TS衛生兵さんの成り上がり 作:まさきたま(サンキューカッス)
「おうクーシャ、先輩、帰ったぜ」
夏も盛り、乾いた日差しが照り付ける中。
「あら、アンタどうしたんその怪我」
「賊にやられたよ。……ったく、治安が悪くなったもんだ」
ゴムージは行商の旅を終え、顔に包帯を巻き付けて帰ってきました。
まだ包帯には赤黒い血が滲んでおり、隙間から見える傷は痛々しいです。
「賊やって? 大丈夫やったんか」
「ああ、護衛が追っ払ってくれたぜ。やっぱ安全には金をかけるべきだよな」
ギョッとして駆け寄ったクーシャさんに、ゴムージはカラカラと笑顔を返しました。
ゴムージは馬車上から動けないので、行商の間は信用できる傭兵団に護衛を依頼していたのです。
この男は、本当に抜け目がありません。
「その護衛に、治療を依頼しなかったんですか?」
「ああ、治療は有料だってさ。なら、先輩に治して貰った方が安上がりだろ?」
「……化膿したら大変なので、次からは治療を受けて下さいゴムージ」
「おう、すまんかった」
ですがこの強突く張りは、自分の回復魔法を当てにして治療を断っていたようです。
お金はそこそこ持っているんですから、その場でちゃんと治療を受けてください。
「お前らは何か困ったことなかったか?」
「そうそう、うちらもひと悶着あってな。オースティン出身やからって、トウリちゃんが襲われかけたわ」
「何ぃ? 村の連中は納得してたハズだが」
「退役兵が、村に戻ってきよったんよ」
「んだとぉ?」
自分の治療を受けるゴムージは、自分とセドル君が暴行されかけた事件を聞き、片眉を吊り上げて怒りました。
……ゴムージの怒り顔を見るのは、マシュデール以来かもしれません。
「そいつらはどうなった?」
「理性がある人が、場を治めてくれたわ。セドを蹴っ飛ばしてくれた男は、ウチが睾丸蹴っ飛ばしといたで」
「よくやった、流石俺の女房」
そんなことしてたんですか、クーシャさん。
「成程、そういう可能性もあったか。悪い先輩、見落としていたわ」
「いえ、その」
「この俺が戻ってきたからには安心しろ、もうそんないざこざは起こさせねぇ。しばらくは村に留まるつもりだから、安心してくれ」
ゴムージは自信満々に、自分にそう言って微笑みました。
もしかしたら彼は、村で自分を受け入れて貰うための根回しをしてくれていたのかもしれません。
……ゴムージは、人の心の内側に入り込むのがうまいですから。
「俺は身内のためになるなら、やらねぇことはねぇ」
自分がこの村で平和に過ごせているのは、彼の庇護があってこそ。
初対面で爆殺されかけた男にこうも世話になるとは、人生は分からないものです。
「ふーん? 先輩、あの蒸し風呂気に入ったのか」
「ええ、とても快適でした」
「俺は好かんけどなぁ」
自宅でのゴムージの身の回りの世話は、自分かクーシャさんが行っていました。
彼の馬の世話や餌やりなども、自分の仕事だったりします。
「若い男にヴァーニャは、ちょっと辛ぇんだ」
「……それはどうしてですか?」
雑談の中でヴァーニャの話題になると、ゴムージは微妙な顔になりました。
世話になっているので、彼が望むなら背負って行ってあげるつもりだったのですが。
「……その、興奮してるのがバレちまうからな。足が無い俺は、誰かに抱っこされないと入れんし」
「あぁ」
「クーシャ相手におっ勃つならともかく、その、他の女に目が行ってるのがバレるとクーシャが怖くて」
「……成程」
「でも男なら、目が行っちまうもんなんだよ」
まぁ、気持ちはわかります。自分も、美人がヴァーニャに入ってるとチラチラ目を奪われてしまいます。
変な意味ではなく、目を引かれるという感じですけど。
「ヴァーニャは神聖な場所だから、興奮するだけで白い目で見られるんだ。目の前に御馳走を用意され、お預け食らってるようなもんよ」
「そんなものですか」
「あと、たまに男に誘われる。尻が痒くなる」
「男にとっては天国かと思いましたが、案外に辛いのですね」
「わかってくれるか、先輩。まぁ先輩と入る分にはまったく気にせんで良いんだが」
確かに、そう考えると既婚者には少し辛い場所なのでしょうか。
妙齢の女性が肌を晒す中、僧のように無心でいなければならないわけなので。
「ま、てなもんで俺は家の水場で十分だな」
「そうですか」
「先輩が行きたいなら好きにすりゃあいい。年頃の男を捕まえるにはうってつけの場所だ」
「自分は既婚なので、そういうのは結構です」
「そうだったな」
自分があの場所を気に入ったのは老若男女問わずにコミュニケーションが取れて、かつ素敵なスパ体験が出来るからです。
そういう目的ではありません。
「ま、先輩は焦る必要はないぜ。嫁ぎ遅れそうになったら、セドが引き取るから大丈夫だ」
「流石に歳の差があるでしょう」
「俺とクーシャだって、6歳離れてる」
自分とセド君は、12歳離れてますけど。
「自分なんかあてがったら、セド君がかわいそうですよ」
「アイツ、どう見てもお前にデレデレだぞ」
「あの年ごろの子は、よく遊んでくれる人に懐くだけでしょう」
確かに今のセド君は、自分を見るなり笑顔で駆け寄ってくれますけど。
他の同年代の子と遊ぶようになれば、自分から離れていくと思います。
「まぁ、先の話だ。そうそう、先輩に渡すモノがあったんだった」
「渡すモノですか?」
「おう、良いもん見っけてな。そこの木箱の前、開けてみろよ」
ゴムージは思い出したように、手を叩いてそう言いました。
彼の指さす方向には、小さな木箱があります。
「その箱の中の、筒をとってみてくれ」
「これですか?」
「そうそう、その箱の中の黒い筒だ。鉄製のヤツ」
自分はゴムージの指示するまま、黒い筒を取り出しました。
それはずっしりと重い、黒光りの鉄筒でした。
「これは……?」
「そこの留め具を外して、開けてみろよ」
自分は指示されたとおりにその鉄筒を開くと、
「これは、手術セットですか」
「ああ、ピンセットにメスが3本と針、糸、砥石入り。耐熱性だから、熱湯消毒可能だ」
新品の手術道具が、きれいに収納されていたのでした。
奇麗な鋼色の光沢から、高級品であることが伺えます。
「俺からのプレゼントだ、どうよ?」
「これは、とても素晴らしいものでは。あ、この穴に紐を通せば肩に掛けられるんですね」
「そうだ。それさえあれば、いざという時に手術道具を取りに行かなくて良いだろ」
携帯できる手術セット……、とても良いものを貰いました。
これでいつでも重傷者に応急処置をすることができます。
「ありがとうございます、ゴムージ。とても嬉しいです」
「そうだろ? 先輩の商売道具にしてくれ」
「一生、大事にします」
アニータさんの診療所に手術道具はありますが、それはあくまで借り物。
自分専用の手術セットがあるのは、やはり嬉しいものです。
それも、携帯できるとあれば言うことはありません。
「先輩がマシュデールで、処置の時にアーミーナイフを使ってたのを思い出してな。自前の応急処置セットは持ったことねぇんじゃねえか?」
「ええ、あの時の自分の医療物資は誰かに爆散させられましたからね」
「それを言うなよ、先輩」
実はアーミーナイフは応急処置にも割と使えて、メスが不足している時は衛生部でも使っていました。
「ああ、やっぱり先輩にゃ武器より医具のがよく似合う」
「……どうも」
「出来ればもう、あんな物騒なモンを握らないまま過ごせりゃいいんだが」
しかし正直、アーミーナイフはサイズ的に自分の手に余っていました。
彼が今日プレゼントしてくれたメスの方が、手に合ってそうです。
「ええ、自分もそう思います」
ゴムージから受け取った手術セット。
これを使って一生、オセロで癒者をやるのも悪くないかもしれません。
衛生兵であったことを忘れ、ロドリー君ら失った戦友を悼みながら、一般市民として生きていっても良いのかも。
自分は手渡された鉄筒を見て、そんな感傷を抱きました。
それは、戦友への裏切りであることはわかっています。
ですが恐ろしい戦場の毎日に比べ、この村の生活は余りにも平穏で幸せでした。
「……何だ、こりゃ」
「どうしたんです、ゴムージ」
自分がそんな、甘えた感傷を抱いた罰が当たったのでしょうか。
全てが壊れる前触れとして、1枚の号外紙がオセロに届けられました。
「その紙に、何が書かれているのですか?」
「ヨゼグラード……。サバトの首都が、焼き払われたと書いてある」
「首都が? 誰にです、まさかオースティン軍?」
「いや」
その号外紙は、首都の新聞社が刷ったものでした。
日付は、およそ1か月前となっています。自分たちの住むオセロはサバトの辺境なので、情報の伝達はかなり遅いのです。
「労働者議会、と名乗る連中だ」
「……労働者議会?」
自分はその組織の名前に、聞き覚えは有りませんでした。
「これが本当なら、凄まじい大事件だ」
「この情報の真偽を確かめるまでは、ゴムージも行商には出ない方が良いでしょう」
「だな。最近妙に治安が悪いと思っていたが……」
自分はレミさんと知り合ってはいましたが、彼女の詳細な情報は貰っていません。
ベルンから、「レミは他人の命を毛とも思わないテロリスト」という話を聞いていただけです。
「嫌な予感がしやがるぜ」
「その予感が、外れてくれればよいのですが」
だから、この時サバトで何が進行していたかなんて知る由もありませんでした。
そして残念ながら、ゴムージの嫌な予感は最悪の形で的中してしまいます。
これから間もなく「サバト革命」と呼ばれる、サバト連邦を二分する大きな内乱が勃発してしまうのです。
この時、首都では何が起こっていたのでしょうか。
実は当時、「サバト政府が降伏を拒否し、勝利を逸した」という情報が広まって、暴動に近いデモが行われていたのです。
市民は政府からの説明と補償を求め、連日のように政治家の自宅や役所へ押しかけました。
そしてとうとう、市民の手によって政治家が暴行される事件が発生してしまいます。
身の危険を感じた政治家は、デモに参加した国民を賊として対処するよう軍に命令しました。
軍事力で、市民をねじ伏せようとしたのです。
「どうして、友や家族を撃たなければならないんだ?」
これが、実に悪手でした。
兵士だって市民であるということを、彼等は失念していたのです。
「あそこにいるのは俺の妹だ、撃たないでくれ!」
「でも、命令が」
「それ以上銃撃を続けたらぶっ殺すぞ!」
当たり前の事ですが、首都に駐留している兵士の大半は首都出身でした。
彼らにとっては、自分の家族や友人を撃てと命令されたようなものです。
「すまんが俺ぁ、うっかり命令を見逃したようだ」
「なら仕方ないですね」
この命令を実行する部隊は少なく、多くの部隊がサボタージュを決め込みました。
それどころか、一部の兵士は脱隊してデモの護衛すら行ったと聞きます。
こうして軍の指揮系統は乱れ、機能しなくなってしまいました。
「今、サバトは生まれ変わらねばなりません。戦争を憎み、平和を愛し、家族と力を合わせ生きていける国家に」
そんな混沌とした情勢の中、勢力を急拡大したのがレミ・ウリャコフの率いる「労働者議会」でした。
「労働者議会」は脱隊した兵士の受け皿となり、デモ隊を守る様々な活動を始めます。
街中に巨大なバリケードを設置して、負傷した市民を運び込んで治療し、戦争反対を声高に訴えました。
その活動は多くの市民の支持を集め、大量の援助が集まりました。
レミ・ウリャコフ自体の圧倒的な美貌やカリスマも、その勢力拡大に一役買いました。
彼らの影響力は日増しに高まっていき、市民は政府より労働者議会に従うようになっていきます。
そして政府より影響、軍事力、人望が「労働者議会」が上回ったその日。
事実上、サバト連邦は崩壊してしまいました。
「金の亡者が権力を持つから、この国は歪みました」
「労働者議会」は旧政府の力を削ぐため、政府高官の家を襲い暗殺して回りました。
彼らの攻撃対象は、「戦争継続を希望したらしい」軍事企業にも向けられました。
レミは演説で民を煽動し、民衆により多くの企業本社が焼き払われていきました。
その企業は悪だ、という風潮は徐々に拡大していき、
「我々は平等であるべきです。財をため込み、独占する企業は悪です」
資産家に対する無差別な憎悪として、民衆の間に浸透していってしまいました。
レミさんは、自らの演説でこのような思想を語りました。
「国民が全ての財産を共有することが出来れば、貧富の差はなくなります」
と。
「全ての国民の財を政府が管理する」とも言い換えられるこの恐ろしい思想は、多くの貧困層の労働者に受け入れられました。
彼らはそれが実現できれば、素晴らしい国になると信じたのです。
レミさん自身もきっと、そう信じていたに違いありません。
しかしこの新たな思想のせいで、サバトは大混乱に陥ってしまいました。
この思想に大義名分を得て、資産家に対する無差別な略奪がサバト全域で横行したのです。
補足しておくと、レミさんは決して略奪を容認していたわけではありません。
彼女が武力攻撃の対象としたのは戦争で甘い汁を吸っていた企業だけであり、行商人などには「政府打倒のための寄付」を呼び掛ける程度にとどめていました。
レミさんは商人を排斥するつもりなんてなく、むしろ物流の為にも積極的に取り込みたいと考えていたのです。
彼女が企業を敵視したのは、分かりやすい悪人を作り上げることで味方の結束力を高めるためでした。
実際レミさんは演説で「行商は民の豊かな暮らしに不可欠である」としていますし、結構な数の町商人が彼女のパトロンになっています。
しかし、彼女の演説を聞いた民衆は「自分の都合の良いように」解釈をしてしまいました。
「皆で財産を共有する」ので窃盗が許されると勘違いしたり、「企業が敵」だから商人を襲うのは正当だと思い込んだり。
レミさんの考え方は新しすぎて、多くの民衆に誤解を与えてしまったのです。
この急速な治安の悪化に対処すべく、レミさんは独自に治安維持軍を組織しました。
これはデモ隊の時に離反した軍人が中心となった私設軍で、思想を曲解して蛮行に走った賊を処罰していきました。
しかし彼女の手が届いたのは首都の周囲までで、辺境まで対処する余裕までは有りません。
平和な村だったオセロにも、戦乱の導火線がゆっくり敷かれていたのです。
恐ろしいことに、この年のサバトは戦争が行われていた時の数倍に及ぶ犠牲者が出てしまいました。
それも死者の大半は兵士でなく、平和に暮らしていた一般市民でした。
こうしてサバト連邦政府の崩壊をきっかけに、サバト史上最悪の1年が幕を開けたのです。
この惨状のどこまでが彼の狙い通りだったかは分かりません。
しかしこの地獄を作り上げたのは間違いなく、オースティンの英雄ベルン・ヴァロウでしょう。