How To Happy End   作:ニガッキ

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――五代目黒龍は幻のようだった。

当時のメンバーや関係者各位は口を揃えてそう言う。五代目の前代、四代目は初代の内情を詳しく知らない世代で、加えて引き継ぎも上手く行われなかったこともあって、黒龍発足以来最大の『揺らぎ』を経験した代であった。負け戦も何度か、ここが落ち目と東京中のチームがvs黒龍の白星を欲しがった。壊滅を逃れただけ流石である。初代にして東京中の不良を統べた黒龍のネームバリューと信念、誇りの一つでも欠けていたら、龍の翼はもがれていたことだろう。

そんな満身創痍の黒龍を背負って立ち、かつての姿へと一代にして導いて、それが終わると魔法のように姿を消したのが五代目黒龍総長である。名も知れず、姿も知れず、行方も知れず、栄光と羨望、数多の勝利を黒龍にもたらすだけして僅か半年足らずで逃げるようにその座を降りた男。その男こそが五代目黒龍が幻と呼ばれる所以である。

 

「初代の面影を見た」

「オレの?」

「っそれが……」

「一度だけ、話をしたことがある。一体何者かと、五代目に思わず聞いたんだ。……なんて言ったと思う?」

 

乾の硝子玉のような瞳がつるりときらめいた。楽しそうで、嬉しそうで、無邪気なそれに、隣に腰かけていた九井は場違いにも子どもの頃を思い出した。……図書館が好きではなくて、走り回ってて、カーテンの向こうで眠っている……。幼い憧憬、あるいは無邪気に九井を傷つける記憶。奥歯を噛みしめてその幻覚を飲み下す。いらないもの、そのはずだから。

対面に座った佐野はなんでもないように首を傾げた。

 

「さあ?さっぱり」

「『初代の亡霊』ってさ。納得しちまった」

「オレの亡霊か!それはまたデカいんだか小さいんだか」

「いいや」

 

茶化すように大きく笑った佐野の言葉を九井は両断する。真意を汲み取ってしまったから。手に取るようにわかってしまった。

 

「いいや、その通りだろう。ボスはまさしく、アンタの亡霊だろうよ」

 

それを正しく理解できるのは今この場においては九井一人だけだった。それなのに、その先はまるでわからない。幾重にも掛けられた鍵と固く閉ざされた扉、あるいは深く底の見えない沼のように先へと踏み込むのを拒んでいるのだ。アァ一体、彼は何を考えているのだろう。

 

「五代目、ねぇ」

「真一郎くんがいちばんよく知ってるもんだと思ってた」

「うーんそれがなあ、五代目とは会ってねぇんだよ」

「え?」

「それはまた、なんでだ?」

「オレ自身忙しかったのもあるが……。避けられてたんだよ、五代目には」

 

佐野は視線を下に落とし、懐かしむような、寂しいような顔をして笑んだ。細い黒髪が淡々と頬まで影を落として微笑みを曇らせる。

 

「明司、武臣ってわかるか?そいつを通してしか言葉を交わしたこともない。それが条件だったんだ」

「条件?」

「五代目個人の全てを詮索しないこと、それが五代目が黒龍を継ぐ条件で、それは黒龍を立て直す条件と同義だってさ、四代目が毎日頭下げたんで聞く耳持つしかなくなっちまった」

「あァ、そういうこと」

「うん」

 

黒龍を死なせるわけにはいかなかったから。黒川イザナ、そして佐野万次郎へと継がせるために。佐野真一郎が残しておきたいと思っていたことを、明司、そして五代目は知っていたのだろう。だからこそしてやられたのである。

 

「お前に五代目の話をしてやれって言ったのも、その明司武臣ってヤツだよ」

「軍神か。厄介なことこの上ないな」

「おっ、知ってる」

「コイツはこれでも黒龍に所属してたんだ、それくらいは常識だろ。なあココ」

「アァ。……ボスはたぶん、軍神と手を組んでるんだ。軍神が手を貸す理由はわからねェが、亡霊と言うんならそうする」

 

佐野は煙草をくわえて火をつけた。慣れた手つきに九井が眉をしかめるが、あまりに一瞬の出来事だったので、誰もそれに気が付かなかった。

 

「明司のヤツ、案外五代目のこと気に入ってたからな」

「本当に五代目が梵天の首領なのか?」

 

重力に逆らって登っていく煙を目で追いながら、佐野は乾の質問の意味を問う。

 

「なんで?」

「あまりに組織の善悪が違いすぎる。一貫性がないから」

「ああー……」

「五代目は仁義を重んじた。歴代の中でも特に道徳や倫理に敏感だったはずだ。初代をリスペクトしてた。そんな五代目が日本の裏社会を牛耳る梵天のトップだとは考えられない」

 

乾は語気を強めた。怒っている。黒龍に幼くして心を奪われた彼にとって、なかでも初代と五代目には相当強い憧れを抱いていたから。五代目が梵天の首領だと認めることは、それを踏みにじることだと考えているのだ。だから、怒っている。お前たちはそれを許してしまえるのかと。認めてしまえるのかと。

 

「確かにウチは何でもアリだったけど、ボスは結構神経質だったぜ」

「あ?」

「一般人と子どもにゃ手を出さねェように言い含められてたし、裏切りは許さなかった」

「殺しは、駄目だ」

 

唸るように短く言い切る。不合格。どうやら乾に引く気はないらしい。九井は諭す口調でなだめすかした。

 

「仕方ねェだろう、梵天はアングラな組織だ。半可な覚悟じゃ生き残れない」

「だから――」

「じゃあ」

 

なおも言い募ろうとする乾に被せて、煙を吐いた佐野が口火を切った。不思議と通る声だった。……似ている。九井はそう思って、そう思ったことに吐き気がした。許せない。亡霊であるなど。触れさせてもくれないと言うのか。足がないならどこに縋ればいいのだろう。

 

「じゃあ、それだけの覚悟を決めさせる何かがあったってことだ。五代目にとって、譲れないモンが」

「それが何かはボスしか知らねェだろーな」

「……五代目の、譲れねェモン」

 

乾は悲しげに目を伏せた。わかるような気がしたからだ。九井だってはじめっからこんな人間じゃなかった。人は変わってしまえるものだと知っていることが辛かった。乾がそうさせたも同然だと、心のどこかでずっと罪悪にうなされていたから。きっとそれすら口にすれば否定されてしまうだろう。だからこそ、この息苦しさは乾にとっての罰なのだ。

ならば認めたくはないが、本当に五代目が……。

 

「ごめんください。真一郎くん、いますか?」

 

九井はあッと声を出しかけた。腰を十センチほど浮かして、かきあげた髪がはらりと落ちてくる。怒涛の展開に揉まれてすっかり抜け落ちていたが、この男も佐野真一郎と同様にキーマンであったのだった。

 

「花垣!」

 

……

 

「一体なんの真似だよ、五代目」

「さて何のことやら」

 

車の中、花垣が偶然一人になったタイミングを見計らって、部下のふりをした男が運転席から顔をのぞかせる。部下のふりと言っても、この男も部下の一人であることには変わりない。

 

「そっちこそ今更何の用だ? 黒龍四代目総長」

「皮肉か」

「いいや?」

 

偶然というのは嘘だろう。この男は人の上に立つことこそ向かなかったが、相当器用なもので謀が随分と得意だった。人を転がし思い通りに事を運ぶ。要するに参謀向きだった。それはなるほどトップじゃ本領発揮ができないはずである。花垣さえも表舞台に引きずり込んだこの男だ。そこまでして自らは舞台に立ちたくなかったのだろう。確かにこの男には嘘と悪巧みが良く似合う。

 

「オレが五代目になったのはオマエのせいだろうが」

「さーてなんのことやら」

「ほらお互い様さ」

「違いない」

 

空気を僅かに震わせる程度の苦笑が車内に漂う。クッと花垣が喉を鳴らして、四代目は静かに呼吸を取り戻した。

 五代目――花垣は少しずつ変わっていった。五代目の、あの時あの瞬間から少しずつ、成長のように、そう見せかけて。それで全くの別物になってしまった。なのに今なお花垣は四代目を惹き付け続けている。五代目当時も、今も、その間の変わりゆく様ですら四代目の目を、心を奪って放さない。けれど、だからこそ四代目は言わねばならない。それは断じてお前ではない、花垣克武ではないから。

 

「なあ、お前は誰だ」

 

お前をそうまで変えてしまったのは、一体何なのか。お前は一体何をなそうとしているのか。俺にはちっともわからない。

 

「いやだな。オレはオレだよ」

「いいや違うね」

 

実際のところがどうであれ、四代目にとっちゃ大した問題ではないのだけれど。だけれども。いつかは言わなきゃならなかった。なぜなら五代目を知り、梵天首領を知るのは、己しかいない、そのはずなのだから。それが四代目の存在意義で、果たすべき義務であった。その責任感だけを原動力に四代目は口を開いて押し出すように言葉を吐いた。残念ながら下手に器用なこの脳と口とは、この複雑で単純な心情をすっかり隠してしまえるから、誰もその懊悩に気づくことはないのである。

 

「お前、だいたい誰になろうとしてんのさ」

「なろうとなんてしてねェよ。元からオレはオレだった」

 

じっと目を見る。いつの間にか交わることのなくなった双眸は今にもその先の夜景に溶けて混じってしまいそうだった。その瞳が真昼の空色にきらめく様を知っている人間がこの世にどれほどいるだろう。俺はずっとその光を追っかけてんのに、お前ときたら。合わない目の先で、花垣はゆっくりライターの火を灯してその先に1枚の写真を近づける。

 

「おかしいよ、お前。初代にどんどんそっくりになっていってること、気づいて……」

 

ヒヤリとした感覚、ガチャリと慣れた音。冷たい手が首に回って動脈を探り当てる。サプレッサーの重みがやけに現実的だった。

 

「それ以上はダメでしょ四代目。もう約束も忘れたのか?」

 

こめかみを伝った汗が顎から滴った。暑いわけじゃない。むしろ気を抜けば震えが止まらなくなりそうだ。声音がひとつも変わらないのが殊更恐怖を煽った。怯えを悟られぬように、しかし間違っても発砲されることのないようにゆっくり両手を降参の形にする。

 

「っ、あーーギブギブ!止めだ止め。クソッ、割に合わねェことしたわ二度とやんねー!」

「らしくねェな……」

「お前がそれ言うか?」

「……」

 

かつてさえ許されなかったほぼゼロの距離。五代目の瞳に写り込む自身すら望める程の近さに苦虫を噛み潰したような気持ちになる。お前の手で引導を渡されなきゃ、ここまでお前に近づけねェのか。

花垣は黙って銃を下ろして深く座り直した。珍しく酷く弱っているようで、疲れたように天を仰いだ。

 

「……アァ、もう時間がねェんだよ」

「あ?」

「オレは」

 

あれほど合わない、合わないと思っていた目が、実にあっさりと合わされる。じっと、これほど引力のあるものだったか。知らない色だった。空より暗く、夜より深い。宣戦布告さ、口元だけの笑み。囁きは悟られない震えに紛れて闇に呑まれる。

 

「梵天を、潰す」

 

その双眸に宿っていたのは狂気だったのか、子どものような純粋な欲求だったのか。今となってはもうわからない。

その手の中にあった半分燃えた写真が、花垣の生きた証を消している。

 

……

 

手は尽くしたと思った。やれることはすべてやった気でいたのである。そんな三途に待ったをかけたのは武道だった。

 

「マイキーくんのお兄さんに会いに行きましょう」

 

武道の目は死んでいなかった。三途はとうに投げ捨てたはずの感動を爪の先程取り戻して、武道のぴょんぴょん跳ねた黒い髪をぐしゃぐしゃかき混ぜた。既にマイキーに伺いは立ててあると言う武道に、善は急げと背中を押す。三秒前まで項垂れていたとは思えない三途の変わりように、武道は喜色満面の笑みで三途の靴を履かせた。慣れである。

 

「ごめんください。真一郎くん、いますか?」

 

かくして万次郎の即席地図と奮闘しながら辿り着いた先で、何の因果か複雑な関係図が浮き彫りになった。

 

「花垣!」

 

真っ先に武道の名を呼んだ九井に、三途が噛みつかんばかりの勢いで反応する。

 

「テメェ九井!!」

「三途?!なんでここに!」

「久しぶりだな、花垣」

「イヌピーくん!ここで働いてたんすね!」

「おっ、こいつが例の?」

「うん」

 

九井と三途のキャットファイトを尻目に、乾・真一郎・武道はのほほんとマイペースである。格差社会。ポンポンと応酬される罵詈雑言はしかし、特殊な言語脳を持つ二人の間では違う意味を持っていたらしい。

 

「ザマァねえな!!!テメェもとうとう捨てられてやんの!」

「真っ先に切り落とされてみっともなく縋り付いてたくせになんの手掛かりも掴めねェボンクラがなんか言ったか?!?!!」

 

互いにクリーンヒット、相打ちであるが、不思議と現状把握を済ませているのは十余年来のビジネスライクな関係のなせる技である。それくらい出来なきゃボスのお墨付きなんて頂けないので。

 

「つまり三途が捨てられて、その後しばらくして九井も捨てられたのか。なら残りは灰谷と望月だな」

「一体、なんの目的があってこんなことを……?」

 

梵天が磐石なまでに築き上げられたのは、九井の才覚と三途の啓蒙あってこそだ。その二本の大きな支柱を失って、梵天が得るものは何か。三途も九井もまるで見当がつかなかった。

 

「なあ花垣」

 

九井が武道へ縋るような目を向ける。武道はその感情に目ざとく気づいてたじろぐが、気丈に九井を見返した。その瞳の色はかつてとまるで変わりなく、透けるような碧に呑まれた日を九井は思い出した。

 

「お前のアニキなんて、本当に存在するのか?」

「ッ?!どういう……」

 

追い詰めるように静かに細められた目に花垣は驚くほどたじろいだ。まるで図星のようだった。

 

「確かに目の色はお前と瓜二つさ。でもな、そちらさんなんだよ。似てんのは」

 

そう言って九井が指さした先にいたのは武道、ではなく佐野真一郎だった。佐野はすっかり驚いて、え、オレ?と自身を指さした。九井は神妙にひとつ頷いてフッと息を吐いた。そっくりだぜ、顔と、振る舞いと。

 

「あぁ、見覚えがあると思ったらそれか」

「オマエは鈍すぎなんだよ三途」

「ア?んだとォ」

「とにかく、お前のアニキが確かにそこにいたって証拠を見せてくれ。そうじゃなきゃとてもじゃないが……」

 

亡霊なんて言葉がチラつく。笑えないだろ、そうじゃなきゃ。

 

「ここに写真がある……はず…………」

「……おい」

「…………あれ?」

 

所変わって花垣宅。まだ閉じられたままだったダンボールを勢いよく開き、中をあさる武道が汗をダラダラと流す。

振り返った武道の顔はこれ以上なく情けなく、一同は引き攣った笑みをうかべる。

 

「ま、まさか、な……」

「ど、どどどうしましょうっ、ないっ!!!」

「お前ェ〜〜〜っ!!!!!」

 

サザエさんさながらに新築を揺らしたあと、その場は強盗にあった日の夜と遜色ないほど、クローゼットからカーペットまでひっくり返された。倒した箪笥の前で肩で息をする九井に靴下にまみれた三途が笑いかけると、九井は3秒固まってその後大きく身震いした。

 

「……キッッッッッショ」

「これではっきりしたな……」

 

思わず九井は乾に縋り付くも敢えなく剥がされる。乾は真剣な表情で武道のアルバムをめくっている。すべてを無視して話し続ける強者三途は一人したり顔で頷いている。

 

「何がですか?」

「いいかクソドブ、ここに証拠のあの写真がねえってことは、ボスはここに来たってことだ。そうだろ?」

「は? 三途テメェ……天才か?」

「そうか! オレと兄貴しかこの写真のことは知らないし、他に見せたことのある人たちは盗むメリットもない!」

「つまり処分する必要があったってことだ。ボスは無駄なことはしねぇ」

「その意図さえわかればな……」

「簡単ダロ、そんなん決まってるじゃねぇか」

 

すっぱり言い切った真一郎をその場の全員が振り返った。苦い顔をする九井でさえ、聞く耳を持たざるを得なかったのは、当たり前のように放たれるオーラと重たい声のせいだ。重心を無意識に低くした話し方は、嫌にもボスを彷彿とさせる。九井の眉根は自然と寄ってしわを刻み、緩く握っていた拳にはじんわり汗が浮かんだ。

 

「消えたいんだ、オマエらの中から」

 

あぁな、言われちまったな。漠然とした衝撃は予測していても大きすぎて避けようがない。言われずともわかっていたことだけど、言われちまったらわからなきゃいけないからどうしようもない。

 

「んなこたァわかってんだはじめッからよォ」

 

三途の猫背からくぐもった言葉が聞こえる。何度言えばこの姿勢の悪さは直るのだろう。ボスの前では誰よりも定規になりきっているのに。ああ、何の話だったか。

 

「じゃあボスは一体()()()()()こんなことしてんだよ! それが知りてぇんだっつってんダローが!」

「や、言ってないだろ一言も」

「うるせぇ! 現実逃避野郎はだあッてろ! いいか? これはボスとの意地の張り合いなんだよ、どっちも譲れねぇからオレたちもボスも必死こいて駆けずり回ってんだ。先にへばったやつが負ける、そういう戦いだ。人生丸ごと賭けられるバカだけが勝てる戦いなんだよ。ボスはいままでずっと覚悟してたんだ。人生ブン投げる余計な覚悟をな。それに張り合うにゃ相応の覚悟が必要なのは当たり前だ。わかってんのか? 今までみてぇにはいかねえってこった。そういう宣戦布告なんだよ。クソッタレ!」

 

誰のためかって? 決まってる。ボス以外の奴らのためだ。ボスはそういう人間だ。バカみてえにでっかい覚悟決めて、バカみてえに突っ走って、そんで自分だけ傷ついて仲間が無事なのを笑って喜ぶようなヤツだ。そんなバカ野郎だった。どれだけ梵天がでっかくなろうが、後ろ暗いことに手を染めようが、ボスはずっと変わらなかった。組織を変えたのはオレたちだった。ボスはずっとおんなじ覚悟を持ち続けたまんまだったのに。

 

「ハ、そりゃあ……クビ切られもするわな」

 

ボスのためを思ってと言いながら、ボスを苦しめ続けていたのは他の誰でもなくオレたちだったのだ。

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