長め。
夜道で見えなかった道の小石に足を取られ、前に居た丘々人の前に躍り出るような形で転んでしまう。
背の籠から荷物が溢れ、私の目の前に色の良い果実が二、三転がった。
「何で、どうして・・・!」
咄嗟に自分の運を呪うけれど、今の私の脚では、此処でそうならなかったとて何時しか捕まり、同じような末路を辿っていただろう。
それでも少しでも距離を取ろうと、近くの大岩を目指し腕だけで這いずる。だけど歩くよりも遅いそれは状況をどうこうできる物ではない。
そんな私の様子から、獲物がこれ以上逃げられないことに気付いたのだろう。奴らは嘲りにも似た呻き声を上げながら私を取り囲むように散らばると、その輪を少しずつ狭めてきた。
「・・・嫌、来ないで。来ないでよ!」
奴らが人の声など聞き届けるはずもないのに、私はあらん限りの声で叫ぶ。だが返ってきたのは返事ではなく、苛ついた一匹が棍棒を地面に叩きつける音だけ。
このままいけば、遠からず私は死ぬだろう。ならばせめて石でも投げ、一矢報いてやろうと地面を見る。
すると奇妙なことに、夜の闇の中僅かに光る石があるのを見つけた。
「・・・これは?」
夜でなければ見逃してしまう位弱い光を表面に線状に走らせたその石は、しかし規則的に明滅をして崩れた台座に収まっており、この窮地の中にもかかわらず、私の目を惹きつける。
そして気付いた時には、私はその石を手にし、台座から引き抜いていた。
「きゃっ・・・!」
何!?
途端、台座の窪みから目映い光が溢れる。夜の中で太陽と見紛う強烈な光を浴び、私と魔物は揃って目を眩ませた。
――光が漏れ出ていたのは時間にして数秒ほどだったと思う。
だがその間特に何か起こるわけではなく、やがて徐々に光は収まり、遂に筋すら見えなくなる。何か起こるのではと僅かな希望に期待していた私の心は、此処で再びどん底まで突き落とされた。
それどころか徐々に視界が戻っていく中、何処かでバキバキと岩が割れる音が聞こえ始める始末。
追われていた魔物よりも強大な何かが、先程の光に誘われやって来たのだろう。
「岩王帝君、仙人様、護法夜叉様。お助け下さい・・・!」
今までに神仙の方々を蔑ろにしたことはないけど、だからといって信心深く祈っていた訳でもない。
都合の良いことは百も承知、でも私には此の身の無事を彼らに縋ることだけしか出来なかった。
無論、そのような声が聞き届けられるはずがないのだけれど――
「――承知した」
未だ慣れぬ視界で何かが私の耳元で囁き、返事をする間もなく烈風が私を叩く。
それは紛れもなく人の声。先程まで周りには人など居なかったはずなのに。
――そこから先の事は、よく解らない。
そのまま横を風が通り過ぎたと思ったら、幾度も剣を振るう音と断末魔が聞こえてきて。それも収まり、やっと眩んだ目も慣れてきたと思った時には。
「ッ。多少眠ったところでやはり逃れられんか」
私を囲んでいたはずの魔物は全て消えていて、代わりに剣を持った一人の男が目の前に佇んでいた。
服装は・・・璃月の人のようだが、見慣れない服装をしている。まるで絵巻に描かれた伝説の仙人様のような、儀式めいた服に模様。
だが古めかしい意匠の服装とは対照にその容貌には確かな雄々しさを持っており、一見してアンバランスな印象を受ける。そして手には鈍色の剣。
――もしかして、彼が助けてくれたのだろうか。
「? どうした。まさか怪我を――」
「い、いえ! その、貴方が、助けてくださったのですか?」
「助けたなどと大仰な。あれしきの妖魔、夜叉たる我にとって物の数にも入りはしない」
――何と。彼は夜叉だと、そう言った。
今はその真偽は置いておいて、とりあえず私を助けてくれたのは彼らしい。
「夜叉様、なのですか」
「然り。この場の妖魔は・・・ただ帝君との契約に従い滅したまで。貴様を助ける意図は無い」
「契約?」
「・・・良い、忘れろ。では我は征く。折角助かった命、大事に使うといい」
そのままそのまま彼は踵を返し――直ぐに胸を押さえて膝をつく。目が眩みその詳細を見ていないが、もしや魔物との戦いで傷を負ったのだろうか。
「ッ! 大丈夫ですか!?」
「――問題、ない。目覚めて直ぐに動いたものだから、多少筋を違えただけだ」
彼はそう言うが、その口からは血が一筋溢れているのでは説得力は皆無だ。慌てて背負ったままだった籠から薬を取り出し、彼の元に駆け寄る。
服の上から外傷を探すが見つからない。血も流れていないし、多少土埃が被ってはいるものの服にも目立った汚れはない。
「無駄だ。これは我の、夜叉の体質によるもの。――魔神の手先を数多屠りその残滓を身体に宿した、我らが負うべき宿痾なれば」
「そんな・・・何とかならないんですか!?」
「ならん。それに、何の因果か誰ぞ我の封を解き、今一度現に目覚めたのだ。
――腑抜けの我に、これ以上逃げるなど許されようか」
酷く思い詰めた顔でそう呟き、膝に手を置き苦しそうに立ち上がる彼を、私は黙って見届ける事しか出来なかった。
――今此処で何もしなければ、きっと彼は行ってしまうだろう。そうなれば彼と会うことも無くなってしまう。
「あ、あのっ!」
「・・・何だ」
「あ、貴方の名前は、何というのですか?」
「・・・名乗るほどの者では無い。さらばだ」
「えっ? ――ちょ、ちょっと待って!」
心細さと心配と、色んな感情からを何とか引き留めたくて。気付けば私は、夢中で彼を引き留めていた。
「・・・まだ、何かあるのか」
「――えっと、その」
「・・・何だ。用があるならさっさと言え」
何を言えば良いのか、如何するのが正解か。咄嗟にぐるぐると纏まらない頭でこれ以上無いほど考える。
それでも妙案が出ず、咄嗟に出た言葉は――まあ、商人らしいと言えばらしい、図々しいもので。
「あのっ! 助けて貰った次いでで悪いんですけど、私の護衛をしてくれませんか!?」
――それが、彼と私の出逢い。誰に何と言われようと、例え彼が忘れていたとしても、確かにあった私の大切な思い出。
あの時も契約を終えたと同時、彼は何処へと消えてしまった。それから十年、こうして再び会えた機を私は逃しはしない。
今や璃月は人の時代。太古よりの契約は終わりを告げ、人のみで国を維持できるか、それを見極める時が今。
幾千年に及ぶ彼の使命ならば、私が代わって璃月の者に命じましょう。
痛苦が身体を蝕み生きる気力すら失うのならば、それも私が解決してあげる。
「ねえ、ちょっと良いかしら?」
「? どうしたの、天権さま。またおつかい?」
彼を助けるためなら、私は――
・・・
強烈な違和感を感じて、我の意識は急速に浮上した。
「何だ、これは」
まず気付いたのは、全身を蝕んでいた痛みが消えていること。天権に封を解かれ目を覚ましてから一瞬たりとも絶えなかったというのに。
身体を起こそうとするも、思うように動かせない。目覚めているのに未だ夢の中にいるように身体が重く、遅く感じた。
目を開くと何時もより幾分と低い視界が出迎える。更に出た声は平素よりも圧倒的に高く、幼いもの。
ここで我は漸く身に起こった異変の深刻さに気付いた。
「身体が、縮んでいる・・・!?」
目の前にかざされた手も、その手で触れて散々確かめた顔も、今までの夜叉の能力はおろか唯の人の子よりも圧倒的に弱い力も、更には見下ろしたその体格さえも。
あり得ないことに、その全てが幼い身体になっているということを示していた。
「どういうことだ」
自失のあまり気が遠くなりそうな思いだが、驚いてばかりでは始まらない。
一息ついた後、如何してこうなったのか自分の記憶を辿る。
覚えている最後の場面は、あの新月の夜に交わした天権との会話。
そこで急に頭の中に誰かの声が流れ出し、どんどん大きくなり、あわや狂い死ぬかと思っていた矢先、急な強い衝撃と共に意識が遠のいて――。
(――で、この状況に至ると。)
気を失っている間に、一体何があったのか。
目覚めれば何処とも知れぬ薄暗い部屋に押し込められ更にはその身体が縮んでいるなど、並大抵の事が起きなければなり得まい。
部屋を見回すとあちこちに洒落た衣が山と吊されており、そのどれもが埃を被っている。壁際に置かれた鏡も例外ではなく、その表面は曇り何も映し出されてはいなかった。
此処は何処だ?
あれからどれ位の時が流れた?
何故、こうもか弱い身体になっている?
幾つも疑問が溢れてくるが、我にはこれを解決する手段がない。
そしてこれは予感だが、疑問の答えを知るのは恐らく――
「――あら、お目覚めかしら?・・・その感じからして、自分の状況に戸惑っているみたいね」
「ッ!・・・天権」
狙い澄ましたかのように、疑いの人物が現れる。
我の状況を驚くこともなく把握し、さらにそれを好ましい事のように見つめる彼女の様子は、自分が主犯だと語っているようなものだった。
「どういう事だ。説明しろ」
「あら、そんなに気を立たせて。一体どうしたの?」
「――我の身体を此処まで縮めておいて、良くも抜け抜けと」
「縮めて・・・? ああごめんなさい、まだ気付いていなかったのね。確かに仕方ないとはいえ、力の無いその身体じゃ感付かないのも仕方ないわ」
「力を? ・・・貴様、何を言っている」
「何って、今の貴方のことよ。
――その身体じゃ貴方、仙人の力を使えないでしょう?」
最初、彼女の言葉に理解が及ばなかった。
促されるまま、何気なく力を使おうとして――。
「・・・何故」
言われた通り使えなかった。幾度試みても結果は変わらず、簡単な呪の一つも起動できない。
あり得ない。岩王帝君のみならず、仙に生きる者は皆、人、獣、龍、その他どんな姿に変化しようとその御力を振るうことが出来る。それは夜叉崩れの我とて例外ではない。
仙力とは鍛え上げたその身全てに宿るもの。その身体が幼くなろうとも、その身に蓄えた仙力自体が消えることなど無い筈なのに。
それに先程から感じている、えも言われぬ不快感。
頭に上手く身体がついて行かず、腕一つ、指一本動かすのさえ億劫に感じる。まるで自分の身体ではなく、全く別の身体を動かしているような――
「まさか」
咄嗟に出た馬鹿げた考えを直ぐさま振り払った。
あり得ない。そのようなことがあり得て良いはずがない。
――にぃ、と。天権の笑みが一段と深くなる。
それを見た瞬間、我は壁際に置かれた鏡の下に走った。山とあった疑問も全て脇に追いやり拙い足で鏡の前にたどり着くが早いか、自分の顔を映すために厚い埃を拭い払う。
頼む。頼む頼む頼む頼む――!!
「・・・そん、な」
身体だけではない。鏡に映った顔もまた、元の我とは似ても似つかないものだった。
幼い目鼻立ち、短く切りそろえられた黒髪も、璃月港でよく見られる幼子の髪型。特に変わったところもない幼子のそれ。
それは何処にでもいるような、初めて見る気もしないような顔で――
――否、違う。
この既視感は、見慣れたそれとはまた全然違う。
見慣れたからではない。以前、我はこの姿を――
「・・・貴様ァ!!」
それに気付いた時、我は初めて人に、天権という女に恐怖した。
人が、ただの人の子が、まさかそのような所業に身を染めるなど、考えもしなかった故に。
「どう? 私からの贈り物。気に入ってくれたかしら」
「巫山戯るな! 貴様、自分が何をしたのか解っているのか。
――よりにもよって生きた幼子に我を憑依させるなど!」
我の言葉を、天権はにこやかに受け止めるのみ。
天権と行動を共にした時に見た、横の少女から六星と呼ばれていた少年。
鏡に映っていたのはその者の顔に他ならなかった。
――人への憑依、それ自体は確かに不可能ではない。
霊や力の弱い妖魔の中には、人の子へ憑依することで存在を保つものもいる。そして仮に奴らが憑いたとて、憑かれた者は多少の疲労を感じる程度。命を脅かすほどでもない。
だがその程度で済むのは、憑くのが在り方の希薄な霊共だからだ。もし神、仙人が同様に行えば話は違ってくる。
其れ則ち神降ろしの所業。人の領分を越え超常より神秘を授けられる一方、受ける器が未熟ならば相応の代償も肉体に降ろす、言わば諸刃の剣。
帝君と契約した夜叉ともなれば、屈強な男児であっても身に宿すのが精々だろう。無論その力を振るうなど望むべくもない。
しかし天権は為した。如何なる手段を使ってか、意識のない我を六星少年の身体に封じてみせた。
その代価を幼い彼が被ることなど、気にも留めずに。
「確かに我に最早夜叉を名乗る資格はない。だが! 我は帝君の令を拝領した神仙! その力、存在。唯人の身に降ろし耐えられるものではない!」
「そうね。――だから貴方はその子に憑依する寸前、眠っていたのにも関わらず、即座に全ての仙力を捨てて見せた。人一人を助けるために己が仙人たらしめる証を投げうつなんて、私でも予想しなかったわ。
――けれど結局、その子の意識は貴方の存在に耐えられず、押し消えた。その目的は達したから、そこは然程問題ではないわね」
「・・・は?」
解った上で見殺しにしたと、そうあっけらかんと言い放つ彼女に二の句が継げなくなる。この時点で完全に天権が何を考えているのかが解らなくなってしまった。
「私が考えているのは一つだけ」
――貴方を助けること。それ以外なんてどうでも良いの。
「・・・貴様は、一体」
「そんなに怖がらないで? 確かに貴方にとって、これはとても耐えがたいことかもしれない。でも、これはどうしても必要なことだった」
――ぞわりと、怖気が走った。
喉がカラカラになり、次第に息が浅くなる。只管我を助けたいが為だと宣う彼女に罵倒をぶつけようとするも、どれも途中で言葉が喉でつっかえ、声にならずに終わった。
認めよう。この瞬間、彼女に我は恐怖し、屈したのだ。
「――とても大変だったのよ。最初は一人で貴方を蝕む痛みの元、業障だったかしら、その正体を調べて取り除こうと試みたのだけれど、思うようにいかなくて」
「それならと国中の学者や知識人、果ては仙人様が住まう地にまで訪ねて、あらゆる手を用いて業障を解呪する方法を探した。そういえば、業障という名も其処で知ったわね」
「だから、それが取り除くことは出来ないものだと知った時はとてもショックだった。――馬鹿な話。人の手だけではどうにもならない事なんて、最近沢山経験したばかりなのに」
「・・・それでも私は諦めなかったわ。だってそうしないと、貴方は何時までも苦痛に苛まれたままだから」
語られるのは彼女が歩んだ軌跡。
我を案じ、彼女は方々を訪ね救おうとした。話の節々に見え隠れする苦労は、当時そのままの思いを語った故か。
だがそれだけでは終わらない。でなければ今の状況が説明できない。
そして何より直感が囁くのだ。
この話には、何か致命的な歪みがあると。そしてその全容を知ってしまえば、取り返しの付かないことになると。
「『業障は身体を蝕み、その分深く結びつく。蝕まれた者の身が朽ちぬ限り逃れる事は出来ない』――業障について、降魔大聖はこのように語ってくれた。業障に苛まれながら妖魔を狩り、国を護ることこそ夜叉の使命である、ともね。
――身体に深く結びついている、ね。
それなら、新しく用意してやればいい話じゃない?」
その為に。
それだけの為に彼女はこの子どもを犠牲にしたのか。役立たずの夜叉一人を生き長らえさせる為に、其処まで。
――嗚呼、これ程に。
彼女が正しく悍ましく、狂っていたとは思わなかった。
「・・・あの時貴様は、璃月を好いていると、そう言った筈だ。それを我は、璃月に住む者も含めていただとばかり思っていた」
「ええ、合ってるわ。貴方に嘘をつくなんて、私がするはずないもの」
「では、では何故この子を見殺しにした!」
「そう焦らないで。私は自分と同じくらい璃月を好いているけれど、それ以上に大事なものがあるの。言わなかったけれどね。・・・嗚呼、その点貴方はとても騙し易かったわ」
「・・・何なんだ、それは」
「もう答えたわ。――はあ。私だって、何度も言うのは少々気恥ずかしいのだけれど」
――愛する人を助けるのに、勝る理由なんて在るかしら。
そう言って微笑む彼女は、狂気に染まって尚美しい。
他の夜叉ならばきっと立ち上がるのだろう。だがとうの昔に心が折れ、逃避の果てに零落した我には既に口を開く気力すら無かった。
そんな我の頬を愛おしげに撫でると、天権は耳に顔を寄せる。いつの間にか手には見覚えのある楔の欠片が握られていた。
「これまで大変だったけど・・・これが最後の段階」
「幾ら新たな身体を用意しても、貴方の考えまでは変えられない」
「だから、私は決めた」
「既に欠けてしまった貴方の記憶を、もう一度、今度はもう何も思い出せないようになるくらい徹底的に、固く封じるって」
「これまでの使命も、帝君との契約も。――私との思い出も、何もかも全部」
「でも平気。貴方が全て忘れたとしても、私は全部覚えてる。・・・私が生きている間に、また積み上げていけば良い」
帝君の契約に至るまで、全記憶の永久封印。無論その解呪法など知る筈もなく、それは事実上『我』を形作る悉くの抹消に等しい。
蕩けるような甘い声で囁かれたその言に抗わなければ、彼女は躊躇無くやってのけるだろう。
目的のためならばそれがどんな外法だろうとなして見せる、彼女はそういうものだから。
――だが我はそれを、拒まなかった。
或いは、そう。
自分が何者かも解らぬまま、得体の知れぬ女と共に生きる。これが我に課された罰、そう考えるのも悪くない。
全てを投げ捨てた者にとってそれは身体を蝕むよりも余程救いがたく、相応しい。
「また出逢い直しから始めましょう。――貴方との約束を、果たすために」
暗転。
解けてゆく思考の海、その中を揺蕩う。
――眠い。
幾つもの雑多な記憶が絵画のように四角く切り取られて周囲を浮き、何処へと消えていく。最後には己の意識すら解け、我は眠りに就くのだろう。
――そういえば、何故こうして記憶が消えていっているのだろうか。
もう、此処に居る理由すら思い出せない。
何か大きな喪失感を胸中にしまい、幾千、幾万もの場面を切り取った記憶の断片を無言で眺める。
するとその中の一つ、ある断片の光景の中にとても懐かしさを感じた。
映っていたのは木陰に座る我と――白髪で、紅玉の瞳をした少女。
そんな奇抜な風体をした女、知らないはずなのに。
その姿から、目を離すことが出来ない。
『貴様、何をしている』
『何って、果実水を作っています』
『? 態々売る品を潰してか。水ならば背嚢に入れてあるだろうが』
『私が飲むんじゃないですよ。・・・■■様、以前身体が痛くて苦しいって言ってたじゃないですか。眠ろうとしても痛むから、最近は頭の中の記憶が整理しきれずに少しずつ漏れていくんだって』
『・・・』
『だから、これを飲んでリラックスすれば、痛みも少しくらい楽になるかなって。・・・あ、これでも私なりに考えたんですから、無駄だなんて言わないで下さいね? 助けて貰った恩は、いつか貴方の痛みを無くす事で返すって決めてるんです。其れが終わってから改めて、こっちから商談をふっかけられるんです』
『・・・左様か』
『――そ、れ、と! 貴様って呼び方、止めてくれません? 私だって夜叉様って呼び方を■■様が嫌だって言うから、こうしてお名前をお呼びしているんですよ』
『ぬ、しかし――』
『しかしも案山子もございません。――さあ、出来ました』
そう言って果実水を差し出す少女は、太陽のような笑顔を振りまいた。彼女の圧に負け、記憶のボクは渋々というように受け取っている。
『・・・ふふっ』
――ああ、そうか。あの時市場で花売りの少女を見て、頭に響いたあの声は。
あの光を
『礼を言う』
『嫌です。私の名前を添えてくれるまで受け取りません』
『・・・人の分際で、面倒な』
『ああっ、言いましたね!? 良いですよたかが小娘一人程度、崖から飛び降りて終わりですもん!』
『ああ解った解った。呼ぶ、呼んでやるから――』
一月の間共に居ながら今の今まで思い出す事が出来なかった。
天権と名乗ったあの女の、本当の名は――
・・・
「――んう?」
日が傾き、夕焼けが璃月の港を照らす頃。
家路に急ぐ人々でごった返す通り、ある女の背で一人の子が目覚めた。背から降ろしてやると暫く目をぱちぱちと瞬かせ、続いてきょろきょろと周りを見回し始めた子どもの様子に、保護者と思しき女は柔らかく微笑む。
「ふふ、お昼は良く眠れたかしら?」
「ぎょうこう様――うん。それでぼく、夢を見たんだ・・・でも、どんな夢だったのか思い出せなくて」
「・・・そう。残念ね」
「うん。・・・何だか、とっても不思議な夢だった気がするんだけど」
以降会話が途切れてからも、二人は手を繋ぎ璃月の通りを進み、掲示板の横を通り過ぎた。
其処には多くの紙が貼られており、中には少々物騒なものも見られる。
息子一人を残して蒸発した家族の捜索願などは加えられて間もないようで、真新しいその用紙は他より一際目を惹いた。
「・・・ぎょうこう様。お父さんとお母さんは、いつぼくを迎えに来てくれるんだろう」
「・・・さあ。二人のお仕事が終わるのは明日かも知れないし、何年も後かもしれない。――それでも、いつか必ずまた会えるわ」
「そう、だよね。それまでぼく、良い子で待ってるよ。そしたら、早く帰ってきてくれるかな?」
女は答えず、代わりに明るい声でそう口にした少年の手をやや強く握る。
それを是と捉えたか、少年は嬉しそうに女の手を引き走り出した。女も苦笑しながら続き、二人は家路へと急ぐ。
――その日市井に降りた天権曰く、璃月は今日も平和であったという。
気抜いたら無限にだらだら書き続けるものだから、今回プロットとかいう物をガチガチに組んだ上で、何処までもその通りに、かつ自由に書いたらどうなるのか試してみた。
3万字は聞いてない。
次は料理人か、ココナッツヒツジか。