第1話 夢を抱く者
夢、そうだ夢を見ていた。真底に沈む暗礁たる夢の最果て、白い兎が今日も跳ねる。
夢の中でのボクは兎となり目的もなくただ跳ね燥ぐ。兎はボクであるはずなのにその姿を俯瞰して見ている別のボクもいる。夢ならではの光景か。
白く美しい姿は何もない闇の世界において唯一の星であった。
だが夢の終わりはいつも唐突に訪れる。
闇の中で光る斑な集合体―――――目だ。体中から目を生やした獣が今日も今日とて全てを終わらせる。
体中に張り付いた数多の目がその巨躯の輪郭を浮き彫りにする。化け物の出現に兎は逃げ惑うが荒々しくも素早い動きに翻弄され殺されてしまう。ただ殺されるのではない。さんざんに嬲られ生きたまま内臓を引きずり出されてしまう。身を焼くような痛みに晒されても夢から覚めることはない。灼熱の時をひたすら耐えるしかない。恐るべき痛みが容赦なく襲う。
それでも夢である限り永遠とも思える悪夢にも終わりはやってくる。
突然現れた乱入者。そんな誰かの剣閃が煌めく。叫びをあげ血を吹く怪物はそのまま地に伏す。輝く炎の王冠を携えたその人物は血に濡れたボクの体を抱え優しく抱き留める。いつも遅れてやってくる眼帯の王子様は決まって醜い死体となったボクの為に涙する。薄れゆく意識の中で現実では知ることのできない暖かな温もりにつかる。痛みの中でしか知ることのできないこの瞬間が愛おしくてたまらない。
・・・・・・?
だが、いつもとは何かが違う。何度も繰り返し見る夢。普段ならこの時点で夢から覚めるというのに続きがあったのだ。王子様は小さなボクの体をその場に置いて斬り伏せた化け物の元へと歩む。
・・・まさか、泣いている?化け物の為に・・?
小さな嗚咽を漏らす慈悲深い王子様を前にボクは――
――――どうしようもないほどに嫉妬を感じていた。
「・・・・・・・・」
目が覚めベットから起き上がる。いつもとは違う夢を見たせいか少し意識がボーっとしているようだ。テーブルに置かれた水差しからコップに水を注ぎ喉を潤す。
また、夢に変化が現れた。これで二回目。
最初の頃はただ化け物に蹂躙されるだけの悪夢がいつからか王子様が現れ化け物を退治する物語へと変わっていった。
夢を・・いや悪夢を見始めたのは一体いつぐらいの頃からだったか。少なくともボクは子供のころからこれ以外の夢を見たことがない。与えられた小説に出てくる登場人物が見る夢は明るく楽しげでそれこそ夢のあるものであるのにどうしてこうも胸をざわつかせるのか。
この悩みに対し"パパ"はボクの深層意識がこれからの未来を予兆しているのかもしれないと言っていたが・・・・死にゆくボクを看取る王子様。
いったい何を暗示しているというのか?
汗ばんだ服を脱ぎ捨て白い陶器を連想させる美しい肢体が露わになる。様々な贈り物が散乱した真っ白な部屋を掻き分け何もない壁の前に立つ。
ピピピ!
可愛い電子音と共に壁に入口が現れる。中は浴場となっており、すでにお湯の張ってあるバスタブに身を漬す。水面に散りばめられた花の匂いが意識を呼び戻そうと刺激を与える。
―――ただ悪い事ばかりじゃないんだ。痛みに満ちた夢に王子様という登場人物が現れ始めてからボクは王子様に抱きしめられるあの瞬間が大好きだ。あれからずっと現実でも顔も知らない王子様の事をばかり考えている。今日も胸が痛い。この想いを綴らねば気が狂いそうになる。妄想が綴られたノートが日に日に積み上がっていく。
・・・明らかに恋い焦がれている。
パパ以外で知りえる唯一の男性だからなのか。パパにも一度話したが茶化されたのでそれ以降の変化はまったく伝えていない。夢の中でしか会えない彼のことはパパにとっては夢物語でしかないのだ。大人にとって子供の夢想とは麻疹のようなものでしかないのだ。いずれは現実を知り夢から覚める。だから軽く扱われている。外に一向に出してくれないパパへの初めての反抗に罪悪感を感じつつも王子様とのこの逢瀬はボクにとって何物にも耐えがたい安らぎを与えるものとなっていた。
今思えば彼を独り占めにしたかっただけかもしれない。
夢を見れば見るほど王子様への執着心が強くなっていく。パパに感じる親愛の念とは違うドロリとした感情。この抑圧された感情はいつからか現状を打開する希望へと変わっていった。
ボクは変化に飢えていた。変わらぬ毎日に殺されそうだった。
もし、パパの言う通り王子様が未来の暗示ならば何かしらの変化がボクに訪れるかもしれない。閉ざされた白い部屋に押し込められたボクを"外"に連れ出してくれる。王子様はボクの救世主なのだと、いつからかそう信じてやまなくなっていた。
そんな予感がしてならないのだ。
◇
風呂から上がりいつの間にか用意されていた服をいつものように身に着ける。この服、どうやら新作のようで今までの服とは細部の意匠が違う。着替え終わり鏡の前に立つ。白い髪にすらりとした手足に大きな胸。なによりボクの特徴である長い獣の耳。大きな姿見の中のボクはとても可愛らしい。尻尾が跳ね心の内を示す。
鏡の前で様々なポーズをとっているボクにどこからともなく声がかかる。
『おや、どうしたんだい。今日はいつもにましてご機嫌だね』
「わッ!パ、パパ!おはようございます」
幾度も繰り返されしルーティンワーク。朝はいつもこの挨拶から始まる。声の元は部屋の四隅に取り付けられたスピーカーから。パパとはこれを通して会話を行う。
『ふふ、どうやら気に入ってもらえたようだね』
「この服やっぱりパパが?」
『他でもない娘の為だ。私が一からデザインさせてもらったよ。素材だって最高級の物を使用している。やはり会心の出来だ』
「ありがとう!すごく嬉しいよ!」
『・・・・なにいつも窮屈な思いをさせているお詫びとでも思ってくれれば安い物さ』
幼少期以降、ボクの前に姿を見せることがなくなったパパとの会話は他者とのコミュニケーションに飢えたボクにとって至福の時だ。
産まれた時からずっとボクは狭い世界で生きてきた。別に監禁されている訳ではない。ずっとこの部屋に閉じ込められているのはボクに原因があった。
ある・・病気を患っているのだ。治る見通しのない不治の病を。そんなボクを不憫に思ってか、いつだって欲しいものはパパがなんでも用意してくれる。パパがあまり会話に時間が取れないのも病を治すために奮闘しているのだからボクも我慢しないといけない。我儘はもう十分している。
そう頭では理解していても・・気持ちを抑えることが出来ず聞いてしまう。
「ねえパパ、ボクはいつになったら外に出られるの?」
『イグナイツ・・・それが無理なのは君もわかっているだろう。結局3日も持たずに”その子”は死んでしまっているじゃないか』
「そうだけど、そうだけど・・こんなの無理だよッ」
部屋に散らかったプレゼントの類。天辺が見えないほど積み上がった本に多様なぬいぐるみの山、おもちゃの数々、服を収納したクローゼットや小物を収納した棚、そしてバラバラに引き裂かれた奴隷の死体。
『・・・・・・ずっと前から言ってるじゃないか。たったの1週間お人形さんを壊すのを我慢すれば外に出してあげるって。生きてさえいれば・・別に五体満足じゃなくてもいいんだよ?それなのに4日ももった試しがない。こんな結果で外に出せると思うかい?』
「・・・・我儘言ってごめんなさいパパ・・」
『外の世界は人がゴミのようにいっぱい溢れている。そんな場所に君を放り込めばどうなるかなんて言わなくてもわかるだろう?』
「・・・・・・・・・はい」
今までどれだけの奴隷を殺してきたのかまったく覚えていない。それもこれもボクの中に眠る食人衝動のせいだ。
ボクが7歳のころ初めてお人形をパパから貰った時"それ"を一目見て世界が変わった。気がつけば辺りは血の海になっており口いっぱいに何かを咀嚼していた。何が起こったか全部覚えている。殺しの最中のボクは冷静でありながら体の抑えの利かない状態であり溢れんばかりの力で対象を破壊し尽くした。四肢を引きちぎり胴体を破裂させる。辺り一面に血と臓物がまき散らかされる。
殺人自体は別に楽しいとも思わない。だが止めるという選択肢も思い浮かばないほど平然とやってのける。そこに疑問はなく純粋に食べたくて仕方が無かった。どんなに満腹でも異様に腹が減るのだ。
突発的に起きた行為の後、血にまみれた顔で平然と話しかけるボクを悲しげな顔で見つめるパパの顔が今でも忘れられない。
パパが直接ボクと会わなくなったのはそれからだったか。
・・・そのことを寂しくも思うが納得もしている。あれ以降タガが外れたように衝動が湧き上がるようになってしまった。壊れゆく人形たちを見つめながら思うのだ。いままではパパに対して衝動が湧き上がることはなかったがこれからもそうである保証はない。体の奥底から湧き上がるマグマのような熱い情念。
もしその衝動の矛先がパパに襲い掛かればボクは抑えることができるのか?
・・・想像しただけで身震いしてしまう。
それからはパパは定期的におもちゃとして生きたお人形をくれる。どの人形も美しい女であり年も若く化粧や綺麗な服で着飾られている。一応生きてはいるが”頭”に何らかの処置を施されているようで意思を感じさせるような行動はしない。基本的にボクの身の回りの世話をするのが彼女らの仕事であるがそれ以外にも着せ替えしたりゲームの遊び相手になってもらったりとボクの言う事をなんでも聞いてくれる、いわば従順な肉人形といったところか。
ちなみにどんなにお願いしてもパパは何故か男の人形はくれない。最近じゃ女の体をまさぐって遊ぶのにも飽きてきた。反応がないのはつまらない。ああ、こういうのをマグロって言うんだっけ。本で読んだことがあるなぁ!
『そもそもなぜ外に出たいんだい?君が思うほど外はいい場所じゃないよ』
「・・・・・それは」
話せる訳がない。夢の中の彼に会える気がするからなんてそんな頭の中お花畑みたいな理由口が裂けても言えない。そもそもパパには夢の話は秘密にしているんだ。夢に変化があればどんな些細な事も教える約束をしているのにそのウソがばれて怒られてしまう。そんな子供じみた理由でボクは終ぞ話すことが出来なかった。
『すまないがもう少し我慢してくれ。もしかすれば外の状況が変わるかもしれない。衝動を抑え込む薬品もあと少しでできそうなんだ。そうすれば・・・』
「うん、うんわかっているよ。パパが頑張っているのは・・いつも感謝しているよ」
『・・・不出来な父親ですまない。・・・また、明日』
「うん、また明日」
切れる通信音。それと同時にドサドサと落ちてくるプレゼントの山。息を吐きベットに倒れこむ。会話の最後はいつもすまないと謝られる。迷惑をかけているのはボクなのに。とても申し訳のない気持ちになる。
すぐに起き上がり机に向かい魔導書を開く。こういう時こそ勉学に励むに限る。
鬱屈した気持ちを振り払うかのようにボクはいつ外に出ても問題がないように自分磨きに精をだすのであった。