桜花賞から皐月賞までは1週間しかない。
その間のスケジュールは綿密に組まれ、分単位の管理がされることになる。
「うあぁぁぁぁぁぁ」
「特に問題はないね。疲れも許容範囲だし」
ライブ後、チームスピカは大阪まで出て、ホテルで一泊する。
沖野トレーナーだけは泊まらずに府中に先に帰って、府中での帰還後の準備。
ボクはトレーナーさんと同じ部屋で、ほかのプレさん、ネイチャさん、ルーブル姉さんで別一部屋である。
ホテルに着いたら、服を脱がされ、延々とメディカルチェック代わりの触診と、疲労回復のためのマッサージである。
足の指、手の指まで丁寧に揉みほぐされていく。
トモやお尻は入念にこねくり回されるが、痛みなどもなく、疲れているな、という感覚のみで特に問題はなさそうだ。
「しっかし、本当に大きくなったねぇ」
「育てたのトレーナーですけどね」
「ここまで立派に育つとは思わなかったよ」
両手で、尻をまわすように揉んでいくトレーナー。
疲れた足がじんわりと癒されていく。
「で、皐月賞をどうするかだけど」
「ですね。強敵は多いです」
「だね。メジロライアンさんにアイネスフウジンさん、ハクタイセイさんの三人は圧倒的に強いし、阪神ジュニアステークスを勝ったコガネタイフウさんもいる。油断できない相手は多い、けど」
「けど?」
「強敵が多いほうが、作戦は決まりやすいんだよね。だって、隙が増えるから」
桜花賞はアグネスフローラさんが強すぎて、ガチの一対一の勝負になってしまい、力負けしてしまったが、今回は混戦模様だ。
最低でも有力ウマ娘がボク含め、4人もいるのだ。
そうそうレース展開が読めるものではないが…… 敬愛するべき白井トレーナーは違うようだ。
横になって、脇の下から胸の下までを揉みしだかれていく。
すでにどこを見られるのも慣れてしまった。ウマ娘同士同性だという気安さもある。
「どんなレースになると思いますか?」
「レース展開の基本は、アイネスフウジンさんが逃げて、ライアンさんが差して、ハクタイセイさんが先行策で抜け出しを狙う形だろうね。この場合、先行策が一番有利だから、ハクタイセイさんが有利だけど、アイネスフウジンさんもメジロライアンさんも、実力が高いからなぁ……」
白井トレーナーでも読みにくいらしい。だが、絶対に腹案があるはずだ。
仰向けにされるとさすがに少しだけ恥ずかしさを覚えるが、力を抜いて、なされるがままにする。
肩やほっぺをもまれ、ほぐされていく。
「じゃあどうします?」
「けん制し合っている、という状況ならば、どう動くかは読みにくいけど、一人にばかり構っていられない、という状況でもあるわけだ。だから簡単。周りを気にせず勝てるレースをすればいい」
「ふむ、だとすると、12秒フラットで2000m走り切りますか」
今までの皐月賞では、2分を切って走りぬいたレースは存在しない。
つまり、2分フラット、1ハロン12秒フラットで走りぬけば確実に勝てる。
簡単な理屈だが難しい話でもある。
まず正確な体内時計が必要であること。
二つ目は周りに目を付けられ妨害をされることである。
だが、今回有力バが4人もおり、しかもボクは桜花賞で負けた上に連闘である。
きっと注目はされていない。
まったく注意されていない、ということはないが、せいぜい3番手ぐらいの位置だろう。
ならば、意識は多くは向かないはずだ。
しかも、おそらくアイネスフウジンさんは、それなりにハイペースで逃げるだろうから、2番手、3番手ぐらいでうまく隠れられるはずである。
きっとうまくいく戦法であるはずだった。
今まで地道にしてきた、正確なラップを刻む練習の成果を見せる時でもある。
このタイミングが一番うまくはまるだろう戦法であった。
翌日は朝一番で大阪を発ち、そのままあらかじめお願いしていたメジロの温泉療養施設に向かう。
温泉は治癒効果は高いが、一方で体の負担もあり、場合によっては一時的に体調を崩すこともある。
もろ刃の剣だが、1週間しかない以上、体調管理のためにラモーヌさんやアルダンさんにお願いして使わせてもらうことにしたのだ。
1日目、月曜日に温泉療養施設につくと、母が待っていた。
「おかえり、ヴィオラ、ルーブル。ヴィオラは頑張ったみたいだね」
「おかーさーん」
むぎゅーと抱き着く。
やはり疲れた時には母が効く。
1日だけだが、レース後予定を開けてもらったのだ。
「相変わらずヴィオラは甘えんぼだね。ルーブルもほら、おいで」
「いや、親子水入らずを邪魔するつもりはないので」
「ルーブルも子供でしょうが。ほら」
一歩引こうとするルーブル姉さんを、母は抱きしめた。
養子で義理の親子だからか、ルーブル姉さんはこういう時に意外と遠慮する。
まあ母の愛の前にはまったく無駄な抵抗である。
母に抱きしめられたルーブルさんの顔は見えないが、しっぽはうれしそうにブンブン振られていた。
ボクの尻尾もちぎれんばかりに振られ、絶好調である。
「で、今日はどうする予定なの?」
「お母さんにギューッとしてもらう。あと一緒に温泉はいる」
「立派になったと思ったけど、まだ甘えん坊だねぇ」
その日一日は、母にくっつき続けて、時々ルーブル姉さんにもくっついて、グダグダと休養して過ごすのであった。
一緒に温泉に入って、尻尾と髪のケアもしてもらって、久しぶりにとても安らかな一日を送るのだった。
翌日からは延々と柔軟体操と、フォームチェックをすることだけを重視した、軽い調整を行う。
普段やっている重量物の筋トレなんかは一切しない。
延々と単純な作業の繰り返しである。
何をしているかはよくわかっているし、内容も決まっているからそのうち終わるし、こういうのは、あまり嫌いではない。
こういうのが苦手な子もいるらしく、それぞれのトレーナーがそういう子に対しては工夫をしているらしい。
延々と調整と温泉生活を繰り返し、日曜日朝、決戦の地である中山競馬場に乗り込んだのだった。
当然のようにピリつくパドックで、ボクは観客に自作の柏餅をばらまいた。
いつもファンサービスは忘れないようにしているが、たまには別のことをしたいな、と思ったのだ。
レース前日のトレーニングも終わり、暇を持て余したボクは、適当に柏餅を作った。
かなりの数ができたので、パドックで配ったのだ。さすがにレース参加者には渡さない。体調を崩したりしたら、大変だし。
「なんで柏餅なんですか?」
「いやだって、皐月って五月だから」
参加者みな、怪訝な顔をする中、ライアンさんだけが苦笑を交えてボクに話しかけてきた。
今までのピリピリしていたのとは違う、余裕のある態度だ。
沖野トレーナーの波野トレーナーへのアドバイスが効いたのか、はたまたほかの理由か。
体も、精神もかなりいい感じに仕上がっているように見えた。
ちなみに柏餅だった理由はあまりない。ライアンさんに言ったように、皐月って五月だな、と思ったからに過ぎない。
ボクの謎の菓子配布により、なんとなく混乱した雰囲気漂うパドックを抜け、ボクはさっさとレースに参加するため地下道へと向かうのであった。
皐月賞は中山2000mのレースであり、内回りコースを1周強するレースである。
いつものように落ち着いてゲートに入り、気合を入れる。
そうしていつも以上にうまく、スタートを切りボクは先頭を取るのであった。
最初の200mはかなり急ぎ気味に入りつつ、最内に入る。
静止状態から加速する必要があるため、スタートの1ハロンはどうしてもタイムが多くなりがちだ。ここだけはしょうがないので、次と合わせて24秒フラットになるように焦りすぎずにレースを展開する。
アイネスフウジンさんは、先頭を競り合ってこずに少し後ろに控えるようだ。ここで競り合われるのが一番まずかったので助かった。
1枠2番という好位置にいたアイネスさんに対し、ボクは5枠12番という外から入る必要があったため先に行かれるかと思っていたのだが、ボクに後ろを取られていろいろされるのを嫌ったのだろう。
次の1ハロンはかなり急ぎ目に入る。
なんせ、最終直線の中山名物、心臓やぶりの坂を上る必要がある。それなりにスタミナを消耗しながら、体感、入りの2ハロンを24秒フラットで走るのであった。
後ろでアイネスさんとハクタイセイさんがポジション争いをしているのを感じながら、10と書かれたハロン棒の前を通過する。1000m60秒フラット。ペースはハイペースともスローペースとも言えない、ちょうどいい速さである。
ここで速くても遅くても、何を考えているか警戒されただろうが、本当に平凡なペースである。そんなペースで走るボクから、周囲の意識が離れていくのを感じる。
平常心である。
慌てすぎず、しかし、落ち着きすぎず。
いい感じに闘志を燃やしながら、ペースを維持する。
かなりスタミナは消耗しているが、ここからゴールまではラストの坂を除けばコースは全くのフラットだ。ペースを維持するのはむしろ楽であった。
後ろとは2バ身差程度の距離で第三コーナーに入る。
ペースは維持し続ける。スパートをかけるわけではない。
体力が残れば最後の200mでスパートをかけるが、それまでは本当にフラットなペースで走るつもりだ。
周りに抜かれようとも、周りを突き放そうとも、特に焦るつもりはない。
これで負ければしょうがない、と思う精神も大事だとおもっている。勝負をあきらめたわけではなく、全力で走って相手が上回ってくればそれは相手が強かっただけだからだ。
第三コーナーに入り、残り800m。
ペースを維持し、1ハロン12秒フラットのペースを維持すると、後ろとの距離がじりじりと離れていく。
中山競馬場内回りコースは第三コーナーおよび第四コーナーの旋回半径が小さく、コーナーリングが難しいコースだ。定石に従って皆、第三コーナーで息を入れたのだろう。
コーナーリング練習を丁寧にしているボクにとって、競り合うこともないこのコーナーリングはそう苦ではない。一人だけペースを維持したボクだけ抜け出した形になる。
残り600m
第三コーナーの途中にある6のハロン棒を通過し、第四コーナーに入る。
向こう正面では2バ身ぐらいしかなかった2位のアイネスさんとの差が10バ身以上になる。
おかしいと思った後ろがスパートをかけ始める気配がした。
残り400m
第四コーナーを駆け抜けてぽつんと一人直線に入る。
後ろから猛追してくる気配を感じるがペースは維持だ。
ボクのスパートは残り200mで行う。最後の1ハロンだけは12秒フラットより速いペースで走るが、そこまでは直線に入ろうともペースを維持する。
スパート態勢すら取らずに、道中と同じように走り続ける。
後方は気配ほど詰めてこられない。トレーナーさんの読みを信じペースの維持を心掛ける。
コーナーが小さいということは、スパートをかけるととんでもない遠心力を受けるということだ。
ただでさえ差をつけられたという焦りが心に生まれた中で、ラストスパートをかければどうなるか。
どんどん外側に引っ張られていき、距離の不利でボクとの差が開くのだ。
残り200m
中山の坂を上り始める。
ライアンさんがすさまじいスパートをかけている圧力を感じる。
アイネスさんもハクタイセイさんもスパートをかけ圧力をかけてくる。
だが、この距離の差は埋めきれない。
やっとボクもここでスパート態勢を取り、スパートをし始めた。
正直体力はほとんど残っていない。
坂を上り切り、棒のようになった脚から力を必死に振り絞る。
ボクは、ほとんどペースが変わらないまま、ゴール板前へと飛び込んだのであった。
のちには女王の魔法とも天才白井トレーナーの最高のマジックともいわれるようになるこのレースは、1分59秒9というレースレコードを更新するタイムを刻んだ。
こうしてボクが皐月賞を制したのであった。
本当に一滴のスタミナまで削り切ったレースに、ボクはゴール後コースに仰向けに倒れ伏した。
純粋な体力の消耗も激しいが、それ以上にレースという極限状態の中、ラップを維持しつづけるのは精神力を非常に削る。
立ち上がる余力すらない状態だった。
「次は、負けませんから」
ライアンさんが悔しそうに横を通過しながら一言、声をかけてくる。
「今度は負けないの」
風をまといながら、アイネスさんも横を通過していく。あれと競り合いながら逃げたくはないなぁというのが正直な本音だ。
「次は負けません」
強く言い切ってきたのはハクタイセイさんだ。
次は噛み千切られそうなぐらいの闘志を感じた。
そんな皆が横を通り過ぎていくのを、コースに寝転がりながらぼんやりと感じる。
あまりに立ち上がらないボクに異常を感じ、救急隊が出てくるまで、ボクは勝利の余韻をかみしめていたのであった。
この方法は今回だけしか使えない手だ。一度タネが割れればマークするという方法があるし、そもそも東京や京都など直線の長いコースだと普通にスパートで差される可能性がある。
だが、勝ちは勝ちである。
次はまた、違う方法を考えればいい。
救急車を呼ばれ、騒がしくなる周りに気づいて慌てて立ち上がる。
お詫びとお礼を言いつつ、ボクはライブの準備をするために控室へと向かうのであった。