この年の日本ダービーは至上最高の入場者数を記録した。
一番人気はサッカーボーイ
世代最強をうたわれ、URA最優秀ジュニアウマ娘に選ばれた彼女は、怪我により皐月賞を回避して日本ダービーに挑んでいた。
体も少し絞り込んで、このレースにかけているのがわかるぐらい完璧な仕上がりで挑んでいた。
二番人気はオグリキャップ
ここまで重賞三連勝。地方から中央に転籍し、クラシック登録のルールまで変えたカサマツのシンデレラガールもまた、大変な人気を集めていた。
今年に入ってすでに5戦目というハードスケジュールだが、バ体もしっかりしており、こちらの仕上がりも非常に良かった。
以下、三番人気は皐月賞バのヤエノムテキ、四番人気は朝日杯勝利バのサクラチヨノオーと続いていく。
オグリキャップの人気はもちろんだが、ほかのウマ娘も実力派ぞろいで、まさに日本一のウマ娘の祭典にふさわしいメンバーになっていた。
グッズも飛ぶように売れていく。
そんな中、七番人気と、メジロアルダンの人気は振るわない。
だが、アルダンはそれに対して何か思わなかった。
ほしいのは一番人気ではなく一着なのだ。
闘志を高めながら、アルダンはバ場へと向かうのであった。
「アルダンちゃん頑張ってー」
「……できれば、同じチームのサッカーボーイを応援してほしいのですが」
「だって、勝てない子を応援してもしょうがないじゃない」
パドックを見る、身長2mの大柄の男性と、小柄な青鹿毛のウマ娘がそんなことを話す。
名門チーム、アンタレスの小内トレーナーと、所属ウマ娘のメジロラモーヌである。
同じく所属するサッカーボーイを応援に来ているはずなのだが、ラモーヌは妹であるアルダンを探してサッカーボーイをスルーしていた。
「私の、力不足ですね」
「そんなわけないじゃない。あの子の問題よ」
ターフの魔術師といわれた名トレーナー奈瀬。
その背中を見てきた弟弟子、小内トレーナーもまた、超一流トレーナーだとラモーヌは知っていた。
そもそも最強マイラーのニホンピロウイナーや史上初のティアラ三冠を取った自分を育てた親愛なる小内トレーナーが無能なはずがない。
現に、サッカーボーイの体調は絶好調と自信を持って言えるぐらい仕上がっていた。
才能はある。努力もしている。体調も良い。
だがそれでも、ラモーヌはサッカーボーイが勝てない、と判断していた。
「レースへの執念が足りないわ」
「……」
レースへの執念。
その内容はウマ娘にとって異なる。
憧れかもしれない。
家のため、家族のためかもしれない。
自分のためかもしれないし走りかもしれない。
内容は何であろうと関係ない。
ただ、レースに対する精神力。
この強さがレースの結果を、特にこういった大舞台で、実力が拮抗している勝負では結果を決めるとラモーヌは確信していた。
そんな執念を、時には怨念じみた粘りつくような精神力を、今日のサッカーボーイから感じることができなかった。
だが、現在のところ二人だけ、それを感じることができた者がいる。
彼女らに、サッカーボーイが勝てるとは思えない。
それは、かわいがっている後輩だから、とかそういうものとは別の話だった。
小内トレーナーもそれを感じている。
体は完璧に仕上げた。
だが、メンタルはどうしようもなかった。
それが黙ってしまうぐらい悔しい。
「執念は、それぞれのウマ娘が自分の心の中で育てるものよ。トレーナーはその根源たる執念をかなえるための体を作るのが仕事だもの。私のトレーナーさんはやっぱり日本一のトレーナーさんよ」
「……」
「執念を他人に与えることができるトレーナーなんて、いるはずがないわ」
そんなトレーナーなんていない、とラモーヌは断言する。
いや、一人だけ昔、そんなトレーナーが存在したかもしれない。
URA最多勝利トレーナーを長年占め続けた天才トレーナー。
彼が担当すると、勝てないと思われていたウマ娘がなぜか勝つ。
常識を覆す天才、天才といえば彼だと言われたそんなトレーナーなら、あるいはそんなことができたのかもしれない。
だが、彼は事故で、すでにトレーナーを続けられない体になり、引退した。
そして、それ以降、常識を覆す天才などあらわれていないのだ。
「では、アルダンさんはそれだけの執念があるのでしょうか」
「ないわね。でもかわいい妹だから、精いっぱい応援しようと思って」
「そうですか」
メジロアルダンが日本ダービーで勝てるだけのレースの執念を有しているか、と言われたら否だ、とラモーヌは知っていた。
メジロの使命を背負い、姉に並ぼうとする真面目さは姉としては非常に好ましく思っている。
だが、それでは全く足りない。
あのどこまでも突き抜けようとするオグリキャップや、憧れを形にするべく勝利のみを見つめているサクラチヨノオー相手には全く足りていない。
実力の問題ではない。アルダンは絶対女王メジロラモーヌの妹なのだ。トレーナーだってあのシンボリルドルフのトレーナー、東条トレーナーだ。日本ダービーに勝てるだけの実力は持っている。
だが、精神力がたりない。
どうしても脚の弱さを言い訳にしてしまう。
どうしても姉とは違うと言い訳してしまう。
そういう弱さがアルダンにはあった。
きっと最後の最後でかわし切れないだろう。
ラモーヌはそう思っていた。そう、パドックで最愛の妹を見るその時まで。
「アルダンさん、たのしそうですね」
「……」
いつものように華やかな服装と雰囲気をまとったアルダン。
パドックでラモーヌを見つけると、手を振るアルダン。
それはラモーヌの知っているいつもの妹で、しかし、知らないメジロアルダンだった。
「ラモーヌさん?」
「天才は、本当に居るのかもしれないわね」
どこか繊細で、消えてしまいそうな雰囲気を、もうあのメジロアルダンからは感じなかった。
代わりに感じるのは、最後まで燃え尽きそうな強く、そして儚い輝きである。
このレースで燃え尽きてしまうのではないかという姉としての心配と、アレと競ってみたいというウマ娘の本能が、ラモーヌの中で荒れ狂う。
アルダンの所属するリギルには最近スピカのトレーナーとウマ娘が出入りしていたと聞いている。
あの天才トレーナーのラストドーターで、走らずとも揶揄されたウマ娘が、スピカの現トレーナーだ。
彼女がアルダンを変えたのだろうか。
それなら……
天才の弟子は天才なのかもしれない。
そんな考えがラモーヌの頭をよぎったのであった。
日本ダービー。
ボクは一人、ゴール板の前で観戦をしていた。
最初はルドルフさんたち、チームリギルと一緒に観戦する予定だった。
だが、ルドルフさんのようなVIPだと、気軽にゴール板前なんてこれないのだ。
専用のVIP席は、ソファもふわふわで、眺めも良く、ガラスに囲まれていて快適な空間だったが、コースからは遠かった。
だから、同席を断って、一人ゴール板前まで来たのだ。
大歓声が東京競馬場に渦巻いている。
皆の夢が、それぞれの夢が競い合うこのレースが今、始まろうとしていた。
オグリキャップはまた一つ、ダービーに勝ちたい理由が増えた。
あの紫の少女、ヴィオラレジーナだ。
当初、出場することができないはずだった日本ダービー。
理事会の急な決定により出場できることになったが、世情に疎いオグリでも、不可解だと思う出来事だった。
そしてその後、いつもシンボリルドルフにべったりだったヴィオラレジーナが、ルドルフと一緒にいるのを見なくなって、なんとなく何が起きたか、オグリは察した。
だが、その礼を、オグリはまだヴィオラに言えずにいた。
ルドルフと一緒に行動しなくなった代わりに、ヴィオラはメジロアルダンと一緒に行動し始めたのだ。
メジロアルダンもまた、ダービーを目指すライバルの一人だ。
クラスメイトでもあり、優しい彼女との仲が悪いわけではないのだが、オグリはどことなく気後れし、話しかけることもできずに、また少し嫉妬した。
ここで、日本ダービーで勝てば、また、彼女は自分に近寄ってくれるだろうか。
そんな考えが浮かび、オグリはまた、気合を入れたのであった。
スターターが台に上り、旗を振る。
ファンファーレが響き、空へと消えていく。
スタートが近づき、緊張感が高まっていく。
ウマ娘たちが一人ずつ、ゆっくりとゲートに入っていく。
そうして全24人がゲートに収まった後、10万人を優に超える人数が集まるこの東京競馬場が、一瞬、静寂に包まれる。
唾を飲み込む音すら聞こえそうな静かな一瞬の後、ゲートが開く音が響いた。
大歓声が上がる中、24人が正面の直線を走っていく。
先頭を切るアドバンスモアに、サクラチヨノオーが追走し、2番手につける。
皐月賞2着だった追込バ、ディクターランドが、皐月賞と違いチヨノオーをぴったりマークする。24人立てという人数の多さのため、バ群を嫌ったのかもしれない。
メジロアルダンはその後ろ、4番手につける。
オグリキャップは内ラチ際のバ群の中、7,8番手につけていた。
一人逃げるアドバンスモア以外は、ひとかたまりで走り続け、混戦模様となる。
外から見ていると特に大きな動きもなく、第三コーナーまで突き進んでいくことになる。
だが、内から、参加者からみればそんなことはない。
絶えず位置を変え、相手をけん制し、自分の有利なコースを確保する。
そんな静かだが、熱い駆け引きが行われていた。
第三コーナーに差し掛かると、アドバンスモアが失速した。
単純な実力不足だろう。ずるずると、内ラチ際を下がっていく。
第四コーナーを回るころには完全に後ろに落ちていた。
そして、それを合図とするかのように、残りの集団が皆、一気にスパートをかけた。
飛び出したのは、外にいたサクラチヨノオーだった。
道中の駆け引きで外側に押し出されたように見えたチヨノオーだったが、それはあくまで作戦。
第四コーナーからぶん回すことで、遠心力すら速度に変えて直線に入ったのだ。
内にいた、ハワイアンコーラルやギャラントリーダーを抜き、一気に先頭に躍り出る。
そんな予定通りのレース展開を完全にこなしたチヨノオーに対し、水を差すかのようにその内からメジロアルダンがあらわれた。
内ラチ際は一番距離が短く効率的なコースだが、当然旋回半径が小さくスピードを出すのが難しい。
外に出ればスパートはかけやすくなるが、どうしても外にぶれがちになる。
アルダンが通ったのは、そんな、内ラチ際を効率的に走ろうとする二人と、外に出てスパートをかけたチヨノオーの間の一人分のスペースだった。
チヨノオーより良いレースプランに従いスパートをかけたメジロアルダン。
そのわずかな差は、0.1秒にも満たないかもしれないが、その差がゴールでの結果を分けるのだ。
ハワイアンコーラルやギャラントリーダーがずるずると落ちていく。
ヤエノムテキがさらに外からスパートをかけるがタイミングが一歩遅い。
サッカーボーイはバ群にのまれ、完全に沈んだ。
二人の意地の張り合い。ダービーウマ娘を決める決戦が始まる中……
ヤエノムテキのさらに外側から迫るオグリキャップ。
道中の不利を感じさせないすさまじい末脚で、落ちていくウマ娘を差し、必死に追いすがるヤエノムテキを追い抜き、前で競う二人に迫り始めたのだった。
サクラチヨノオーは不条理を感じていた。
自分にとって、あこがれのマルゼンスキー先輩は、日本ダービーに出られなかった。
当時のルール、外国生まれのウマ娘は日本ダービーに出られない、という規則のためだった。
最速といわれたマルゼンスキー先輩なら、きっと出ていれば優勝していただろうとチヨノオーは今でも信じている。
オグリキャップさんが日本ダービーに出られない、と聞いたとき、チヨノオーは同じ不条理を感じた。
オグリさんは強かった。速くて、強くて、純粋だった。
重賞を3連勝して参加資格は十分だったはずだ。
にもかかわらず彼女が出られないというのは不条理だ。チヨノオーはマルゼンスキー先輩とオグリキャップさんを重ねた。
だが、オグリキャップさんは日本ダービーに出られることになった。
規則が変わったからだ。
それに、チヨノオーはさらなる不条理を感じた。
だったらマルゼンスキー先輩はなぜ涙を飲んだのか。マルゼンスキー先輩の時だって規則を変えてくれてよかったではないか。
ただの八つ当たりでしかないのは善良で優しいチヨノオーにはわかっていた。
だが、だからと言って許せるわけではなかった。
オグリキャップさんには日本ダービーの座は絶対に譲らない。
自分がマルゼンスキー先輩の代わりに、というには烏滸がましいかもしれない。
しかし、それでも、応援してくれたマルゼンスキー先輩のため。
支えてくれるトレーナーさんのため。
愛してくれる両親のため。
ともに競うチームメンバーのため。
負けたくなかった。
アルダンさんが自分の前に抜け出した。
皆で必死に考えたレースプラン。
努力して身に着けた実力。
そういったもののさらに上をアルダンさんは行った。
スタミナは使い果たしつつある。
意識は少しずつ遠くなる。
アルダンさんは少しずつ遠くなっていく。
だが、それでも負けたくはなかった。
オグリさんは後ろから迫ってくる。
いや、すでにもう、横に並んでいる。
スピードが違いすぎる。
自分は限界なのに、オグリさんのほうは脚が残っていそうだ。
追い抜かれる。そう思った。
しかし
絶対に、絶対に、絶対に抜かせない。
抜かせたくない。
すべてを絞り出してでも、それ以上を絞り出しても負けたくなかった。
坂を上り切り、ゴールまでの最後の200m。
その瞬間。チヨノオーは空間が割れるかのような錯覚を覚えた。
前で競うほかの二人も、その錯覚に飲み込まれた。
すでに5月も終わる初夏に季節外れの桜が咲き乱れ、花弁が舞う。
限界を超え、それでもあきらめなかった真摯なるウマ娘にのみ訪れる奇跡であり祝福だ。
並んだオグリさんを再度チヨノオーは突き放した。
抜いたアルダンさんに、チヨノオーは追いつき、差し返した。
桜の花びらが濃厚に舞う。それはサクラチヨノオーを祝福する桜吹雪だった。
抜ける。オグリキャップは一度そう確信した。
道中は集団に巻き込まれ、第四コーナーでは前が開かずに大外に回らざるを得なかった。
しかし、道中全員が集団になっており、前との差がほとんどなかったことから、外に出たことがそこまで大きな不利にはならずに直線に入ることができたオグリは、全力のスパートをかけていた。
すでにヤエノムテキは追い抜き、先頭の二人にほとんど並んでいる。
残り200m
1ハロンあれば確実に抜ける。
そう確信したオグリキャップを、季節外れの桜の幻視とともにサクラチヨノオーが突き放したのだ。
彼女の怒り、思い、夢、そういったものが伝わってくる。
そういえば、オグリが日本ダービーに参加できないという話が発覚した時、クラスメイトで一番怒っていたのが彼女だった。オグリキャップはそんなことも思い出した。
絶対に負けたくないという意思が伝わってくる。
怨念にも近い強すぎる気持ちに、心が折れそうになる。
桜が、彼女を祝福し、彼女の勝利を指し示す。
しかし、だからなんだというのだ。
母に立派なウマ娘になれといわれたのだ。
キタハラとダービーを取ると誓ったのだ。
カサマツのみんなに、ベルノに日本一のウマ娘になると約束したのだ。
何より、あの紫の少女をもう一度捕まえてやると決めたのだ。
すでに全力で走っている。
このままでは届かないのはわかった。
だがそれは負ける理由にはならない。
このままなら負けるなら、自分だって限界を超えてやる。
桜が狂い咲くこの空間を、一筋の光が貫いた。
一度抜いたサクラチヨノオーさんと後ろから迫るオグリキャップさんが、自分に並びさらなるスパートをかけた。
狂い咲き乱れる季節外れの桜がチヨノオーさんの勝利を後押しし、オグリさんが一筋の光となってそれを貫き勝利をめざす。
似たような光景は、メジロアルダンにとってなじみ深いものだった。
絶対女王といわれた姉、メジロラモーヌは、けた外れの実力を持つウマ娘であり、
アルダンと併走すれば、大人げなく全力で叩き潰してくる姉であり、姉が使う
ごく一部のウマ娘しか使えない力である。
少なくとも同学年で使える者などアルダンは見たことがなかった。
そんな一握りしか使えない圧倒的な力を二人は土壇場で発揮したのだ。
残り100m
一瞬だけ弱気がアルダンの頭をよぎる。
メジロの夢など他人に任せていいではないか。
姉のことなど追いかける必要がないではないか。
脚が痛い。もうやめてもいいではないか。
今までの自分だったらここで止めていただろう。
日本ダービー三着、十分ではないかと思っていただろう。
だが、それは違うと最近やっと気づいたのだ。
トレーナーのおハナさんは自分を勝たせてくれるために必死に努力している。
チームの先輩たちも自分の勝利を願ってトレーニングに付き合ってくれている。
サポートしてくれた紫の彼女だって、自分の勝利を祈ってくれている。
メジロの名などどうでもよい。
姉のことなどもどうでもよい。
所詮、キツくなったらどうでもよくなってしまうような薄っぺらいものでしかない。
だが、おハナさんの期待に応えたい。
チームのみんなに失望されたくない。
紫の彼女を裏切りたくない。
そして、それだけあれば十分だった。
現状を一瞬で分析する。
体力はもうひとかけらも残っていない。
脚は砕ける寸前だといわんばかりに軋んでいる。
ライバルたちは新しい力に目覚めやる気も勢いも十分。
つまり状況は最高ということだ。
残ったのは等身大の自分だけ。
残ったのは自分自身の、そう、自分唯一の想いだけ。
誰にも否定できないこの想いだけがこの胸に残っている。
そして、それだけあればいいのだ。
おハナさんの祈りの呟きが聞こえる。
ルドルフさんの小さな掛け声が聞こえる。
ダイナさんとマティリアルさんの応援が聞こえる。
そして、ヴィオラちゃんの声援がゴール前から聞こえた。
自分の想いと皆の声だけで、自分はまだ走れる。まだ負けない。
ないものを掻き集めて、大切なものをそこに重ねて、メジロアルダンは最後の戦いに足を踏み出した。
オグリさんの大外からの差しに、チヨノオーさんとアルダンさんは競り続けた。
三人並んだまま、ゴール板の前に飛び込む。ゴール板前で応援していたボクにも勝敗は全くわからなかった。