予約が一日ズレてた。
失敗、失敗。
「――ぬおう」
目が覚めると先ず見えたのは見慣れた天井。
――ひとまず初手で知らない場所じゃないことが救いか。宝盗団とかに捕まってたらこんな待遇では済まないハズ。
取りあえず身を起こそうとするが、突如として死にそうな苦痛が襲い、指一本さえ動けず終わる。身体はさほどでもないが特に腕が痛む。右腕の末端辺りなど最早感覚が無いぞ。
「ああ、そっか」
だが、その痛みで俺は思い出す。
意識を失う前、俺がヒルチャールとの一騎打ち時にしたことを。
――あの時、俺は風のプチ瓶を破壊して放たれた風元素と共に、ヤツへ渾身の突きをかました。
イメージはジン団長の風圧剣。ぶっちゃけ彼女が技をどう打っているかは解らないし、取りあえず剣に風を纏わせれば再現できるのではという咄嗟の思いつきだったのだが、今生きてるなら多分成功したんだろう。
だが本来それは俺に過ぎた力。その反動が俺に来ないはずがない。
俺はあの時剣先で瓶を破壊し、飛び出す中身も気にせずに技を繰り出した。言わば俺は何の加工もされていない風元素の奔流そのものに手を突っ込んだのだ。
幾ら小規模とはいえ、あれ程の濃度で風元素が炸裂すれば俺も無事では済むまい。首を動かせないため直接見られないが、この痛みからして右腕はもう修復不能なレベルまで破壊されているのではなかろうか。もしそうなら、それを見ることが出来ない今の状況はむしろ救いとも取れよう。
「・・・ともあれ、これじゃ動けんな」
今はもっとこの場所の情報が欲しいが、この体たらくでは首を動かすことすらしんどい。少しでも腕に負担を掛けようものなら地獄のような痛みが襲うので、あまり動きたくないのが本音だ。
今唯一見える特徴的なダークブラウンの格子天井は騎士団のもの。だから騎士団の建物内は確定として、薬の匂いがするから恐らく医務室辺りか。
――にしては少々手狭過ぎる気もするが。
それに私にかけられた布団が些か上質すぎる。少なくとも俺の部屋の寝具よりは上等だ。
「でも、あそこ以外にベッドがある騎士団の部屋なんてあったか・・・?」
――解らん。
というか起きたばかりなのにもう眠い。まだ目を覚まして身体起こそうとしただけなのに、どうした俺の身体。
「だれ、か――」
必死の抵抗で出した俺の声が部屋に響くも、助けは虚しく空を切る。
身体を動かせないので抵抗する事も出来ない。意識に急激に霞が掛かり、やがて声すらも出せなくなった。
万策尽きたか、俺は心の中で悪態をつきながら、再び眠りへ――
――落ちれるかバカ野郎。
「・・・痛だダダだだだだッ!!」
俺のせいで倒れてしまったジン団長の姿が頭をよぎる。彼女が無事か知らなくては。それを確認するまでは意識を飛ばしている暇など無い。
思い切り腕に力を込め無理矢理眠気をすっ飛ばすと、次は腹筋に力を入れて上体を起こす。激烈な痛みに今度は別の所へ意識を飛ばしそうになったが、涙目になりながらも意地と気合いで耐え、遂に身体を起こしきった。
――最初こそ無理と諦めたが、人間やろうと思えば案外何とかなるらしい。
あの時も助けてくれたであろう人の底力に感謝だ。
粗方痛みの波が引いた後、辺りを見回す。視界がぼやけて断定は出来ないが、此処は誰かの私室のようだ。
何処か既視感を感じる小難しそうな本が並ぶ棚とワークデスク、私物らしきものは殆ど無く、唯一の部屋の彩りは部屋の隅に置かれた観葉植物くらい。
俺が今いるベッドの横には硝子の水差しとボウルが置かれ、水で中程まで満たされたその中には白いタオルが沈んでいる。もしかして誰かが俺の看病をしてくれていたのだろうか。
「おいッ! 見舞うのは良いが彼の部屋であまり大きな、こえ、を――」
と、唐突に部屋の扉が開く。
珍しく声を少々荒げ、ノックも無しに入ってきたその女性は俺の姿を認めると、その語調を徐々に遅め、遂に身体と共に完全停止した。
それは俺が行方を探そうと決意した女性。
自分に最も厳しくあたり、他人には分け隔て無く接する、モンドを護る盾にして剣。
「――おはようございます、団長」
「・・・ッ!!」
「え、ちょまイッダァァアア!!」
頭に包帯を巻いたジン団長は此方に駆け寄ると、脱力しだらりと垂れ下げられた腕ごと遠慮容赦一切無く俺を抱きしめる。
――俺の意識はそこで途絶えた。
・・・
「団長」
「ん、何だ?」
「ちょっと離れて欲しいッス」
「んふふ――ことわる」
私の私室であり、同時に死の淵にあった彼を支え続けた寝台が座するこの部屋で、本日何度目かの世迷言を抜かす彼に、抱きしめる腕の力を強めることで返す。もぞもぞと彼が腕の中で藻掻いているが、私の腕から抜け出る気配はない。
やがて諦めたのか逃れようとする彼の動きが止まる。代わりに抗議するかのように頬を膨らませ、此方を見上げてじとっとした眼を向けてきた。
「ん? どうした、別にもっと抵抗したって良いんだぞ?」
「――はぁ」
しばらく見つめ返してやると、彼はふいと顔を背ける。見つめ合うのが恥ずかしかったのか、髪の間から覗く耳は赤い。
そのまま彼は口を閉ざし、何も喋らなくなってしまった。
無言。だが何とも心地よい。
僅かに上下する彼の息遣いを、温もりを感じながら私は目を閉じる。
――彼が目覚めてから、騎士団は大変な騒ぎだった。
騎士団の皆は、本当によくやってくれたと思う。
嬉しさのあまり抱きついて、せっかく目覚めた彼の意識を再び飛ばした私とは違い、要所要所でとても冷静に対処していたのは彼らだ。
――団長の立場を預かる者だというのに、私は今回何の役にも立てなかった。団員達は皆口を揃えて気にするなと言うが、これを反省せずして何を為せるというのか。
己の不甲斐なさを感じる一方、取り乱す私を宥め、彼に手際よく処置をしてくれた彼らには感謝しても足りない。
それから度重なる治療に来てくれたバーバラにも、後で改めて礼をしなくてはならない。
彼の傷は骨まで達する程に深く、おまけに細かいガラス片が大量に刺さっており、一度の治療で癒す事は出来なかった。更に体力面の衰弱も酷く、あの時彼の命は正しく死の淵にあったと言えよう。
だから彼女は夜通し治癒をかけ続け、彼の体力を回復し続けた。もしそうしていなければ、彼は息絶えていたかもしれないから。
「お姉ちゃんの大事な人なんでしょ? 私なら平気、これくらいじゃ全然、何ともないんだから!」
そう言って目元の隈を抑えるバーバラを、私は黙って抱きしめることしか出来なかった。姉失格だな、私は。
ともあれ、そうして彼は助かり、此処にいる。
――私がもう少ししっかりしていれば、こうはならなかったのに。
「――団長?」
「・・・ん?ああ、何か用か?」
唐突に彼に声をかけられ、私は慌てて返事を返した。
「団長、また自分を責めてたんスか」
その僅かな間で私の考えていたことを見抜いたのか、彼の視線がやや厳しいものになる。
彼は目を覚ましてからというもの、私の謝罪を全て受け取っていない。それも此方の非を許さないと言った意味ではなく、そもそも私に謝られる事をしていない、むしろ謝りたいのはコッチだとまで言う始末だ。
此方の謝意は通らず、それどころか逆に何の非も無い相手が謝るなど、それこそ理屈が通らない。ここで私と彼の主張が堂々巡りしかけたものの、最終的には両者共に今回の件は水に流す、という事で話が纏まった。
だが、それでも後ろ暗い気持ちは無くせない。
だって、彼の手は――
「・・・何度も言うけど、どんだけ謝ったって無駄ッスよ。コッチだって謝りたいのに、その全てを蹴られてるんスから」
「そ、そうか・・・」
「そうッス、だからこの問題は痛み分けって事で一度チャラ。それで良いじゃないッスか」
私の気持ちを余所に、彼はそう締めくくってまたふてくされる。その顔があまりに可愛くて、つい私も顔が緩んでしまう。
――悪意無くそう言える君は本当に、まるで少年のように純粋だ。騎士団に入った時からそれは全く変わっていない。
――え、この口調が変、ッスか? アレ、おかしいな・・・実は俺、未だに敬語ってどう使うのが良いか解らなくって。んで、アリスさんに聞いたら教えてくれたんスよ。『これを読めば正しい敬語の使い方が解るよ』って。
――どの本って・・・ホラ、これッス。『必読!体育会系後輩キャラの魅せ方』ってヤツ。
――タイトルの意味? いや、よく解んないッスけど・・・取りあえず此処に書いてあったことを真似してたら、いつの間にかこんな口調になってたッス。
「・・・ふ」
「あ、何スかその笑みは。コッチは真面目に言ってるんスよ」
「ふふ、いやすまない。別にふざけてるわけじゃないんだ」
かつてアリス女史に騙され、そして今も騙され続けている彼の姿を思い出し、つい笑みがこぼれてしまう。それをごまかすため、彼を自分の胸元に埋め、再び強く抱きしめた。その際何やら『むがっ』と彼が変な声を出していたが気にしない。
――ああ、彼の全てが愛おしい。
少し小生意気に振る舞うのに、その実こちらを気にかけていたりと、素直になれないその性格、少年かと見紛うような体躯と同じく成人しているとは思えない幼い顔立ち。そして、ある種短絡的とも取れるその底抜けの純朴さ。
それらが、可愛らしくてたまらない。
「お前を笑うことなど、誰であろうとさせないさ」
唐突に『母』という言葉が頭をよぎる。
以前、疲れが溜まって正気から外れ、タイミング良く(悪く)部屋に入ってきた彼を抱きしめようとした時、私は彼に『母』と呼んでほしいと口走りかけた。
その時は自我を失った故だと納得させたが、今思えば私の密かな思いが口に表れただけかも知れない。
視線を滑らせ、彼の右手を見る。
――痛々しく包帯を巻き、長さ太さが出鱈目になってしまった五指を。
「・・・痛かったろうに、よく頑張ったな」
解っていても、やるせない気持ちは消えない。
手は尽くしたが、こればかりはどうしようもなかった。いくら神の目を持つバーバラとて、消し飛んだ指の節から新たに骨や肉を生やせはしない。
これではもう、彼は剣を握れない。
「でも大丈夫だ。私が・・・母がお前を護ってやる」
だから、これからは私が護る。
騎士団を率いる者として、今まで私はモンドを護る盾であり、剣であった。そしてそれは今でも変わらない。
だが風よ、どうか私情を許してくれ。
私はこれより先、西風騎士団代理団長の蒲公英騎士ジン・グンヒルドであると同時、彼の『母』として、彼を護る剣となり、盾となる事を誓おう。
何故なら親が子を護るのに、理由などいらないのだから。
――そして、その日の夜。
「・・・団長、これは?」
「? 君の着替えと身体を拭くための桶だが」
「成る程成る程。で次に質問ッスけど、なんで団長は俺の服のボタンに手をかけてるんスか?」
「??? 君の身体を拭くために決まっている。その手で拭かせるわけにもいかんだろう」
「・・・はい?」
私と彼は、また言い争いになっていた。
私の答えを聞いて、意味を理解出来ないという風に終始不思議そうな顔をしている彼。だがそれは私とて同じだ。
「いやあの、一応全身を拭きたいから、手伝うにしても男の人でお願いしたいんスけど――」
「???
「・・・今何と?」
――ああ、これはもしかしてあれだな。親に何かをして貰うことを嫌がる、反抗期特有のあの反応だ。
本来なら微笑ましいことなのだが、しかし今の状況は別だ。昼抱きしめた時彼から汗の香りがしたし、彼が早く身を清めたいと思っていることは想像に難くない。
それに、このまま放っておけば病気になってしまうかもしれないし、此処は心を鬼にして、無理矢理にでも拭いてあげた方が良いに決まっている。
――だから別に私が彼の身体に触れたいとか、そういう事では断じてない。
「・・・子どもの我が儘は、時に叱ってやらねばな」
「母? え、ちょ、どういうことッスか。というか今さらっとヤバいこと言ったような「こらっ!」ヒエッ」
だから、今日は、そういうわけで。
――母さんの言うことをちゃんと聞きなさい!
・・・
秘書の男の怪我が粗方塞がり、ジンが母としての覚悟を決めたその日の夜更け。
「ナンデ、ナンデ、ナンデ――」
男はジンの部屋のベッドの上で布団にくるまり、うわ言のようにそう呟いていた。
隣には彼の状況を生みだした元凶ジン。横になっている彼にぴったりと身体をくっつけ、後ろから覆い被さるように抱きついている。その顔は何とも幸せそうだ。
本来男女の立場が逆な気もするが、それを感じさせないのは二人の身長差故。ジンの背丈に対し、その肩ほどしかない彼ではそうなるのも仕方ない。
「ほら、明日も早いんだ。あまり夜更かしするのも良くないぞ」
「・・・無理矢理脱がされて、尻まで叩かれた。俺、もう大人なのに」
「母さんと二人で寝るのが恥ずかしいのか? 何、恥ずかしがることはない。もし馬鹿にしてくる奴がいたら、母さんがやっつけてやる」
「・・・裸も見られた。全部見られた。もうお婿行けない」
暗闇の中、小さな声で交わされる一切噛み合わない会話。男の方は唯の独り言に聞こえなくもないが、多分気のせいだろう。
耳を澄ませばホラ、キチンと会話してるのが聞こえてくるし。
「・・・団長。俺確かに孤児だけどさ、少なくとも団長がおふくろは違うじゃん。年的に俺よりちょっと上くらいじゃん」
「こーら。・・・二人きりの時は、母さんを役職で呼ぶんじゃない。さっき約束しただろう?」
男はその答えを聞いて、もうヤダこの壊れた団長と匙を投げる。すると再びの団長呼びからか、ジンが彼の腹に回した手を抗議するかのように緩く締め上げた。
両者の距離が更に縮まり、彼の背に当てられた豊かな胸が大きく形を変える。世の男が渇望するその感触に、思わずびくりと反応してしまう男。
――それが間違いであることを知らずに。
「ん? 何だ、急に盛り上がって・・・あ」
「――あ、いや、違うんス団長。別にこれはそんなんじゃなくて何というか生理的なアレがアレしてですね」
月で青く照らされた顔にほんのり赤を差し、唐突に黙りこくるジン。それに続いて男が慌てふためきはじめ、矢継ぎ早に言葉を並べ立てる。その様子は先程よりも不自然極まりない。
「や、それで、その・・・」
「・・・」
布団の中で何かしらが
それでも抱きしめる手を緩めないまま、僅かに唇を噛み何かと葛藤しているようなジンの表情は月明かりが見せる幻影か。
其処から更に幾許かの時が流れる。
やがてその静寂を破ったのは、
「・・・よし」
ジンの方だった。
「そう、だな。子の癇癪を受け止めてやるのも、親の――母の務め、だな」
「は?」
「なら――なら仕方ないだろう、うん。子に求められてしまったんだ。別にさっきから怪我人相手に私からシたら流石にマズいかなとか、そんなことを考えてたワケじゃないからな、うん」
「え、ちょっと待って団ちょ」
碌な事を考えていなかった。今日の団長代理サマは大分ポンな性格をしている。
ただならぬジンの様子に男は身の危険を感じ、手を振りほどき咄嗟に離れようとするがもう遅い。
憐れ、抵抗空しく見る間に男はジンに組み敷かれてしまった。彼の両脚は同じく彼女の長い両脚で絡め取られ、両腕の拘束に至っては彼女の左手一本のみで為された。顔が引きつる彼の視線の先、残った右手が彼の寝間着のボタンを一つ一つ外していく。
自分のボタンが外れる度に淫靡な雰囲気を増していくジンに恐怖したか、途端に鬼気迫る勢いで暴れ出す男。しかし彼我の力量差は如何ともしがたく、終ぞ左手一本の拘束すら解くことは叶わなかった。
「な、なんで。稽古の時だって、こんなに力強くなかったのに」
本気であたればなんとかなると思っていたのだろうか、絶望の滲んだ声を上げる男に、ジンの笑みはますます深くなる。
「稽古? ああ成る程、私の腕力をそこで測っていたのか。全く――」
――君を相手に、本気で攻撃するなどするはずないだろう?
その言葉がとどめとなり、男は完全に戦意を喪失した。――まあ実際、ジンが特別屈強と言うよりは男が特別ひ弱なだけだが。
ヒルチャール相手にすら力負けする男の
「さて、もう抵抗はしないんだな? なら骨の髄まで・・・いや違うな。――母さんに愛されたいと先に示してきたのは君だ。だから私は母として、それに応えただけ」
――だからそう、これは仕方ない事なんだ。
凍り付いた男に対し一人訥々と語りかけるジン。いつもの澄んだ翠緑の目は今や爛々と光り、はだけた寝巻きから覗く柔肌は桃色に上気し、えも言われぬ甘い香気を漂わせている。その様はまるで全身から湯気が立ち上るかのよう。
それを眺める男は、彼女にこれから与えられる『愛』を幻視して唾を飲み込んだ。
そして、男の最後のボタンが完全に外れた瞬間。
――
これで小話を一つ添えて、モンド編は一区切り。
この物語を書いていて、あれ程愛していたヤンデレが何かが解らなくなってきた。なんだ、全部ありふれた普通の愛情表現じゃないか()