原神フレンズ大紹介(大嘘)   作:山田太郎2号機

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ヒロイン『いっけない。遅刻、チコク~!!』
作者『あ、やべ。遅刻した』


この差よ。




甘雨・3

 

 

 璃月港から外れた霊園。

 其処に並ぶ中の一つ、真新しい墓の前に二人の男女が跪いていた。

 

 男の方は多少幼さが残る目つき以外、特に挙げるところも無い凡庸な容貌だが、女の方は違う。

 誰もが息をつくような可憐さを持つ彼女を見ていると、霊園という場所も相まって浮世離れした美を持つ仙女かという錯覚さえ覚える。

 この場所に、その組み合わせ。何ともアンバランスな二人組だが、そこには何処か通じ合う何かがあった。男が悍ましいまでの美を湛える女の側に居ながら、決してその圧に呑まれぬのはその恩恵だろうか。

 

 

「じゃあ、また来るよ」

 

 

 長い黙祷を終えて男がゆっくりと腰を上げる。すると同じく黙祷をしていた少女も後を追うように立ち上がった。

 男は僅かに涙に濡れていた目を直ぐに拭うと、っしと自身に気合いを入れるように両手で自身の頬を張る。

 

 

「あれだけ丁寧に送り出した手前、僕がこんな暗い顔を見せちゃ駄目だわな」

 

 

 少女はその言葉に頷き、男の許へと一歩近づく。

 

 

「はい。――貴方が笑っている方が、きっと彼女も喜ばれるはずです」

「うん。・・・そう、別に忘れろって言われてるわけじゃないんだ。解ってる」

 

 

 男の言葉に少女――甘雨は言葉に代わって微笑みを返した。

 もっともその含意を、男が知ることは無いだろうが。

 

 

「ああ、そうだ」

「? はい、何でしょうか」

「や、大したことじゃないよ。ただ、甘雨から見て彼女はどんな人に見えたんだろうなって」

「・・・私が訪れた時は二言三言言葉を交わし、直ぐにお休みになられたのですが。それでも貴方が愛した理由は、何となく知ることは出来ました。

 

――素晴らしく、人だったと思います」

「ん、そっか。良かった」

 

 

 ――ええ、本当に。何処までも。

 小声で呟かれた甘雨の言葉。だがそれは風に巻かれ男の耳には届かない。

 

 元来た道を戻る二人にそれ以上の会話は無く、その距離も決して近くはない。だがそれを男は気にしなかった。

 関わりの未だ浅い甘雨と竹馬の仲ではないのは理解しているし、これ以上彼女に負担を掛けたくなかったのもあるだろう。

 甘雨もそれを理解しているからこそ、男を気遣う素振りは努めて見せなかった。

 

 

「――では、今度は私が質問しても宜しいですか?」

「ん? ああうん、勿論。甘雨や港の皆には散々気苦労を掛けてしまったしね。何でも聞いてよ」

「ありがとうございます、では――

 

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 

 ――あれから、一月ほど経ったでしょうか。

 

 私と彼の関係は続いています。

 早朝になって顔を合せ、港が活気を取り戻すまで言葉を交わし、そして別れる。その間私が朝餉を食べているのも、彼が釣り竿を垂らしているのも同じ。

 

 ――彼女に発破を掛けられなければ、こうも上手く事は運ばなかったでしょう。

 

 

「――おっと、もうこんな時間か。それじゃ甘雨」

「はい。では参りましょうか」

「うん。・・・でもアレ、やっぱり慣れないんだけどなぁ」

 

 

 そして他にはもう一つ。彼と私の間には繋がりが生まれました。

 

 

「早めに慣れた方が良いですよ? これから私と一緒に秘書をする上で、服装の不平不満なんて言ってられないですから」

「む」

 

 

 それは彼が璃月の為と言って、その身を総務司(そうむし)に預けたこと。

 彼が何の前触れもなく総務司に来た時は非常に驚きましたが、直ぐに私からお願いして彼を月海亭(げつかいてい)の業務へと転属させ、今は私の下で秘書見習いとなっています。

 

 平たく言うと、私と彼は上司部下の関係になったわけです。

 

 

「それは解ってるけどさ。でもホラ、この制服って襟がキツいし息苦しくて・・・」

「それくらい我慢して下さい。今までの服で月海亭を闊歩されると、七星の、ひいては彼らに璃月をお任せになった岩王帝君の御威光に陰りが出かねませんから」

「う、そう言われると弱いなぁ」

 

 

 朝だけでなく、一日を通して彼と空間を共に出来る。そんな幸福に預かれるとは思っていませんでしたが、それでも仕事だけはきちんと彼に教えます。

 私と違い彼は帝君との契約により璃月で働いているわけではありませんが、それでも此処に身を置く以上相応の礼節、働きは必要です。部下の失態は則ち上司である私の責ですし、彼を育成することも私の業務には含まれていますから。私も、そして彼も、帝君への恩義を仇で返すのは本意ではありません。

 幸い彼は仙人。活動に人ほどの休養を必要としない分、他の人に比べたら何倍も少ない日数で習得できるでしょう。

 

 それに彼は私と同じ長命の徒。百年でも、二百年でも、覚える時間はあります。

 ・・・幾ら関係を深めようと、別れの痛みに怯えずに済む。それがこれ程安心できることだとは思いませんでした。

 

 

「それで甘雨。今日の業務だけど、どれ位掛かる?」

「そうですね、最近は日も長くなってきましたし、恐らく日が沈む前までには終わりますよ。ですから貴方に秘書としてのお仕事を教えるのは、それからとなってしまいます」

「・・・あー、ちなみにその授業って、何時には終わるとかってあるかな?」

「? 勿論、()()()()()()()()?」

 

 

 ガンッ

 

 突如彼が横の支柱に頭をぶつけました。

 虫でも居たのでしょうか。私としてはあまり殺生をして欲しくないのですが、仙獣のポリシーというだけでとやかく他人に強要出来る道理はありません。

 

 

「・・・成る程。天枢のおじさんが気を付けろって言ってたのはこういうことか」

「それはどういう――っと、もう時間もありませんね」

「え? でも別にまだ時間は・・・」

「今日は朝からちょっと特殊な仕事が入ってるんです。丁度良いですから、貴方にも見て学んで貰おうと思って」

「・・・おうふ」

 

 

 再び頭を支柱に叩きつける彼を不思議に思いつつ、同時に私は幸福感に包まれます。

 

 朝から晩まで、時には一日中。

 彼と共に仕事を出来ることのなんと充実したことでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

「――ご苦労様、甘雨、そして貴方も。今日はもう上がって貰って大丈夫よ」

「え、しかし、まだ仕事は・・・」

「良いから。後のことは私と私の部下達で充分よ」

 

 

 ある程度業務の終了が見えてきた、そんなタイミングで突然刻晴から言葉を投げかけられました。反論もすげなく却下され、少々不満げに彼女のことを見つめていると、彼女の視線がついと私から横へとずれます。

 その先には卓上の書類とにらめっこする彼の姿。刻晴の制止の声も届かない辺り、相当に集中しているのでしょうか。

 

 

「・・・それから、彼の事少し借りるわよ」

「えっ?」

「ホラ貴方も。・・・何時まで筆を握ってるの、いい加減話を聞くようになりなさいな」

 

 

 突然、彼の頭の上にパチリと火花が散りました。いつの間にか刻晴の周囲には雷種が浮遊しており、それが彼女の仕業であることを悟ります。

 それで彼が痛がる様子はありませんでしたが、それでも一種のトランス状態から我に返るのには充分な衝撃だったようです。

 

 

「――あれ、もう終わり?」

「先程からそう言っているじゃない。それと、私も甘雨も上官にあたるのだから、せめて敬語を使いなさい」

「あ、そう? でも敬語って、今更二人にも使うってのが憚られてね」

「知人だろうと職務においては分別を付ける。それも出来ない愚物は月海亭には要らないのだけれど」

「むう、それは良くない。・・・えーと、以降気を付けます」

「ふうん――ま、良いわ。ああそれと、今日の仕事は終わ「マジで、やったぜ」・・・だけれど、貴方はまだ此処に残りなさい」

「え゙っ」

「何、上官の言うことが聞けないのかしら」

「・・・いいえ、喜んで拝命致シマス」

 

 

 言葉を交わす二人の会話の距離は近く、少なくとも他人行儀な感じはありません。

 仕事の中で彼が刻晴と会うのは本日が初めての筈ですが、きっと以前に何かしらの機会があったのでしょう。何より彼の身の上からすれば、あの刻晴が放っておくはずもありませんから。

 それでも二人の様子は、まるで気心が知れた――

 

 

 ――彼はあげる。だから、二度と同じ思いをさせないで。彼よりも苦しみから逃げることを選んだ、馬鹿な私と違って。

 ――刹那だって手放さそうなんて思わないで。

 

 

 ・・・いえ、邪推ですね。今は間違いなく、そんな場面ではありません。

 仕事の上で必要な連絡があっただけ、関係ない私が退出を促されるのも妥当なことです。

 

 

「そういうわけで、ありがとう甘雨。今日は貴方のお陰でとても助かったわ」

「・・・いえ、これが私の仕事ですから」

「ああそれと――貴方は残って。話があるわ」

「えっ?」

「え、甘雨・・・様も一緒ではないのですか」

「甘雨は別、今回は貴方に対する個人的な用だから。――状況ごとの敬称の付け方は、後で甘雨に教えて貰いなさい」

 

 

 ――唯の業務上の関係なれば。

 

 些事。そう、これは気にするのも詮無い事に過ぎません。私の心に幾ら霞が掛かろうと、彼の口調にも、刻晴の考えにも、何の含意もない筈。

 だからこのじくじくとした疼痛は、ただの気のせい。

 

 

「失礼します」

 

 

 でも、礼をして部屋を退出し扉を閉めても痛みは消えず、かえって増す一方で。

 解っているはずなのに、心の靄に黒が差すのを私は止めることが出来ませんでした。

 

 

 

 ――どれ位そうして立ち尽くしていたでしょうか。然程時間は経っていなかったとは思いますが。

 

 

「・・・一度部屋に戻りましょう」

 

 

 丁度扉の向こうから刻晴の声が聞こえます。総務司の分厚い扉越しでは、普通の人ならば会話程度の声量で交わされる内容など聞こえません。だとしても、人ではない私には余さず聞こえてしまうのです。

 時に仕事で役立てることもありますが、今回はその場面ではありません。彼と刻晴、関係性は気になりますが、両者を信じているが故に盗み聞きなどしたくありません。

 暫く部屋で待っていれば、程なく彼は戻ってくることでしょう。今から戻れば、その時に彼に何を教えるか整理する時間くらいは作れます。

 

 

 

 そのまま踵を返し、さて一歩目を踏み出した、その時。

 私は聞いてしまいました。

 

 

 ――貴方、甘雨の元で働いていて――。

 

 

 刻晴の声を。

 まるで彼の身を案じるような声色で紡がれた、その内容を。

 

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 

 甘雨が部屋を出て暫く、僕は刻晴が話を切り出すのを待っていた。

 

 

「・・・」

「・・・」

 

 

 だが中々出てこない。

 時折何か言いかけようと口を開き、すぐ取りやめる。その繰り返しをする刻晴は、個人的に彼女らしくないと思う。もっと明け透けに事を切り出すか、大穴で凝光さんのように回りくどい世間話から始めるか。どちらにせよ僕相手に発言を躊躇する器ではないと思うのだけれど。

 

 

「・・・あの、刻晴様。それでご用件とは」

 

 

 仕方ないので切り出しは僕が担当することにした。――ああくそ、敬語というのは何とも慣れない。今までの採集をしながら、時には宝盗団からモノをちょろまかしながら気ままに生きていた時ならさておき、これから生きていく上で身につけなければいけない技能らしいし、早めに慣れておかないと。

 

 

「そう、ね。話というのは・・・貴方の事よ」

「? 僕の、ですか」

 

 

 首を傾げる。

 僕の選考の相手となったのは刻晴だ。僕の事は総務司に入る時に渡した紙面の通りなので、これ以上殊更に提供できるものも無いのだけれど。

 ・・・もしかすると、面倒になって幾らか適当にでっちあげて書いた部分がバレたのかもしれない。それは良くない。本当は物真似も特技ではないし、趣味の読書など表紙を開いたこともないというのに。

 ちなみにこういうのがバレた時って、やはりクビなのだろうか?

 

 

「単刀直入に聞くわ。――貴方、このまま甘雨の元で働いていて本当に大丈夫?」

「はい。・・・はい?」

 

 

 更に首が傾き、遂に角度が水平に並ぶ。これ以上曲げるといい加減ボキリと逝きそうだ。

 しかし恐れていた内容でないのは良いが、今一つ意図が掴めない。甘雨の教えは的確だし、殊更改善すべき所もない気がするのだけれど。

 

 

「・・・私の元で働く部下から嘆願があったのよ。最近総務司に入ってきた新入りが、甘雨と同じスケジュールで働いているから止めさせて欲しいって。 いえ、貴方が仙人で、常人より幾らか丈夫な身体であるのは知っているわよ? でも限度はあるわ。――もし辛ければ、私の方から甘雨にそれとなく言っておくけれど」

「・・・ああ、成る程」

 

 

 ――なんだ、そんなことか。

 と、ここで扉の前から甘雨の気配がふっと消えるのを感じた――薄くパタパタと遠ざかる足音も一緒だ。

 長いこと動かずに扉の前に居たみたいだけど、何か用が残っていたんだろうか。

 

 多少気にはなる。でも刻晴の質問に沈黙で返すわけにも行かないので、一旦意識を前に戻し、僕は素直に答えた。

 

 

「僕が好きでやっていることなので、大丈夫です。部下の方にも、気を遣って貰ってありがとうと伝えて下さい」

「・・・解ったわ。でも、貴方は曲がりなりにも帝君に召喚された仙人の一柱。もし総務司での過労が祟って倒れられでもしたら、折角この国を帝君に任せて貰った面子が立たないわ」

 

 

 そう言うとふんっと鼻を鳴らす刻晴。名家出身の彼女らしからぬ行儀の悪さ、一体誰が吹き込んだんだろう。

 何故か彼女は昔から岩王帝君に妙なライバル意識を持っており、僕が帝君と知己であると知るや、彼女はしばしば『帝君ならこの場面でどう動く』と僕の元を訪ねてくるようになった。上司が部下に知見を求める謎の関係のできあがりである。

 その帝君も今や市井に下って人生エンジョイしているのだし、そんなに知りたきゃ本人に聞けば良いだろうに。頑として聞きに行かないのは、彼にこの国を任された彼女なりの線引きだろう。

 

 まあライバル視はしていても嫌っている感じはなく、むしろ重度な帝君愛好家(ファン)の気が見られるので、僕としても何か言うこともないのだが。

 

 

「んー、今の帝君は僕程度が使い潰されようと多分気にしないと思いますがね」

「私が気にするのよ。数千年の間変わらずこの国を守護された御方の代理をこなすのだから、手を抜くなんて出来ないわ」

 

 

 こうして拳を握ってメラメラと闘志を燃やしている彼女の働きを、帝君も不足とは思わないだろうに。

 というか帝君も昔はもっとイケイケな感じだったので、変わらず、というのは語弊がある気がする。

 

 

「要件は全部ですか? それじゃあ僕は此処で――」

「え? あ・・・コホン、ええ、特に無理していないというのなら良いの。退出して貰って構わないわ」

「はい」

「・・・あ、最後に一つ。個人的な話だし、敬語じゃなくても結構よ」

 

 

 甘雨が閉めた扉を開いて出口を跨ぐその時、刻晴から声を掛けられる。はて、何だろうか。

 

 

「うん、何?」

「貴方、本当はどうして総務司に入ったの?」

 

 

 ――さっきよりも答えるのが難しい問いが来た。

 彼女の顔からして、多分本当に軽い気持ちで尋ねたのだろう。そんな刻晴に僕は少し悩んだ後、こう答えた。

 

 

「約束を果たす為。それだけだよ」

 

 

 ――御主の隣に居る、その子の側にいてやってくれ。

 別れ際、留雲はそう言っていた。でも、僕はきっと彼女に言われずともやっていただろう。

 

 契約は必ず履行する。此は帝君より賜った絶対の法。

 受けた恩義は返す。それは俗世の中で生きて得た任侠の流儀。

 

 彼女が亡くなって独りとなった僕は、腑抜けも同然の体たらくを晒した。そしてそれを支え、立ち上がらせたのは他ならぬ甘雨だ。ならば当然、僕は彼女に報いなければならない。

 絶雲の間への道すがら、留雲は甘雨の孤独を憂いていた。僕に向けたあの言葉も、半仙であるが故、どちらの世にも馴染むことが出来ない彼女を心配してのこと。

 

 ならば僕はそれに応えなければならない。

 彼女が僕にしたように、孤独を感じぬよう共に居る。その為ならば七星の秘書としての仕事の一つや二つ、妨げになろう筈がない。

 遙か未来、彼女が長すぎるその生に意味を見出すまで、百年でも、千年でも、万年でも。

 

 うん。だからきっと。

 無駄に長い僕の寿命は、多分このためにあったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまー、戻った・・・よ?」

 

 

 秘書に割り当てられた仕事場に戻ってきた僕は、色々と様子がおかしいことに気付いた。

 

 まず半ば開け放しだった扉。よく見るとドアノブに霜が降りており、素肌で握ろうものなら間違いなく皮膚が持っていかれていだだろう。

 部屋の中も同様に所々白く凍結した箇所が見て取れ、窓などは見事な六角の結晶模様を複数描いている。

 

 何より一際目を惹くのは部屋の中央に咲く蓮の花。

 氷で形作られたそれは浮遊し、今なお凄まじい冷気を放出し続けている。もう初夏も見えてきたというのに此処だけ厳冬の様相を呈しているのは、間違いなくアレが原因だろう。

 

 このような芸当が出来る者など一人しかいないし、以前僕はこの花を一度見た事がある。

 というか花の前にその者が膝を丸めて座っている時点で、疑うべくもないけど。

 

 

「――甘雨、どうしたのコレ」

「・・・ああ、お帰りになりましたか」

 

 

 僕の声によって彼女は初めて周囲の状態を認めたようだった。一瞬だけ大きく目を見開いて周囲を一瞥するも、直ぐに自嘲するかのように顔を伏せる。

 ・・・反応から見て何かあったのは間違いない。でもこの取り乱し様、一体あの短時間で何が――

 

 

「刻晴と、何を話していたんですか」

「・・・え?」

「私から離れて、彼女の元へ行ってしまうんですか」

「え、ちょ、甘雨。どういうこと?」

 

 

 思考を深くに沈めかけていた故、僕は投げかけられた甘雨の問いに咄嗟に答えることが出来なかった。

 もう一度、と聞き返そうとするより早く、甘雨がゆらりと立ち上がる。そのままカツカツと此方に歩いてくると――

 

 

「・・・甘雨? 一体ッ――!?」

 

 

彼女は突然、僕の唇を奪った。反射的に離れようとするも、いつの間にか背に腕を回されておりそれも叶わない。

柔らかい感触とともに伝わる彼女の体温は酷く冷たい。何時も彼女から薄く漂う甘い清心の香が、この時はわずかに青く、苦かった。

 

 

「ッぷァッ――甘雨、いきなり何を「行かせません」・・・え?」

「刻晴の――いいえ。誰の側にも、行かせません」

「かん、う?」

 

 

 その時、僕は初めて甘雨の目を間近に捉える。

 星空を落とし込んだような紫紺の瞳は涙で潤み、その美しさは帰離原から眺める星海すら比にならない。目から頬を伝い、途中で凍りぽろぽろと落ちていく雫は本当に真珠のようだ。

 

 ――しかし、足りない。

 説明は出来ない。だが美しさの極地のようなその目には、確かに在るべき何かが足りなかった。

 

 

「約束、したんです」

「こんな浅ましい獣でも」

「バケモノでも支えるに足るって、彼女に言われたんです」

「二度と悲しませないって、決めたんです」

 

 

 回された腕に力が籠もっていく。添えるだけだったそれは忽ち万力のような締め付けへと変わり、僕の身体は容易くみしりと悲鳴を上げた。

 

 

「でも、解っています」

「彼女との約束は、ただの言い訳」

「全部私の醜い欲なんです」

「本当はきっと、彼女との約束も何も関係ない」

「体良く利用しただけなんて、百も承知です」

 

 

 かひゅ、と肺から空気が押し出される音が喉から漏れる。以降息を吸うことも叶わず、次第に思考が薄れ始めた。

 甘雨はずっと譫言のように言葉を紡いでいる。恐らく今、自分が何をしているかを理解していないのだろう。肺に僅かに残った空気で声を掛けるなりしなければ、後数秒で僕は意識を落とすことになる。

 でも、それでも僕は声を上げない。出来るはずがない。

 

 

 

 最後に一つ、甘雨の頬から白い氷が溢れたのを最後に。

 僕は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 ――彼女が居ない今。

 貴方が誰と幸せになっても、きっと私は貴方を独りにしてしまう。

 

 ――だから、どうか。

 

 

「私を、独りにしないで」

 

 





実は毎回、話を組み立てる際にキーワードを一つ決めてます。

そして、今回のキーワードは『嘘』でした。

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