TS衛生兵さんの成り上がり   作:まさきたま(サンキューカッス)

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68話

 

 冬入りして、およそ3か月ごろ。

 

 雪中での訓練作戦も完了し、いよいよ決戦の春が近づいて来ました。

 

 前線では微かな雪解けを合図に、両軍が開戦に向けた動きを見せ始めていました。

 

 

 冬の間、サバト軍はタール川岸から数kmに渡って十層以上の塹壕を堀り、堅実な陣地を構築していました。

 

 サバトはオースティンへ攻め込む起点として、タール川を死ぬ気で確保するつもりのようです。

 

 ここを失うと、サバトは次の攻勢に出る際に河を渡らねばなりません。

 

 タール川の川幅は80mほどで、それなりに水流が速く、生身の人間が泳いで渡るのは不可能です。

 

 5年前、このタール川を確保するためにサバトは大きな犠牲を出しました。

 

 当時のサバト軍は兵力にモノを言わせ魔力船を量産し、物量作戦で強引にタール川を掌握したそうです。

 

 タール川にはサバト兵の遺体がビッシリ浮き、腐敗臭を撒き散らしました。

 

 そして渡河作戦から数日、タール川の下流では赤黒い汚泥が絶えることなく流れ続けたそうです。

 

 

 そんな光景を見て「川にタールが流れてきた」と、当時の兵士たちは例えました。

 

 ……この川はサバトとの戦争の際、何度も決戦の場となっています。

 

 もしかしたら、このタール川の語源は人の血をタールに例えたのが始まりかもしれません。

 

 

 そして現在、タール川には随所に物資運搬用の橋が架けられています。

 

 無論、サバトが物資の運搬路として建築したものです。

 

 今、サバトはこの橋を用いて我々の領地へと攻め込んでいます。

 

 

 

 この河岸の拠点を陥落できれば、事実上オースティンの勝利と言えます。今のサバトの体力で渡河作戦を再度実行できるかは怪しいでしょう。

 

 橋を破壊できれば、サバトに講和の席に着いてもらえるとアンリ中佐は考えていました。 

 

 

 

 現在タール川に架けられた橋は、残り2つとされています。

 

 敵の陣地の後方に一つ、北に10㎞ほどの地点に小規模な橋がもう一つ。

 

 それ以外の確認されている橋は、もう南軍が破壊しています。

 

 

 ……この2つの橋は、川岸に陣取るサバト軍にとって急所と言えました。

 

 橋を破壊できれば、サバト軍は補給線を失います。

 

 銃弾も魔石もない軍隊など、何も怖くありません。

 

 橋を失った時点で、オースティン領土内にどれほど兵を残していようと、敵は全滅するでしょう。

 

 

 

 

 ────しかし、逆に言えばオースティンの勝ち筋はそれだけです。

 

 長期戦になれば、生産力を失ったオースティンはジリ貧です。

 

 一方サバトはタール川に橋が架かっている限り、強大な生産力をもってオースティンを圧倒するでしょう。

 

 

 何としても橋を落としたいオースティンと、橋を狙いに来ることが分かっているサバト軍。

 

 総兵力は大きくサバトに分がありますが、士気や将兵の質が高かったのは間違いなくオースティンでした。

 

 

 オースティン軍の参謀は歴史に名を残す名将ベルン・ヴァロウ。

 

 迎え撃つは時代の寵児、サバトに現れた鬼才シルフ・ノーヴァ。

 

 これが歴史上、初の二人の直接対決であり。後々まで戦争に大きな影響を残し続けた、歴史的にも重要な戦いです。

 

 そんなお互いの国の命運をかけた『総力戦』ともいうべき決戦の火蓋は、雪解けを合図に切られました。

 

 

 

 

 

「別にこれは作戦じゃなく、そうするしかないだけ」

 

 ベルン大尉は冬が明ける前に、タール川の橋正面に戦力の大半を結集させました。

 

 それは敵に向けて事実上「その橋を狙っています」という宣言に近いものでした。

 

「どんなに隠しても、敵が橋の警戒を怠るわけがない」

 

 作戦行動が敵に筒抜けになるのは避けるべきなのでしょうけど、今回のケースではオースティンの勝ち筋がそれしかないのです。

 

 だったら狙いを誤魔化すことに手間をかけるより、作戦の本筋を洗練した方がマシだという考えでした。

 

 当時ベルン・ヴァロウが頭に描いていた作戦は「敵の主力をオースティン側に残したまま、橋を落として退路を断ち全滅させる」という絵です。

 

 実現の可能性がとても低い「絵に描いた餅」ですが、この目標はオースティン首脳陣の大多数も賛同しています。

 

 何故なら戦後の事を考えると、敵主力を逃がした場合にサバトが講和に応じる可能性が低かったからです。

 

 

 オースティン首脳の戦後の構想は、タール川を国境にして講和した後、お互い川岸に強固な防衛陣地を建設するというものでした。

 

 タール川沿いに強固な防御陣地を建設しあえば、お互いに侵略できなくなります。

 

 この陣地建設案はサバトに対する牽制であると同時に、民への救済でもありました。

 

 路頭に迷っている人々に公的事業で仕事を与える事が出来るし、国境付近の荒れた土地に商売の需要が生まれるのです。

 

 サバトの大量虐殺により人口が減ってしまった事で、オースティンは逆に食料は1年ほど持ちそうなのでした。

 

 その1年の間にサバトと講和を成立させ、公共事業で食料を配って国を立て直そうとしたのです。

 

 

 そんな戦後構想を実現するには、敵主力の壊滅は必須でした。

 

 敵に余力があったならば、虫の息であるオースティン相手に講和をする理由がありません。

 

 講和を引き出すには、彼らにも虫の息になってもらう必要があるのです。

 

 それをよく理解していたベルンは、橋の破壊に加え敵の殲滅も目標に加えたのです。

 

 

 

 

 

「……なんだ?」

 

 そして、長い冬が明け。

 

 オースティンから見えるサバト陣地は、実に奇妙な事が起きていました。

 

「……敵が、居ないぞ?」

 

 そう、敵が時間をかけて掘ったであろう塹壕の中に、殆んど兵士の姿が見えないのです。

 

 橋付近には小規模な部隊が駐屯して見えるのですが、どう見てもオースティンより少勢でした。

 

 塹壕の何処からも、飯を炊く煙も殆ど上がりません。時おり、まばらに煙が見えるだけです。

 

 もしや撤退しているんじゃないかと疑うほど、敵の兵の痕跡が見えないのでした。

 

 

「もしや、サバト主力は撤退したんじゃないか?」

「遠目に見る限り、塹壕の中に殆ど兵士が見えないぞ」

 

 

 サバト軍はオースティンに攻め込む為に、橋を守り抜かねばならぬ筈です。

 

 撤退して、塹壕をがら空きにする筈がありません。

 

「まさか、隠れているんだろう」

「でも、もしサバト国内で何か事件が起こって持ち場を離れているなら……」

 

 そんな偵察兵の報告は、オースティン参謀本部を悩ませました。

 

 ここを好機として見るか、はたまた罠と見るか。

 

 もし本当に敵が少数で、橋を破壊できるチャンスであれば見過ごすわけにはいきません。

 

 それは我々が、喉から手が出るほど欲していた勝機なのです。

 

「リスクは承知の上で突っ込むべきだ、もし偵察した通りであれば戦争を終わらせられる」

「馬鹿、もっと時間をかけて偵察してから……」

「モタモタしている間に、敵の主力が帰ってきたらどうする!」

 

 塹壕に籠っている敵は、ごく僅か。少ない兵を絞り出して、布陣している可能性が高い状況。

 

 そんな幸運を前にオースティン参謀本部は色めき立ったのですが、

 

 

 

「罠に決まってんだろバーカ」

 

 

 

 と、そんな参謀達を一蹴したのはベルン大尉でした。

 

「サバトに、オースティンとの戦争以上に優先すべき軍事行動なんざありませんよ」

「だが、万一……」

「その万が一、と言う甘えた考えを引きだすために兵士を少なくして見せてんでしょう」

 

 

 

 

 

 

 まぁ、これはお察しの通りサバト側────というか、シルフ考案の作戦でした。

 

 ベルンにさんざん煮え湯を飲まされてきたサバト軍は、今度は逆に罠にかけてやろうと頭を捻ったのです。

 

 そして彼女は、冬の間に「2段の塹壕」を兵士に掘らせることを提案しました。

 

 シルフは塹壕の奥に2段目の深い塹壕を掘らせ、そこに兵士を隠すことであたかも『塹壕内に兵士が潜んでいない』ように見せたのです。

 

 そして飯の煙が上がらないよう、2段目の塹壕にこもる兵士は冷たくても食べられるレーションをすするよう徹底したそうで。

 

 その結果、雪が解けて現れたサバトの陣地に、殆ど敵兵の姿が見えなくなっていたのです。

 

「いかにも、サバトのアホが考えそうな作戦でしょう。まんまと引っ掛かってどうするんです」

「何故、そう断言できるんだ」

 

 冬の間、時間と人手があったサバトはこんな罠を張っていました。

 

 シルフ本人は「これで釣れればラッキー」くらいの気持ちで提案したそうです。ですが、決してこの策は馬鹿にできません。

 

 何せこの罠はオースティン参謀本部を真っ二つに割って、数日間の討論を巻き起こしたのですから。

 

 少し考えれば自ずと分かる罠なのですが、戦場の極限状態では「もしや何か奇跡が起きたのでは」という誘惑に抗えない人も多かったのです。

 

 

「ベルンの臆病者! 何が英雄だ! オースティンは、千載一遇の好機を逸した……っ!!」

「……はぁ、バカばっか」

 

 

 結局シルフの罠は、ベルン大尉の発言力が高かったせいで空振りに終わりました。

 

 その決定を受け「オースティンは自ら勝機を手放した」と慟哭する指揮官はかなり多かったです。

 

 もし参謀本部にベルンがいなかったらどうなっていたかは、考えたくありません。

 

 

 因みに戦後、この作戦について「シルフが余計な穴を掘らせ兵士に冷たいレーションを強要し、士気を大いに下げた」と結構ネタにされています。

 

 この2段の塹壕は、ちょくちょく前線で酔ったサバト兵士が足を踏み外し負傷させたそうです。

 

 なのでシルフからサバトへの罠だったんじゃないか、という説も囁かれています。

 

 しかし罠に引っ掛かって小勢のオースティン軍から突撃していたら、サバト側の圧勝だったでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レイターリュ衛生部長殿。今まで、お世話になりました」

 

 そして、春が来て前線の動きが活発になり始めたころ。

 

 ついに待ちに待った首都ウィンからの後詰1万人が、この最前線へと到着しました。

 

「我々トウリ衛生小隊は、本日付けをもってレンヴェル少佐の指揮下に移動します」

「……うー」

 

 それを受け、我々トウリ衛生小隊も本来の所属であるレンヴェル少佐の下へと戻ることになりました。

 

 そしてレンヴェル少佐の下で、新たな衛生部を再編する事になります。

 

 なので自分は、冬の間にお世話になった人々に挨拶をして回っていました。

 

「あの、ケイル君かアルノマ君か、どっちかだけでも置いてってくれない?」

「駄目です」

「独り占めはずるいわよ。私だって、トウリちゃん愛しの彼は譲って手を出さなかったじゃない」

「愛しの彼ではありません」

 

 レイターリュさんは、最後までテンションが変わりませんでした。

 

 この明るさと人当たりの良さは、真似できません。

 

「ま、新しい衛生部でも頑張ってね! 困ったことがあれば相談なさい、患者の受け入れとかもドンと来いよ」

 

 彼女は別れ際に自分をギュっと抱きしめました。

 

 とても豊満でした。

 

 

 

 

 

 

 

「そうか、分かった」

 

 そんなレイターリュさんとは対照的に、ザーフクァ曹長との挨拶は淡白なものでした。

 

「ここで俺に習ったことはよく復習しておけ。特に、【盾】の応用法は忘れるな」

「はい、曹長殿」

「いざという時、貴官の生死を分ける。……そういう技術を選んで、教えたつもりだ」

 

 しかし淡白な別れとは裏腹にこの冬、彼と濃密な訓練時間を過ごしました。

 

 曹長は、ガーバック小隊長ほど言葉は厳しくありませんが、訓練の厳しさは彼以上だったかもしれません。

 

「貴官に貸している訓練銃と弾倉は餞別だ。持っていけ」

「え、ですが」

「ゴム弾しか入れていないから、訓練用だと言い張れ。戦場で銃を持たずに行動させるなんてありえん」

 

 別れ際、彼は自分に1丁の銃を手渡してくれました。

 

 銃や弾薬は厳重に管理されており、こうした勝手な譲渡は出来ないはずですが……。

 

「俺のやることに文句を言える連中なんぞ、そうおらん。……それにまぁ、じきに衛生兵も銃の所持が合法になるだろうし」

「そうなんですか」

「ああ。件のヴェルディ中尉の撤退作戦の時に『後方部隊が武装していなかったせいで撤退方法の選択肢が狭まった』と、レンヴェル少佐が問題提起したそうだ。あの人は強引だから、無理やり軍規を変えてくると思う」

「……」

 

 ちなみに、ベルン大尉を南軍の英雄とするなら、ヴェルディさんが我々中央軍の英雄ポジションです。

 

 レンヴェル少佐が大々的に戦果をアピールしまくったせいで、彼の武勇伝は全軍に広まっていました。

 

「たまたま貴官の上官がヴェルディ中尉殿だったので助かったが、本来あのような死地に放り込まれたら死んで当然。自らの為に訓練弾でもいいから、銃は持っておけ」

「はい、曹長殿」

「レンヴェル少佐の指揮下に戻るなら、取り上げられる心配も薄いだろう。ちゃんと、手入れを欠かすなよ」

 

 ザーフクァ曹長は言葉は少なめですが、その分ものすごく熱意をもって自分に接してくださいました。

 

 彼は元々面倒見の良い方だそうで、意欲的に訓練に参加する新兵はザーフクァ曹長によく可愛がられるのだとか。

 

 自分も、その枠に入れて貰えたみたいです。

 

「では、貴官の幸運を祈る」

「今までありがとうございました、ザーフクァ曹長」

 

 自分は彼に敬礼を返し、銃を肩にして立ち去りました。

 

 そのまま自分はヴェルディさんやアリア大尉のいる、レンヴェル軍へと戻ることになりました。

 

 いよいよ、新しい衛生兵としての日々が始まります。戦争が再開し、再びこの世の地獄を体現するであろうあの日々が。

 

 

 

 そして、自分の右肩にかかった1丁の量産銃。

 

 この銃は彼の言う通り、本当に自分の生死を分ける事になりました。

 

 

 

 戦争は、世界は、常に我々の想定通りに動いてくれるとは限りません。

 

 今みたいに「もう、この作戦を成功させるしかオースティンに生き残る道はない」という絶体絶命の窮地にこそ、歴史は弱者に意地悪く牙を向けます。

 

 この春から、いよいよ激動の1年が始まります。

 

 この年はオースティンにとっても、そしてサバトにとっても最悪の1年となることを、まだ誰も知りません。


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