そんなこんなで、半月。
そう、実に半月の間、我は特に文句も言わず天権の護衛役として引きずり回された。我ながら良くやった方だと思う。
そして出た結論は、
「・・・天権。貴殿、何処まで欲深いのだ」
――この女に、商才以外で誇れる点は何一つ無いということ。
民はおろか、己が味方である同じ七星すらも自身の駒と見ているかのような冷徹さ。自身の立場、審美眼を駆使し、狡猾に敵を対談の席におびき寄せ、確実に潰していく狡猾さ。更に自身の興味の無いものにはとことん無関心な淡泊さ。
『璃月七星』というこの街を維持する機関の長を務めておきながら、その実やっていることと言えば自身の欲を満たすための行動ばかり。一応『天権』とは律令の解釈を担当する役と聞いたが、何故人々は野心の塊のような此奴にその大役を託せたのか。
更にこの女の欲は留まることを知らない。それが何より恐ろしいことだ。
いつぞやに見た金庫に眠る巨万の富は、どう考えても人の短い一生で使い切れない程あった。しかし天権は満足せず、日々他の商人から莫大な利益を搾り取っている。
『自分の持つ手札で、どうすれば最善の展開が望めるか。勝てば利益が手に入るし、負ければそれを糧に次勝つだけ。――私にとって、ビジネスというのは刺激的なゲームみたいなものなのよ』
我の問いかけにいつも持っている長い煙管から紫煙を燻らせ、天権は事もなげにそう答えた。
・・・まこと、何時になっても人の欲とは度しがたく、愚かなものだ。
「欲深なんて言い方、止めてくれる? 私はただ自分の正しいと思うことをしているだけ。モラは多いに越したことないでしょう?」
「・・・俗物が」
「何とでも罵って貰って結構よ。それで貴方の気が済むのなら」
天権の目が我を真っ直ぐに射貫く。それは会ったばかりの、あの値踏みするかのようなものと同じもの。
無論そんなものを向けられたところで怯むほど我も落ちぶれていない。逆ににらみ返し、両者暫し睨み合う形になる。
やがて、天権の方が先に視線を外し、やってられないとばかりに大きな溜息をついた。
「解った、解ったわよ。――でもどれ程貴方が私を嫌おうと、あと半月は護衛を続けて貰う」
「無論だ。契約は最後まで、完璧にこなしてみせる」
「ええ、そうして頂戴。・・・ああでも、私のこの在り方は必ずしも悪、というわけではないということは覚えておいて」
「・・・承知した」
天権についてこの半月で解ったのは、何もその愚かしさだけではない。下手にこの街の要人としての立場を確立している以上、清濁併せ持つ度量や対応が必要なのもまた事実なのだ。その点、天権ほどその役に適した人間もいまい。
――だから我は、契約が終了しても彼女を殺す事が出来ない。そのようなことをすればこの街の運営は立ちゆかなくなる。折角帝君が遺されたものを、如何して我の私怨だけで台無しに出来ようか。
「――話を戻すけれど。今日は久しぶりに港の視察に行くわ」
「何故だ」
「貴方が護衛になる以前に蒔いておいた『種』が芽を出したか見に行く目的もあるけれど・・・今日は少々大きな市場が開かれる予定なの。その確認よ」
「そうか」
と、天権の顔がいつもと異なることに気付く。我の態度を気にしたか? しかし、そのような性格ではないと思うのだが。
「・・・ねえ、私も別に璃月に思い入れがない訳じゃないわ。貴方には私が唯の欲深女にしか見えないかも知れないし、私もそれで良いと思ってる」
「・・・」
「でも。――私が富を得ることが、最終的に璃月の民を救ったと言ったらどう?」
「・・・どういうことだ」
そして彼女が語ったのは、己が夢と過去。
璃月港の上空に浮いているあの宮殿、群玉閣は自分の持ち物であること。あれを造り、拡大することに、自分は稼いだモラを用いていること。
そして最近、紆余曲折を経て孤雲閣に封じられていた渦の魔神『オセル』が復活した際――その群玉閣を以て、かの魔神を封じ直すことに成功したこと。
そしてそれから――自分の在り方も少しずつ変わりつつあること。
「私だって、始めはそんな目的で群玉閣を建てた訳じゃない」
「何時か七国を、テイワット全土を覆うような地を造りたい。そんな思いからただがむしゃらに此処までやって来たわ」
「でも」
「この身に『天権』の役目を頂いてからずっと、璃月の民の暮らしを見てきて」
「そして、偽りの迎仙儀式を通してあの旅人――異郷からやって来た、不思議で可愛らしいあの子と関わって」
「私は自分の最も大事な宝物の一つを・・・群玉閣を、璃月のために捧げようと思った。そう思うことが出来たの」
「納得できないのは解るけれど、それだけは」
「私が此の地を、帝君が我々七星に託してくれた璃月を、愛しているということだけは、信じて欲しい」
終わりにそう締めくくり、天権は長い独白を、途中から懐かしい何かを眺めるような旅愁、そして何物にも劣らぬ決意を見え隠れさせながら、最後まで言い切って見せた。
「・・・」
今、その話をした天権の真意を量るのは・・・流石に野暮が過ぎる。
此処まで真摯な目をした人の子を信じてやれぬなど、それこそ神仙の名折れ。此の身が如何に堕ちぶれようと、それだけは解った。
――確かに、我は天権の事を何も知らぬ。半月という時間は、人のなりを十全に知るには些か不足というもの。
何より我が知るのは彼女の『天権』という側面のみ。よく考えれば我は此の娘の事は愚か、名前すら知らぬではないか。
「解った。それ程の覚悟と功績に免じ、此度は貴殿を信じるとしよう」
「――そう、助かるわ。貴方に反旗を翻されれば、流石に私であっても対処に骨が折れるもの」
「ほざけ。そのような卑怯なやり方、誰がするものかよ」
「ふふ、冗談よ。
――でも、本当にありがとう。私を信じてくれて。」
お陰でこの先、貴方を騙しやすいもの。
硬さが残った我の口調から、彼女の事だ、我の思いが言葉通りではない事は気付いているだろう。
だがそれでも天権は気丈に笑い、我に態々思い頭を下げ、礼を返してみせた。
未だ不信感が全て消えたわけではない。
だが少しは偏見の籠もった目ではなく、己が良心を、予感を信じてやるのも一興か。
「・・・此処が市か」
「そうよ。――見たところ、いつもより賑わっているみたいね。これじゃあお祭りと言われても信じてしまいそう」
見渡す限り人、人、人。
普段の港とは比にならない程の賑わい。
並べられた品はどれも見覚えのない珍しいものばかりで、その売り方一つ取っても今まで見てきたものとは異なる。
「さあ、そろそろ私たちも行くわよ――如何したの、立ち止まって」
「・・・いや何。物珍しくはないが、此の地に来てからは見ていなかった商いのやり方を見たのでな」
そう言って指し示すは年端もいかぬ長髪の少女。
片手に鮮やかな花が覗いた籐籠を提げており、道行く人に声を掛けては品を買ってくれと交渉をしている。
中々に口上手なのか結構な人が花を買っていき、その度に少女はそばかすの残るあどけない顔が眩しい笑顔を描き出していた。
・・・大丈夫ですか!?
「ッ!・・・何だ、今のは」
突如頭が疼き、雑音まみれの声が頭をよぎった。
だが実際に聞こえたのではない。まるで何か大事な何かを思い出そうとしているかのような――。
・・・あの少女に、何かを。
そう。我は今、物を歩き売るあの少女を見て。
何かを、重ねていた――?
もう少しでその正体が掴める、そんな気がして、少女の姿を食い入るように見る。するとその少女は視線に気付いたのか、ぱたぱたと此方に駆け寄ってきた。
「こんにちは! お花買っていきません・・・って、ええっ!? 天権様!?」
周りより大分浮いた着物を着た我より、目立たぬよう地味な装いをした天権を一目で見抜き驚く様は、流石璃月人と言ったところか。天権も少々苦笑気味に口の前に指を持っていき、少女にやんわりと意を伝えている。
「あっ、申し訳ありません! お忍びでいらしていたのですね」
「ええ、ごめんなさいね。――その代わり、私と彼にお花を一つ、見繕って貰える?」
「・・・おい、我は別に「あぁ気にしないで。この人は居ないものと思って結構だから」――おい」
「・・・えっと、はい。解りました!」
勝手なことを宣う天権に、我は先程の違和感を忘れつい口を挟んでしまう。
その後暫し悩んだ後、少女から渡されたのは二つの花。
「これは・・・」
「セシリアの花と、これはカスミソウかしら?」
「はい! ――セシリアはお付きの方に、そしてカスミソウは、天権様に」
流石は博識な天権様です! とにこやかだった少女は、首を傾げている我を見てか早足に解説を加える。
「私の持っている花の中で、お二人に最もお似合いの花を選びました。
お付きの方にお渡ししたセシリアの花言葉は『孤高たる志』。何処か浮世離れした雰囲気を感じましたので、僭越ながら選ばせて頂きました」
そして天権様のカスミソウですが――花言葉は『感謝』」
その言葉に、天権が微かに息を呑むのを我は確と聞いた。
少女は気付かず、恥ずかしそうに言葉を重ねる。
「――小さく、決して珍しい花ではないですが、七星である天権様は璃月を支えておられますし・・・たまに街にいらっしゃる時は、何時も私みたいな子どもに良くして頂いているので。その、私なりの感謝をお伝えしたくて」
「・・・ええ」
「天権様? 如何なされましたか? ・・・あぁ! 申し訳ありません、お気に召さなければ直ぐに別のものを・・・」
「違うわ。・・・本当に、違う、から」
――嗚呼。今は遙か天より、我らを見守る岩王帝君よ。
今は、今だけは不躾を承知で伺いたいのです。
平素の利己的で、目的のためなら人を欺くことすら躊躇しない、己以外を駒と扱う冷徹な彼女と。
今朝、そして今しがた幼子一人の感謝にすら涙を流す程、強く璃月を想う彼女。
――果たして、我はどちらを信じるべきなのでしょうか。
――人生五十年、人の一生は瞬きの間に。
何時しか約束の日は訪れる。
「・・・遂に、今日で終わりね」
「ああ」
今宵は新月。
死に体だった身を図らずも天権に救われ、半ば押しつけるような形で契約を結んだあの日から一月だ。
長くもあり、後半は随分と足早に過ぎ去ったそれは、我にとって驚きの連続だったように思う。
「・・・今まで、感謝しているわ。貴方のお陰で、私は叛逆の策動を気にすることなくこの一月を過ごすことが出来た」
「左様か」
「ええ、ありがとう」
「・・・我とて、感謝している。あの時貴殿が割り込んでいなければ、我は己の愚昧に気付かず、門違いの達成感を抱いて死んでいた」
――残りの半月で改めて見定めた天権は、あの時涙を流した彼女そのものだった。
璃月の民を想い、街を維持するために奔走する傍ら、際限なく勢力を伸ばそうと画策する商人達を彼女なりの手段で牽制し、多くの民の平穏を護る。
彼女の商いはその為の手段であり、目的が全てではなかった。無論彼女の行う取引が璃月を想ってのことかと言われれば怪しいが、少なくとも弱者を虐めるような外道では無かった。
彼女が以前語っていた変化、というのはきっとこれを指すのだろう。
と、突如天権の目が、雰囲気が変わる。
我を射貫くその目は、幾度か見た此方を見定めようとしたそれ。まるで内なる自分を覗かれるような、あまり気持ちの良い物でないその視線に前触れ無く晒され、少々困惑してしまう。
・・・何か、胸騒ぎがした。
「ねえ貴方、これから如何するつもり?」
「・・・何故そのようなことを聞く」
「別に。気になっただけよ。――それで、どうなの?」
「大したことは無い。――以前貴殿に止められた事を、今度こそ成し遂げるだけだ」
「・・・まさか、それって」
「ああ。――死ぬよ。我は」
「・・・まだ、諦めていなかったのね」
当たり前だ。数千年、我は岩王帝君との契約を破り続けた。
帝君のため命を賭し共に戦うことも出来ず、今の今までのこのこと生き残ったはぐれ者に、現世で居場所などあるものか。
「帝君が隠れられた今、彼からの刑を受けることは出来ないからな。・・・せめて七獄の責め苦を受け、その万分の一でも償うことが出来ればと思っている」
「・・・帝君は、そのような無駄な償いをお許しにならない」
「は、かもしれん。
――だがそれで見苦しく生き続けるなど、我にはとても耐えられない」
天権はそれでも、と食い下がる。が、我がこの決意を変えることはない。
現世に留まり続け、その一生を未だ残る業障の消滅に捧げる。確かにそれも償いの道だ。
だが、もう我には出来そうもない。
此の一月で人に触れすぎた我には、もう無理だと解ってしまった。
数千年経てども邪悪さを失わぬ魔神の残滓。息をするだけで押しつぶされるような、その圧倒的な力。
そして戦いの果て、我ら夜叉の身体を絶えず蝕むのは、気が狂いそうな程の痛苦。
我はそれを――もう、耐えられそうに無い。
殺した者共の怨念――業障を受けた他の夜叉がどうなったかは知らない。
狂い果てた末に妖魔の腹に収まったか、それとも魔に絆され、自身が妖魔へと転じたか。今に生き残っていないということは、志半ばで皆斃れていったのだろう。
だが、我は生き残った。
無様にも戦場から逃げ出し、
そして今、何の因果か再び目覚めて。漸くその苦しみから解放されようとしている。
「我は、夜叉失格だな。同胞が受けた万分の一の苦痛を受けただけで音を上げ、逃げ出した。そして何の因果か再び目覚め、今こうして生き恥をさらしている」
「・・・その物言い。やはり覚えていないのね」
「? 何をだ」
天権の言葉に混じる含みに気づき、思わず聞き返す。だがそれに彼女は答えず、代わりに懐から光る楔を取り出した。
「・・・それは」
見覚えがある。それは、我が自分の封印に用いた楔だ。
・・・そして今、それを彼女が持っているということは。
「我の封印を解いたのは、貴殿だったのか」
「・・・ええ」
――此処一月、今まで頭の片隅に追いやり、見ない振りをしてきた己の記憶と、我は幾度となく向き合ってきた。
思い出した嘗ての記憶は決して多くない。そしてその中に自身を封印した記憶はあれど、それを解いた者の存在は無かった。
まさかこのような縁でその者に会うとは思わなかったが、これも運命か。
「――十年前。私と貴方は一度会っていたわ。決して意図してはいなかったけれど・・・それでもこうして再び会えた時は、運命だと思った」
「・・・」
「初めて会った時、貴方はアビスの末端に襲われていた私を助けてくれた。・・・それも、覚えていないかしら」
天権の目が期待に揺れる。もしかしたらという一縷の期待を込めた眼差し。
――だが、我は首を横に振ることしか出来ない。
「そう、なのね」
「・・・済まない」
「・・・いえ、良いの。 お陰で決心が付いた。
――最後にもう一つ、答えて頂戴」
「これからも、私の護衛を続けてくれないかしら。期限は――私が死ぬまで」
――無期限の、契約。
彼女に告げられた願いに込められた意味を、我は理解する。
――嗚呼、帝君は何処まで慈悲深いのだろう。
我のような者にも、まだこのような救いをお与えになるとは。
「――断る。我はもう、疲れた」
だがもう、受けられない。
彼女の思いに応える以上に、心が折れてしまった我では。
――貴方の名前は、何というのですか?
「ぐっ・・・!」
・・・まただ。またこの声。
花売りの少女を見た時から、時折よぎる誰かとの思い出。最近は声だけではなく、その時の情景すらありありと思い浮かぶ。
だがその声の主の姿は、幾ら探しても見当たらない。
なのにその姿は思い出せない。その笑顔が、容貌が、名前が。如何しても思い出せない。
何もかも朧気で、もどかしい。
「・・・そう。結局私では、貴方の心を開かせることが出来なかった。業障に苦しむ貴方には、私の姿は映らなかった」
天権が何かを言っている。するとそれにつれ、頭に響く誰かの声が大きくなった。囁きは見る間に叫びとなり、我の頭で割れんばかりに反響し始める。
止めろ、止めてくれ。俺は知らない。こんな女は知らない――
「・・・なら。その痛みをなくしたら、貴方は私を
――という女を、もう一度見て、護ってくれるのかしら」
誰か、助けて。
たすけ――
次で最後。