――最近知り合った人が実は仙人で、しかも久しぶりに会ったら全力でぶん殴ってきた件。
「ごべんなざい」
「解れば良いんです! ・・・それに、まあ。私もやり過ぎたとは、思ってますし」
今、僕は目の前の少女――甘雨の前で正座をさせられ、延々とお叱りを受けていた。
罪状は彼女曰く急に居なくなって心配させたこと。成る程、確かに何も言わずに璃月を離れたから、心配させてしまったと言われれば謝るほか無い。
――しかしそれでもそれに対する仕打ちが馬乗りからの顔面ラッシュ(仙獣ぱわー全開)はちょっとやりすぎじゃなかろうか。
「っでも! 貴方も悪いんですよ! だってほら、仙人って普通もっと頑丈じゃないですか!」
「頑丈だからってあんな腰の入ったビンタかましてきたの!?」
「そうじゃないと気が済まなかったんです!」
色々あって情緒が大変不安定になっているようで、甘雨は鼻息荒く、今にも先程の続きをしかねない雰囲気を醸し出している。
これ以上何かを言えば遠からず実現しそうなので、僕は開きかけた口を気合いで閉じた。
――幾ら言い繕ったとしても、ホウレンソウを怠った僕が悪い。うん、これで終わりだ。
「・・・それで」
「ハイィッ!」
先程の出来事から彼女の声に過剰に反応してしまう。
我が身の事ながら、同門の者にこれ程恐怖するのは仙人としてどうなのか。
「そんなに怖がらなくたっていいです。・・・何があったんですか」
「え?」
「だから!
――この一週間、いえ、それよりずっと前から。貴方は、何を悩んでいたんですか」
・・・そう、そうだった。
「・・・ええと」
甘雨の目からおふざけや甘えといった気休めの余地は許されないのが解る。何としても聞き出す、そう語りかけてくるようだ。
僕が今まで彼女に意図的に隠してきたこと、それを知るまで諦めない。そういう覚悟をそれから感じた。
「今更言わない、言えないは、通じないよね」
「勿論です」
――解ってはいたが、即答か。仕方ない。
「・・・一つだ。一つだけ約束して欲しい」
「御主、それは」
「留雲、言いたいことは解るけど――今更隠し通すことも出来ないでしょ」
僕の言葉に留雲が不満げに口をつぐむのを認めた後、甘雨の前に向き直る。
僕が彼女に伝えるのは甘雨に会う前に留雲とも交わしたある制約。
人によっては何のことか解らないだろうし、何より人間に対しては前提そのものが機能しない、神仙に属する者達だけに向けた約束。もし甘雨が仙獣であることを知る前なら、僕も彼女に何かを課すことはしなかった。
だけど、甘雨が仙獣なら話は変わってくる。甘雨が神秘を宿す存在である以上、もし彼女が動けばそれは神秘の発動を意味する。
――それは、彼女の意に沿わない。
「甘雨。今から僕が話す人のこと、それを聞き終わったとしても、
「・・・それで、貴方の憂いを知ることが出来るのなら」
唐突、かつ説明の一つすら無い僕の言葉に少し迷う素振りは見せたものの、それでも甘雨が出したのは肯定。
日頃から岩王帝君を敬愛する甘雨が約束を破ることなどあり得ない。故に甘雨はこの瞬間より、彼女を助けることは出来なくなった。
「ありがとう。じゃあ、全部話すよ。
――僕が愛した、とある女性の話を」
劇的な出逢いとか、そういうのは無かった気がする。
ただ普通に出逢って、普通に交流を交わして、そして普通に好き合うようになった。それ以外に説明しようがない。
というか、今回の話題で馴れ初めを語る必要は無いだろうしね。
――まあ、取りあえず。
僕には今、好き合った恋人がいる。
彼女は文句の付けようがないほど素晴らしい女性で、僕なんかには勿体ないくらいだけど――ただ一つ、身体が弱いという弱点があった。
力が弱くて虚弱というわけじゃない。一言で言うなら、酷く病気になりやすい。それだけだ。
病気が身体に入ってしまうとそれに抵抗する事が出来ず、最悪の場合死に至る。そんな病なんだと白朮先生は言っていたっけ。先天、後天問わず非常に珍しい病気で、治療法も今のところ無い死病。そう言われた時は目の前が真っ暗になった。
でもその時思ったんだ。仙人モドキの僕なら、出来ることがあるかもしれないって。
ああ、言い忘れていたけど、僕は正確には仙人じゃない。
仙人としての力は魔神戦争の時に全部出し切ったから、此の身は言うなれば残り滓みたいなものでね。今の僕に残っているのは無駄な位長い寿命と、普通の人よりちょっぴり頑丈な身体くらいだ。
何やかんや今に生きてる仙人連中とは仲良くできてるから、別に不便だと思ったこともないけど。
――まあでも。
不便じゃないだけで、辛いなと思うことは沢山ある。
・・・話を戻そうか。
そんな出涸らしの僕だけど、もしかしたら何か力になれるかもしれない。そんな思いで、僕は彼女に自分の正体を明かしたんだ。
彼女も流石に最初は驚いていたけど、最後は僕の正体を笑って受け入れてくれた。
でも、僕の助けたいって申し出だけは、絶対に受け入れてくれなかった。
――私は神様に頼らない、人の力だけで最後まで生きたいんだって、そう言われたよ。
帝君を軽んじるだとか、そういうんじゃない。
唯だ最期まで人として逝きたい。帝君が高天に上られ今や人の世となった璃月で、自分だけがのうのうと神秘に縋る事なんて出来ない。だから僕の力は借りられない。そう彼女は決めたんだそうだ。
・・・全く、この時ほど自分の身分を呪ったことはないよ。
それから彼女の容体はどんどん悪くなって――終いには好物の魚さえ食べられなくなった。
彼女の今の状態を知った時、恋人に何もしてやれない自分が酷く情けなくてさ。――それで我慢できなくて、街を出たんだ。
「――それからはあっちこっちをフラフラして。そして今日、偶然会った留雲に我慢できずに話を打ち明けたら、代わりに我の話も聞いていけって言われてね」
「そう、ですか」
「ごめんね、こんな重い話をして」
「・・・いえ、気にしないでください」
甘雨に全てを打ち明けた時、辺りの空気は鉛のように重くなっていた。求められたとはいえ、そういう話をしたのだから当然だ。
だが僕はともかく、この話で他者の心に影を落とすのは彼女自身が許さないだろう。他者が傷つくことを何より嫌うのだ。彼女は。
「はい、これで話は終わり」
「・・・」
「もう充分考える時間は貰えたし、これまで長いこと生きてきたんだ。別れには慣れてる
――だから甘雨。帰ろう、璃月港に」
敢えて甘雨には明るく振る舞い、この雰囲気を払拭しようとする。勢いのままに手を差し出したけど、それを甘雨が手を取ることはなかった。
これ以上沈んだ顔をした甘雨を見ていられなくて、半ば強引に彼女の手を握る。そして下山のために踵を返すと、今まで聞き手に徹していた留雲に声を掛けられた。
「おい、御主」
「ぅえっ!?」
まさか呼び止められると思わなかったので、やや上ずった声で返事をする。そういえば元々此処に来たのは留雲の招致あってこそだった。でも今更そんな空気じゃないってこと位は機微に疎い彼女でも解っている。
・・・筈、だよね?
「何だい? 留雲」
「御主と伴侶たる女、二人の残り少ない時をどう過ごすか、それは御主の自由だ。この先も存分に悩むと良い」
「・・・うん」
「だが遠からず『終わり』が訪れ、そしてその悲しみが癒えた時。
――御主の隣に居る、その子の側にいてやってはくれまいか」
何時か終わりは来る。
言い方こそ非情だが、留雲なりの優しさが籠もったその言葉は僕の胸に深く突き刺さった。
そして同時に、留雲はちっとも変わっていないなとも思う。身内にはとことん甘いというか、何とも子煩悩というか。
何にせよ、留雲の願いを無碍にする理由など、今の僕にはあろう筈もない。
「ああ、そうするさ」
「頼む。ああ、それと」
「今度は何さ」
「・・・我が言うことではないかもしれんが、たまには妹分にも顔を見せてやれ。近頃は落ち着いておるが、アレの癇癪は相当でな。酷い時は赤紐を以てしても抑えられぬ時があるのだ」
「はいはい。――全く、申鶴もそんな年じゃあるまいに、親バカ真君なんだから」
「バッ・・・!? 我は、別に!!」
留雲が何か言おうとする前に、甘雨を伴って手早くその場から文字通り姿を消す。
腐っても仙人。もう瞬間移動なんて出来やしないが、自分の身を隠す小技くらいなら造作も無い。
加えて仙人モドキの僕の気配など無いのと同じだ。留雲自身の気配にかき消され、彼女には探知などとても出来ないはず。
あとは悠々とこの場を去るだけ――
ガスッ。
「イッタァァァア!?」
「馬鹿者が。姿を消した程度で我が甘雨の気配を追えぬとでも思ったか」
完全に捉えた鶴仙人のアイアンクロー(仙力全開ver.)は、とっても痛かった。
――それにしても、甘雨はこの間何にも喋らなかったのが気になる。
あまり気に病みすぎて、僕みたいに逸らなければ良いのだけれど。
・・・
「――さて、着いたよ。甘雨」
彼の言葉に頭を上げると、いつの間にか再び璃月港に戻っていました。それも、彼と手を繋いだ状態で。
・・・平素ならこれ以上無いくらい嬉しい事なのですけどね。
「ありがとう、ございます」
「うん。――甘雨、大丈夫?」
心配から私の顔をのぞき込む彼の顔を直視できません。
その視線が、声が、私に愛を囁くことはないと知ってしまったから。自分の恋が成就しないと、伝える前から解ってしまったから。
「・・・そんなに心配しないで! 人の可能性は無限大だ。――そうだ、僕が港を出る前だけど、彼女の治療で新しい薬を試すって言ってたんだ。もしかしたらそれが彼女を治す特効薬になるかもしれない」
「・・・はい」
「――もしさ、それで彼女が元気になったら。その時は、紹介させてよ。僕の自慢の彼女を」
――解っています。彼に悪意はない。
不自然なほどに明るい口調は、落ち込んでいる私を元気づける彼なりに考えた思いやり。自分の悲しみを棚に置いて、純粋に私を慮って出た辛い希望。
でも違う、そうじゃないんです。
私の胸に疵を遺していく、本当に辛いのは。
「・・・貴方に一つ、お願いがあります」
「っ、うん、何かな。出来る範囲で応えるよ」
嗚呼、私の言葉を彼はきっと疑わない。
私の想いに気付いていないから。女としてではなく、良き隣人として私を見ているからこそ、あそこまで優しい言葉を掛けられるんです。
でもあの人に寄り添う人は、もう既に――
「では・・・一度だけ、貴方の恋人と会わせて頂くことは出来ませんか」
朗らかだった彼の顔が、僅かに曇ります。でも恐らく、彼が考えている懸念はきっと杞憂に終わるもの。
「甘雨。約束は覚えてるよね」
「はい。私には彼女に対して、如何なる助けを行う意思はありません」
「・・・そっか。そうだよね」
だから、こうして許しを与えてしまう。
その優しさが、純朴が、心中の醜い獣を野放しにしてしまう。
「彼女のためにこんなに心を痛めてくれたんだ。疑う方が間違ってるか。――解った。彼女には話を通しておくから、時間がある時、彼女の調子が良い時に訪ねると良い」
「ありがとうございます」
「うん。ああそれと、今更になっちゃうけど。
――ありがとう。君みたいに想ってくれる人が居るだけで、とても救われる」
だから、もうこれ以上。
こんな私に、優しい言葉を投げかけないで。
『・・・どうぞ』
その声を聴いた後に扉を開けると、その部屋の全貌が明らかになります。
まず目を惹いたのは液体、顆粒状、丸薬など関係無く卓上に並べられた幾つもの薬瓶と、側には飲む際に使うと思しき薬包紙。そして陶器で作られた水差しと器。
逆にそれ以外だと寝台の他に目立った物が置いてなくて、何処となく殺風景な印象を受けます。
「・・・」
その寝台の上には美しい女性が一人、私をじっと見つめていました。
私が来たのを受け、つい先程身を起こしたのでしょう。仙人達が有するような既に完成した美しさではありませんが、確かな意思を感じさせる確とした強さを持った双眸に、私達仙人とは違うぞっとした美を感じます。
思わず目を逸らしたくなりましたが、すんでの所で堪えます。
――私が今から彼女にする事を考えれば、目を逸らすなんて許されませんから。
「初めまして」
「・・・初めまして。私は甘雨と申します」
促されるまま名を名乗ると、知ってるわ、とにべもなく返されます。
恐らく彼から私のことを聞いたのでしょう。その声色は何処か警戒するような色を孕んでいました。
「彼から話は聞いてるわ。・・・それから貴女が訪れた理由も、目を見たら大体解った」
「そう、ですか」
「そ。彼は気付いていないようだけれどね。・・・全く、とんだバカよね。鈍感にも程があるわよ」
其処まで解っているのであれば、当然彼女が取る行動も幾らか予想が付きます。
恐らく次に彼女が何かの素振りを見せた時が、きっと私が獣以下の浅ましい存在となる時でしょう。
・・・だから。
続く彼女の言葉に、私は困惑してしまいました。
「――ま、そういう反応になるのも仕方ないわよね。私だって問答無用で貴女が押し入ってきたら、きっと貴女の想像通りの対応をしたと思うし。
でも、貴女は違う。邪魔な私にも、非情になれない優しさがある」
「・・・え?」
だからそれに免じて、こっちも助けを呼ばなかったのよ、とカラカラ笑う彼女の様子には、先程の警戒など毛ほども感じられなくて。どうして彼女がこうも飄々としているのか、私には解りませんでした。
きっと彼女は私の目的を解っています。そしてもう間もなくそれを私が実行に移すことも、恐らくは。
数千年の時を過ごす中で、死を待つだけの方々も幾度か目にしたことがありますし、そんな彼らがどのような行動を取るかも知っています。
なのに彼女は助けを求める素振りはおろか、逃げようとさえしません。ただ寝台に身体を預け、静かに私を見つめるだけ。
命を狩る死神を前に、笑顔でいられるのはどうしてなのでしょう。
「どうして、ですか」
「ん?」
知らず口から出た自身の問い。答えがどうであろうと意思を変えるつもりなど無いでしょうに、何故。
彼女も驚いたのか少し目を丸くしますが、その後そうね、と語り始めました。
「先程言ったのも理由の一つだけれど・・・一番は、あの人の為、かしら」
「あの人――彼の、為?」
「そ。――彼から聞いたわ。貴女、仙獣って存在なんでしょ。聞けば人間の私よりもずっと長生きだとか。そして彼は仙人――力はもうないらしいけどね」
「・・・」
「でも、その寿命だけは私よりも何百倍も長い。――なら、もし仮に私が此処で生き長らえたとしても、彼と同じ時間を歩むことは出来ない」
「ッ、それ、は」
「ふふ、気付いたかしら。可愛らしい仙獣さん?」
ここで私は、彼女の意図を悟ります。
唖然とした私の顔を彼女はおかしそうに笑いますが、今そのようなことを考える余裕はありませんでした。
だって彼女の言葉が意味するところは、つまり。
「良い? はっきり言うわよ。
私はいずれ死ぬ。――そしたらあの人泣き虫だから、きっと泣いちゃうと思うの。だからあの人を慰めて、支えてくれる人が要る」
千載一遇の機会。この願いに是と答えるだけで、私は何の未練もなく彼と共に居ることが出来ます。
でも、私は直ぐに返事を出来ませんでした。
「何よ。またとない機会じゃない。何を躊躇ってるのよ」
「・・・でも、だって」
「ああもう、煮え切らないわね。女だって時に度胸は必要よ?」
死に瀕して尚、自身よりも他者を慮る。美談として多く語られるその偉業ですが、しかし実際に、それも己の敵である者に託そうと画策する者など、一体どれ程居るでしょう。
既に私と彼女の立場は完全に逆転していました。
何時までも頷こうとしない私に業を煮やしたのか、それとも体力が底を尽きたのか解りませんが、彼女は大きく息を吐きながら寝台に横になりました。私を見つめるために向けられた彼女の顔が天井に向き直ります。
一拍の静寂の後、彼女は続けました。
「・・・私だって嫌よ。あの人を他の誰かに渡すなんて、考えただけでも吐き気がする」
「でもこんな身体じゃ、もう一月と彼の側に居てあげることだって出来ない」
「それで彼を勝手に独りにして、消えない疵を遺すくらいなら」
「――いっそ、何百年も生きて彼をずっと支えてくれる、そんなバケモノに託すのも悪くないかなって、そう思ったの」
――嗚呼、解りました。彼が彼女を好きになった理由が。
誰より人の可能性を信じて、その多様さを、醜さを、美しさをこそ己の武器と称えて。
人の脆さ、非力さを神仙の不変、万能と比することなく、それらを全て優劣でなく差異と捉えて尊重しようとする。
死の床に就きながら彼女が示そうとしたその気概こそ、正しく『人』しか持つことを許されぬ輝き。
死ぬその瞬間すら、人として。
彼が言っていたことが漸く理解出来ました。確かにその言葉を聞いた後だと、如何なる助けであっても等しく彼女への愚弄に成り下がるでしょう。
「・・・解り、ました。貴女の遺志は私が引き継ぎます」
「引き継ぐ? あら、止めてよそんなこと」
「え?」
「病人と健康体、人と仙獣。――彼を愛したという点を除けば、私と貴女は全く違う。なのに一緒にしようだなんて、どっちにも失礼だと思わない? 私だけじゃない。
・・・貴女だって、譲れないものがあるから此処に来たんでしょうに」
――完敗。
その生き様は酷く歪みこそすれ、状況が違えば正しく勇者と称される高潔なもので。
何千年の時を生きていようと、彼女に私が勝てることはないと思い知るのには十分なものでした。
数百倍の年の功が有りながらこの体たらく、ほとほと自身の未熟を恥じる他ありません。彼女もそう思ったのか、私の様子を見てしてやったりと得意顔です。
「さて、長くなったわね。――それじゃあ次は貴方の番」
だから彼女がそう言って両手を広げた時、私は彼女の行動を疑いました。
だからさっさと目的を果たしてくれって言ったの。ほら、早いところさくっとやりなさいよ」
「・・・?」
訳がわかりません。
人として最期まで生きたいのであれば、私に殺されるというのもアウトではないのでしょうか。
「何。言っておくけど息するだけでも結構しんどいのよ。私」
「いえ、しかし。彼から聞いた話だと、貴女は人として最後まで生きる道を選ぶと――」
「ええ、言ったわ。だから彼や、彼の知り合いの助けは一切借りないでとも」
「では何故? 今更意見を翻すつもりも無いとお見受けしますが」
私の疑問に,彼女は買い被りね、と笑います。
「――はは、何だ。そんな一面もあるんじゃないですか」
続く言葉を聞いた時、私は改めて知ったのです。彼女を高潔と思っていた自分の浅慮を。彼女の矛盾した歪みの存在を。
彼女は良くも悪くも、『人』だったのだということを。
・・・
初春のある夜、璃月で一人の女が息を引き取った。
初めに見つけたのは朝の挨拶をしにきた看護師。その者の言によれば、露に濡れた彼女の死に顔は眠っているかのように穏やかだったという。
新しい治療薬の成果もあってか、少しずつ容体が落ち着いてきた矢先の急逝。無論誰もが驚いた。だが少し前は日夜死の淵を彷徨い、何時死ぬとも解らぬ身だったのである。幾ら回復に向かっていたとはいえ、衰弱した身ではその負荷に耐えられなかった。医師達は彼女の死をそう結論づけた。
これから暑くなることもあり、万一のためと用意をしていたのだろう。息を引き取ってからわずか数日で、それも身内のみで葬儀はしめやかに執り行われた。
言い方が悪くなってしまうが、人口の多い此処璃月では必然、誰かの訃報は決して珍しくない。だから彼女の死も、港に暮らす大多数にとっては何の変哲も無い日常として片付けられる――
――のでは、こうして話の槍玉に挙げられることは無いだろう。
曰く、彼女の死には幾らか不可解な点が見られたのだという。
彼女の死を一番に知ることになった看護師もその一人である。その者が彼女の部屋に訪れた朝、気温は春に相応しく、暖かなものだった。
しかし一方亡くなった彼女の身体に触れた時は、その冷たさに驚いたそうだ。
まるで氷を身体に突き刺されたかのような不自然に低い体温は、しかし時が経つにつれゆっくりと外気と同じ温度となり、今や証明のしようがない。
次に不審を抱いたのは彼女の葬儀を担当した『葬儀屋』の堂主。
現『往生堂』堂主である少女は葬儀を執り行う中で、死んだ彼女を『視る』機会があった。
数えきれぬ魂に触れる中、堂主の少女はその魂の持ち主がどのようにして死んだか、何となく解るようになっている。
そして堂主曰く、どうもこの魂は病で命を落としたわけではなさそう、というのである。
『うーん、もの凄―く璃月じゃ珍しいんだけどね。
――何だか凍え死んだ魂とよく似ているんだ。触れた感じが』
しかし堂主に解るのは其処までで、それ以上は彼岸に渡ってしまった彼女本人に聞くでもしなければ解らない。
終始違和感を感じながらも、堂主の少女は最後まで自身の使命を全うし、去って行った。
他に疑問を抱いた者も僅かながらいたが、そのいずれも明確な答えが出ることなく、遂に彼女の骨が墓に収められたのを最後に、異を唱える者は誰も居なくなった。
彼女の死に関して、その後の事態は
次が最後。