――――――――――Side/グリム
何もない、瓦礫の山。黒い天蓋がぽっかりと口を開け大量の水を垂れ流す。上ばかり気を取られていれば、下から溢れ嵩を増す水たまりに足を捕られることだろう。
世界はどうなったのか。このような惨状でもまだ存続していたのだ。
世界は確かに救われた。それを知る者は神殺しを達成した恋都以外にいない。誰も世界が一度終わったことを知り得ない。恒常の日々は何事もなく時を刻み始めたのだ。
それでも中心地には余波はしっかりと爪跡を残す。第三階層から第一階層までしっかりと崩壊させていた。崩落する瓦礫が天より降り注ぎ浸水は止まらない。水嵩は増すばかり。誰の目から見てもここはもうお終いだと思わせる程に原形を留めていなかった。
それでも生存者はいた。
千切れかけの左腕を抑えグリムは娘を抱き歩む。
光に包まれ気が付けば何もかもが終わっていた。A種も、祈り手も、夢の住人も、神と共に消滅し悪夢は終えたのだ。
信じられない。こうして無事であることはつまり神のみが振るう奇跡を人間が起こしたのだ。
グリムと娘だけがなぜ生き残ったのかわからない。とにかく何かに感謝の念を送らずにはいられなかった。生を噛みしめ言葉にできない喜びを感謝に添える。
そうか、これが祈りなのだな――――
神に殺されかけたのに神に祈る矛盾。この理屈では計れない訳の分からなさが心地よかった。
未来は明るい。アリスが消滅したので娘が器足り得る理由も無い。神はもう二度と舞い降りない。アリスの呪縛から娘は解き放たれたのだ。
ここではないどこかで娘と再起を図ろう。異常を感知した他のゲームマスターどもがここを調査しにくるのも時間の問題だ。
私は依然、脱走者。追われる立場なのだ。娘の為にも身の振り方を考える必要がある。なんだったら人間どもに自身を売り込むのもありかもしれない。
「――――パパ―?ッあれ・・ここは・・」
眠り姫がようやく目を覚ました。眠たげな瞼を擦り困ったようにぱちくりと目を瞬かせる。周囲の状況に困惑しているのだろう。これは仕方がない事だ。伝えたところで一笑されてもおかしくないまでに現実味の無くなる壮大な話だ。
誰が神の降臨を証明できる―――?
それにだ。もっともっといっぱい話したいことがあるんだ。君に聞いてほしいことがたくさん・・・・
グリムはゲームマスターらしからぬ心の変化を感じていた。奇跡を目の当たりにし精神性は変わった。人間の可能性の素晴らしさに触れた。見下すことがどうして出来ようか。余波によるあり得るはずの無い枷からの解放がグリムに祝福をもたらす。
小さくも不出来だが・・確かな人間性が芽生えていた。
みんな生きてるんだ――――魂はここにある。
それでも、沙汰は下される。過去の因縁が足を引っ張る。
「なんだ生きてたのか、残念だ」
背後からの呼びかけ。その声はやけに耳に残る。振りむけば死神がそこにいた。
「な、、、」
瓦礫の上で膝を抱え佇む”彼”の姿を目にし身構える。
当然だ。消滅したと思っていた神が現れれば放心もしよう。
「安心しろ、神は死んだ。俺はただの・・・通りすがりだ」
その一声に息を深く吐き出す。確かに暴力的な神性は消えている。つまり彼は狂った裁判所で我々の弁護に回った謎の不死者だ。雰囲気がアリスのそれではない。
なぜこんなところにと、声に出る前に彼の放つ異様な雰囲気に閉口する。
美しい不死者だった。それでいて私に対し殺意を隠そうともしない。
よく見ると【氷結界域】の頭部を大事そうに抱えていた。
瓦礫に突きたった剣が鈍く光る。
【氷結界域】ならばともかく、他の不死者に恨まれる覚えはない。裁判所のやり取りからアリスとなにかしらの因縁があるのは把握しているが・・・
いや、アリスと縁がある時点で普通の出自ではない。
まさか不死狩りの生き残りか・・・?
抱える不死者の遺体がそう思わせた。
グリムはいくら考えても答えが出ない。
チシャ猫によるA種大量召喚時にA種に扮したヨルム顔の恋都と目の前の”彼”が同一人物とは夢にも思うまい。事情を知らねば理解の及ばぬ番外の事実か。
「あれ、王子様・・・おはよう~」
「・・・・・・」
胸に抱く娘の嬉しそうな声に訝しむ。嬉しそうなイグナイツは――――――恋する女の顔をしていた。
妙なショックを受けながらも安心する。娘にもこんな人間らしい感情があることが嬉しかった。
でも、疑問を抱く。なぜ彼をそう呼ぶ・・・王子、様・・?
呼称からただならぬ思いを抱いているのは明白だった。娘はプライドが高く傲慢だ。それをここまで溶けた顔をさせる男に恐れを抱く。
”王子様”
古い記憶、適当に聞き流したはずの会話だが案外忘れぬものだ。一度だけその名を娘が口にしたことがある。
夢の中で現れたとかいう存在。
・・・・考えてみろ。娘は秘密の第四階層からどうやってか抜け出した。あれは他の者の助けが無ければ開きようがないし、そもそも並の封印ではない。どこで出会ったのか。外部からの侵入の痕跡はなかった。全てはあの空間異常からことは始まった。
もし、彼が、娘の部屋に転移してきたと仮定すれば・・・
そもそも裁判所での騒動で真っ先に娘の名を叫び駆け寄ったじゃないか。彼は娘を助けるために狂った裁判に参入したのだ。おまけに夢の住人との会話に、娘の体を支配するクリムゾンの言動。
すべての原因はこいつか!!
根拠なんてどこにもない。命の恩人であれどこの男は明確な目的をもってここを崩壊させた元凶。
それが現実となりこの有様だ。
油断できる相手ではない。なぜここで現れた。なにを、しにきた。
「何をしにきた」
「お前を殺しに来た」
「まさか不死狩りの生き残りか、目的は仲間の解放か」
ふくくく、噴き出し笑い出す不死者は剣を引き抜きグリムの前に舞い降りる。
「そういうのとは、関係ないよ。別に俺はあんたにそこまで恨みはないんだ。これはただの置き土産・・・・死んだヨルムのやり残したことを代わりにやってやろうってね・・・なあ、ゲームマスターだっけ、お前さえ居なきゃここまで複雑にならなかったのにね――――――――ここで死ねよ」
言葉では・・剣を収めまい。
気迫が全てを語る。心を入れ替えても因果が巡り巡って挨拶してくる。短い幸福だった。生き残ったのにはちゃんと理由があったのだな・・甘んじて受けよう。これさえ乗り越えれば・・・私はきっと優しくなれる。
グリムは奇跡を目にしてしまった。諦める選択肢はどこにもない。可能性がある限り何度だって抗ってやる。
ゆっくりと衰弱した娘を下ろし刃を作り上げ構える。
「え、え、なんでッ?」
「大丈夫、すぐに終わらせてくるよ」
まるで状況が呑み込めていない娘は目を白黒させる。震える足腰で立とうとするがそれよりも先に戦いは終わることだろう。
今更、不死者に負けるなんてことはない。殺し方なんていくらでもある。冴え渡る智賢。不死者の実態はとうの昔に丸裸。積み上げた年月が不死者を殺すのだ。
時代遅れのオンボロはいい加減、新世代の養分となればいい。
「安心しろ。あんたの娘は”殺さない”。子供にまで罪を問うのは残酷だものなぁ」
「そうか・・それは助かるよ。なにがあろうと私は・・生きねばならない」
「ははは、必死だな。父親がどうとか・・・見ていてイライラする」
両者は構える。不死者は剣を肩に担ぎ半身ずらす。筋肉が異様に張っている。一瞬で切り込む心算か。グリムはそれに対し剣をこれ見よがしに振り回し両手で構える。
「”不死殺し”の刃だ。すぐに終わらせよう」
これで嫌でも注意せざるおえない。剣を使うと見せかけ本命である想術で仕留める。
不死殺しの武器なんて存在しない。世にうたわれる不死殺しとは結果的に不死者を殺せた武器がそう呼ばれているだけにすぎない。偽物の付加価値でしかない。
粘り強く徹底的に心を折るしかないのだ。
残りのリソースは少ないが不死者一人相手にするには問題ない。
動いた瞬間剣を投擲して回避先に強力な酸を体内から発生させ永遠に殺し続ける。不死性を上回る攻撃こそ不死者に有効。それでも死なぬなら、投擲した刃を遠隔操作で突き立て、すべてのリソースを使い亜空間にばら撒く。一切の細胞も残さずやらねばそこから再生してくる。最高位の不死性でもこれで確実に死ぬ、というか退場させれる。例外は無い。
「や、やめて・・お願いだから・・・」
瓦礫の音が水面と激突し大きな揺れと水しぶきを立てる。娘の必死の懇願も遠く聞こえる程にここにはグリムと不死者しかいなかった。
「――――ッ」
刹那の静寂を食い破る轟音。先に動いたのは奇しくも両者同時にであった。
グリムの投擲と同時に不死者もまた剣を投げた。空中ですれ違う両刃。あの体勢は最初から剣を投げる腹積もりだったのかッ!。
それでも流れは変わらない。高速の投擲はしっかりとグリムの眼が補足している。だからこそ理解する。剣の軌道は私から僅かに外れている。
防ぐまでもない――――後ろに誰もいなければ。
「――――ッ!?イグナッ」
剣は真っすぐにイグナイツに吸い寄せられる。
娘は関係ないだと?まったくの嘘じゃないか。
グリムは投擲を全力で想術でもって防いで見せる。父親としては称賛される行為。だが、致命的な隙を作らされた。
ブチュリ
「・・・信じてよかったよ。娘への愛は本物だって。そういうの・・・・なんか嫌いだな」
不死者は心臓に刃を受けながら平然とグリムの胸に腕を突き刺した。貫き手が容赦なく抉る。
「ぐ、ゴパッ―――」
「・・・・・・俺はこういう戦い方をする。わかるよね?」
貫通した腕の先にドクドクと心臓が脈打つ。それを恋都はグシャリと握りつぶした。血が滴る右手を引き抜かれ、一歩下がった恋都の腕がぶれる。
傾く視界の中でグリムは何を思うのだろうか。
グリムの首が手刀で刎ね跳ぶ。
最後の表情・・・ゲームマスターもそんな顔をするのだなと恋都は感慨も無く眺めていた。
「・・・・・・・・ヨルム・・」
・・・・イグナイツが剣に刺さった程度で死ぬものか。
ゲームマスターは娘のことを知らな過ぎた。確かな愛はあった。それでもコミュニケーションが足りていなかったようだな、と・・・・いやそうじゃないか。
親であれば誰だって子を庇うのだ。あれが咄嗟の行為であればその愛も確かに存在したのだ。
俺とは・・大違いだな――――
三大禁忌の支配者はあっけなく死んだ。900年の栄華に幕が降ろされる。
「パ、パ・・・・」
・・・あとはつまらぬ後始末だけが残っている。