――庭火、とな。
「せや、線香花火言うたらわかりやすいやろか」
はて、まずその
生憎その呼び名の二つとも馴染みは無いが、大方私の知らない花火の種なのだろう。線香と言うのだしきっと派手な類のものでは無いと思うが。
「奉行は城下での花火打ち上げを禁止しとる。でもこれだけは特別にお目こぼしを受けてんねん」
そう言う宵宮殿――改め宵宮の手には、紐のようなものが数本握られていた。どうやらそれが庭火というものらしい。
花火といえば
「でや。
――今回呼んだのは、アンタにこれを作って欲しいからなんやけど」
――いや、無理だろう。
花火作りが一朝一夕で会得出来るものでない事くらいは解る。彼女もそれは承知の筈だろうに、それでもやれとは一体。
「ホラ、ここんとこ雨続きだったやろ? そのせいで尺玉の数が揃えられてへんねん。ウチも流石にそっちを手伝えとは言わん、でもコッチは素人でもギリギリ何とかなるさかい」
――いや、そういう問題ではなく。
花火といえば長野原、なんて言葉もあるように、稲妻の民にとって彼女らの作る花火は特別なものだ。幾ら作るのが簡単だろうが、そんな大看板を軽々しく自分に背負わせようとしないで欲しい。
何かと器用なアンタなら直ぐ作れるようになるやろしー、と此方を拝む彼女からは、ツンとした火薬の匂いがする。
ここのところ子供達と遊んだり近所の人とのお喋りもしていないようだし、どうやら本気で切羽詰まっているらしい。……あまり気乗りはしないが、仕方ない。
――それで、作り方は。
「え、ホンマにやってくれるん!? ――いやいや冗談や冗談! 表に戻ろうとせんといて!」
で、そんなこんなで宵宮に作り方を教わり。
適当作って長野原の名に泥を塗るわけにもいかないので、出来上がりを彼女に持っていっては厳しい指摘を受けること数日。
「おはようさん……って、何をそんなに慌てとるん、宵宮」
「どうもこうもない! 父ちゃんも手伝ってや! この馬鹿、
数百、数千と繰り返した勤行の果て。自分は遂に新たな境地に至っていた。
火薬を混ぜ、和紙に注ぎ、溢れぬよう固く
朝日のせいか視界がキラキラと輝き、世界が眩しい。ついさっきまで絶えず襲ってきた眠気や空腹などの雑念は消え去り、悟りを開いたかが如く心は凪いでいる。
――成る程、この無念無想の境地こそが庭火作りの神髄……!
「なわけあるかい、目え醒ませドアホ!」
と、何かが聞こえたと思った瞬間、頭を凄まじい衝撃が襲う。瞑想が途切れ、折角至った境地は遙かへ遠ざかっていく。
――嗚呼、もう少しでその境地を我が物と出来たのに。勿体ない。
「ダメや父ちゃん、まだ帰ってきとらん。も一発行くで!」
「お、おう!」
いや、まだ諦めるには―――
――――――――――。
「あ、目え覚めた? ……ホンマに、目え覚めた?」
目を開けると、聞き馴染みのある声がした。痛む後頭部を無視し声の方を向くと、そこに居たのは宵宮。それも珍しく正座して、此方の様子を窺っている。
蘇る彼女との邂逅の場面。もしそうなったら全力で阻止する所存である。少女の土下座見て喜ぶ程、自分は歪んでない。
――で、何があったし。
「……覚えとらんの? ホンマに?」
えらく不安げな顔で此方を見る宵宮には悪いが、さっぱりだ。
どれだけ頭をひねっても、ここ数日の記憶が曖昧だ。彼女から線香花火の作り方を教わったまでは覚えているが、それ以降が思い出せない。しかし彼女の尋常ならざる表情からして、何もなかったというには無理がある。
――もしや、知らない間に彼女らに大きな迷惑をかけたのでは。
「ちゃうちゃう、んなことあらへん! 兄ちゃんは充分やってくれた! お陰で花火の在庫も間に合うとる!」
――では、一体何が。
「何がってそりゃ……いや、何でもあらへん。元はと言えばコッチが頼んだことやし、ウチがどうこう言うことでもない」
そのまま、よく解らないまま話を有耶無耶にされてしまった。気になるが、当の彼女が言う気がないなら諦める他無い。納品が無事終わって、今年の花火が拝めると解っただけ良しとしよう。
――しかしふむ。あの紐のような花火が、今稲妻では流行りだったのか。
「ん? いや、別に庭火は最近出来たわけやあらへんで?」
――何。
「え、アンタもしかして見た事あらへんの? いくら社奉行で働いとる言うとっても、城下町や離島なんかやと夏場になればどっかしらで目にする筈やけど」
なんと、外だとあの花火はそれなりに有名なもののようだ。……いや、言わんとすることは解る。しかし責めるより先に、此方の言い分を聞いて欲しい。
考えてみれば、自分は社奉行より外について相当に疎い。根無し草故寝泊まりは専ら社奉行の宿舎だし、休日になると何故か決まって私の部屋にお越しになる当主の妹君――綾華様のお相手をしていたので、必然城下に繰り出す時間はなくなってしまう。それに、奉行所から出ての単身任務は今回が初めてだ。然もありなん。
――そういえば、趣味の将棋を此処に来てから誰とも指していない。次に綾華様のお相手をした際、腕が落ちていないと良いが。
「?……まあええ。見た事無いんやったら、折角やし今夜アンタにも見せたろか?」
――いや、流石に商品を潰してしまうのはまずいだろう。
花火を作るように言われたあの時、自分がしたのは無惨な出来の花火を数本仕上げたくらいだ。あれをそのまま量産させるなど、本職の二人が許すはずがないだろう。
だから自分が倒れた以降は、彼女らが頑張って解決したんだと思う。名案見出したり、と言わんばかりな宵宮には悪いが、殆ど役に立たなかった上に長野原親子が頑張って揃えたそれらを、手前勝手に消費するというのは気が引ける。
「街の皆の分なら気にせんでええ。アンタが蔵に籠もってぎょうさん作ったお陰――って、これも覚えとらんか」
――? 自分が? はて。
よく解らないが、彼女曰く花火の在庫はもう充分とのこと。一本二本程度消費したところで全く問題ないらしい。
「とにかく、今夜家の裏に来や!」
拒否権は、そう尋ねるより先彼女は嵐のように去って行った。それが解答ということだろうが、何でも口にしないと気が済まない彼女にしては珍しい態度だ。
彼女は人との会話、雑談を愛する。仕事中でも誰かとお喋りをしていないと腰が入らないと宣うくらいだし、今回のように誰とも喋らずに何日も屋内に籠もるなど異例中の異例と言って良い。
まあ、今回については自分が倒れたのがそもそもの発端だ。覚えていないがきっと自分が何がしかやったんだろう。それも彼女が呆れてものも言えないくらいのポカを。
――しかし、花火か。
今回の件と良い、何かと記憶を落っことしてばかりな自分だが、その美しさだけはよく覚えている。何せ稲妻城下で上げられる花火は有名だ。
一瞬で夜空を埋め尽くす灯は鮮やかで、見る者に何にも代えがたい輝きを届ける。流石に作り手までは知らなかったが、自分にその話をした後、此処では見られずとも、全てが落ち着いたら見に行きたいと彼女も――
「邪魔するで、さっき宵宮から目覚めた聞いて……おおっ!? 何や何や、そないおっかない顔して」
――何だ、今の記憶は。
部屋に入ってきた龍之介殿の声が遠い。だが今それを気にしている余裕は無かった。
いくら俗世に疎いといっても、鳴神島に住む以上、稲妻夏の風物詩たる花火くらいは毎年見ているし、その美しさも知っている。
子供の頃は少々お転婆で、暇さえあれば私の部屋に突貫なされていた綾華様も、部屋で花火をご覧になる時は隣で静かになさっていたものだ。
だが、それだけ。当主に拾われた此の身に社奉行の者以外との関わりは無いし、鳴神島の外での知人など言わずもがなだ。だからこのような記憶が生まれるはずも無い。
なら一体あれは――――
「――おい、目え覚まし!」
其処まで考えたところで誰かに身体を強く揺さぶられ、ようやく我に返る。
いつの間にか目の前では、龍之介殿が此方を酷く心配そうに見つめていた。その眼差しが彼女と似ているのは、成る程親娘らしい。
「まだ疲れとるんか? 宵宮はああ言っとったけど、兄ちゃんがきついっちゅうなら無理はせんでええ。宵宮には俺から言っておくさかい」
彼の口調からは優しさが感じられる。本当に自分の身を案じているのだろう。
これ以上心配を掛けないよう、大丈夫と伝え勢いよく立ち上がる。どれ位眠っていたか知らないが身体は軽い。目覚めとしては良い方だ。
尚も心配そうに見つめる彼に何ならこのまま飛び跳ねてやろうかと言うと、ようやく虚勢でないと悟ったらしい、薄く笑みがこぼれた。
「……なんやねん、心配して損したわ」
笑う彼に釣られて口角を上げつつ、そういえば彼にも謝らねばと思い立ち、この度は誠に……と続ける。そのまま深々と頭を下げようとすると、途中で頭に手を添えられ、止められてしまった。
「やめえ、兄ちゃんはウチらの仕事だったもんを手伝ってくれた恩人や。そんな人に頭下げられちゃかなわんわ」
――自分が覚えていないことを其処まで良く言われても。
結局最後まで謝罪は通らないまま……というか、9割5分彼の耳には聞こえてなかったのが正しいか。
ともあれ、悶々とした気分のまま時は過ぎていった。
そして夜。
彼女に言われた通り家の裏へ回ると、其処には宵宮がちょこんと腰掛けていた。その傍には細い蝋燭と庭火が幾本か。
「お、ちゃんと来れたんやな」
男勝りな宵宮に、稲妻男児の模範のような龍之介殿。当然此処に椅子や筵なんて親切なものはない、とりあえず適当な場所に座ると、彼女は此方へ庭火を二、三本放ってきた。紙で作られた花火を随分とぞんざいに、と思うが、何とか両の手でそれらを受け止める。
――これは。
「――せや。これはアンタが初めて作って、ウチに見せに来た花火や。商品にならん試作なら、アンタも遠慮なく楽しめるやろ」
見ると宵宮の手にも同じものが握られている。酷い出来だったのでてっきり捨てられたものと思っていたが、まさかこうして自分で消費することになろうとは。
――まあ、そういうことなら。
「あー、ちゃうちゃう。そっち持つんやない、逆や。そのヒラヒラんをつまむ感じな――そそ、そんな感じ」
言われるがまま一本を持ち、蝋燭で先端に火を付ける。ところが、最初こそ順調にじわじわ紙を燃やしていった火は、中の火薬を燃やす前に消えてしまった。
糊が厚すぎたのか、火薬が湿気たのか。他のものも一通り試したが、どれも火が付くことはなかった。
「んー? おっかしいなぁ、何で点かへんねやろ」
解ってはいたが、やはり花火作りは難しい。作った時は悪い手応えでなかっただけに、火すら点かないというこの状況には何だか虚しいものがある。
最後に宵宮の手に残った一本でダメなら、部屋に戻ろう――そう思いながら、彼女から最後の花火を受け取る。
試作でも後半に作ったものなのか、先程のより幾分マシな姿をしたそれ。だが多少形が良いからとて、そう簡単に点くはずもない。結局同じように、点けた火が紙だけゆっくりと燃やす様を見る他――
「…………点いた」
ばちり、突然そんな音を立てて火花が散った。
一つの火花は見る間に数を増していき、併せ音は幾重にも重なる。小さいながらもバチバチと音を立てながら、花火としての姿を形作っていく。
バチ、バチバチッ
片手に収まるほどの大きさ、華やかさは稲妻の空に上がる大輪と比ぶるべくもない。飛ぶ火花も疎らで、形も随分不格好。宵宮曰く綺麗なまん丸になるという中心の火の玉にしたって、燃え残りでも含んだか歪な角が見て取れる。
その様に、彼女が言っていたような幻想的な美しさは感じられない。
バチバチ、バチバチバチッ――――!
でも。
万人を魅了する輝きではないけれど。
花火は酷く眩しく、此方の目を叩いて、惹きつけて離さなかった。
「――綺麗やろ」
ふと、宵宮の声が掛かった。咄嗟に何か返そうとするが叶わない。目を外したら次の瞬間、この手中にある花火が消えてしまうかもしれないと思ったからだ。
「何かを綺麗やって思う心に、善いも悪いもあらへん。人ん前じゃどれだけ猫被っても、そればっかりはどうしようもない。――花火を見るもんかて、それは同じや」
彼女の言葉に応えるかのように、手元の火花は勢いを増していく。
歪だった火の玉はいよいよ球へと変じ、小さな太陽のように辺りを照らしていた。
「知らん誰かが愛想笑いしか出来んような人生過ごすんやっても、ウチには何も言えん。人の過去に首突っ込める程歳食っとらんし、興味もない。
ウチが出来るんは精々近所のばあちゃんや子供達とお喋りして、その日その日の思い出を暗くせんようにするくらいや」
煙と共につんとした火薬の匂いが辺りに立ちこめ、鼻を刺激する。
次第にじんわりと頭の奥が痺れ、此処が現実でないような不思議な感覚に包まれる。だからそのまま身を任せ、自分は黙って彼女の言葉を待った。
「でも花火は違う。見られるのはほんの一瞬かもしれんけど、輝きは見たもん全部の心に残る」
――辛うて苦しうて、どうしようもない時でも、何時までも美しく焼き付いてくれる。
それがどんなにちいちゃい灯だったとしても、ちゃんと刻まれとる筈や。
『永遠』の国である稲妻において、須臾の輝きの花火は本来相容れないもの。
だが、花火の美しさ、そして共に見た者との記憶は、感動と共に深く脳裏に焼き付き、一生の思い出となる。何年も経ってから再び同じ花火を見上げた時、その感動はきっと潮のように心まで流れ込むだろう。
なれば、これもまた『永遠』と呼べるのではないだろうか。
万人を魅了する激しい輝きを持った花火、そしてそれを作るのは、誰からも愛される明るい花火師の少女。
両者の在り方は酷く似ていて、であればその散り方も。
何かを返さなければ、そう思った瞬間。
僅かな風が吹き、あまりにも突然に、手の中の花火は終わりを迎えた。
・・・
「あー、消えてもた」
兄ちゃんの持っとる糸から、ぽたんと庭火の灯が落ちる。……何回見ても、この瞬間は寂しい気分になってまうなあ。
花火が終わっても、兄ちゃんは動かんかった。初めて線香花火を見るって言うとったし、もしかして終わったって気付いてへんのやろか。
「宵宮」
夜で表情もよう解らん中、兄ちゃんの顔がこっちを向く。
どう見ても兄ちゃんのが年上の癖して、ウチに“様”だの“さん”だのをつけるもんで変えさすのは苦労したけど、最終的には受け入れられた。――こんくらいせんと、腹割って話したり、兄ちゃんを笑かすなんて出来ひんからな。
「どうかしたん? まだ遊び足りんなら、まだ――」
「そうじゃない。――ありがとう」
はい?
何でウチ、兄ちゃんに感謝されとるん?
あん中でウチがしたことと言えば花火の綺麗さと力について語ったくらいで、兄ちゃんに感謝される筋合いはないやけど。
「よお解らん兄ちゃんやなあ」
「解らない、か。ハハ、まあ、それも良いさ」
首を傾げるウチをよそに、兄ちゃんはでもと付け加える。
「貴女の言葉で、私は忘れていた大事なものを思い出せた。――本当にありがとう」
――もう、いい加減にしてや、恥ずかしい。
呼び名の時と良い、たまーに真面目くさってそんなことを言う兄ちゃんに、何時ものように突っかかろうとしたその時。
がたん、と音を立てて直ぐ後ろの戸窓が開いた。そこから父ちゃんが顔出すと、一緒に漏れた光にウチと兄ちゃんは照らされる。
「おーい。もう夜も遅いで、そろそろ家に……おお、どうした宵宮、石みたく固まってもうて」
「面目無い龍之介殿、どうやら私が彼女の言葉を早合点したようで。恐らくは訳がわからず混乱されているのかと」
其処でウチは、
「嗚呼? ――まあようけ知らんが、それより兄ちゃん」
「はい?」
「全く、今更そんなとぼけ顔しても遅いで?
……兄ちゃんだって、その気になればそない良い顔も出来るやないの」
あんだけ仏頂面で、面白みのないと思ってた兄ちゃん。
その顔に初めて咲いた真っ直ぐで曇り無い