最初のG1である桜花賞は阪神競馬場1600mで行われる。
ボクはトレーナーさんと一緒にレース場を回りながら、レースプランを練っていた。
「今回ライバルになりそうなのは、アグネスフローラさんにケリーバッグさん、エイシンサニーさんかな」
「リギルのスイートミトゥーナさんは?」
リギルの顔なじみを思い浮かべながらトレーナーさんに尋ねる。
「スイートミトゥーナさんはいまいちかなぁ。最近シンボリの子たちは全体的にちぐはぐというか、合ってないというか……」
「ふーむ」
「シンボリルドルフという偉大過ぎるウマ娘を追いかけて、無理させてるような子が多いんだよね。今回も残念ながらスイートさんはないと思うよ」
スイートミトゥーナもまた、ルドルフさんと同じシンボリ家の所属である。
シンボリ家は名家であり、シンボリルドルフを生み出してから圧倒的な権勢を誇っている家であるが、最近はいまいちだ。
障害のほうで何人か頑張っているぐらいで、平地のほうではほとんど名前を聞かなくなってしまっている。
といってもスイートミトゥーナさんは重賞ウマ娘であるし、リギル所属だし決して油断できる相手なわけではないのだが…… 今回の桜花賞では、トレーナーさん曰く、「ない」らしい。
「今回の最大の敵はやはりアグネスフローラさんだね。ここまで4戦4勝だし」
「それを言ったらボクも4戦4勝でGⅠも取ってるんですけど」
「だからヴィオラちゃんが一番人気なんじゃない。でも、フローラさんはとんでもなく強いよ」
「それはわかってます」
いつも変なジュースをボクに飲ませてくるフローラさんだが、走りに関しては非常に真摯であるのを知っている。
どうも脚が弱いところがあるらしく、いつもセーブしながらのトレーニングであるが、それでも一生懸命だし、あのよくわからないジュース群も体質改善のために作っているのはわかっている。
だから、ボクもフローラさんのチームメイトのダイイチルビーさんも光ったりクソまずかったりするジュースを飲むのだ。
おかげでボクもさらに丈夫になった気がする、まあこれ以上丈夫になってどうするのかという感じもするが。あと光るの楽しいし。
そしてそのフローラさんの実力はピカ一である。
王道の先行策からの差し脚は、後ろに控えている差しウマ娘たちよりも鋭く、また直線への抜けだしの上手さも一流だ。
化け物ばかりの同期だが、こと、先行に関してはマックイーンさんよりフローラさんの方が上手いと思っている。
「普通だと、ケリーバックさんやエイシンサニーさんも十分警戒するべきなんだけど、今回はおそらくフローラさんに勝てるかどうか、になると思う」
「ふむ……」
「ケリーバックさんとアグネスフローラさんはたぶんたたき合いになるけど、フローラさんの方が一段上手だから、ケリーバックさんが勝つのは難しい。エイシンサニーさんは阪神の短い直線じゃ差しが届かないね」
阪神競馬場の直線は350mとかなり短い。
距離だけで言えば中山競馬場の310mの方が短いのだが、最終コーナーがほとんど平らな中山に比べ、阪神は第三コーナーからずっと下り坂なので、スパートすると外に吹っ飛びやすいのだ。
これが、開催時期が遅いころだと内と外の芝の差でぶん回した大外からの大差しが決まるのだが、この時期だとそれも難しいだろう。
「で、ヴィオラちゃんが先行策で単純にフローラさんと競っても多分勝てない」
「まあ、そうでしょうね」
それは厳然たる事実だ。
ボク自身の実力もかなりついてきていてGⅠクラスだと思うが、フローラさんと同じ土俵でガチ勝負して勝てる気はあまりしない。
「じゃあ先に行きます?」
勝てないなら自分により良い展開を持ってこないといけない。一番手っ取り早いのは直線に先に入ってしまうこと、つまり逃げることだ。
後ろに行っても差し脚で負けている以上愚策だし、こういう戦法になるだろう。
「いや、逃げても難しいね。サクラサエズリさんに競られちゃうだろうし、コスモアイドルさんやレガシーワイスさんも競ってくると思う。ヴィオラちゃんが逃げの競りで負けるとは思わないけど、ここで消耗したらそれこそ直線で残れないよ」
「いやはや、打つ手がないですね」
前に行けば行くほど有利なら、みんな逃げてるが、そんなことがないからほかの戦法があるのだ。
特に逃げが競り合ってハイペースになると後ろが有利になりがちだ。
この前の朝日杯みたいにさらにハイペースにして後ろも潰せれば別だが、フローラさんあたりはそんなのに付き合ってくれないだろう。
「結局そうすると、打つ手は一つ。コース取りで勝つしかないよ」
「内側に潜り込みますか」
そうするとメイクデビューの頃からの方法になる。
並んでも勝てない、前に行っても勝てないなら、コース取りで有利を作るしかない。
「フローラさんは逃げの壁を嫌って、外に持ち出すはず」
「まあ阪神ならコーナーから外に行くのは難しくないですからね」
「で、ヴィオラちゃんはずっとそのうちを走りながら、最終コーナーで最内から抜け出す」
「警戒されません?」
「警戒してても、一人分ぐらいのスペースはどうしても開くから大丈夫だよ」
トレーナーさんは自信をもって、ここで内が開くと、第四コーナー終わり際の場所を踏みつける。
「とはいえ懸念点もあるんだ。一つはフローラさんがそこを読み切って、ここに飛び込もうとしてくること。幸いヴィオラちゃんの方がフローラさんより内枠だから、競り合ってこられてもポジションはいい位置にいるだろうし、負けないとは思う」
「なるほど」
「もう一つはスイートさんだけど……」
「スイートミトゥーナさん?」
さっきない、とトレーナーさんが判断していたはずだ。
スイートミトゥーナさんはどちらかというと後方待機の戦法を好むはずだから、この方針だとあまり関係が無そうでもある。
「いやごめん、今回は関係ないから気にしないで」
「わかりました」
少し言葉を濁しながらも、トレーナーさんはレースの予想を終わらせるのであった。
阪神競馬場で行われる桜花賞、芝1600mの当日の天気は晴れであったが、前日に降っていた雨のせいでバ場は重と発表されていた。
パドックではボクはいつものようにはしゃぎまわっていた。
今回から羞恥心を捨てたのだ。
勝負服はメジロの御令嬢であるラモーヌさんが監修してデザイナーさんが仕上げたちゃんとしたものなのだ。
つまり恥ずかしくない。痴女ではない。
「いや、私は結構好きだけど正直痴女だと思う」
ルーブル姉さんは黙ってほしい。ボクの勝負服決まるときノリノリだったくせに。
だから尻が出ていようと、太ももが出ていようと、体の線が露わだろうと恥ずかしくないのだ。
幸い春になって暖かくなってきているので、寒くもないのは助かった。
パドック最前列で見ている人に近づいて、ツーショットを撮ったり、求められるポーズをしてみたり、そんな感じでファンサービスにいそしむ。
ただ、虚紫垂れ幕だけは許さん。
前を通るとどうしても表情が死んで、そのあたりの人たちから歓声が上がるが、許さん。
無表情の何がいいというのだ、まったく解せぬ。
当然ただただ騒いでいるだけではなく、メンバーの様子をうかがう。
今回はフローラさんが特に注目するべき相手である。
「フローラさん、ごきげんよう」
「あらあら、ヴィオラちゃんもごきげんよう」
どこかのお嬢様学校のような挨拶をお互いにしあう。
フローラさんのことだから、ドレスみたいな勝負服かと思っていたが、白衣を羽織り、その下がセーターという、科学者みたいな服装だった。
フローラさんの態度はお嬢様そのものだが、本質は求道者なのかもしれない。
「今日は負けませんから」
「ボクも負けませんよ」
笑顔で宣戦布告をしあい、話は終わった。
他の人も見まわす。
ティアラのレースは前回の朝日杯と少し異なり華やかな勝負服が多い。
スイートミトゥーナさんはお菓子の国のお姫様、といった感じの赤と白のドレスでとても可愛らしい恰好だった。
だが、ちょっと顔が怖い。
「ミトゥーナさん、大丈夫です?」
「ばっちりですよ。今日は負けません」
少し心配になって声をかけたが力強い返事が返ってきた。
多分トレーナーさんが変なことを言ったせいで気にしすぎているのだろう。
キレッキレに仕上がっているし、やはり油断していい相手ではない。
軽く挨拶だけして、別れるのであった。
他の人に適当に声をかけつつファンサービスをしていると、パドックの時間が終わった。
決戦の時が訪れたのだった。
ファンファーレ響く中、素直にゲートに入る。
ゲートに入るとレースに集中しはじめ、スーッと落ち着いていく。
苦手なウマ娘が多いと聞くが、ボクはゲート内が結構好きだった。
このままスターターの人と呼吸を合わせていく。
周りが一瞬静寂に包まれる。
ゲートが開く音とともに第50回桜花賞がスタートした。
先頭を快調に飛ばしていくコスモアイドルさんに、それについていくレガシーワイスさんとサクラサエズリさん。
そんな三人の後ろで、内ラチ際をボクは走り続ける。1枠1番を採れた枠の良さから、想定してたポジションを取るのは難しくなかった。
そんなボクの横をぴったり走り続けるフローラさん。
マークされているのかと一瞬思ったが、単純にフローラさんなりのベストを走っていて、それがボクと被って居るだけのようだ。
ただ、その外側前方にケリーバッグさんがおり、このままだと外に抜けるのが難しい。
ボクもそれは同じなのだが、トレーナーさんのプランであった大内を抜けるつもりだった。開かないということは心配していない。トレーナーさんを信用しているのだ。
だが、フローラさんはどう考えているのか。
同じ隙間を狙っている可能性が高いと考えた方がいい。
そうすると隙間は一人分、椅子取りゲームだ。
慎重にフローラさんに出し抜かれないように、レースを進めていくことにした。
レース展開の巧稚はあれど、ボク自身もレース展開が下手なわけではない。
一つの戦法を突き詰めていくタイプに対していろいろやるボクが劣る面もあるが、今回フローラさんとの競い合いはボクの有利に進んでいた。
だが、フローラさんも引くつもりはないようだ。
一応トレーナーさんにはセカンドプランで、大内が抜けられなかったときに抜けやすいルートも考えてもらっている。
そちらから抜けるつもりかもしれない。
フローラさんとボクの実力差だと、そちらをフローラさんが抜けるとギリギリ勝てるか勝てないか、ぐらいである。
厳し勝負になりそうだと思いながら、第三コーナーに入ったとき……
後ろから大きな音が響いた。
一瞬そちらに意識を取られ、思わず振り向いてしまう。
スイートミトゥーナさんが転倒していた。
何が起きているかわからない。
そもそも何もできることはない。
レースは続いている。
にもかかわらずボクは一瞬完全にレースから意識を放してしまった。
そして、それをフローラさんが見逃すはずがなかった。
コーナーで加速し、一気にボクの前に潜り込んだフローラさん。
外から見たら、完全にドン詰まりに潜り込んだように見えるだろうが、何を狙っているかボクにはよくわかった。
これ以上ここにいても抜けられる可能性は0だ。
フローラさんの外側に入り、そのまま少し外へと向かう。
その外はケリーバックさんにふさがれているが、前の3人は競り合いで体力を使い果たし、並んで走れるような状況ではない。
第四コーナー途中で、一位集団がばらばらと崩れていく。
そして大内からフローラさんが抜け出し、ボクは少し外の、サクラサエズリさんとコスモアイドルさんの間に空いたスペースから抜け出したのであった。
アグネスフローラは勝ちを確信した。
ヴィオラちゃんは優しすぎる。
勝負の時にライバルを気にするなんて、らしいといえばらしいが、レースへの執念が欠けているともいえる。
トレーナーの腕もあり、本人の元々の器用さと頭の良さもあり、この時点まではヴィオラちゃんの想定していたようなレース展開になっていた。
私のほうは、外に回ると届かない可能性があったので、ヴィオラちゃんと同じ大内に開くだろうコースを狙っていたが、この時点までは競り負けており、ヴィオラちゃんの方が一枚上手なはずだった。
スイートミトゥーナさんが転倒し、一瞬だが完全に、ヴィオラちゃんはレースから意識を離した。
ヴィオラちゃんがレースからいなくなった一瞬、私は内側に潜り込む。
この瞬間、ヴィオラちゃんのプランが崩れ、私のプランが勝利した。
あのヴィオラちゃんの優しさに救われてきた身としては、ヴィオラちゃんの優しさに付け込むのはいささか不本意でもある。
だが、いくら彼女の体の丈夫さを研究しても、いくら気を使いながらトレーニングしても、自分の実力を発揮できる時間がほとんど残っていないことを、私は自覚している。
夏を超えて走り続けるのは難しいだろう。
一方ヴィオラちゃんはきっと、もっとずっと走り続けるだろう。
だからこそ覚えておいてほしかった。
アグネスフローラというウマ娘がいたことを。
圧倒的に輝く、素晴らしい友人がいたということを。
ヴィオラちゃんはそれでもあきらめていなかった。驚くほど美しく弧を描くコーナリングから、わずかな隙間にその小柄な体をねじ込んで、直線へ抜け出してくる。
だが、届かない。
あれほどまで美しいコーナーリングに抜け出しだ。普通の相手なら届いていたかもしれない。
だが、彼女の相手は百凡のウマ娘ではない。このアグネスフローラなのだ。
完全ではない彼女では、自分には届かないのは明らかだった。
必死に追いすがるヴィオラレジーナを突き放し、アグネスフローラはティアラ三冠最初のレース、桜花賞に勝利したのであった。
レースが終わり、控室に戻る間。
ボクは何かもやもやしていた。
負けたことが悔しいのもある。
スイートミトゥーナさんが心配なのもある。
だが、それ以上に何かが引っかかる。
とぼとぼと地下道を歩いていると、フローラさんが声をかけてきた。
「ヴィオラちゃん」
「フローラさん、おめでとうございます。今日は完敗でした」
「ふふ、ヴィオラちゃんも強かったわ」
そういわれても心の引っ掛かりが取れず、気持ちが晴れない。
「私の走り、どうだった?」
「すごかったですよ」
「あなたの心に、これで私がずっと残り続けるかしら」
「……はい」
フローラさんが何を言いたいのか、少しだけ察した。
フローラさんの脚部に不安があるのは知っている。
フローラさん自身も自覚しており、きっとこのまま何年も走ることはできないのだろうと薄々察している。
きっとそんな短い期間の中、今日は全力で走り抜けたのだろう。
その姿は本当に美しくて。
その姿は本当にかっこよくて。
その姿は本当に儚くて。
ああ、そうか。
「ふふ、泣かないで。そして、覚えていて。アグネスフローラというウマ娘を。あの瞬間、誰よりも美しかったウマ娘がいたことを」
「……はい」
知らずのうちに涙が流れていた。
きっとあの瞬間、フローラさんは世界で一番美しかった。
それに対して、自分は、レースに集中できず無様な走りをしてしまった。
2着だからいいとか、そういう話ではない。
もしかしたらフローラさんの最善の走りはこの瞬間しかなかったかもしれない。
そんなレースでの無様な自分が、果てしなく悔しかった。
控室に戻るとトレーナーさんが氷枕を持って待っていた。
どこまでこの人は読んでいるのだろう。
この後にはライブがあるから、泣き顔で出るわけにはいかない。
「ミトゥーナさんのこと、予想できてた?」
「そうですね。可能性は考えていました」
教えてくれればよかったのに、と言いたくなったが言えば余計情けなくなるだけだ。
ボクのレースに全く関係ない場所での事故だ。
意識が向いたとしても、レースに集中していればフローラさんにいいようにはやられなかったはずだ。
結局、ラモーヌさんがいつも言う、レースへの執念が足りていなかっただけであり、それは自分の問題なのだ。
目をつぶり、氷嚢を顔に当てる。
美しいフローラさんの走りが、目に浮かんでいた。
ちなみに1990年ぐらいだと阪神競馬場は今でいう内回りしかありません。
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