水柱に至るまで   作:よゐち

1 / 10
―明治四十三年(1910年) 



序幕 藤襲山

 入るときは荘厳と優美さを放っていた花々も、森を抜けたときには霧の白靄に紛れて輝きを消していた。紫の花弁は藍色を増して、夜の霧を錆色にしている。少年は鉛となった足を引きずり歩を進めた。山を取り囲む幕の如き咲き乱れる藤の花を抜ける。すると、少しの先すら何も見えなかったはずの深い霧が、徐々に周りの輪郭を作り出す。

 

 目の奥に一筋の光が差し込んで、目を細めた。

 

 遥か向こう、山々の間から日の光が漏れ出すと、少年の身体にまとわりついてた霧が静かに地面にすぅっと落ちていく。ほんの微かではあったが、空気が次第に日の熱を帯びて、冷気でひりついていた肺の痛みがうっすらと薄らいだのがわかった。

 

 一本の藤の巨木がそびえ立っていた。二本の朱色の柱が両脇に並び立つ。朱の柱には幾枚もの魔除けの札が結ばれた鳥居だった。鳥居が見えてきたあたりから、足元が急にしっかりとしたのがわかる。山の土を踏んでいたはずが、いつの間にか足元には石畳があるのがわかる。

 

 少年は「ああ、戻れた。戻ってきてしまった」と悟った。

 

「お帰りなさいませ」

 

 鳥居の真下でまっすぐと立つ女性がいた。夜半から朝方にかけてずっとそこに立っていた様子にも見える。女性の髪は白髪で、彼女はうやうやしく頭を下げた。女性は吸い込まれると錯覚するほど大きな瞳でまっすぐこちらを捉えていた。

 

「他の皆様はあちらにお戻りです。あなた様が最後になります。おめでとうございます」

 

 山に入る鳥居の入り口前には、自身と同じくらいの少年少女達が座り込んでいた。尻もちをついている者、膝を抱えている者、地面に両手をついている者、頭を覆う者、刀の刃を鞘にしまわず握りしめている者。

 いずれも蒼白い顔をして、浅く呼吸をして震えていた。全ての顔を覚えていたわけではないが、いずれも入山する際に見た記憶がある顔だった。それなのに、はぐれてしまった彼が、一番見つけたいあの顔だけがどこにも見当たらなかった。

 

「皆様、七日間ご苦労様でした。これにて最終選別は終わりでございます」

 

 女性がまた頭を下げた。女性の肌は白く、、唇には紅が一筋塗られ輝いていた。

 

「皆様にはこれより入隊のご準備を致します。隊服の寸法を測り、階級を手の甲に刻みます。階級は十段階あり、(きのと)(きのと)(ひのえ)(ひのと)(つちのえ)(つちのと)(かのえ)(かのと)(みずのえ)(みずのと)。皆様の階級は癸からとなります。討伐数が増えるほど、階級はあがっていきます」

 

  女性が柏手を二度打った。木々が揺れて、林より一斉に鴉達が飛翔する。鴉たちはやがてゆっくりと円を描くように降下すると、それぞれの肩に止まっていく。

 

「鎹鴉をおつけいたしました。訓練された鴉達は人語を介し、連絡に役立てます。皆様への今後の指令は、鴉にてお伝え致します」

 

「最後に、ご自身の身を守り、鬼を滅する刀を打つための玉鋼を、こちらよりお選びください」

 

 稚児達は交互に、まるで一人の人間かのごとく淀みなく喋っていく。

 

「いま、なんと言ったか」

 

 少年は女性に詰め寄り、女性が羽織っていた羽織の胸ぐらを乱暴に掴んだ。血がこびりついてた手で触れたので、桜色の羽織は赤黒く汚れた。

 

「ご自身の身を守り、鬼を滅するための」

 

髪をつかれたままでも、白髪の稚児はなおも口調を変えることはなかった。齢五つにも満たなそうな幼子でありながらも、稚児は動じることも怒ることもせず、ただ大きな瞳でまっすぐこちらを見つめている。

 

「最後、とはどういうことだ。まだ全ての者が選別より帰って来ていない」

 

「日は既に高く昇りつつあり、山全体を明るく照らしてございます。日を嫌う鬼たちは木陰や穴に身を隠しておりますので、道に迷わず無事でありさえすれば、半刻ほどでここに戻って来られるでしょう」

 

 女性は静かに淡々と事実を放つ。少年は詰め寄っても眉一つまで顔を動かさない女性の雰囲気に気圧されて自然と手を放した。

 

 日が昇ってから、半刻はとうに過ぎていた。

 

「怪我をして山中で動けずいたら。いや、いい。俺が探しに行く」

 

「刻限が来た時点で(かのと)の隊士と(かくし)が救助に動いております。ただいま戻りました」

 

ちらりと女性が後ろに目をやると、ざっと音がした。

 

 いつの間にか女性の後ろに、黒い詰め襟を着た隊士と黒子が、膝をついて控えていた。詰め襟の背中には「滅」、黒子には「隠」と刻まれている。女性が隊士の方に首だけ振り返ると、内の一人が残念そうに首を振った。

 

「今いる皆様以外、生存者はいなかったようです」

 

 女性はゆっくりと頭を下げた。少年は彼女の頭を見下ろすようにしながら、歯を食いしばる。呼吸が荒くなる。立つのも辛くなるところを、踏ん張った。

 

「そんなはずはない。まだ一人帰って来ていない。あいつは誰よりも強い」

 

「お前、あの宍色(ししいろ)の髪の連れか」

 

 先程まで頭を抱え震えていた少年が立ち上がり、弱々しく声をあげた。

 

「すごい子だった。旋風のように、あっという間に鬼を倒してしまった」

 

「私も危うく死ぬところだった。うまく技が出せず組みひしがられてあと一歩で噛まれそうなところを、彼が一瞬で鬼の首を斬ってしまった」

 

「俺たちも二人がかりでも倒せなくて、逃げていたところを助けてもらった。戻って皆に聞いた。誰も鬼を斬れていないらしい。おそらく彼以外は。皆、彼に助けてもらった。お前はどうだ」

 

 言葉に詰まる。自分の足の膝や手は這いずり逃げた跡で泥にまみれていた。

 

「誰か。その後を見たものはいないのか」

 

 皆、戸惑うようにお互いを確認しあったが、首を縦に振る者はいなかった。

 

錆兎(さびと)だ。錆兎こそが選別を突破するはずだった。鬼殺の剣士になるのは俺ではなく、錆兎のはずだった」

 

 尚も女性に吠え立てると、控えていた隊士達に羽交い締めにされた。ろくに寝ておらず疲労で限界の身体だったはずなのに、暴れるだけの力が残っている。そんな己がより一層、腹立たしい。腕を振りほどき、女性の前へ出ようとする。殴りつける気はなかった。ただ、すがりつくようにする他なかった。

 

 女性は地に倒され、髪や着物が乱れていく。黒子の隠たちは顔を見合わせてうなずいた。これ以上は白髪の女性、つまりは産屋敷家当主の奥方、あまねに危害が及ぶと判断する。黒子の一人が少年の顎に掌底をたたきこみ、少年は力が抜けて倒れた。

 

「それではこちらの玉鋼をお選びください」

 

 乱れた髪も着物も、ついた泥もはろうことなく、女性は何事もなかったかのように言った。そうして、はじめて鳥居の前の広場で一部始終を見ていた者たちが我に返った。

 

 うっすら遠のく意識の中、少年、冨岡義勇の記憶はその一言までだった。気を失っても少年の手は握りしめた拳のままだった。その手には、一枚の羽織の切れ端が握られていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。