ハイゴ様   作:欺瞞

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譎詭不経

 

 

 寝具に潜り夜を乗り越えた翌日。俺は昼休憩の食堂にいた。熱と騒音に塗れたここは、まるで活性化した火山だ。

 

「暑いな…」

 

 クーラーの効く中央席はグループ客に取られている。俺のような席取りが物理的に不可能な独り身は、ギラギラとお天道様に照らされる窓際の席に座るしかない。

 そして頼んだメニューはラーメン。昨日は色々とあったので胃を大きく満たして気を紛らわせようとしたのだが…今となっては失敗だったと言える。

 直射日光と臓腑からの熱のダブルパンチに朦朧とする中、彼女は唐突に現れた。

 

「や」

 

 昨日とは違い、制服に袖を通した三枝さんだった。手にはトレー。そしてその上にはラーメンが湯気を立ち昇らせていた。

 

「…こんにちは。昨日はお世話になりました」

 

「気にしないで。それとここ、空いてる?」

 

 無言で頷けば彼女はどうも、と椅子に腰掛けた。

 

「…暑いね」

 

「ええ、まあ」

 

 毒にも薬にもならない会話。お互いにどう話しかけるべきか迷い、そして牽制しあっていた。

 俺としては昨夜の非礼を詫びたいが女子との会話の仕方が分からず、彼女としては…俺の昨日の様子が探りたいが話の入り方が分からない、といった所だろうか。

 当たり障りのない言葉を一言二言交わしながらラーメンに手を付ける。かいた冷や汗を誤魔化すようにスープを飲んだ。そして麺の量も減ってきた頃、彼女は心なしか大きな声で呼びかけた。

 

「結局さ!ストーカーの姿、伝えてないよね?」

 

 …そう言えばそうだった。彼女のペースに乗ってうやむやになっていたが、それが最初の目的だったのだ。

 

「そうですね…教えて頂けるんですか?」

 

「うん、その為に来たんだしね」

 

 話せてすっきりしたのか満足気な表情。俺の非礼は気にしていないようだった。…あの態度を受けてまだ助けようとは器の大きな人だ。己の事情で大人気ない行為を取った自分と比べて、少し気分が落ち込んだ。

 

「その前に確認なんだけど、中川くんはあれの姿を見てないんだよね?」

 

「はい、見ていません」

 

 ずっと背後から視線を感じはするのだが、しかしてその下手人を見たことはない。そもそも視線を感じる、というのも妙な話な気がするが、実際に背後からなにか圧のようなものを感じるのだ。

 

「じゃあ視線はいつから?それと、付き纏われる心当たりは?」

 

「視線は…入学してからかな。あ、俺は進学を期にこっちに引っ越して来ててですね。それからって事になります」

 

「知ってるよ?中学校の時見なかったもん」

 

 …つまり三枝さんはこの地域の産まれということか?この地域に中学校は確か一つしかなかったはずだ。そこの出身であるならば整合性は取れるか。

 そうなんですね、と返して次の返事を練る。

 

「えーと、心当たりは…」

 

 ない。顔、成績、性格、財力。特に秀でた所はない。今の所女性とそれらしい雰囲気になった事は一度もないしそれどころか…いや、やめよう。

 

「ないですね」

 

「そっかそっか。参考になったよ、ありがとう」

 

 うんうん、と頭を振る三枝さん。何らかの確信が持てたのだろうか。

 

「いえ、お礼を言うべきなのはこちらの方で…」

 

「中川くんはさ、幽霊って信じる?」

 

 

 遮るような質問。俺はその言葉の真意を掴めなかった。

 

 

「あー…その、信じてないですね?」

 

「ふうん…そっか」

 

 それだけ言うと三枝さんは食事に戻ってしまった。上品にも音を立てず、麺はするすると彼女の口に消えていく。

 いつの間にか冷えきった頭で必死に考える。なぜこのタイミングであんな質問を?それではまるで、まるで───

 

「──ストーカーではなく、幽霊だと?」

 

「まぁね」

 

 内容に反して随分とあっさりとした答えだった。そこに嘲りや気負いはなく、当たり前の常識を説くような、そんな様子だった。彼女が言うのならそうなのだろう、そんな感覚すらしてくる。

 

「…いや、なわけ…ない…ですよね…からかってます?」

 

「なんで?メリットなくない?」

 

 そう言われては言葉に詰まる。詰まるが…仮にも21世紀に生きる人間として、そうやすやすとオカルトの実在は信じられない。

 

「人は…理由もなく誰かを騙せるでしょう。ほら、原田くんだって…」

 

 いじめっ子で有名な原田くん。彼に限らず、人は『ノリ』や『その方が面白いから』という理由で簡単に嘘を吐く。三枝さんがそんな人には見えなかったが、それでも幽霊の実在よりは信憑性があった。

 

「まぁ、そうかも。でも私は嘘つくの好きじゃないんだよね」

 

 自己申告の性格では信用できない。それすらも嘘である可能性がある訳だし…しかし、彼女がそういった連中とつるんでいないのも事実だった。

 はっきりとしない現状に悩んでいると、彼女は箸を置いて口を開いた。

 

「戸惑うのも分かるよ。でも付きまとわれてる理由も姿を見せない方法もわからないんだよね?」

 

「それは…」

 

 幽霊のせい。そう考えれば確かに説明はつく。幽霊や妖怪は説明できない謎を擬人化したものなのだから当然ではあるのだが。

 

「一回さ、私の話を聞いてみない?それから結論を出しても遅くはないでしょ」

 

「そう…ですね。お願いします」

 

 話を聞いて損をすることもない。どうせ解決策もないのだし、それもありかもしれない。

 よしきた、袖を捲りながら戯ける三枝さん。こういった事に慣れているのだろうか。

 

「ここら辺は知ってるだろうからさくっといくけどさ。幽霊って生者を羨んでて、それが理由で近づくんだよね」

 

 小説とかゲームでもよく聞く話だ。死者は喪った生命の温かみに飢えていて、それを欲して襲ってくるのだと。

 

「そんでもって幽霊は霊感が強い人以外の視界には入らない。つまり中川くんが霊能力者じゃないなら見えないね」

 

「それが付きまとわれてる理由と姿を見せない方法…ってことですよね?」

 

「そういうこと」

 

 笑顔で肯定する彼女。ここまでは自分も理解できていた。問題はここから先だ。

 

「それじゃあ本題。そうだなぁ…3つに分けて証明していこっか」

 

 ピンと人差し指を立て、俺の眼前に掲げる。白く、細い指だった。

 

「一つめ。ストーカーって昼に来たことある?」

 

「ない…ですね。でもそれは学校にいるからじゃ…」

 

「じゃあ土日は?お出かけ中に気配を感じたこと、ある?」

 

 休日となれば人通りは多い。紛れる人混みのない夜間よりかはよっぽどストーキングはしやすいはずだ。しかしながら、気配を感じたことはない。

 

「思い当たる節、あるみたいだね」

 

 得意げな笑みに頷くことしかできない。確かに彼女の言う通りなのだから。

 

「じゃあ二つめ。単純に熱に耐えられない」

 

 …なるほど。ここT県は特に気温が高い事で知られている。コンクリートからの反射熱も強いこの真夏に、毎日毎日いつ塾から出てくるか分からない俺を待ち続けるのは簡単なことではないだろう。

 クーラーでもあれば話は別だが、近くにはちょうどいい店舗はないし車で尾行していたら流石に気が付く。

 

「うんうん。中川くんは物分りがよくて本当に助かるよ」

 

 俺の様子を見て察したのか、彼女は薬指を立てた。

 

「三つめ。警察に相談した?」

 

 

 

 

 

「──────あれ」

 

 していない。確かに。普通、ストーカーに悩まされたのなら警察に相談をする。よな。なんで。思考が混乱する。俺は…まさか…

 

「そ。怪異に誘導されてるんだよ」

 

「………」

 

 思考の誘導。それが事実なら、もうどうしようもないのではないか。対策を打とうにもその思考を刈り取られたのでは元の木阿弥だ。詰み、その二文字が脳裏で瞬いた。

 

 

「…ふふ。ねーえ」

 

 

 いつのまにか、三枝さんが隣に座っていた。

 

 

「私ならなんとかできるんだけどさぁ…」

 

 

 ゆらりと揺蕩う端正な指が、そっと俺の首筋をなぞる。普段の自分なら間違いなく悲鳴をあげて飛び退いていた。けれど、体がピクリとも動かない。いや、動いてはいけないような。

 

 

「助けて、ほしい?」

 

 

 妖艶にして、魔性。明らかに色を含んだ声が外耳道に染み込んでいく。何か返事をしなくてはいけない。首にほんの少し力を入れて頷くだけでいいのに。彼女の指が這った皮膚から、力がどんどんと抜けていく。

 それでも。それでもなんとか意思をかき集めて。どうにか声を絞り出す。

 

「…っ。お願いします…助けて…ください」

 

 三枝さんの表情は見えない。何を考えているのか、返事もすぐには帰ってこない。焦れに焦れ、一時間は過ぎたんじゃないかと思う頃に、やっと答えは帰ってきた。

 

「…ま、いっか。うん、助けたげる」

 

 先程までの雰囲気はどこへやら。一転していつもの雰囲気に戻った彼女は立ち上がり、トレーを持って返却口へと歩いて行った。

 重圧からは解放されたものの、今度は疲労で動けないでいる俺は、ただただ項垂れるしかなかった。

 

「あと、これ」

 

 帰ってきてそうそうに彼女は一枚の付箋を机に貼った。

 

「私のLINEのIDだからさ。登録、しといてね?」

 

 それだけ言うと、彼女の足音は遠ざかっていった。

 

 …どっと汗が吹き出してくる。その汗は、間違いなく熱によるものではなかった。


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