水柱に至るまで   作:よゐち

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―明治四十年(1907年)

蔦子《つたこ》...冨岡家長女
義徹《ぎてつ》...冨岡家長男。義勇と蔦子の兄。戦死。
小虎《ことら》...冨岡家三男。病死。
勇仁《ゆうじん》... 亡くなった義勇の父
船木呉舟《ごしゅう》...蔦子の婚約者
永山史郎... 剣術道場の師範代の息子。義勇の友人



一幕 少年は振り返らない 1

 義勇(ぎゆう)には友がいない。それだけが姉である蔦子(つたこ)には気がかりだった。

 

 祝言を翌週に控えているのに、蔦子は素直に喜ぶことができない。遂には二人っきりになってしまった姉弟であるのに、自分が嫁いでしまっては弟の先行きに思いを巡らせぬ日はない。

 

「兄弟が沢山いれば、自分たち夫婦がいなくなっても安心だ。困ったら相談しあいなさい」

 

 そう話していた母は小虎を生んで間もなくして他界した。三男の小虎は頬が丸っこく表情がコロコロ変わる可愛い子であったが、身体が弱く六つの時分に風邪で逝ってしまった。

長男の義徹(ぎてつ)は文武両道で、商才も見込まれ跡継ぎとして有望視されていたが、日露戦争にいったきり帰ってこない。父の勇仁(ゆうじん)は必要物資の戦争特需により店の忙しさに追われ、過労の末に倒れ込み、昨年に亡くなった。

 

 冨岡家には、もう蔦子と弟の義勇しかいない。その蔦子も嫁にいく。

 

 義勇は柳の木の下で座り込み、田園横を流れる川面をぼうっと眺めていた。傍らに防具袋を置いて、竹刀袋を抱えている。時折、首がこくりこくりと揺れては、薄く目を開けて、また上半身が揺れる。浅い眠りに入っているようだった。

 

 向こうの山々に、夕陽がかかり始め、田の稲穂を金にと照らす。川から飛んできたが、義勇の頭に止まった。蜻蛉は義勇の頭が揺れてもすぐ飛び立ちはしなかった。横の田の稲穂の一部であるかのように、穂と義勇の頭は同じように秋風に揺れる。残暑が終わったのか、風は冷たかった。

 

「義勇」

 

 蜻蛉がパッと飛び上がっていってしまった。義勇は身体をゆったりと起き上がらせて、こちらを向いた。

 

「おかえりなさい。蔦子姉さん」

 

 薄目はほんの少し開いた程度で寝ぼけた顔のままだった。蔦子を見つけてもほとんど表情は変わることはない。ただ、もともと表情の変化に乏しい義勇ではあっても、蔦子には義勇の顔がほんの少しほころんだとわかっていた。

 

 義勇は道着を急ぎ掴み、蔦子と並び歩き出す。また風が強く吹いたので、蔦子は臙脂(えんじ)の羽織の襟を深く着直した。

 

「もうすっかり冷えてきたわ。こんな所で寝て、風邪を引くわ。羽織くらい着なさいな」

 

「道場に忘れてきた。尾張*の叔父さん達は祝言に出てくれますか」 *尾張町

 

「ええ、二人とも喜んでくださって、お土産まで持たされてしまったわ。おはぎだそうよ。それより、義勇。こんな時間まで待っていなくて良かったのに。下戸塚の道場からここまで随分と歩いたでしょう」

 

「この時間に帰れば、夜道を歩くことになるから」

 

 義勇は行灯(あんどん)に灯りをともす。そして、蔦子が抱えていた荷物も左手で持とうとした。蔦子は「よいのよ」と止めようとしたが、義勇は構わず蔦子の風呂敷包みを代わりに持った。すでに義勇は行灯だけでなく、竹刀と道着袋も背負っている。さらに風呂敷包みを持つのは難しそうだった。

 

 「重いでしょう」と聞くと「別に」とそっけなく返される。義勇はいつも蔦子のことを木にして、いつも荷物を代わりに持ってくれる。義勇のことは心配だが、蔦子は弟のその小さな体で健気にがんばってくれる姿が好きだった。かわいい、と思う。せめてもと、行灯は蔦子が持つことにした。

 

「日本橋や銀座じゃあ電燈が作られて、足元も随分と明るくなったと聞くけれどね。煉瓦仕立ての洋館は遅くまで煌々と光が漏れて、花のようだと尾張の伯母様が仰っていたわ。一度見てみたいものね」

 

 同じ東京府でも、村々を繋ぐ道にはまだそれがない。一部、明治の名残でガス燈が残る地域もあったが、ほとんどの道はまだ暗いままだ。義勇と蔦子が住む豊多摩郡は、昔は神奈川県だった。しかし、かつては幕府領であったので東京の一部だと主張する者が多く、ほんの数十年に東京府となったのだった。ただ、大久保と落合あたりを境に、渋谷より西はまだまだ田舎の扱いである。

 

 蔦子のため息をついた言葉に、義勇は黙って頷いた。

 

 義勇は自分から喋り出さず必要最低限の言葉で済ませようとするので、話をするのは決まって蔦子からだった。

 

「お稽古の方はどうだった。士郎さんには勝てたのかしら」

 

 士郎とは永山一(ながやまいち)剣術道場の跡継ぎで、義勇より二つ上で兄弟子分に当たる。以前士郎を見かたときは義勇と同じくらいの背丈であったのに、先日、道場に挨拶に行った際には義勇より頭ひとつ分も伸びていたので、驚いたものだった。身体も声も大きく、覇気が強いので、口数が少なくまだ小さい義勇とは正反対と言えた。

 

「別にどうもこうもありません。俺は隅で素振りをしているだけだから」

 

「素振りだけって。お稽古だったら竹刀を打ち合うものでしょう」

 

「俺とやってもつまらないそうです。俺に打ち込むより、布団を叩いていた方がマシだと笑われました。先生にももっと元気を出して打ち込むよう怒られました」

 

 蔦子は剣術道場に最近は縁がないが、一度父が亡くなった際におはぎを持ちがてら挨拶に行った際に打ち込み稽古を見学したことがある。他の子どもたちが奇声のように雄叫びをあげて相手に突っ込んでいく中、義勇とその相手は静かだった。普通は床を蹴り上げ、声を高く、竹刀を激しくぶつけあっているものだが、義勇達はひたすらに動かず竹刀を奮っていた。どんなに叩きあっても、お互いの面に届いていないようだった。先生も「義勇クンの動きは悪くないのですが、ひたすら相手の竹刀を追ってしまうので、もっと相手をみるよういつも言っています」と苦笑していた。士郎も裏では「義勇とやると他のことを考えなくていいから、集中できる」と褒めていた。

 

 しかし、当の義勇は少々不貞腐れているようにも見えた。目上の者達が隠れてどう評価してくれていても、表立って実際に理解してくれる人間が少ないのかもしれない。義勇は他の子より剣術が得意なだけでなく、家も比較的裕福というのもあると遠巻きに見られることもあるのだろう。いじめられていないのが何よりだが、義勇にはこの道場の人間関係は窮屈なものなのかもしれない。

 

「お父さんが生きていたらね」

 

 蔦子は漏れるようにため息をついた。

 

 永山一道場の現在の道場主は父勇仁のかつての弟弟子で、遠い親戚筋に当たる。道場名の永山は、元々は勇仁の旧姓にあたる。江戸時代から続く由緒正しい道場であったが、維新で廃刀になって以来、門下生が減り続けた。勇仁自身も剣術が不得手だったので、母に一目惚れしてそのまま冨岡家に婿入りし、永山家に譲ってしまった。永山家は親戚としての縁は近かったため、冨岡家側も勇仁の息子の義徹と義勇も自然と道場に通わされるようになった。蔦子自身も幼い頃に一時通ったことがあり、長い仲だった。永山の家も義勇のことを目をかけてくれているが、他の門下生の手前、別け隔てなく厳しく接しているのだろう。

 

「父さんも俺に期待していなかった。あれこれ言わなかったし、父さんが本当に期待していたのは義徹兄さんだった」

 

「そんなことないわ。お父さんはいつも義勇は優しいと言っていたもの」

 

「いずれにせよ、これからの冨岡商店は蔦子姉さんと呉舟(ごしゅう)義兄さんが盛り立てていくから大丈夫でしょう。俺も大きくなったらいずれは手伝うから」

 

「すぐ手伝ってくれたっていいのよ。お父さんとお母さんが残してくれた店なんだから。嫁入りする私と違って、本来あなたが冨岡の店を継ぐべきなのよ。まだ幼いから、私と呉舟さんは再開の準備をするだけ。お父さん達の遺産はまだ残っているんだし、焦ることないわ。みんなで頑張りましょうよ」

 

「一旦は店を畳んだんだ。その後に二人が店を再開するなら、それは二人の店だよ。蔦子姉さんは俺なんか気にしないでいい。それに嫁入りする姉さんと違って、俺は冨岡の家のままだから一緒に住む資格はないよ」

 

 蔦子の言葉を遮るように義勇はなおも言う。義勇は目を伏せがちにして先を足早に歩いた。行灯の灯りでは顔はよく見えなかったが、言葉とは裏腹に吐くように乱暴な言い方だった。蔦子は義勇の背中を追いかけた。

 

「あのね、義勇―」

 

「女かあ」

 

 突然、甲高く濁った声がして振り向くと、一人の腰を曲げた老婆が立っていた。秋虫がそこらの田園で騒々しく鳴き声をあげているとはいえ、背後に立たれるまで気づかなかった。義勇の早足に、蔦子は駆け足でようやく追いついていた。腰も曲がったような老婆が音も立てずにいつの間にか若い二人に追いつけたことに、蔦子は驚いた。

 

「もう日も暮れたのに、若い二人がどこへ行きなさる」

 

「帰り道です。所用を済ませていたら遅くなってしまいまして」

 

 老婆がぎょろりと蔦子へ目を剥いた。

 

「駆け落ちならば悪いことは言わんのでやめておきなさい。どちらの村じゃ。どれ、この婆が送りましょう」

 

 蔦子は思わず笑ってしまい、慌てて口を抑えた。

 

 結婚は親同士の取り決めによるもので結婚する本人たちの意思は関係ない、というのは江戸時代の話である。慶応から明治になるにつれ、恋愛する若人は増えてきたし、離婚も問題なくできるようになった。ただ、明治三十一年の民法改訂によって家長優位制が奨励されるようになって、より女性の自由が減ったせいか結婚もままならなくなったのはたしかにある。そのせいか、駆け落ちする男女は昔よりも増えているようだから、老婆は自分たちを駆け落ちする男女と勘ぐったのかもしれない。

 

 しかし、年の差がある。明治初期なら年の差の結婚はまだ多少はあったというが、今なとなっては基本的には年が近いもの同士がするものだ。老婆には義勇と蔦子は随分離れているのに恋仲にでも見えたというのだろうか。

義勇がかばうように前に出た。

 

「俺達は姉弟です。姉の祝言を控えており、親戚筋に挨拶に回っていて帰るだけです」

 

「祝言。それはめでたい。どちらへ帰りなさる。遠いのか」

 

「豊多摩郡の方へ。少し離れてやいますが慣れた道ですし、姉には俺がついています。要らぬ心配です」

 

「豊多摩のどこだ」

 

「…野方村」

 

 老婆の目がまたカッと開いたので、蔦子は胸を掴まれたような感覚になった。

 

「遠いな。うちの家に泊まるとええ」

 

 老婆は口を釣り上げ、気味悪く笑った。

 

「無用な気遣いです」

 

 義勇の憮然とした態度に、蔦子は「義勇」とたしなめた。義勇は不服そうに「すみません」と素直に謝る。

 

「お婆さん。ありがたい申し出ですが、明日も早くに家から出かけねばならぬため、一度戻る必要があるのです。うちの弟はまだ小さいですが、あまり遅くなるようなら途中には知り合いの家もあるので大丈夫です」

 

「近頃、この街道沿いで、嫁入り前の女子がいる家で、家族もろとも度々殺されているらしい。あんたらも気をつけなされ。もっとも野方ほど離れていれば、心配ないかもしれんが」

 

 老婆は二人の顔をじっくりと眺めると、行ってしまった。二人とも夜目には十分慣れていたはずなのに、老婆の姿はすぐ消えてしまったのが不気味だった。山には灯りが見えないが、あの老婆は一体どこに住んでいたのか。

 

結局、二人が家に着いたのは夜の十時を過ぎた頃だった。

 




(用語解説)
戸塚町... かつて東京府豊多摩郡に存在した町。

野方村... かつて東京府豊多摩郡に存在した野方町の前身。いまの東京都中野区。義勇の出身がここなのは公式設定より。

尾張町... 銀座尾張町。いまの銀座5、6丁目。ということは蔦子はこの日に銀座から中野まで往復したわけで...健脚なわけです。さすが義勇のおねえちゃん。

電燈... 1872年 (明治5年)ガス灯が点灯されることになり、1882年 (明治15年)アーク燈を銀座で運用開始する。1886年 (明治19年)には東京電燈が開業し、電気事業が始まるがもちろん都会以外にはなかなか広まらない。ちなみに明治5年、横浜の馬車道で灯されたガス灯は今でもあるんですよ。誰も気づかない。

家長優位制... 昔はだいたい家長が強いイメージありますが、意外とそのへんは時代によって違ったりするようで、昭和の亭主関白のように夫が強いという色が特に濃く出たのは明治後期のようです。そう思うとやっぱり炭治郎たちはいい子たち。
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