TS衛生兵さんの成り上がり 作:まさきたま(サンキューカッス)
「そこ、湿っていて滑りやすいです」
「ゲーっ!! 何かの糞を踏んじまった」
ドクポリ解放戦線は可能な限り、敵に気づかれにくいルートを選択した。
百人という小勢であることを生かし、森林内の獣道を進んだ。
「トウリ、どうだ?」
「見た感じ、伏兵はなさそうですが……」
「よし、じゃあ進むぞ」
森林道は、視界が悪く奇襲されやすい。
ルイとトウリは慎重に偵察して、伏兵を警戒し進んだ。
「ルイ兄さん、あの丘が目標ポイントです」
「おお、もう着いたのか」
幸いなことに、道中に賊の襲撃はなかった。
……敵はこちらのルートに気づいていないのか。
はたまた、気が付いたうえで『奇襲しないこと』を選択したのか。
「ポイントに到着したらベースキャンプ設営し、塹壕を掘るんだったな」
「射線が通っていないとはいえ、警戒も欠かさずに」
「ああ」
おそらく後者だろうと、トウリは言った。
ルイは気付かなかったが、偵察兵らしき賊がチラッとトウリの視界に映ったからだという。
こちらの動きを把握した上で、動かない敵。
それが、賊が難敵であることを示していた。
「おお、こりゃいいぞトウリ」
「どうかしましたか、ジェンさん」
「フカフカの黒土だ、こりゃ掘りやすい」
一方で幸いにも、ドクポリの土は掘りやすかった。
ドクポリは穀倉地帯なだけあって、肥沃で柔らかな土壌らしい。
「今のところ、敵に動きはないです。今のうちに掘りましょう」
「おお、そうするか」
「偵察は自分にお任せを。……動きがあれば大声で知らせます」
トウリは双眼鏡で敵の陣地を注視しながら、そう提案した。
賊が攻めてくる様子がないと知って、ルイは安堵する。
しかしトウリは、
「……イヤな予感がしますね」
賊が悠然と待ち構えていることに、不安を感じているようだった。
「ひとまず、それなりに掘り進んだな」
夜になるころには、全員で隠れられる塹壕が掘られていた。
ベースキャンプも設営され、木材や水源の輸送路も構築できた。
「今日はみんなよく頑張った。敵が遠いうちに、ワインを開けちまおう」
「よっしゃあ!」
作戦の初日、ルイはメンバーに飲酒を許可した。
……これは、最初から決めていたことだった。
「トウリ、村から持ってきたパンとバターだ」
「ありがとうございます」
「ワインもどうだ」
「いえ。自分は、酔いたくないので」
敵陣とこちらのキャンプの間は、300メートル以上ある。
これだけ離れていれば、奇襲してくる可能性は低いだろう。
もし奇襲してきたとしても、まだ防衛は容易だ。
危ないのは、至近距離まで接近してからである。
「また、土の中で食事を摂る日が来ると思っていませんでした」
「俺は、初めての経験だ」
「気分はどうですか」
「不思議なことに、あまり悪くない」
その宴会では、皆がワインを陽気に楽しんでいた。
トウリは土壁を背に、ルイの隣で焚火に照らされてパンを頬張っていた。
「何だか、キャンプにでも来たような気分だ」
「……そうですか」
初めての戦場、明日には死んでいるかもしれない恐怖。
だというのにルイは、この場を楽しいと感じていた。
「戦場の夜は、もっと怖いもんだと思ってたよ」
「こんな風に、どんちゃん騒ぐことも多いんです」
そんな言葉を聞いてもトウリは怒ることはなく、小さく微笑んだ。
「戦友と酒を手に未来を語り合う。それは金銀に勝る、宝のような思い出」
「うん」
「だからこそ。失った時に、辛いのです」
ドクポリ解放戦線は、名前も知らぬ間柄の人間の集まりだった。
ただ賊が憎い、奪われたものを取り返したい、その一心で集った他人同士。
ルイという人間を旗印に、奇跡的にまとまった義勇軍。
「良い人たちですね、彼らは」
「ああ、大切な仲間だ」
彼らの思いは一つだ。だからこそ全員が、親友のような関係になっていた。
年齢も思想もバラバラの人間が、一致団結できるなんて珍しい。
「人形ちゃんに、ルイ! こんなところで何静かに飲んでるのよ!」
「……マリッセ姉さん」
「ルイ、あんたもこっちに来なさい。リーダーでしょ!」
ルイとトウリが二人並んで語っていると、ほろ酔いのマリッセが近づいてきた。
シックな雰囲気の二人が気になり、邪魔しに来たらしい。
「みんなアンタの言葉を待ってるわ。何か良い感じに言いなさい」
「お前、そんな無茶ぶりな」
「それは大切なリーダーの仕事ですね。ルイ兄さん、頑張ってください」
「トウリまで……」
マリッセの誘いを受けて、トウリも静かに立ち上がり。
ギャアギャア騒いでいるメンバーの元へ向かうべく、ルイに手を差し伸べる。
「兵士の鼓舞は大切ですよ。頑張りましょう、ルイ兄さん」
「……あー、分かったよ、やればいいんだろ」
「自分も、何か芸をして場を温めますので」
「久々に、人形ちゃんの劇が見たいわ」
……戦いの前の空気は、いつだって明るい。
どんなに絶望的な戦闘が待っていても、皆が楽しそうに振舞う。
「期待してください、あれから人形劇の腕も上げたのですよ」
「ほほー」
それはきっと、人間としての本能なのだろう。
人は『命の危機』が迫っていると察すると、どうしても落ち着かない気分になる。
「さあさ、お立合い。ふつつかながらノエル孤児院で
「いいぞー!!」
だから、楽しく叫んで恐怖を誤魔化すのだ。
だからみんな、こんなにも楽しそうなのだ。
「「ひーかーりを、はなーつ、わがーそこくー」」
────兵士には現実から目を背け、気兼ねなく歌を歌う時間が必要なのである。
「敵は来ていないぞ」
「今のうちに、塹壕を掘り進めろ」
作戦二日目も、やはり敵は詰めてこなかった。
解放戦線のメンバーは、汗だくになりながら土を掘り進めていった。
「賊も、何かごそごそやってるな。連中、何をしてるんだ?」
「……最悪ですね」
賊は距離を詰めてこないものの、動きがないわけではなかった。
彼らはトウリたちのいる方向に土嚢を設置し、裏でこそこそ何かをしている。
それは、おそらく……。
「塹壕を掘り足してるのだと思われます」
「……おお」
トウリたちが塹壕戦を選択したため、賊も塹壕を掘り出したのだ。
無理に打って出ず、地盤を固めることを選んだのである。
「冷静すぎます。少なくとも、従軍経験者がいるでしょう」
「そうか。敵にも、戦争経験者が」
「しかも『分かってる』指揮官ですね。こちらの進行ルートを包み込む、嫌らしい掘り方です」
そんな賊の塹壕を見て、トウリはげんなりとした。
どうやら、イヤな掘られ方をしているらしい。
「このまま進むのは不利ですね。ルートを考えなおさないと」
「どうするんだ?」
「ちょっと東に遠回りしましょう」
敵はただの賊でないことは明白だった。
従軍経験者のトウリが、顔をしかめるような采配。
無策で突撃していたら、どうなっていたか想像に難くない。
「なぁ、俺たち勝てるのか?」
「自信がなくなったなら退きましょう。もとより、勝ち目は薄い戦いです」
「でも、こんなに援助してもらっておいて退くなんて。何を言われるか」
「命に勝る宝はありませんよ」
このまま塹壕を掘り進めば、あと五日ほどで交戦範囲に達する。
そうなれば、いよいよ命の削りあいが始まる。
「それに、敵の前に姿を見せるだけでも意味はあります。略奪を抑止できますので」
「そう、かな」
「我々が穴を掘っているおかげで、どこかの村が略奪されずに済んでいると思いましょう」
トウリは、そう言ってルイを慰めた。
ドクポリ解放戦線のおかげで、略奪を未然に防げた可能性がある。
確かにそれは、事実だろう。
「だからギリギリまで対峙して、引き返すのも一興です。賊に対応を強いた、それだけで戦果としては十分」
「……俺は、妻を取り返したいんだが」
「無論、いけそうであれば全力でお手伝いします」
そうは言うが、ルイの目的は攫われた妻の奪還だ。
ちょっと賊に嫌がらせをしただけでは、気が済まない。
「ただそれは、勝ち目がある場合にしましょう。……分かっていますね」
「ああ」
だが、実際に賊と相対してみると。
敵が思った以上に冷静で、狡猾なことが分かった。
「トウリ。前に言ったな、敵がどこかの正規軍である可能性があると」
「言いましたね」
「……その場合、敵はどこの正規軍の可能性が高い? そして、狙いは?」
本当に、どこかの正規軍であるとすれば。
それはどこで狙いは何なのか、想像がつかなかった。
「何の証拠もないですが。十中八九、エイリス軍でしょう」
「エイリスって、あの島国の?」
一方でトウリには、思い当たる節があるようだった。
エイリス。それは世界大戦におけるオースティンの敵で、遠く海を隔てた島国。
「どうしてエイリス軍が、略奪なんかするんだ」
「あの国が一番、終戦に反発してましたからね。さんざんに兵士と予算を注ぎ込み、小さな植民地を得ただけに終わった国。その不満は相当だったと聞いています」
「……」
「なので賊を装い、独立国家を自称してオースティン領を切り取った……なんてあたりでしょうか」
「そんなの、侵略じゃないか!」
トウリの推測を聞いて、ルイは激怒した。
十年前に世界大戦は、終戦で合意したはずだ。
その条約を破って、エイリスが侵略しているのだとすれば……。
「ええ、侵略です。許されるはずがありません」
「何で政府は動かないんだ!!」
その侵略に対抗するのは政府の仕事。
彼らが指をくわえているから、妻が攫われた。
ルイはオースティン政府にも怒りをあらわにするが……。
「オースティン政府も、ドクポリへ兵を向けようとはしたのですよ。しかしエイリスの反発が凄まじく、承認してもらえないのです」
「そう、なのか? エイリスが、拒否を?」
「ええ、ドクポリはエイリス植民地のすぐ隣。もし軍を動かしたら侵略行為とみなして迎撃すると」
オースティン政府も出来ることなら、軍を動かしたかった。
エイリスの抗議があまりに強く、後手に回っていただけ。
「ね、臭いでしょう?」
「……そうか、そうだったのか」
「状況をご理解いただけましたか?」
「ああ。トウリは事情を、よく知っているなぁ」
ルイはそこまで言うと、ん? と一瞬だけ首をひねった。
そして、
「トウリ。そういやお前、ドクポリに旅行しに来たって言ってなかったか?」
「……え? そうでしたっけ?」
「そこまで詳しいなら、ドクポリに賊がいることなんて知ってたんじゃ」
「あ、えーっと、それはですね」
トウリが最初、旅行者と名乗っていたことに違和感を覚えた。
今の話を知っていれば、ドクポリが賊の根城であることなど明白である。
その矛盾をトウリに突きつけると、彼女は困った顔で、
「……ごめんなさい。自分は、一般市民を装って賊の拠点を偵察していたのですよ」
「え。じゃあ、トウリは、政府の人?」
「厳密には違うのですが……。詳しくは、内緒です」
シーっと、唇に指を当てて誤魔化した。
「あの日は、賊の拠点を調べた帰りだったんですよね。攻略するには、一個師団くらい要るなと思ってたら……」
「俺たちと遭遇した、と」
「はい。たった百人で突撃しようとしてる貴方たちを見かけ、警告のため接触したのです」
その説明を聞いて、ルイは得心が言った。
トウリはただの元衛生兵にしては、事情を知りすぎていると思っていたのだ。
「……お前まさか、諜報員やってんの?」
「さあ、内緒です。シーっ、です」
おそらくトウリが、戦時中に衛生兵をしていたことは事実。
そして戦後、何らかの諜報機関に入ったのだ。
────それで、あんな物言いをしていたのか。
「分かったよ、聞かない。じゃあお前、仕事をほったらかしていいのか」
「良くないですよ。あなた達が警告を聞かなければ、見捨てる気でした」
彼女が密偵か何かであれば、戦いに参加なんてできないはず。
ルイと別れ、情報を報告しに戻るべきだ。
「……まさかルイ兄さんがいると思ってなかったのです」
「トウリ?」
しかしトウリは、ルイについていくことを選んだ。
偵察任務を切り上げ、命がけで戦うことに決めた。
その一番の理由は、
「見捨てられないですよ。マリッセ姉さんや、ルイ兄さんを」
「……そう、か」
トウリが、私情を優先したからだった。
「お前な。それで、上司から怒られたりしないのか?」
「大丈夫です。自分は誰かの命令で動いているわけじゃないので」
「命令じゃない?」
「ま、詳しくは内緒です」
そんなトウリの返答に、ルイは若干呆れつつ。
ますます謎が深まった『トウリ』という孤児院の後輩に、
「秘密が多いほうが、魅力が増すのですよ」
「なんだよソレ」
うやむやに、はぐらかされた。