水柱に至るまで   作:よゐち

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一幕 少年は振り返らない 4

 秋口の道場床は冷たい。指先からじんじんと冷たくなってくる。

 

 この時期が一番つらいかもしれない。冬になるに連れて一層寒くなると、床が氷のように冷え切って足の感覚は消えてしまう。

 

「なにをやってるんだ、お前は」

 

 横から呆れる声がした。道場の入り口を見ると、史郎は大きくふんと鼻息を吐いた。

 

 なにかまずいことをしただろうか。義勇は史郎の方に目で問いかけると、史郎は「あのなあ」と竹刀を床でコツンと叩いた。

 

 義勇は永山一道場で稽古に来ていた。道場の中央で竹刀を構えすり足の姿勢のまま立つ義勇の目の前には稽古相手が倒れていた。義勇の面打ちを受けて、床に転がったのだ。そして、床に転がっているのは一人ではなかった。道場の床には十数人が倒れていた。いずれも義勇とかかり稽古をした者たちだった。腹を抑えている者もいれば、道場の壁にもたれかかって呼吸を荒くする者、床に倒れたままノビてしまった者など、燦々たる有様だった。

 

 対して義勇は汗一つ掻いていない。いつもの通りの無表情で、ぼうっとした眼差しで目の前の光景を見ていた。ただ、史郎の表情を見るに、どうやらまずいことをしてしまったことくらいは義勇にもわかった。正直なところ、義勇も困惑していた。

 

「…稽古をしたいと皆に頼んだらこうなった」

 

「稽古試合をしてもこうはならないだろう。なんで皆倒れているんだ」

 

「全員と稽古したいと頼んだ」

 

「それで?」

 

「一番年長の者、そこでノビているアイツが『おまえとだけ稽古に時間をかけるわけにもいかない』と言われた」

 

「それで?」

 

「『時間は取らせないから全員でかかってきてくれ』と頼んだ」

 

「…それは頼んだというのか?」

 

 史郎は首をひねった。

 

「おもしろいと笑ってくれた」

 

「それは挑発というのだ、義勇」

 

 義勇はいつも隅で一人稽古をしている。今日はある理由から珍しく一緒に稽古をしたいと頼んだ。だが、実際には頼んだというより「おまえらまとめて相手になってやるから全員でかかってこい」と挑発した結果になったということだ。義勇は口数が少ないせいか、言葉をうまく扱えず誤解を受けやすい。

 

 史郎はこの日家の手伝いで道場に来るのが遅れていた。道場の時間は夕方一仕事を終えた大人が使う時間と、日中に稽古する子どもだけの時間で分かれている。師範代が来るまでは、子どもたちの中で年長者が通し稽古の指導をする。史郎の年は十二で永山一道場に火曜子どもたちの中では三番目の年だが、師範代の息子でありまたそれ相応の実力も兼ね備えていたので、主に父がいない時間の友人たちの稽古は史郎が見ていた。

 

 今日は家の手伝いもあり遅れて道場に来たのだが、着いた時には義勇以外は皆呻いて床に倒れていたというわけだ。

 

「俺も大人数を相手しなければいけないし、向こうも時間がないというから一人一発で決めていった。結果こうなった」

 

「なぜ急に全員と試合しようと思ったんだ」

 

「姉にもっと仲良くするように言われた。仲良くするために何を離せばいいかはよくわからないけれど、道場に来てるんだから稽古をするのが一番だろう」

 

 義勇としてはそれ以上の意味はない。友達を増やせと義勇は言った。義勇は友達の作り方を知らない。

 史郎のなんとも言えない表情から、自分は恐ろしく根本的に何か間違えているらしいことくらいは義勇にもわかった。床に倒れていた門下生もようやく息を整えだし、義勇の方をみていた。なにか怒っているような、恨まれているような鋭い視線を感じる。背中のあたりがむずむずとするような居心地の悪さを感じた。

 

 自分はまた何か間違えてしまったらしい。友達を作るというのがなんと難しいことか。

 

 義勇は「今日はもう帰る」と腰に手を回して胴を外す。その手を史郎はとめた。

 

「待て、義勇。俺とも試合をしよう」

 

「いや、また日を改める」

 

「待つんだ。おまえ、このまま次に道場きた日には、皆と仲良くする機会なんて二度と訪れないぞ」

 

 義勇の片付けをする手がぴくんと止まる。

 

「おまえこのまま皆に恨まれたまま帰るつもりか。次に道場に来た日には皆に無視されるぞ。やるなら俺と試合しておけ。少なくとも俺が勝てば、皆の溜飲も下がるはずだ。お前が勝っても、俺から皆にこれからは義勇にも稽古を手伝ってもらえと言えばそれで丸く収まる。皆、お前の実力は今日痛いほどわかっただろうからな」

 

史郎は道場に通う子共たちの中では一番の実力者だ。猿山のボス猿のように一番強い者を倒せば皆納得するということを言いたいらしい。もっとも、それでは力関係を示せても友人として仲良くするのはまた別の話なのだが、

 

「わかった」

 

 とりあえず史郎に従っておけば間違いないとして、義勇は深く考えずに頷いた。

 

 義勇と史郎はお互いに竹刀を中段に構えて向き合った。

 

 審判を取る者はいなかった。全員義勇に倒されていたからだ。判定がない以上、単純に先に一本取ったほうが勝ちと二人は決めた。

 

 ただ、史郎が防具をつけている間、倒れていた者のうちの一人が「あいつを絶対たおしてくれ」と史郎に耳打ちして頼んでいた。どうあっても当分は友達ができることはなさそうだと義勇は思った。

 

 史郎は竹刀を中段に構えたまま、剣先を弧を描くように回し、義勇の剣先を弾こうとした。間合いを図りつつ、また義勇の構えを斜めにずらして隙を作るためだ。対して義勇の剣先はどんなに史郎の竹刀に先を弾かれようとピクリとも動かない。上段者になればなるほど、体幹ができあがり、ちょっと竹刀の先をずらされたくらいでは構えが解かれることはない。

 

 史郎は小手先のものなど無用と判断したのか、義勇の方へ一気に跳んだ。史郎の竹刀は激しく義勇の面を叩こうとしたが、それはことごとく義勇に防がれた。ならばと史郎は一度距離を取って、再び跳ぶ。小手、面、胴、小手、面、面。しかし、義勇は予想していたかのようにそれをすべて竹刀で払い除けた。つっこんできた史郎の身体を竹刀ごと押し返す。 

 

「足に根っこが生えてるみたいだ」と試合を見守っていた門下生の一人が言った。その言葉の通り、義勇はほとんど動いていなかった。ただ、史郎の剣をさばくに徹していた。

 

 引き面の後、史郎は突きを繰り出した。突きは史郎の父親、師範代が得意とする技だった。史郎も教えを受けていたのだろう。道場では突きは子どもたちには禁じ手となっている。喉を狙う攻撃は熟練した者でないと命を奪う恐れもあり単純に危ないからだ。しかし、史郎は突きを使った。義勇に有効打が通らず焦ったからなのかもしれない。

 

 その突きは見事な突きだった。見ていた門下生の誰もがそう思ったであろうほどに。では見ていた者すべてがその突きの挙動が見えていたかというと否である。史郎の突きはまっすぐに義勇の喉元辺りの位置に入っていた。

 

 しかし、史郎の剣先には義勇の姿はなかった。史郎は綺麗に空を突いた姿勢のまま、一瞬何が怒ったのかわからず硬直した。義勇は史郎の後ろに立っていた。慌てた史郎が振り向きざまに引き面をして後ろに飛んだ。

 

 今度は史郎の竹刀が、義勇の面に入った。その音は鈍いものだった。判定の旗を振るかどうかは、審判によって異なるくらいに微妙なものだった。ここには審判がいない。

 

 義勇は試合開始時の元の位置に戻ると、礼をした。史郎も遅れて我に返ると、もとに戻るのままならず中途半端な位置で頭を下げた。

 

 義勇は面と胴を片付け帰り支度を手早く終えると、道場に礼をして去った。義勇の背中に歓声が聞こえる。どうやら義勇に倒された者たちが敵打ちを取ったとして、「さすがは道場の跡取りだ」と皆が史郎を褒め称えているようだった。歓声を聞いて、自分はあの輪に一生入れる気がしないと思った。

 

「義勇」

 

 振り返ると史郎がいた。面は外したようだが胴はつけたままで、草履も履かず裸足だった。慌てて追いかけてきたらしい。

 

「どうやって急に消えた」

 

「わからない。足に力を貯めて一気に跳んだだけだ」

 

「嘘だ。一足飛びで正面から俺の背後に回れるほど、早く動けるやつなんて人間じゃない」

 

 史郎は怒ったように言った。人間じゃないと言われて内心傷ついた義勇だったが、うつむいてポツリと話した。

 

「よくわからない。お前が飛び込んでくるとわかった時、息を大きく吸ったら肺が急に膨らんで、身体が熱くなった気がした。逃げようとしたら、思ったより跳んでしまっただけだ」

 

「背後から俺の面が簡単に取れただろう。なぜしなかった」

 

 史郎は目に涙を浮かべていた。手加減をされたのかと思ったのかもしれない。義勇はどう謝ったものかうつむいて考えた。

 

「わからない…。ここで勝ったらまた間違える気がした。いま道場の方で俺が倒した連中が歓声をあげているのを聞く限り、たぶん良かったんだと思う」

 

 史郎はなおも義勇を睨む。

 

「すまない…」

 

 頭を下げた義勇の肩にコツンと何か当たるものがあった。史郎の拳だった。

 

「お前は馬鹿だな、ほんと」

 

 史郎はふっと笑った。

 

「今度どうやって跳んだか教えろよ。今日のことがあって義勇を皆が受け入れるのは時間がかかるかもしれない。でも義勇の実力は皆わかったんだ。俺と一緒にこの道場をやっていけば皆の尊敬だってすぐ得られるさ。お前、姉の結婚相手の家にいくんだろう。この道場は続けるのか」

 

「新しい家に慣れるまでしばらく休むけど、必ず戻ってくる」

 

 史郎は手を出した。

 

 義勇は史郎の手を見つめて固まった。義勇はそれが握手を意味していると遅れて悟り、おずおずと手を出した。史郎は固く手を握りしめてくれた。

 

「すぐ戻ってこいよ。次はお前を倒すからな。あの技も教えろ」

 

「わかった」

 義勇は史郎に手を振って、道場を後にした。史郎は義勇が見えなくなるまで両手を振ってくれていた。史郎の姿もやがて見えなくなり、義勇も振っていた手を降ろした。義勇はその手をしばらく見つめながら家路についた。初めて友達に手を振ったその手を。

 

 手を固く握る。

 

 必ず今度はうまくやろうと。友達がいないと姉に心配をかける弟などもう卒業だ。新しい家族もできた。姉も幸せになれる。これから新しい生活が始まるから自分もきっと変わっていける。そう信じることができた。

 

 だが道場を訪れるのはこの日が最後となる。

 

 この時の義勇はそのことをまだ知らない。

 




明治・大正時代の剣道...明治9年(1876年)に廃刀令が公布されたことにより、行き場を失った武士は警察などにその職を変えていきます。今日の警察で剣道や柔道が必修となっているように、その原型が取り入れられはじめたのはこの頃からです。時代劇では剣道で防具をつけていない姿もありますが、明治の防具は素材以外は基本的には今と変わらないようです。

また、明治6年(1873年)には剣術の試合を見世物として披露して収入を得る「撃剣興業」も始まっていました。つまり、今の相撲のようなものですが、相撲などと異なり剣道は素人目には判定がしづらい、どちらが勝ったかわかりにくかったこともあり、結果これは続きません。Youtubeなどで剣道試合を見ていると、どちらが勝ったかわかりにくいケースは多いのでそういうものかなと思います。

今日では「突き」技を使えるのは高校生からですが、結構危険なのであまり好んで使う人は少ないと思います。

大正時代になると中等学校の教科に剣道が取り入れられるようになります。

(参考リンク)
Karapaia - 目にもとまらぬ速さ。明治時代の剣道の打ち合いの様子
https://karapaia.com/archives/52156937.html
剣道を心から楽しむための情報メディア Kenjoy!!(ケンジョイ) - 【剣道の歴史のすべて】平安から令和まで完全解説!
https://kendopark.jp/kenjoy/kendo-history
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