「まったく、無茶するんだから」
彼が倒れ込んだ拍子に落ちた瓶を見ながら、独りごちる。
いつも冷静でいようとしている彼を困らせたいからと少しからかっただけのつもりだったけど、やりすぎただろうか。もしかしたら怒っているかもしれない。
「――まあ、それもこれから聞けばいい話よね」
床の瓶を拾う。
それは彼が私の手からひったくった試薬の瓶。取引の末、自分の神の目を代償にして得た、彼との新たな繋がり。
完成すれば、この薬はモンドの国の病人を救う特効薬となる――
「・・・ハッ」
――
はじめに彼に話したような特効薬なんて、
窓の月に瓶を透かし、彼への『新たなる試み』の効果が表れるまで待つ中、考える。
何故彼はこんな得体の知れぬ薬を躊躇無く飲めるのだろうか、と。
「普通、怖がるものよね」
私の作り上げた薬を飲む被検体としての役を、当たり前だが誰もが嫌がった。
でも、彼は特に嫌がるような素振りすら見せず名乗り出た。訳を聞いても『師の補佐をすることが、私の役目ですから』とにべもない。
確かに彼の師として尽くしてきた自負はある。だから彼の言葉通り、教え子として、師たる私の頼みも承諾したと解釈してしまえば、それまでかもしれない。
でも師と教え子の関係で片付けたくないと思う位、私と彼は長く共に在りすぎた。
実際の年月で言えば幾年もないその時間は、もしかしたら彼にとって長く見えないかもしれない。
しかし研究の果てに削りに削られ、遂に残り数年となった自分の命を知る私にとって、相対的に彼との関わりは濃密以外の何物でもない。
一般的な寿命を持つ彼からすると、私との関係は、ただの一時の師弟関係から変わっていないかもしれない。
当たり前だ。自分が人に生涯の師と仰がれるような人間ではないことも理解している。戯れに人を弄り、寿命から目を逸らすように怠惰を貪る私では、少なくとも好意的には思われないだろう。
でも私は彼に対し、残りの時間を己の関心以外の事柄に労力を割きたくないという私の奔放さを受容した上で、私が嫌がる事全てを引き受け、代わりに担い、共に寄り添ってくれたことに感謝をしている。
それこそ、残りの私の命を彼に捧げても惜しくない程に。
自分が彼に教え子に持つべき感情以上の想いを彼に抱いているのも自覚している。でなければこうして『試薬』を飲ませ、無理矢理に彼を眠らせたりはしない。
分かっている。そう、自分の想いなど、とうの昔に分かっているのだ。
分からないのは、彼の気持ち。それだけだ。
彼は、私をどう思っているのだろうか。
彼は、私を迷惑に思っていないだろうか。
彼は、どんなことを考えて私に付き添ってきたのだろうか。
彼は、私を好いてくれているのだろうか。
知りたい。でもそんな事を彼に素直に打ち明けられるはずもない。何より、研究にかまけていた私にはこの手の経験が無い。物語こそ好んで読むものの、それはどこまで行っても物語の中の記録、私自身の経験には繋がらない。
だからそれらを用いて遠回しに彼の好きなものを聞いたり、自分の思いをほのめかす程度しか出来なくて。
結局、彼の思いの丈を知ることは出来ず仕舞い。
挙句私の度重なる歪んだ言い回しで、彼は私の問いに常に懐疑的にかかるようになってしまった。臆病が過ぎ、日和った己が招いた事態を何を残念そうに、と笑えてくる。
自業自得であるのは百も承知だが、だからといって諦めることは出来ない。
知りたい。彼の気持ちを知りたい。きっと彼は素直に答えてくれないけれど、彼の本心が聞きたい。
でも知らない。私では知り得ない。身が焦がれるほど知りたいのに、知ることが出来ない。
知りたい。もっと貴方を知りたい。
回りくどい物言いじゃダメだ。これまでと同じく歪んでしまう。
率直に言ってもダメだ。きっと彼は素直に受け取らない。
『普通』じゃ、もうダメだ。
なら、嗚呼、そう。
普通ではダメなら、凡百の方法ではダメなら。
私のやり方で、やってやろう。
「――ん」
ふと、彼が声を上げる。夜、そして防音の効いた室内。消して大きい声では無かったが、それはやけによく響いた。
「起きたのね。王子様のお目覚めには、随分と遅いんじゃないかしら」
「ほざけ人の子、我は約定に則り顕現したまで。貴様の都合など知ったものかよ」
ぞっとするほど平坦な口調で私の問いに答え、彼が目を開けた。
声や姿は間違いなく彼のものだ。だが口調、そして身に纏う雰囲気が明らかに異なっている。
朝であろうが寝ぼけていようが、彼は私に敬語を崩さない。何度もそうあって欲しいと願い、そして破れてきたから知っている。
――だからこれはそう、成功だ。
「私が貴方を呼び出した理由は、分かるかしら」
「然り。この者の真意を、この者の口から余すこと無く貴様に伝える。それで良いな」
「結構よ。それと」
「皆まで言わずとも、我はこれで消える。次にこの者が目覚めた先、貴様に話しかけるのは疑いなくこの者自身の意識だ」
「・・・分かったわ。じゃあ、お願い」
彼、いや、
私が今回力を借りた精霊――『純水精霊』は、その膨大な元素力を除けば実態無い唯の水だ。言わば元素力を核とした意識集合体であり、極論水と依代となる元素力さえあれば何処にでも顕現できる。
例えばそう、
その考えに至ったときには、私は既に行動していた。
急ぎ休暇を取って璃月まで赴き、精霊と会い、交渉する。代価として私が持つ中でも最高級の触媒が少なくない量犠牲となったが、むしろその程度で済んだのは僥倖と言えた。
場合によっては残り少ない命や身体の一部を捧げる覚悟はしていたのだが、『貴様がどれほど俗世で特別であろうと、我にとっては等しく無価値。そのような物を捧げられたところで、唯だ軽策の水を穢すのみ』と、逆に機嫌を損ねただけだった。
何はともあれ、こうして私は精霊の一部を手に入れた。
――水は無形。されど万象に作用し、時にその姿を真似る。
その性質を利用すれば、もしかすると彼の本意を聞けるかもしれない。
『然り。我であればそれは可能だ』
長らく展開したことが無かった、さしたる確証の無い、酷く恣意的な論理。
それを肯定する精霊の言葉を聞いたとき、私の計画は半ば完成したようなものだった。
「・・・ん?」
「っ!!」
再び彼が目を覚ました。
思わず身体が強張るが、直ぐに気を取り直す。
大丈夫。正確には彼の意識そのものが覚醒したわけじゃない。精霊によって寸分違わぬ形で生まれた、言わば『もう1人の彼』が目を覚ましたのだ。
分霊と離れた故その自我は長く保たないが、それでもしばらくの間ならもう一人の彼として顕現できる。
ついでに
そして何より、もう一人の彼は精霊の手によって多少の言葉の枷が外れ、私の問いかけに対し嘘偽り無く答えるようになっている。故に、覚醒している今の彼は本音以外口にしない。そういう風に人の意識を操作する薬なのだ。
一般的に呼称するなら『自白剤』という名前になるのだろうか。
「・・・リサ師匠?」
「ッ! え、ええ。おはよう。よく眠れたかしら」
「ええ、リサ師匠。貴女の作った薬ですから。不安なんてありませんよ」
「ッそ、そう、なのね」
これだけ。たったこれだけの会話だけで、どうしようもなく私の心は揺さぶられる。
彼が。名前で呼んでくれた。
彼が。心底から私を信用してくれていた。
その事実をかみしめ、何度も何度も反芻する。
安堵か興奮か、僅かに身体が汗ばんだのを感じた。歓喜で身体はかすかに震え、心の中で控える獣が早く早くと叫びだし、しきりに私に甘言を囁く。
『
だが、ぐっと堪えた。頭の片隅に残った理性を総動員して、今にも彼を押し倒そうとするのを我慢した。ダメだ。今は耐えるときだ。彼にはまだ聞きたいことが沢山ある。
「そ、そうだ! そういえば貴方、どうして薬を飲む前、顔が赤かったの? ・・・もしかして、日中は気付かなかったけれど、もしかして調子が悪かったりした?」
すぐにでも本題に入りたいところだけど、先程の衝撃から冷めやらない今の状態では何をしでかすか分からない。
そこで話題を逸らし、平常心を保とうと試みる。内心焦れったい事この上ないけれど、こうしなければまたいつ暴走してしまうか分からない。
それに必要なことだし、気になっていたことでもあるからと自分に言い聞かせ、彼に問いかける。
もしあの会話が彼にとって好ましくないものだったとしたら。彼の望まぬ事を今までやっていたのだとしたら。
――それを、私は知る必要がある。
「あー、あのことですか」
「あの時はごめんなさい。ちょっとからかうだけのつもりだったのだけれど、思いのほか嫌な思いをさせたみたいで・・・」
「いやいやいやいや。そんなことないですよ」
「え? でも・・・」
「いやその、あれはですね・・・」
彼の歯切れが悪い。しかし今の彼は私に何かを伝える時、全て本心からの言葉しか出ないはず。もしかして、面と向かって言うのを躊躇するほど怒らせてしまったのだろうか。
未だに彼は『どう言ったものかな』とか『こういう台詞は柄じゃないんだけど』と何やら呟いているが、次の瞬間私に無情な言葉を投げかけてくるかもしれない。
――彼のことは信頼しているし、私と彼が共に過ごした、或いは私が彼を引き回したとも言える時間は長い。そしてその間彼について色んな事を知った。
身長、体重、経歴、好きな食べ物、着る服の傾向、習慣、家庭、趣味、スメールでの所属、疾患の有無、つい出てしまう癖に彼のその日の予定、その日誰と話し、誰と交流したか。朝彼が何を食べ、どんな下着を身につけ、そして夜、日記にどんなことを書いているか――。果ては彼が密かに書いている
挙げればキリがないが、長い付き合いの中で、本当に多く彼について知ることが出来た。
でも、足りない。
私が全てを知っているのは私のことだけであって、彼のことについて知っていることなど、彼自身が知るものの数とは比べるべくもない。
貴方の全てを知らない。それが歯がゆくて仕方ない。
だから知りたい。貴方の全てを。正も負も、どんな内容であっても、何もかもを知りたい。だから私はこれから受ける誹りを、批難を受け入れなければならない。
私に対する不満を、不平を、何もかもを、今だけは受け入れるほかない。
それが、私なりの『彼を知る』ということだ。
「・・・話して頂戴。どんな言葉でも、私は受け入れるわ」
だから、私に教えて。
「ええと。その、ですね」
「・・・」
「とても恥ずかしい話なんですが・・・」
少しだけ顔を赤く染めて、彼が紡いだその言葉。
――嗚呼。やっぱり彼は。
こうして本心を暴かれたとしても彼のままだった。
どんな言葉でも受け入れるつもり、と覚悟はしていたけれど。どんなに心を抉る言葉だって、耐えるつもりだったけど。
掛けられたのは、まるで甘い夢のような、どこまでも優しく、胸に迫る殺し文句で。
彼がそんな事を想っていたなんて、予想すらしていなくて。
そんな彼の一面を知れたことが、嬉しくて仕方なくて。
だから私に。
「我ながら恥ずかしいなアハハ」なんて照れ隠しに宣う彼を押し倒す自分の身体を、抑えることなんて出来ないし、するつもりもなかった。
「ん? ちょ、リサ師匠?」
「・・・」
「あれ、なんで僕リサ師匠に押し倒されてるんですか。でもって鎖なんて持ちだして僕を拘束するんですか。リサ師しょ・・・師匠?」
体中に血が巡り、呼吸が浅くなる。熱に浮かされたような思考の中で、彼に触れている部分が更に熱くなるのを感じる。
ふと彼が何か言っているような気がした。興奮のせいで上手く内容が頭に入ってこなかったが、私の名前を沢山呼んでくれていたからきっと愛の言葉か何かだ(違う)。
「ふー・・・ふー・・・」
「ちょ、師匠。一体どうしちゃったんですか? 何だかとても背筋がぞわぞわするというか、恐怖を感じるんですが」
我慢しきれないのか、時折彼は身体をよじって私の劣情を誘う(突然の豹変にひとまず距離を取ろうとしているだけ)。――ふふ、そんなことしなくても、今夜はたっぷり時間はあるのに。せっかちなんだから。
今まで散々私を縛り付けていた理性の鎖の音が聞こえる(彼が鎖を引っ張っている音)。これまで散々我慢をした分、その歓びはより大きなものとなるはずだ。それに今回、彼は疑似精製された人格とはいえ意識を保っている状態。
寝たままの彼とは違う、新たな彼の反応が見られるだろう。
だからもう、我慢はしない。
「リサ師匠? あの、何かおっしゃってくだs」
甘く蕩けた貴方の
全てを知り尽くすまで、止まれない。
・・・
僕には敬愛する師がいる。
名前はリサ・ミンツ。かのスメールの学者顔負けの膨大な知識を持ち、その恵まれた容姿や肢体には誰もが見蕩れる。
極めつけは神の目と言われる神秘を天より授けられた、文字通り選ばれた存在。
簡潔に言うのであれば、「人の到達点」だ。
そんな人に師事する僕は幸せ者に違いない。・・・最近リサ師匠から受けるスキンシップが激増して、悶々とした日々を過ごすことになっていることを除けば、毎日が喜びと新たな発見に満ちているから。
今日はどんな事をリサ師匠は教えてくれるのだろうか。それが楽しみで仕方ない。
「あら貴方。おはよう。良い朝ね」
「おはようございます、我が師。早速ですが、昨日の作業の整理の続きに移っても?」
「いえ、その前に伝えたいことがあるの。喜ばしい、良い知らせよ。――きっと、気に入ると思うわ」
「? 喜ばしい報告、ですか。出来ればいつもの言い回しは無しで伝えて欲しいんですがね。それで、何です?」
何一つ憂いのないこの良き日。
隣の椅子に腰掛けて、彼女から告げられる『喜ばしい報告』を聞くことから、僕の一日は始まった。
――え? 妊娠?
――師のお腹? 貴方がお父さん、って、え?
――これから末永く、って、ちょっと待ってどういう意味です?
――ゑ?
リサさんをすこれ。
次は多分バーバラちゃん。
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