが私の眼には映っていて、あなたが誰かと話していて、触れずともあなたを私の側に感じている。
あなたは、あなたが、あなたを、あなたの、あなたなら、あなたには、あなただから。
あなただけを、思っている。
あなたの姿しか見えていない。
あなたの声しか聞こえない。
あなたとの味ばかり思い出す。
きっと、私は可笑しいのだろう。でも、それくらいで丁度いい。
だって私は、病気なのだから。