全国のヘビーレインファンのみなさま、彼女をド変態に書いてしまったことを心よりお詫び申し上げます。

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第1話

今日もドクターの秘書を務め終えた。今日はもう帰っていいよと優しく言われ、今は自室に帰っているところだ。

 

……本当に不思議な人だな。

 

優秀なのに親しみやすくて、私なんかにも気さくに話しかけてくれている。それがとても嬉しい反面、怖い気持ちもある。だけどやっぱり嬉しい。

そんな磁石の反発とくっつきを繰り返すような心境は、逆に私の心を苦しめる。

 

親友に裏切られ、何もかもの責任を押しつけられた。その経験が私の心に深い闇を落とした。誰も信じてはいけないよ。また傷ついてしまうからねと、わずかな希望すらかき消してしまうのだ。それなのに……あの人は。

 

私にもまだ、敬愛なんて気持ちがあるとは思いもしなかった。ドクターは信じてもいい人間なのだろうか。疑いが半分、信用が半分。天秤のように傾き、でもよくよく見れば、信用側が優勢だ。だけど信じ切るなと、疑いがストッパーをかけている。

どうすればいいのかなと、自分の心が嫌になる。暗い廊下を歩く中、いつものようにそんな自己嫌悪に陥っていた。

 

こんな気持ちになっちゃダメだ。切り替えないと。

 

部屋が見えてきた。だけど私は立ち止まり、辺りを見渡す。そうしてちょうど今右手にある倉庫に向かう。

 

さっと扉を開けて中に入る。そうしてじっと闇に身を任せ、音を聞く。

……よし、誰もいない。

 

明かりをつけ、機材がいっぱいある中を探り、一つの段ボールを取り出す。奥まった場所の、パイプ椅子なんかが置かれてる影の影にそれはある。

パンパンに詰まった段ボール。この中には私の大切な物が入っているのだけど、部屋には置けない。あちらは基本ペアで使っているからだ。

 

深呼吸して蓋を開ける。その中身は……。

 

 

ドクターの靴下、ドクターのインナー、ドクターの上着、ドクターのコート、ドクターのシャツ、ドクターが使ったタオル。

 

 

それらごちゃごちゃになってる中に顔を突っ込む。

 

「んはー! ドクターの匂い! ドクターのぬくもり! たまらない!」

 

布の中だから構わず奇声を発する。ドクターのぬくもりすら感じられる中、彼の香りやフェロモンを一日の終わりに堪能するのが私の日課なのである。

 

きっかけは秘書になった初日だった。ソファーにタオルが掛かっていたので何気なく手を取ってみたら、トレーニングで使ってたタオルだから汚いよと言われたのだ。

まだ、まだその時は目覚めてなかった。親切心から、洗濯に出しますよと言ったのが全ての始まりだった。この時はまだ邪な心はなかった……本当に!

 

廊下に出ると、どうしてか自分の手に持っているタオルが異様に気になってくる。ただのタオルなのに、ドクターが直前のトレーニングで使ってたという事実を思い出すと、いやに存在感が出てくるのだ。

タオルを持ってる手にじっとりと汗がにじむ。なぜかドクターのぬくもりを錯覚してしまう。

両手に持つ。それを広げて真っ白な布地を見る。そこから湯気やらフェロモンやらが可視化されたみたいに見えてくる。心臓が早鐘を打つ。なぜか頭がくらくらし、ぼうっとしたような状態でタオルを顔に近づける。そして……。

 

 

嗅ぎました。ええ、廊下で堂々と嗅ぎましたとも。人がいなくてよかったよ。

 

 

これが変態的な行為だというのはわかってたよ。でも我慢できなかったんだよ。本能に逆らえない何かがあったんだよ。

その後タオルはこっそり服に忍ばせ、業務を続けてそのまま部屋に帰った。そして夜になり、他の子が寝静まった後に、

 

 

嗅ぎました。ええ、ベッドの中で堂々と嗅ぎましたとも。ルームメイトにバレなくてよかったよ。

 

 

就寝中はもちろん、昼休憩、トイレ、憩いの時間、トレーニングの時にもお供として持っていた。タオルならどこに持って行ってもそれほど違和感はないのだ。なかったのだけれど、一つ問題があった。

 

使えば使うほど、ドクターの香りが薄れていくのである。自分の匂いというやつが心底憎らしくなるほど何も感じなくなり、失意のどん底にいた。

そんな絶望の折りだった。私が深い沼にはまってしまうきっかけがあった。

インナーだ。肩部分が破けたトレーニング用のインナーがゴミ箱の中に入っていたのだ。

 

「使えなくなったから捨てたんだ」とドクターは言った。

 

「さっき捨てたんですか?」

「え? うーんと、さっきシデロカとトレーニングしてたら破けてしまってね」

「そのシデロカって誰なんです? どこの女なんです?」

「トレーニングに付き合ってくれてる子だよ。体作りをしろとうるさくて面倒を見てもらっている」

「じゃあタオルのきっかけになった人だ! ありがとうございます!」

「ええ……」

 

柄にもなく声を出してしまったけど、すぐに取り繕ってゴミ出しに行ってくると言った。秘書は雑用係じゃないからと引き留めてくれたけど、強引に理由をつけてゴミを出しにいった。もちろんインナーは別にとっておく。

 

丸めたそれをまたベッドの中で嗅ぐ。タオルよりも濃厚な匂いが鼻腔を突き抜け、脳にダイレクトに届き、さらなる中毒性を引き起こす。そうして靴下、上着、破けたコートなども徐々に増えていくことになった。

ここで気づいたことがある。どれだけ香りが薄くなろうが、ドクターの私物ということには変わりない。だからお古が詰まった段ボールに新品を加わることで、全部が香りのついたドクターの私物と化すのである。もはや箱いっぱいのドクターなのである。

 

これは天啓だった。素晴らしい気づきだった。これなら無限にドクターの香りを楽しめるじゃないか。だけど日々増えていく物は部屋には収まりきらなくなり、こうして倉庫に隠すしかなくなった。

 

「はうーん。ドクター……」

 

より顔を奥に奥にと突っ込んだ。

仕事終わりにこうして倉庫に入っているのは、絶対にバレてはいけない。誰かにバレたら、ドクターに人づてに伝わってしまう。こんなのが知られたら絶対に嫌われる。

ドクターに嫌われるのは嫌だ……そんなことを思いつつ、顔を覆う香りとぬくもりから抜け出せないでいた。

ずっと倉庫に置いておくわけにもいかない。だから私にはある目標がある。それが達成すれば、ドクターの匂いを人目を気にせず堪能することができるだろう。

それは……む!

 

「誰だ!」

 

即座に段ボールから顔を上げ、すぐさま辺りを見渡す。

視線を感じた。確かに何者かの視線を感じた。軍、傭兵時代に培った勘がそう訴えかけている。

誰かいる? いや、だけど物音一つしない。密林での戦闘では音が重要なため自信はあるのに、その耳は何の音も拾わない。

 

……気のせい? もう視線も感じなくなった。

 

後ろめたさがあるのか、勘違いをしてしまったのか? さすがに今日はこのへんにしておこう。段ボールを元通りにして部屋に帰った。

 

 

 

 

翌日。今日も今日とて秘書の仕事。書類整理、ドクターとの雑談の途中、ずっと頭にあるミッションがあった。

 

そろそろ新品を補充したい。

 

だけどそう都合よくドクターの私物がゴミに出されることはないのだ。これは待つしかないのである。当然ながら、私がわざと傷つけるのは御法度だ。それが悪質な行為なのはさすがにわかっている。

私が狙うのはあくまで天然もの。養殖よりは天然の方がいいに決まってるし、こっちなら道理にかなっている。

 

「ヘビーレイン」

 

何かゴミに捨てる物はないかと聞くのも変だしな……どうしようか。いっそタオルをプレゼントして、それを使わせればいいかも。

 

「ヘビーレイン!」

「は、はい!」

 

呼ばれてることに気づき、すぐに向き直る。

 

「な、なんでしょう……」

「話があるんだが」

 

え? 何だろう。急に改まって。作業を中断して、ドクターのデスク前に立つ。すると彼は両肘をつき、手を組んだ。

 

「君は、私の私物を盗んでいるのだろう」

 

……は?

 

なんで? どうしてバレたの?

 

まずいまずいまずい。何か言い返さないと嫌われちゃう。でも言葉が詰まってしまう。あまりに予想外の宣告に脳の処理が追いつかない。口が全く開かない。

 

「何か言わないと話し合いにならないんだが」

「はははははい。ななななんのことでしょうか」

「落ち着いてほしい。別に君を糾弾するわけじゃない。ただ話がしたいだけなんだ」

 

思考がぐるぐるする中、ドクターがソファに座るよう促す。おそるおそる座ると、対面にいる彼が口を開いた。

 

「私物が無くなっているのに気づいて密偵を使ったんだ。シラユキというオペレーターなんだが」

「シラユキって、あの覆面の人ですか?」

「そうだ。そして今日の朝に報告をもらって……それで倉庫の話が」

 

そうか! 昨日の倉庫の視線はこいつの視線だったんだ!

 

「君が……私の物を嗅いでいると聞いた時はびっくりした。びっくりしたが、何か事情があるんだと思う」

「いえ、事情なんてありません。事情というか、情事というか」

「情事って……んまあ、年頃の子の心理は難しいよ」

「申し訳ないです。私も、どうしてこんな風になったのかわからないんです」

「自分でもわからないか。なら私は、君に向き合うことにしよう」

「へ!?」

 

そ、それって……まさか。

 

「君の心を探ってみよう。質問を繰り返すから、それをただ心のままに言って欲しい」

「心理……ですか」

 

拍子抜けしたけど、とりあえず聞いてみる。

 

「物に執着するのは、どういう心の動きがあるのか。トリガーとなる部分を解明したい。俗に言う可視化というやつだ」

「可視化、ですか」

「自分でも気づかない心理を知るきっかけになるかもしれない。だからリラックスして、恥ずかしがらずに答えてほしい」

「わ、わかりました……」

 

いや、もう公開処刑みたいで死にたくなってるんですが……でも、ドクターは向き合うと言ってくれた。ならこちらも頑張って答えないと。問診票みたいなものを構えるドクターを正面に見据える。

 

「まず一つ目の質問だが、きっかけは何だったんだ?」

「タオルでした。それを洗濯しようとした時に、嗅いでしまって……」

 

あ、ダメだ。恥ずかしい。

 

「あの時のか。うーむあんなくさい物をどうしてありがたがるのか」

「臭くないです! あれは宝物です!」

「ひとまず落ち着いて。次の質問だが、匂いを嗅ぐとどんな気持ちになる?」

「多幸感に包まれます。ドクターの匂いに包まれると安心します」

「とりあえずやべえ趣味に目覚めてるのはわかった。それはちゃんと対処しよう」

 

まずい……このままじゃ嫌われちゃう。

 

「特定の匂いが好きとかあるの?」

「いや……そういうわけではないと思います。汗の匂いが好きとか、そんな趣味は今までなかったですね。もしそうだとしたら、傭兵や軍の時代に自覚しているはずですし」

 

その後も質問は続く。まるで自分の衣が剥がされていくみたいな羞恥心があったけど、この趣味をやめられるならやめたいのだ。やっぱり相手方はいい気分はしないだろうし、世間体が悪すぎるし。

 

「どうやら特別な匂いフェチ、というわけでもなさそうだな。だとするなら、物に対しての執着が大きいのか」

 

執着……その言葉が、私の心の奥底を引っ掻いた。

 

「物自体、ですか」

「そんな気がするな。しかしどうして私なんかの物を」

「私なんかとは言わないでください。ドクターは私にとって……」

 

尊敬する相手。敬愛する相手。だからこそ、裏切りが怖い相手でもある。信じる心を持ちたいのに信じられないのは、自分を守るため。信じれば信じるほど、裏切りの刃は研ぎ澄まされていくから。

 

……ああ、そうか。わかった。

 

「物は裏切らないから……」

 

言いかけてはっと口を塞いだ。まずいと思ったけど、ドクターは優しく微笑んだ。

 

「そうか。それが真意か」

「あ、あの違います! 決してドクターが裏切るとは」

「わかってる。君の経歴はプロフィールにも載っていたから、事情は全てわかっている。断言はするが、私は君を決して裏切らないよ。そもそも裏切る要素がない」

「頭ではわかってます……わかってるんですが」

「みなまで言わなくていい。君が悪いどうこうの話ではなく、経験から来る防衛本能は自然なんだ」

「ドクター……」

「カウンセリングに行ってみるといい。医療部には心理学に精通している専門家もいるから」

 

優しい人だな。こんなやべえ趣味に目覚めた私にも寛容だなんて。

 

この人だけは信じてみよう。でないと、ドクターに対してあまりにも不義理だ。だって裏切られると思うってことは、ドクターを悪者にしてるってことだから。

だから……ちゃんと立ち直らないと。

 

「でも、今の話を人に話さないといけないんですか?」

「いや、人に裏切られるのが怖いのが原因だから、そこだけを話して直していけばいいと思うぞ」

「ああ! よかった」

「当然私もシラユキも黙っておく。だからその代わりと言ってはなんだけど、私の私物は捨てよう」

「もちろんです。でも、ああ……」

「え? どうしたの?」

「あれを捨てるのはもったいない気持ちがまだあります。いずれはぬいぐるみにしようと思ってたのに」

「へ?」

「ぬいぐるみにしたら誰にも怪しまれないじゃないですか。だから中身を詰め込んで人形にすればいいと思ったんですけどね」

「あぶねえ! もっとやべえ趣味になる前に発覚してよかった!」

 

―End―

 


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