あなた依存症   作:パンデモウム

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驚きとありがたさと心強さを


あなた症候群

 最後に風邪を引いたのは何時だったか。それすら思い返せない程昔のこと、いや、それに気づけていないだけだったのかもしれない。

 自分が風邪を引いているのか、いないのか。自分の事などどうでもよくて、自覚できていなかった。普段の自分など、覚えていなかったから。

 どうであれ、風邪などというものは引く方が悪い。マスクなり手洗いなり、予防できるものは幾つもあり、それをしなかったのであれば自己責任だ。

 

「…………」

 

 今日は酷く冷える。

 シャワーを浴びているというのに意味はなく、冷水が指の先から零れ落ちているかのよう。

 

 明日、久しぶりに会えませんかと連絡をしてみたけれど、風邪を引いてしまったからと断られた。

 それからだ、身体が急に冷え始めた。もし、もし、そんなことある筈ないのに、あってほしくないのに考えて。

 

 馬鹿は風邪引きませんから、なんて口癖のように言っていたのにこれはどういうことか。

 いつまで経ってもこびりついた物は洗い流せず、シャワーを止めて鏡を覗く。

 

「……私なら、どうするのでしょうか」

 

 一体どうすることが私らしいのか、考えれば考えるほどわからなくなって、目眩さえもしてきてしまう。

 お見舞いに行くのだろうか、移されては敵わないと行かないのか。どうしたいかも、どうするのかも、何もかもがわからない。

 

 本能も、理性も、全て焼ききれている。

 不安で、心配で、恐ろしくて怖くて嫌で辛くて吐きそうで泣きそうでおかしくなりそうで考えられなくて考えたくなくて、何もかもが溢れだしてしまいそう。

 

 どうしたってあなたが私を咎める事などありはしないけれど、どうしたって私は私を咎めるだろう。

 濡れた身体を拭きながら、あなたは今何をしているのだろうかと考える。

 思ったより辛くなくてゲームでもしているのか、既に眠っているのか、もしかして苦しんでいるのか。

 

「こんなこと、始めてです……」

 

 悩むのが、ではない。こうしてあなたが弱っていることがである。

 わからない、あなたはこういう時どうして欲しいのだろう。

 弦巻さんのように底無しに明るいわけではないが、男の子としてのプライドか、弱音の一つも吐かず、見せないあなたはそういう姿を見られたくはないのだろうか。

 それとも意外と寂しがっていて、お見舞いに行ってあげれば多少なりとも喜んでくれるのかもしれない。

 

「あっ……」

 

 身体を拭いていたら急に身体が熱くなる。いけない、これは自分本位、確証もないものをするわけにもいかなくて。

 奉仕精神とは違う、そんな自分勝手なものじゃない。自らの内から沸き出るもの等興味なく、意味もなく、価値などありもしないのだ。

 喜んでくれるのかなんて烏滸がましいにも程がある。喜ぶことをするのが正しくて、それでいて私の押し付けになってはいけなくて。

 

「おねーちゃん、明日って暇なの?」

 

 扉を開け風呂場を出ると同時に日菜はそんなことを聞いてくる。

 暇かどうか、そんなの私が知ることではないのに。どちらなのか、珍しく静かにしている彼女を尻目に数分考え、暇だと返した。

 

「……本当に?」

「ええ、明日は練習もないから」

 

 それはお見舞いもいかないという決定だ。理由なぞ、危ない橋を渡りたくないというだけだ。

 石橋ならば叩かず、迂回すればいいだけ。悩み心配するくらいなら、最初からしなければいい。しないのは勇気ではなくて無謀というものだ。

 最も、恐れすぎというのもわからなくもないが、恐れすぎ程度では足りないのだから仕方がない。

 

「……そっか、あたしは明日忙しくてさ、中々噛み合わないね」

「仕方ないでしょ、私もあなたも忙しいのだから」

「そうだよねぇ」

 

 残念そうな顔をしながら日菜は自分の部屋に向かっていく。その後ろ姿を見送ると、何故だかため息が溢れていた。

 

 

 

 心ここにあらずとは今の私の事を言うのだろう。何をすることもなくスマホの画面を眺めていて、そのせいか頭も冴え、眠ることなど出来やしない。

 

「はぁ……」

 

 時間は無限ではないと、そんなことはわかっている。百年も千年も、永遠をも生きるわけではなく残された時間は減っていくのだからいくらあっても満足する筈がなく、また足りる筈もない。

 そうわかっていて、だけれど身動き一つとることできず、時計の音だけがゆっくりと聞こえてくる。

 

 立ち上がるという単一的な動作さえ出来ないほど頭からの指令が行き届かない。

 具合が悪いだとか、惰性に勝てないだとか、外が寒いからだとかそんな理由はなく、頭を支配するのはたった一つの思考だけ。

 

 ──あなたは、大丈夫だろうか? 

 

 心配して、不安で、自分の事などどうでもよすぎて身体を動かすことが出来なくて。

 一体いつからこうしているのか。小指を曲げるとパキリと小さな音が鳴ったような気がした。

 

『具合は大丈夫そうですか?』

 

 朝に送ったその文章。未だ返信はなく、また既読もついてくれていない。

 彼は朝に弱く、日によっては昼過ぎに起きることだってある。それに風邪を引いたのであれば多少は睡眠時間も伸びるだろう。

 

 私は昨日から意識を落とせないまま今に至る。眠いだとか、辛いだとか、そんなことは一切ない。

 

 見てみればスマホの充電が完了している。充電を訴えた時からし続けていたつもりだが、随分と時間のかかるものだ。

 いつからこのスマホを使い続けているのか覚えていないが、もしかしたら壊れているかもしれない。だって、こんなにも長かった時間がたった一時間と少しだなんてあり得ないことなのだから。

 

「こんな時、どうすればいいんでしょうか?」

 

 時間を潰すという発想はない。待っていて、それは望むことであり大切な事であり、暇とは別なのだ。

 それに今ようやく朝日が昇り始めた程で、近所であったり家族の事を考えれば演奏など出来る筈もない。あれでもないこれでもないと考えて、そんな間にも返信がないかと期待するが外れのようで。

 

 今すぐ電話でもして聞けばいい、そうすれば簡単に解決すること。

 だけれどそれは私が望むことであり、あなたが何を思うかは別。もしそれで眠っているところを起こしてしまって、一分であろうと不快感を抱かれたらと考えると実行できる筈もなく、する気もなく。

 

 長らくスマホを見つめて乾燥し、ぎゅっと目を瞑ればどうしてか身体を動かすことが出来るようになっていた。

 外を見れば雲一つない晴天、少しくらい散歩してくるのもいいかもしれない。着替えを済ませ、何かを食べる気は起きず外に出る。

 当然、その手にはスマホを持って、見たままだが。

 

 既読は、未だについてくれていない。

 

 

 

 ふらふらと、幽霊の様に町を練り歩く。あれから暫く立ち、だけれど既読の一つもつかず、悪戯に充電だけが減っていく。

 太陽は頭の上で照り輝き、目眩がすれどスマホの画面から目を離すことはなく、近くの壁に寄りかかった。

 

「歩きスマホは危ないよ?」

「……わかっています」

 

 目を瞑れば、一瞬ではあるが上下も左右もわからなくなった。立っているのか崩れ落ちたのかわからぬままで返答し、声を頼りにそちらを向けば今井さんの姿。

 これから遊びや買い物にでも行くのだろうか、随分と身軽な様子を見て、スマホから目を離してため息をついた。

 

「どうしたのさ、ため息なんてついちゃって」

「こちらの問題ですから」

「そうは言うけどさ、なんだか具合悪そうだよ?」

「少し寝不足なだけです」

 

 ああもう、今すぐにでも彼の家に突撃でもしてしまおうか。安否だけ確認して、少しだけ傍にいて今日を過ごしてそのまま、あなたの風邪を移して貰って……

 大きく息を吐いて思考を止める。全く、欲深い思考回路だ。どうやら相当参ってしまっているらしい。

 

「紗夜って意外と抜けてるところあるよね」

「急になんですか?」

「いや、馬鹿にしてるとかじゃなくて。何て言うか、こう、完璧人間? みたいな感じが普段からあるせいで」

「それなら日菜の方がよっぽど完璧よ」

「日菜は完璧とはまた違う気がするけど……」

 

 周りが私をどう見るかなど興味ない。あなたと、私自身がどう思うか。

 しかし完璧など、そう目指しはすれど、なることはない。読んで字の如く、一つの欠点もないなど、進むべき道がないのと同意である。

 それになれたとして、結局大した価値があるわけではない。完璧であろうと、あり続けるのは不可能だ。

 完璧であるならば、たった一つの傷でも欠けでも完璧ではなくなってしまうから。

 

『大丈夫そうです』

 

 今の今までなんの反応もなかったスマホが震えた。もしやと思い覗けば、そこにあるのは望んでいたもので。

 感情の濁流、破裂してしまいそうな程のそれにつける言葉はない。今なんと思ったか、なんてものは新しくやって来た感情に流されて、それも一瞬にして何処かへ流されていく。

 しかし眺め続けた弊害か、スマホの画面が暗くなった。もう一度眺めようとして、しかし反応はない。充電切れ、であればなんとも間の悪いことで。

 

「なに見てるの?」

「……連絡が返ってきただけです」

「それにしては随分と嬉しそうだったけど、なんて返ってきたの?」

 

 見ればニヤニヤと、悪どい顔を浮かべる今井さん。自らの口元をなぞってみて、少し口角が上がっていたことに気づくが、恥ずかしいだとか、そんな程度の感情など今は入る隙間もない。

 

「秘密です」

「えー、いいじゃん教えてよ」

「面白いものではないですよ」

 

 まさか風邪の安否を聞いて、それが返ってきただけとは夢にも思ってないだろう。

 だけれど今の私にとっては何より大切な事で、大事なことだから、そう簡単に伝えるわけにはいかなくて。

 

 スマホの充電もなくなってしまったし、財布も何も持ち歩いていないためにすることも、出来ることも、待つことも何もない。

 今井さんが時計を見ると焦った様な様子を見せる。無駄話、というわけではないが、今日のところはここでお別れらしい。

 

「それじゃ、風邪が流行ってるみたいだから紗夜も気を付けてね」

「わかっています」

 

 そう言って彼女は走り去っていった。全く彼女は心配症だ、風邪など、気を付けていれば引く可能性など皆無に等しいというのに。

 

「…………」

 

 すっと、いつもより長めに息を吸った。

 そう、風邪を引くなど、気を付けることも出来ない証拠なのだ。であれば、あなただってそういうことで。

 

 あなたは、完璧ではない。認めたくはないがそういうことだ。だけど、だからこそずるいのだ。

 完璧ではないのにあんなにも魅了して、完璧でないから日増しに好意は膨らんで。

 そして、完璧ではなく、一つ二つの欠点ともいえるものが、あなたであれば愛おしさすら感じさせてきて。

 

 あなたから風邪を移されたいと思うのは卑しいか。

 でも、それはありえないこと。あなたが申し訳ないと思ったなら、私はどうすればいいのかわからない。

 であるから注意せねばならぬのだ。私も気を付けねば、いつ私も誰かに移すかわからないのだから。

 

 影は、随分と長く伸びていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日、日菜が風邪を引いていた。

 その次の日には、私も。

 

 そして、この事はあなたには内緒のことだ。




完璧など、そもそも目指すべきものではないのだろう。
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