今度の菊花賞だが、負けたくないな、と思った。
マックイーンさんに負けたくないのだ。
こう、なんというか、負けるとなんかいろいろ馬鹿にされそうな気がする。
いや、マックイーンさんは面と向かってはしてこないだろう。
だが、内心で馬鹿にされてない自信がない。
あとテイオーあたりがあおってきそうな気がする。
だから負けたくないのだ。
ちょっとした意地であり、だからこそ見せつけたいと思っていた。
そう思っていたのだが……
パドックに入るとまずマックイーンさんに無茶苦茶ガンをつけられた。
「絶対負けませんわ」という感じの視線がグサグサとボクに突き刺さる。
目力が強すぎて怖い。
オートターゲットロックオンされていて一切目線が離れないし。
ライアンさんもまたこっちにガンつけてくる。
マックイーンさんとまた違う感じに目線が怖い。
「絶対負けないからね」という感じの視線がグサグサとボクに突き刺さる。
こっちもいつも以上に目力が強すぎて怖い。
助けを求めるように視線を周囲に漂わせるが、今日の出走者の中に友達がいない。
観客席に応援に来ていたルーブル姉さんが、ヴィオラちゃんって友達いないよねっていう目でこちらを見ている。
いるし、例えばプレさんとかいるし、と思ってプレさんを見たら思いっきり目をそらされた。ライブメンバーに勝手に登録したり、あんな恥ずかしい格好させるウマ娘は私の友達にはいませんとその背中が語っていた。
その隣にいたフローラさんは、アグネス家に来てくれるなら友達になって差し上げてもいいですよっていう感じでほほ笑んでいる。友達料が高すぎである。
きっとパーマーさんやアイネスさんなら慰めてくれるだろうが、パーマーさんは来てないし、アイネスさんはソロライブである。
実際プレさんはまだ5戦3勝の3勝クラスでオープンクラスに上がるのは来年頭ごろをめどに頑張っているところだし、パーマーさんも同じく3勝クラスだから、菊花賞に出るのは難しい。
引退したアイネスさんや、ティアラ路線のフローラさんが菊花賞に出るわけもなく、話せるウマ娘がいない状況には変わらなかった。
とはいえいつものファンサービスは、いつも以上に頑張らないといけない。
なんせ現在ボクは逃げ切りシスターズリーダー(肩書)なのだ。
人気を取ればライブに人が集まるし、動画の再生数も伸びるし、ファンから肉が送られてくる。
だからこそいつもやっているファンサービスは大事なのだ。
背中に視線を無茶苦茶感じながらも、ボクはパドックで観客に手を振ったり、一緒に写真を撮ったり、虚紫の垂れ幕の前でいつものように虚無って写真を大量にとられたり、そんなことをして過ごすのだった。
なお、3番人気のホワイトストーンさんは我関せず、といった雰囲気で落ち着いていた。
強者のオーラであった。
本バ場入場を済ませ、軽く走って状態を確認する。
天気は雨、バ場は濡れて重い。
天気は良くないが、競馬場内の熱狂はどんどん高まっていっていた。
ゲート前に集まれば、ファンファーレが鳴り響く。
東京や中山のファンファーレとは違う、少し軽快で走りだしたくなるようなファンファーレだ。
ゲートインはみな、おとなしく済ませ、濡れる京都の空の下、今、レースが始まるのだった。
ハナを切って飛び出したボクに、マックイーンさんはついてきた。
究極のラップタイム逃げ。皐月賞で見せたそれを警戒してのことだろう。
これへの対抗策はいくつかあるが、後ろでマークしてペース維持を任せながらスタミナを温存するというのが典型的であり、マックイーンさんもそれを狙っているのはわかった。
だが、今回はその逃げ方ではない。ペースをアップダウンさせてマックイーンさんのマークを外しながら駆けていく。
違う何かだと感じたらしいマックイーンさんはそのままおとなしく下がっていった。
コーナーを回ってスタンド前を駆けながら1000m、タイムは60秒フラットぐらいだろう。
2000mの時なら通常ペースだが、菊花賞3000mなら明らかにハイペースだ。
菊花賞の勝ちタイムは大体3分6秒前後。ラップで考えれば1000m62秒ぐらいであり、それより2秒も速いのだ。
後続はそのハイペースに気づいたらしく、ボクに付き合わずに速度を落としていく。
その気配を感じたボクもまた、第一コーナーに入るころからペースを落とし、スタミナを維持し始めた。
息を入れているのに気づくウマ娘はどれだけいるだろうか。
ただ、気づいても対応は難しいだろう。
一度、ボクのハイペースを見てペースを皆落としている。
ここでボクがスローペースに切り替えたのに気づいてペースを上げると余計にスタミナを消費する。
自分でペースを変えているボクとは違い、振り回される形になるため冷静にレースを運ぶのは難しくなるのだ。
長距離ならではの幻惑逃げである。
案の定、皆気づいていないのか、気づいていても控えているのか、誰も追ってこなかった。
次の1000mのラップは大体65秒、1ハロン13秒ぐらいのスローペースで走っている。当然スタミナなんてほとんど消費していない。
口さがない連中がうちのトレーナーをペテン師というが、まさにペテンのようなレース展開である。2000m時点で約125秒、普段より遅いぐらいであるのに、完全にボクは有利なリードを取っていた。
残り1000mのところから始まる上り坂を上りつつ、ボクはコーナーに入った。
後続の追い上げが始まり、差が縮まってくる。
だが焦ることはない。
最終コーナーを回り、直線にはいるところ。
下り坂で速度は出ている。
コーナーの遠心力もある。
スタミナも残っている。
ボクは、直線に入り、さらにスーッと伸びるようにスパートをかけるのであった。
アイネスさんの真似である。
逃げが直線で伸びると追い付く側は単純につらいが、それ以上に精神的なダメージが大きい。
なんせ、逃げというのは直線時点ではばてて、後ろからくるウマ娘におびえながら逃げ続けるというのが一般的な印象だからだ。ここで余力をもって伸びられると、後ろは追い付けないという印象を受けてしまう。
今回のような長距離ではスピードやスタミナ以上に長時間冷静にレースを運べる精神的な強さが何よりも重要である。ほかの参加者の冷静さを崩すことにボクは全力を注いでいた。
マックイーンさんが直線に抜け出し、猛然と追いかけてくる。
長く伸びる末脚を発揮できるスピードとスタミナ、重いバ場をものともしないパワー、どちらも一流である。
負けない、という強い意志も感じる。
いくらスタミナをセーブしていたといっても、先に行っていたのはボクだ。残りのスタミナには差がある。
どんどん近づいてきて、残り300mぐらいのところで背中まで迫ってくる。
すさまじい圧力を感じる。領域すら発動しているのかもしれない。
外に回ったマックイーンさんが最内を走るボクに並びかけてきた。
このまま追い抜こうとしているのだろうが…… マックイーンさんの脚が急に止まった。
精神力でここまで持ってきたのだろうが、マックイーンさんのスタミナは確実に限界、いや、限界を超えている。
スタート時点でボクをマークしようとして消費したスタミナ、パドック時にイレ込んで消費したスタミナ。
そういった冷静さを欠いた行為がこの時点で如実に影響をしていた。
精神が肉体を凌駕するといっても限度がある。
燃料のない車が動かないように、スタミナの切れたウマ娘もまた走れないのだ。
どうにかもう少しだけ伸びようとするマックイーンさんをもう一度突き放す。
マックイーンさんの驚きを感じるがなんてことはない。ここまでボクはスタミナを少しだけ、一瞬のスパート分温存していたというだけである。
残り200m。
マックイーンさんは完全に沈んだ。
ライアンさんたち後方はおそらく届かない位置にいる。
勝った。
そう確信した。
勝ちを確信した時が一番危険といったのはだれだっただろうか。
長距離では冷静にレースを運ぶ精神力の強さが大事である。
さて、このレースで一番冷静にレースを運んでいたのはだれだろうか。
ボクに内心突っかかっていたマックイーンさんやライアンさんに比べれば、ボクは確かに冷静だった。
だが、比較的、というだけに過ぎない。
マックイーンさんとの喧嘩を引きずり、くだらなく負けたくないと思っていたボクもまた、冷静さを欠いている方だった。
そして、パドックを思い出す。
ずっと一人、冷静に状況を見ていたのは……
「うそっ!?」
白い風がボクの左、外側を駆けあがっていく。
最初、マックイーンさんがさらに差し返してきたのかと思い驚いた。
予定でも、そして並んだ時の様子でも、マックイーンさんは確実にスタミナが切れていたはずだ。
精神力でカバーできるような状況ではなかったはずだ。
だが違った。その白い風はマックイーンさんではなかった。
『ホワイトストーンだ!! ホワイトストーンだ!!』
実況が聞こえてくるような、そんな幻聴が聞こえる。
一人冷静にレースで機をうかがい、末脚をギリギリのところで届かせてきた白い風は、ホワイトストーンさんだった。
残り50m
必死に並びかけ、追いすがろうとするが、ボクのスタミナももう切れていた。
わずかだがどうしても届かない絶対的なクビ差をもって、1着でゴール板前に飛び込んだのはホワイトストーンさんであった。
「ホワイトストーンさん、おめでとうございます!!」
「おい、紫の」
「なんですか?」
「なんでここにいる?」
「ホワイトストーンさんの優勝を祝ってですね」
ホワイトストーンさんの控室にはチームメンバーが集まっていた。
チームミモザといえば古参の名門チームであり、ミホシンザン先輩やイナリワン先輩がおり、生徒会でお世話になっているカリブソング先輩なんかもいる。
そんな控室をボクは訪れ、ホワイトストーンさんにお祝いを述べていた。
イナリワン先輩は呆れており、控室の入り口ではルーブル姉さんとテイオーが回収係として待機していた。
「だってこの差し、すごくないですか? これ、一瞬でも遅れれば届かないし、一瞬でも早かったらこの隙間、開いてないですよ!? 信じられないです。うちのトレーナーも読んでなかったですよこれ。トレーナーさん天才では?」
「ま、まあうちのトレーナーも超一流だっからよ!」
トレーナーさんをほめたたえるとイナリワン先輩も引き下がる。
どこのチームだってトレーナーさんを褒められればうれしくなるものである。
後ろから来ていたのでボクは最後追い抜かれた姿しか見ていなかったが、レース映像を確認すると、ホワイトストーンさんは唯一といえるような勝ち筋をきれいにぶち抜いてきていた。
直線への抜け出し、そこから内ラチ際を上がってきて、マックイーンさんがスタミナ切れで沈み、それによりできたボクとマックイーンさんの間を抜けて差し切る。
完全な作戦と展開読み負けである。
自分の得意分野で、自分を上回る相手がいたと思うと、なんだかすごくうれしくなってしまった。
「ヴィオラって、好きなもののことしゃべるとき、すごい早口だよね」
「そうね」
うるせえ、テイオーだってルドルフさんのことしゃべるときには超早口なくせに。
ルーブル姉さんだってうちの母が大好きすぎて大体母関係のことは超早口である。
皆結局好きなものは早口になるのだ。
「ヴィオラ君も強かったよ。何度も負けると思ったもの」
「に"ゃぁあ"あ"あ"あ"」
ホワイトストーンさんがちょうどいい高さだったのか、ボクの頭をなでる。
それだけでボクは変な声が出てしまった。
「トレーナー。どうする? ライブ終わった後の祝勝会、この子らもつれていくかい?」
「スピカのトレーナーさんがいいっていえばいいと思うよ。ファルコ君、悪いが確認してきてくれないか?」
「はーい」
ミホシンザン先輩とトレーナーさんの配慮で、祝勝会まで参加できることになった。
なお、ミモザの祝勝会で出た料理はもんじゃ焼きだった。
イナリワン先輩のもんじゃ焼きは確かにおいしかったが、京都でもんじゃ焼きはちょっと斬新すぎるな、と思うのであった。