平和な美浦寮の朝である。
入り口のカギがまだ開いていない午前4時半ごろから、有志で集まって朝食を作っていた。
午前5時に入り口が開いて、朝練をすることを考えれば、これくらいの時間から朝食を作って食べるのがちょうどいい。
そういうことで自然にこの時間にみな集まることになった。
今日のメニューはホットケーキである。
ウマ娘10人分、ウマ娘はヒトの倍は食べるので、20人前のホットケーキのタネを作る。
レシピ通りの分量の卵、牛乳、小麦粉、膨らし粉を混ぜて、後はバターを敷いたフライパンで焼くだけである。卵を20個も割る手間があっただけで、後はそう大変ではない簡単レシピであった。
隣ではメジロアルダンさんが生クリームを泡立てている。
トッピングに使いたいと作り始めたのだ。
イチゴを洗って切る人も出たりと、和やかな朝の調理時間が流れていた。
そう、この時までは和やかな時間だったのだ。
「こっちで朝ご飯を食べられると聞いたのだが?」
葦毛の頭が入り口から覗く。
見かけない顔だが、噂を聞いて加わりに来たウマ娘だろうか。
一緒に栗毛のウマ娘もこちらを見ていた。
「材料はまだあるのでどうぞー」
拒否する理由もなし、ボクはこう、軽く答えてしまった。
これをボクはこの後しばらく後悔するのであった。
「おかわり」
「もう自分で作って!?」
新しく来た人用に、毎回料理は多めに作っている。
今回も栗毛のウマ娘、ベルノライトさんと、葦毛のウマ娘、オグリキャップさんに予備のホットケーキを分けていた。
それぞれ、ギリギリウマ娘1人前はあったはずだ。
だが、オグリさんはそれでも足りなかったらしく、お代わり用の予備も食らいつくし、それでもまだ足りずにお代わりを要求した。
ボクが渋々1枚分けたのだが、それでも全く足りないようだ。
同級生のアルダンさんは、オグリさんの同級生のようで、彼女の大食いを知っていたようだ。
自分の分を死守し、ごちそうさまをしていた。
先に教えてほしかった。
仕方がないので追加で作ることにする。
卵1パックに小麦粉1kg。牛乳1リットル追加する。ヒト10人前だ。これで足りなければもう処置なしである。
オグリさんに作り方を教えながら、一緒に作ろうかと思ったのだが…… オグリさんは予想以上に不器用だった。
「卵が砕けたんだが」
「卵は割るものです!! こういう感じで!!」
「わかった」
また一つ、卵が粉々に握りつぶされた。
わざとでないのはわかる。
表情は真剣なのだ。
だがあまりに不器用すぎた。
ベルノさん、あなたオグリさんのサポーターなんだから助けて、と目で合図を送るが、無視された。楽しそうに周りと談笑している。
アルダンさん助けて、と目で合図を送るが、笑顔で黙殺された。
ルドルフさんは頑張れと言って仕事に行ってしまった。
つまり孤軍奮闘だった。
無残に砕かれた卵から、必死に殻を取り出す。
そして材料を全部ボウルに入れてかき混ぜるだけだが……
「ふんっ!!」
「へぶっ!!」
余りに行き良いよく混ぜすぎて、生地の一部がボウルから飛び出し、ボクの顔に直撃した。
「ご、ごめん」
非常に反省した表情でこちらに謝るオグリさんを見れば、わざとではないのはわかるが、さすがに泣きたくなってきた。
どうにか三分の二ぐらいになった、卵の殻がまだ混じってそうなホットケーキの生地が完成した。
ひとまずフライパンに流し込む。
「もう焼けてるかな?」
「焼けてるわけないですよ!!」
ひっくり返す前からそんなことを言うオグリさん。
子供か! と思うがまだ中学生だった。
ひとまずもう使わない調理器具をこの合間時間に洗おうと、オグリさんから目を離した。
時間にして10秒ほどだっただろうか。
「ヴィオラ君」
「なんですか?」
「生焼けは、おいしくないな」
「食べないでくださいよ!?」
まだひっくり返してもいない焼きかけのホットケーキをすでにオグリさんは食べていた。
結局ボクがすべて焼くことになり、小さい1枚だけ分けてもらった。
卵の殻が結局残っていて、じゃりじゃりしておいしくなかったが、オグリさんは満足そうに食べていた。
栗東寮所属のオグリさんがこちらに来たのは、朝練前の朝食の問題だったらしい。オグリさん自身は文句なく食べていたそうだが、ベルノさんが暖かい朝食が食べたいと思い、美浦寮でやっている朝食調理会に顔を出しに来た、というのが真相のようだ。
そして、オグリさんもこちらの朝食を気に入ってしまい、毎日来ることになり、その担当がなぜか自然とボクになってしまったのは誤算だった。
オグリさんは不器用なので、料理させると大体何か失敗をする。
しかし、意欲はあるし、食べてばかりは悪いと思っているらしく、手伝う意欲だけは旺盛だ。
卵を砕き、米を粉砕し、小麦粉を爆発させるがすべて本人は頑張っているのだ。だから怒ることもできない。
そのせいでボクの調理の手間は量の大量増加も加えて何倍にも膨れ上がった。
とはいえ悪いことばかりではない。
この後の朝練に、オグリさんがよく併走してくれるようになった。
カサマツのシンデレラ、移籍から重賞3連勝したその実力は素晴らしかった。
非常識なほど柔らかい足首から繰り出されるスパートは長さも、速さも圧巻の一言である。
彼女自身の素養もあるだろうが、自分も柔軟性を上げれば、おそらくある程度参考にできるだろう。
ほかにも、仕掛けるタイミングが非常に神がかかっている。
総じて天才だ、としか言いようがなかった。
「日本ダービーを目指しているんだ」
「ダービーですか」
ダービーを目指す、というのはよくウマ娘たちが述べる夢だ。
小さい子でも漠然とそんな夢を語る。
だが、きっとオグリの夢はそんな漠然とした憧れではない。
確固としたとるべき目標だと、言葉で、態度で、存在で語っていた。
「キタハラと東海ダービーを目指していたんだが、結局中央に来てしまったからな。でも、キタハラとの時間も、夢も、意味があったといいたい。だから、東海ダービーよりも大きな、日本ダービーで私は勝つんだ」
「頑張ってください」
日本ダービーは日本一のレースといえるレースだ。
そして、最も運のよいウマ娘が勝つ、なんていわれるレースだった。
オグリさんの力は群を抜いていると思う。
アルダンさんと比べても、オグリさんのほうが上回っているのではないか。
だが、それでもだれが勝つかなんかだれもわからない。
オグリさんにダービーに勝つだけの運があるかなんて、この時点でボクには全くわからなかった。
オグリさんと知り合いになっても、ボクの生活は、そう多くは変わらなかった。
せいぜい、朝の料理の下ごしらえの量が、数倍になっただけである。
あとは、怪我から復帰し、同じく日本ダービーを目指すアルダンさんがかなり頑張っていることだろうか。
実力差なんて、本人同士が一番敏感に感じている。
できることは多くないとはいえ、一つでも相手に上回るところを作る努力は決して無駄ではない。
脚があまり強くないアルダンさんが頑張りすぎるのだけは少し心配だが、でも、だれも止めることはできないだろう。
年に一度の祭典に向かい日本全体が、学園全体が、そして参加者が盛り上がっていく。
ボク自身もワクワクを感じていた。ダービーの日がとても楽しみになっていた。
だが、ボクは、その時ルドルフさんが困ったような顔をしたのに気付くべきだったのだろうと後から思うのであった。