オレをアリスと呼ばないで   作:淫ヴェルズ

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第40話 内なる姉

 

 これは決して忘れられぬ思い出。グレイズの今と昔を繋ぐ後悔の記憶。傷は未だに癒えることを知らない。

 

 はあッ―――ッ、ハァッ!

 

 心臓が今にも弾けそうになるほどグレイズの胸を打つ。姉に手を引かれ雪に塗れた雑木林を駆ける。背後では悲鳴が上がる度に体が竦む。

 

 決して大きくない顔見知りばかりの町。

 

 現在進行形で人食いの獣人どもに大規模襲撃を受け町は壊滅状態にあった。町中から悲鳴や”火の手”が上がり逃げる者の背に矢が飛ぶ。余りにも強力すぎる矢は数人をまとめて串刺しにする。大人は捕まれば食われ、子供は奴隷として捕らえられる。

 

 優しい両親はもういない。

 

 近所のおばさんも、神父様もみんな邪悪な獣に食べられた。在中の兵士も冒険者も強力な獣人たちの前ではおやつに過ぎなかった。

 

 丸太のような棍棒を片手で操る純然たる力の暴力の前では如何なる剣技も無に等しかった。力も速さも根底が違い過ぎる種族値の暴力。

 

 ここは聖王国西部に位置するベルウッド伯が治める荘園の一つ。濃厚な甘さに保存のきく食料として愛される黒リンゴの生産地として有名であり、神の恩恵により雪の中であろうと褪せることのない美しい新緑の果樹園も・・・・・・無残な燃えカスと果てる。

 

「はあッ!はあッ!!」

 

 雪原の冷たい空気が肺を凍らせそうだった。普段であれば子供だけがが来るべき場所ではない。聖王国が国教に掲げる神の力はまさしく強力。恩恵は王都を中心に国内全土に広がる。国内の降雪量を減退させ、まったく雪が降らない日も存在する。それは僻地であるこの地も例外ではなく無雪の日が週に3日はあった。今日はまさに絶好な天気。灰色の空がどこまでも広がっていた。

 

 降雪次第でも気温も変わってくる。少なくとも凍死することはない。降雪量は中央に位置する王都から離れた距離に比例して増える。全ては聖王様が掲げる”太陽”の影響だった。

 

 未だ町の外に出たことのない姉弟にとって慣れない環境。足を取られるほどに積もった雪は容赦なく子供の体力を奪う。

 

「ぅく!」

 

「お姉ちゃん!?」

 

 不意に入り組んだ林の隙間を縫うように矢が姉に突き刺さる。手を引く姉の足に突き刺さり勢い余って二人まとめてに転ぶ。

 走れなくなった姉の体に肩を貸そうとするが足に刺さった矢には縄のようなものが結ばれていた。何より血が・・止まらない。動脈を射抜いた矢を抜いたところで失血死するのは幼いグレイズにもわかった。

 

 縄に引かれ姉の体が少しずつ引きずられていく。グレイズに大好きな姉を置いていくことはできなかった。何をするでもなくパニック状態のグレイズとは相反して痛みを噛み殺し落ち着きを取り繕う姉。思えば弟を安心させるためだったんだろう。

 

「お姉ちゃんは・・・大丈夫だから・・・逃げてッ!」

 

「いやだ!お姉ちゃんを見捨てるなんてッ」

 

「だったらッいつか必ず迎えに来てっ」

 

 人食いの獣人が子供を攫い奴隷にするのは聖王国の人間ならば常識である。姉は一向に離れない僕を逃がすために痛みを堪え恐怖を殺し涙ながらに懇願した。

 

「へへっ獲物だぜ!こっちだ!しょんべんクセえガキを捕らえたぜ!賭けは俺の勝ちだなあッ」

 

「チッ、運のいい野郎だ。次だ、次!もう一匹いただろ!次はそいつで勝負だッ賭けはいまだに進行中だ!」

 

 林の枝が擦れ合い獣人が近づいてくる。そのたびに姉の体が手繰り寄せられていく。

 

「成長して大きな体になったらお姉ちゃんを探して。ずっと待っているからッずっとずっと」

 

「う、うああああああああッッ!」

 

「そう、そのまま逃げて・・・それでいい・・・・・・・・・・・・・・・・・・うぅあ助けて・・・」

 

 握りしめた手を姉に振り払われグレイズはただがむしゃらに逃げた。僅かに聞こえる大好きな姉の悲鳴を耳にしながら姉を置き去りにしてしまった。逃げるほかどうしようもない状況ではあったが姉を置いて逃げたのもまた事実。

 

 どこをどう逃げたのかも覚えていない。家族を見捨て生きながらえたがまるで生きた心地がしなかった。耳にこびりついた獣人の雄たけびが時折幻聴として聞こえる。

 

 町は壊滅。偶然近くの遺跡調査に来ていた高名な冒険者の一団に拾われなんとか生を拾う。グレイズのようになんとか外界へと逃げた者も魔獣や追跡者の被害により生存者はごく僅か。町には誰一人として生きた人の姿は無かったそうな。そこには当然姉の姿も・・・

 

 その後グレイズは遠縁の親戚を頼ることになった。頼る者がいただけまだマシだった。

 

 報告を聞いた聖王国はこの出来事を重く受け取るも山岳地帯付近の町を巡回する騎士団の巡回頻度を増やす対応しかとれなかった。根本的な解決には至らない。

 

 報復しようにも敵は寒さをものとしない獣人の中でも人喰いと称される者たち。その生態はおろかどのようなコミュニティーや支配体制が敷かれているのかもわからない聖王国を隔てた山間地帯の先から不定期に襲い来る野盗集団。

 

 調査しようにも険しい山間部を超えて行う程のリスクに見合わず、場所も特定できていない。山越えの時点で多くの犠牲者と費用が懸念され出兵には貴族連中が猛反発する。貴族からしても襲撃は防ぎたい。だがいつ襲ってくるかもわからない相手に備え続けるには金がかかる。冒険者にも調査を依頼しようと人喰いのテリトリーに赴く物好きはいない。人食い獣人は吹雪の中で鉢合わせれば勝つのはまず不可能。危険すぎて冒険者ギルドからも推奨されない。

 

 人喰いの影響で信仰による影響で獣人に似た姿が発現する人間にまで風評被害な差別が広がる始末。攫われた子供がどうなっているかも実際にはわかっていない。

 

 国からの救助がないのを知ったグレイズは涙した。攫われた人間が帰ってきた話は聞いたことがない。もし姉が生きていたとしても一生会えないのであれば死んでいるのと同じ。グレイズはただ納得が欲しかった。死んでいるのであれば諦めもついた。

 

 姉の言葉、あれは無理やりにでもこの場から逃がすための方便だったのだろうが、小骨の様に喉を刺す。ふとした日常で姉の幻聴が聞こえる。

 

『早く助けて』

 

 両親と姉を奪った敵の詳細もわからぬまま生きるのは姉との約束と過去から逃げているようで助けてくれた姉に申し訳がたたない。

 

 だからこそもう逃げないと誓ったのに・・・その誓いはいともあっさりと破られた。

 

 現実はいつだって残酷だ。

 

 

 

 

 

 

「無理だ、あんなのどうすればいいんだ・・・」

 

「うん」

 

「人喰いよりも強いあの女にどうすれ勝てるんだ!なんであんな奴がいる!どうして僕の前に現れたッ!」

 

 地面にうずくまりグレイズは叫ぶ。騎士学校でも実地試験先でもお目にかかれない強者。実質最高位とされているBランク冒険者のリズとの二人掛かりでも一蹴。手にしたこの力でも遠く及ばず身体能力も魔術も常識を超えていた。その上、剣で実演され指摘をされてしまう。

 

 悪意のない一言は心を容易く砕く。

 

『君剣の才能ないよ』

 

「そんなことわかってるよおおおおおおおお知らないとでも思ってるのかああああああああッ!!」

 

 魔術の素養もなければ、剣の才能もない。構成した魔術基盤は二度と取り消しが効かない。知っていなきゃ一生モノの魔術基盤を身体能力向上に絞るはずがない。

 

 相手よりも早く振ってぶった切ればいいだけだろ!それに戦いは才能がすべてではない。経験に地形、戦術、人数に運と様々の要素が入り乱れる。足りない分は補えばいい。だからこそ多く経験を得られる実地試験を選び騎士団に仮入団させてもらった。しかも単位も沢山もらえるんだ!

 

 才能がないからと言って諦める理由にはならない。

 

 関係ない、はずだった。だがそれはただの強がりでしかないことを理解させられてしまう。

 

 美しい、流麗な太刀筋だった。剣を断ち切られた際、衝撃をまるで感じなかった。己が呼称する剣術とはなんだったのか。こんなの子供のチャンバラと変わりがない。恥ずかしくて仕方がなかった。

 

 ボクは今まで何をやってきたんだ。何の意味も無かったじゃないか・・・・

 

「・・・・助けて姉さん。もう無理だ・・僕は何も成しえない・・・・全部無駄だった」

 

「―――じゃあ、あきらめる?」

 

 ふと、声のする方へと顔を上げる。いつの間にかあの時のような林に雪原が広がることに疑問を抱くことなく当時となんら変わりない姉の姿を視界に収める。遂に幻覚すら現れたかと自嘲気味になる。

 

「そこから見てたんでしょ・・・あんなのどうにもできない。勝負にすらなってない・・僕はここで死ぬんだ。死ぬ死ぬ死ぬッ!!」

 

「別にいいんだよ、逃げたって。お姉ちゃんをまた見捨てるのならそれで、逃げればいいんじゃない。騎士なんて諦めて惨めに生きてみる?」

 

 なんて都合のよい幻覚か。情けの無いグレイズの心が姉の言動に現れている。本物ならばこんなことを言うはずがないのに逃げ道を作ろうとしている。

 

 でも実際、グレイズは完膚なきまで叩きのめされていた。世の過酷さを思い知らされた。

 

「姉さん・・ごめん、ごめんよ。」

 

「・・・お姉ちゃんを捨てるんだね。そうやって素知らぬ顔で生きていくの?生きていけるの?助けてくれるって信じていたのに・・・・嘘つき。剣なんて捨てちゃえばいいんだよ。お姉ちゃんの事なんてどうだっていいんだ」

 

「ち、違うんだ!僕はただ・・・」

 

「お姉ちゃんを理由にあいつから逃げるな」

 

 無理だってッ言ってるじゃないか!どうしてわかってくれないんだ。あんな化け物が蔓延る場所で生き延びれるものか!弟にもっと優しくしろよ!!なんでわかってくれないんだよおおおおおお!!

 

「・・・それは許されないんだよ。もう一度逃げたらそれは本当の終わりだから・・・・大丈夫。独りで立てないのなら手を貸してあげる。だからお姉ちゃんを理由に子供の頃からの夢だった騎士を諦めないで――――――逃げるな」

 

 そうだ、子供のころに憧れた騎士。遠い親戚なのに僕のために金を工面してくれたおじさんたちのためにも僕は騎士学校を卒業しないといけない。

 

 でも、立派な騎士ってなんだ。

 

 仲間を置いて逃げるような奴に騎士が目指せるのか。資格はそもそもあるのか。

 

「・・・まだ間に合うよ。大丈夫!お姉ちゃんが助けてあげるんだから!」

 

 ふんす!とか細い両腕で力こぶを作る。そんな筋肉は当然ない。だが、どうにもその様子がおかしくて笑いが漏れる。お姉ちゃんはいつだって僕の憧れであり道を示してくれる。

 

 そうだ、逃げる事が許されるはずがない。姉さんは今も苦しんでいるのだから。そんなことで足を止めていいのか?

 

「・・・・ごめん。ごめんよ」

 

「・・・・ふふふ、いつまで経っても独り立ちできないね」

 

 本当に頼りになる姉さんだ。そろそろ姉立ちせね騎士になどなれるなずもない。いつまでたっても弟のままではいられない。

 

 あの時と違いまだ引き返せる。矜持は未だ失われてはいない。昔に比べ僕は随分と成長した。もう子供のままではいられない。逃げれば夢を叶える資格を失う。何より自分が許せなくなる。

 

「ごめん、これで”最後”と思うから手を借りるね。それでさ、もう一度頑張ってみるよ。そこで見守っててくれないか?」

 

「大丈夫、お姉ちゃんはいつも一緒だよ。だからね、――――――早く助けて」

 

 手を引かれ立ち上がる。剣は折られたなら、また打ちなおせばいい。折れた心もこれからだ。覚悟が少し固まった。それでも現状あの女に勝てる可能性はゼロに等しい。

 

 忌まわしい獣人の力を使ってこのざまだ。これが最後のチャンスになる。これまでのすべてが試される時だ。騎士学校でも武官教員が言っていただろ。

 『勝利への道筋は身近にある、視野を広く持ち泥をすすれ』騎士らしくない考えだと思っていたが、こうまで追い込まれるとプライドなどどうにでもよくなる。余計なものは捨て本来の願いだけを見据えろ。諦めの悪さだけが僕の取柄なのだから。

 

 天を仰ぐ。薄雪の下、こうして空を仰ぐのが好きだった。何もかも吸い込んでしまいそうな灰色の天蓋。夢の中でも相も変わらず世界は回っていた。こうしている間も時は刻まれる。立ち止まっている暇なんてどこにもないんだ。

 

「僕はもう大丈夫。そろそろ行くよ」

 

「うん!それでこそお姉ちゃんの弟だよ。がんばってね。また逃げたら何度だって罵倒してあげるから・・・だから死なないで」

 

 視界が歪み急に光が広がる。ぼやけた光景が流れ込み都合のいい夢に終わりが訪れる。手には土の感触。ようやく目が覚めたようだった。

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・お姉ちゃん」

 

 夢にしては妙にリアリティがあった。今も掌には姉のぬくもりが残っている気がする。まだ夢の世界だと言われても納得できてしまう。

 

「いいえ、ここは夢ではありません。現実ですよ」

 

「!!」

 

 声のしたほうへと振り返る。城下町を思わせる街並み。どこも緑が鬱蒼としており飲み込まれんかという勢いだ。絡み合う木々。その後ろから現れたのはなんとも血色の悪そうな白髪の男であった。杖にローブ、装備から魔術師と判断し咄嗟に距離を詰めようと試みるも体が思ったとおりに動かない。

 

「ッ誰だ!?」

 

「敵ではありませんから落ち着いてください。それぐらいの判断はできるでしょう。騎士見習いのグレイズ君」

 

「な、なんで名前を・・・そうか傷の手当てをしてくれたのはあなただったのか」

 

 自身の体にまかれた包帯から少なくとも敵ではなさそうだと判断する。名前の件はともかく眠っている間に襲わなかったところを見るに敵意はないはずだが一応の警戒はしておく。

 

「そう警戒しないでください。せっかく同郷の者に出会えたのですからお互いに協力できるはずですよ」

 

 隠しきれないグレイズの不安を前に、そう言い杖をこちらに構え聖句を唱える。

 

「帰順せし真説の徒、紅涙の海の名も知らぬ【利霊】」

 

 ベルタに負わされたグレイズの傷がみるみると治りゆく。

 

 この聖句は間違いなく・・聖王国出身の証明。言葉よりもよっぽど重い意味を持つ聖句は何よりもの証となる。

 

 いや待て―――回復魔術だと?

 

 回復系の魔術は教会でも高位の実力者にしか扱えないはず。そうなるとこの男、いやこの方は。

 

「いきなりですみません。まだ治療の途中でしたので・・さて、まずは自己紹介といきましょうか。私の名はクラウン・リム・ディアス。かつてのアンティキア正教の大主教の立場にあった者です」

 

 

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