恋の雪   作:敷き布団

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第陸話 思い出と約束

12月も半ばに入ろうとした週末の昼下がり。私は今日も忙しなく注文を取ったり、配膳をしたりと羽沢珈琲店でのアルバイトに精を出していました。

 

「イヴちゃん、これ4番さんお願い!」

 

「承知しましたっ!」

 

今日は休みの日でかつ、外がかなり冷え込んでいるということもあってか、人の入りも普段より格段に良かったのです。ホットドリンクの注文が多いのは勿論、暖を取ろうとして長居されるお客さんもいらっしゃいましたから、ケーキなんかの注文もかなりありました。

 

「あっ、店員さん、すみませんー」

 

「少々お待ち下さいっ!」

 

お客さんが少ない時は雑談に興じていたりするこの珈琲店でしたが、今日はそんな余裕もあまりないほどに注文などがひっきりなしに飛んできます。一緒に働いているツグミさんもあっちへ行ったり、こっちへ行ったりととても忙しそうでした。……とは言ってもかくいう私もそれほど周囲を眺めているような余裕は無かったのですが。

 

そんなお客さんの対応に追われている中、お昼を少し過ぎたぐらいの頃でしょうか。相変わらずお客さんの数は減りそうになく、むしろランチメニューを頼むお客さんが居るからこそ長居するお客さんが増えてしまうような次第でしたが、そんな状況でまたもやドアのベルの音が鳴り響きました。

店内を眺めてサッと見回してみましたが、テーブル席の空きはありません。テイクアウトのお客さんじゃなかったらどうしようかとも思いました。セツナさんだったら良いのにな、今日はセツナさんがいつも来る曜日なのにな、なんて考えもしましたが、お客さんを待たせるわけにも行かないので、私は入口までお客さんのところへ行きました。そのお客さんは若い2人組の男性でした。ピアスなどを耳などに目立つほどにつけている姿を見ると、少しだけ遊んでいるお兄さんたちなのかなと思いました。

 

「いらっしゃいませー!」

 

「店内で、2人ね」

 

「大変申し訳ないのですがお席が満席となっておりまして……」

 

「……は?」

 

低く響いた声は怖さを催すぐらいには怖かったです。ですが、席がないものばかりはどうしようもありませんでしたから、私には謝ることぐらいしか出来ません。

 

「少々お待ちいただくことになるのですが、よろしいでしょうか……?」

 

「いやいや、ありえないでしょ」

 

私は反論の術もなく沈黙するしかありませんでした。

 

「はぁー、おっ、てかもしかして若宮イヴじゃね?」

 

「え、あ、は、はい……」

 

「すっげー、ファンなんだわ、握手してよ」

 

「えっ、あっ、いや……」

 

いきなり手を出してきた男性客に困惑した私は思わず言葉を失ってしまいました。けれど、そのお客さんの目線は威圧的で私は少し震えていました。

 

「はぁー、サービスなってないな……って、あ?」

 

「……迷惑だから、そこらへんにしとけ」

 

「なんだよおっさん」

 

怖くて目を閉じてしまっていた私の目の前にいたのは、セツナさんでした。セツナさんはそのお客さんの腕を掴んで、静止させていました。お客さんは腕を振り払って悪態をつこうとしています。

 

「ここは喫茶店だ」

 

「……ちっ、邪魔したな」

 

バツが悪くなったのかその2人組のお客さんは帰っていかれました。私は思わず力が抜けてしまいましたが、何よりセツナさんにお礼を言おうと、足を踏ん張りました。

 

「せ、セツナさん……ありがとうございます!」

 

「ん、良いんだよ。それじゃ、いつも通り注文しようかな」

 

「は、はい!」

 

セツナさんは特に気取ったりすることもなく、あのぶっきらぼうにも見える表情で、いつも、普段通りにカウンターの方でテイクアウトメニューを見始めました。

 

「えっと、それじゃアイスコーヒーを」

 

「はいっ! かしこまりました」

 

セツナさんとこうやって話せるのは嬉しいですが、何より、些細なこととはいえ助けていただいたことで余計に昂っていたからか、この上なく嬉しかったです。私の顔には自然と笑みが溢れていました。

そんな時、視界の端っこで一組のお客さんが帰っていかれるのが見えました。ツグミさんがお皿なんかをお盆に乗っけて、カウンターの方へと持ち帰って来そうでした。……やはりその日は恋にはちょっと勇敢だったのでしょうか。

 

「あ、あの!」

 

「ん? どしたの?」

 

「折角ですから……、店内で……ゆっくりとするのは如何ですか?」

 

私の提案に少し驚いた顔を見せたセツナさんでしたが、すぐに微笑んでくれました。優しさの溢れた微笑みでした。

 

「……そうだね。今日は時間があるから、ゆっくりしようかな」

 

「は、はい! ではお席にお持ちしますね!」

 

そう言うとセツナさんを空いたお席に誘導しました。丁度誘導しようとしていた時でした。隣に皿を乗せたお盆を持ったツグミさんがにっこり笑いながら言ったのです。

 

「……イヴちゃん、お客さん落ち着いたから、休憩入っていいよ?」

 

「え?」

 

店を見回しますが、明らかに人の入りは多いです。けど、ツグミさんは『がんばれ』と言っているかのような微笑みを浮かべています。私はツグミさんの厚意に感謝しながら、出来立てのアイスコーヒーを持って、セツナさんの席へと向かいました。

 

「……こちら、アイスコーヒーです」

 

「ありがとう」

 

「お向かい、失礼しますね!」

 

「……うん、どうぞ」

 

何の説明もなしにテーブル向かいに座る私にセツナさんの見せてくれた表情は、温もりに満ちた笑顔でした。そんな顔を見るだけで私の心はドクンドクンと高鳴りました。こうやって落ち着いた時間を持って、しっかりと話すことなんて初めてかもしれませんから。

 

「……ずっとメッセージでやり取りはしてたけど、こうやって直接落ち着いて話すのは初めてだね」

 

「こうやってセツナさんとお話ししてみたかったです!」

 

「あはは、ありがとう。さっきは大丈夫だった?」

 

「さっき?」

 

「ほら、さっきのお客さん」

 

「あ……! だ、大丈夫です! その……ありがとうございました!」

 

私が思い切りペコリと頭を下げると、セツナさんは慌てて私の頭を上げさせます。ですが、顔を上げると、セツナさんの表情は少し憂げに、哀愁に浸るような顔をしていました。いつも澄ました顔をするセツナさんの、寂しげな顔には水墨画のような哀しさと侘しさが混ざり込んでいました。

 

「その……どうかしたんですか?」

 

「……いや、ちょっとだけ懐かしいことを思い出したなって」

 

「懐かしいこと?」

 

私が聞き返すと、セツナさんの表情は一層寂しさを増しました。けれど、笑わないで聞いてくれるかい、と重そうな口を開いてくれました。

 

「前に意中の相手がどう、って聞いてくれたよね」

 

「はいっ、えっと……初めて連絡先を交換した夜でしたかね?」

 

あの夜、アヤさんと電話をしながら、セツナさんとのやりとりを楽しんでいた夜が思い起こされます。

 

「そう。数ヶ月前だったかな。僕が社会人になってすぐのことなんだけど、駅の隅っこで、丁度イヴちゃんみたいな白い肌の女の子が蹲って泣いていたんだよ」

 

「え……」

 

私はそんなセツナさんの言葉を聞いて、つい先日見たばかりの夢を思い出しました。どこか懐かしさを感じたあの夢では、私を助けてくれた男の人の顔はぼやけていましたが、今から考えるとそのじんわりと広がる熱を持った声は、セツナさんの声にとても似ていました。

 

「なんでも財布を無くして帰れなくなっちゃって、だったとかなかな。……その時、だったかな。とてもこの子を助けたいってなったんだよ」

 

状況はあの時見た夢とほとんど変わりませんでした。

 

「僕も急いでたからお金だけ渡してすぐ行っちゃったんだけど、もっと話しておけば良かったかな。きっと恋の芽生えみたいなものだったから」

 

「それって」

 

私が、その相手はきっと私だと、そんな二の句を継ぐ前に、セツナさんは言葉を続けました。

 

「でも今思えば……あの時本当の恋をしなくて良かった気もするんだ」

 

「え……」

 

予想外のセツナさんの言葉に水を打ったように私の思考は止まりました。

 

「そういう儚いと言うか、一瞬だからこそ、懐かしくて素敵な思い出に残るだろうから。自然な幕引きで、自然と薄れていったからこそ、綺麗な思い出に残ってるんだよ」

 

「そんな……」

 

「変に拗らせちゃ、後で余計に切なくなっちゃうからね」

 

「そう……ですかね……」

 

セツナさんの言葉はいやなほどに私の耳に残りました。切ない、だなんて宣うセツナさんの顔は、きっとセツナさんが自分で思っているよりもさらに切なく映りました。それは後悔に似た感情にしか、私には見えませんでした。けれど、セツナさん曰く、それは後で思い出を綺麗に残しておくための保存料のようなものだと言うのです。

 

「……なんて、子どもみたいな恋の話だよね、ごめんね、こんな話して」

 

私はとても、その時の少女が自分だって、他でもない若宮イヴだって、セツナさんに言い出すことなんて出来ませんでした。何故かそこで言い出したら、私の正体を明かして仕舞えば私の初恋が終わってしまうような、そんな気がして。胸が張り裂けそうになるのです。

本当は、ずっと前に助けていただいた恩人が、今目の前にいるセツナさんで、心の底から嬉しいはずなのに、そんな嬉しさを共有したいはずなのに、それを伝えたら今のこの楽しい時間がきっと終わりを迎えてしまうから。

だから、私はそんな雪が溶け出してしまわぬよう、そっと胸の奥に仕舞い込みました。怖かったから、この気持ちが、この思い出がぐちゃぐちゃになってしまうのが、怖かったから。

 

「……なんて、物寂しい話なんかしちゃってごめんね。折角のクリスマスシーズンなんだから、もっと楽しい話がしたいな」

 

「え、は、はい!」

 

私は必死に頭を振り絞って、そんな儚くて寂しい話を吹き飛ばせるような、楽しかった出来事を探し出しました。

 

『儚い……』

 

一瞬だけ頭の中に薫さんが浮かびました。

それはそうと、クリスマスですか。そこで、私はふと、自分のライブを思い出しました。……そうだ、と私は口を開きました。

 

「その……私、実は今度のクリスマスイヴにライブをするんです!」

 

「ライブ? そっか、えっと、Pastel✽Palettesだっけ?」

 

「はいっ! それでその……実は来て欲しい人に渡せる、ライブのチケットがあるのですが……どうか受け取っていただけませんか!」

 

「……ライブのチケットか。そんな大切なもの、僕が貰ってもいいのかな?」

 

「勿論です! セツナさんだからこそ、是非聞いて欲しいですから!」

 

セツナさんは私のそんな返答を聞いたら安心してくれたのか、あの癖になるような微笑みを向けてくれました。

 

「……そういうことなら、是非お呼ばれしようかな」

 

「本当ですか!」

 

「うん、イヴちゃんのステージの姿も、見てみたいからね」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「それで、チケットは?」

 

「あ、流石に今日は持ってきていないので……。そうだ! セツナさんが今度お店に来られる時に渡します!」

 

「おお、そっか。それじゃあまた今度貰おうかな?」

 

「はいっ!」

 

私のテンションは最高潮に達しました。セツナさんが聞きに来てくださるとなれば、私のライブへのモチベーションも格段に上がりました。

 

「……ふふっ、それじゃあ招待のお礼にでも。イヴちゃんはケーキとかは好きかな?」

 

「はいっ、食事制限の時なんかは控えますが、食べられる時にはいっぱい食べます!」

 

「そっか。それじゃ、店員さん、注文お願いします!」

 

そんなセツナさんの顔は先程の恋の哀愁を吹き飛ばしたような、晴れやかな表情をしていました。










儚い。クリスマスイヴに交わされた約束は果たしてどうなるのか。
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