其方の涙を拭うため、その先で手を伸ばした   作:ベーグルの真ん中

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第1話 生まれ落ちる

 ――嗚呼、この世界にたった今、生まれ落ちたのだ。

 

 彼ひとりだけが、その広場で笑っていた。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 生まれる時代を間違えた、とは両親からも、同門からも、世間からだって言われて慣れる。

 彼もその言葉には全くもってその通りと頷いた。カラカラと大笑しながら、まさしく! と明るく言った。

 

 彼は剣道に精通していた。

 幼少の頃より、お家の道場を継ぐため剣道一筋。両親祖父母に親戚諸々、そこに否はなく、幼き彼もまた、心底その道に打ち込んだ。

 

 干支を半周。その時はまだ、竹刀を振るう筋力が足りず、たどたどしい剣筋に微笑ましさが勝る。

 干支を一周。筋力も身につき、体付きも小学生見合わぬ身長に、しかして線は細く。優男然とした風貌なれども、この時の剣筋は見事の一言。同年代はおろか、段位3段に勝る才覚を魅せた。誰もが感嘆に息をついた。

 翌年。初めての段位取得に難なく合格。初段となり、修行に励む。

 また翌年。段位5段と打ち合い惜しくも敗北。その年の2段昇格に難なく歩を進める。

 

 そして16になる3段昇格試験の時、スランプに陥り不合格となる。

 翌年、またも不合格。また、試合にも黒星が増え、伸び悩む。両親はその太刀筋の僅かな綻び、迷いに気づき、気分転換か、はたまた本人の資質を見抜いてか、居合道を勧める。

 翌年、居合道の鬼才と称される。まるで雷の如き閃きに迷いはなく、振り抜いた様はとても18の青年には見えず。一級取得時の審査員の一人は「悪鬼宿る、求道の修羅を見た」と後に語る。

 

 居合道の修行の時。彼の一閃後の様があまりに美しく、雑誌の一面を飾る。

 その一面、その貌は海の先に居る想い人を見つめるかの如き物寂しさを思わせながら、瞳は烈火の如く力強い。もともとの容貌相まって、一時期は比類なき美男ともてはやされた。

 

 翌年、居合道にて初段を取得。そして剣道において3段に昇段。調子を取り戻し、同じ段位に敵なしと言われ、3段上にも白星をあげ始める。本来なら有り得ぬ大金星の数々に、彼の周囲では喧騒が絶えない。

 

 翌年、居合道2段に昇段。また、成人となりその祝いにと剣道8段の至りし達人と試合も、瞬きのうちに小手を受け敗北。刹那の攻防に触れ、敗北を糧に修練に励む。

 

 これより段位昇段は干支を半分跨ぐ。

 その間、世間も家族も蜂の巣を突いたような大騒ぎ。ただ「修行のため家をあける」とだけ書き置きを残し、忽然と姿をくらませた。警察が捜索、顔写真の公表によって全国にて捜索するも、己から戻ってくるまで、ついに一度も影さえ踏ませない。

 

 年月によりその風貌は見違える。無造作に後頭部で縛っただけの長髪に、たくわえられた無精髭。青年の面影はなく、凪の顔は悟りを開いたかの如く、ただそこにある。6年ぶりに帰省した彼のことを、両親は三度見ることでようやく、己の息子だと気づくほどの変わりようであった。

 そうして帰省の翌月に、剣道4段に昇段。また、すぐ後に居合道3段に昇段。後の審査員の一言において、剣道では「至った」と短く。居合道では「まさしく」とだけ述べられた。

 

 3年後、

 その区間、6年の修行の成果を示すように、試合と修行の日々。両親の道場で師範を手伝う。ゆくゆくは師範になる者として、育てられてきた。

 その中で、目を見張るのはやはり剣筋であった。一時期覚えた迷いは見る影もなく、流麗なる一筋はまさしく閃き。弧線を描く清流の如く、物静かな様には誰もが魅せられた。

 

 試合になれば鎧袖一触。竹刀かち合うことなく、乾いた音が響き渡る。敗けた、と相手が悟るのは音を聞くよりも後。自身の身体に衝撃を覚え、もう一度、音の残響を拾ってからであった。

 

 この頃になれば、もはや剣道7段さえ圧倒するようになり、奥義おさめた8段をもってしても、勝率は半々に割れるほど。この時、剣道8段は「時代が時代なら、流派が一つ増えていた」と、竹を割るような大笑と共に口にしたとか。

 

 そんな彼は、帰省してからというものの、よく物思いに耽るようになった。縁側で、よく何もない塀を眺めたり、空を見つめたり、庭の松の木を見たりと。心ここに在らずというものか。はたまた郷愁に耽るかのように。目を離せば今にも消えてしまいそうな様には、両親は大層肝を冷やしたらしい。

 また行方知れずになったら堪らない。両親は真摯に悩みを聞いて、その内容にはとかく頭を痛めたという。そして、父から出た言葉が。

 

「お前は生まれる時代を間違えたな」

 

 と、親にしてはあんまりな。しかし、そんな我が子にだからこそ正直に、ただ本心を口にする。

 それに返ってきたのが。

 

「まさしく!」

 

 と、晴天の如き笑顔と共に、気持ちの良い大笑であった。

 

 

 

 その悩みを打ち明けて、彼の親が本心からその言葉を口にしたからこそ、父親はその親心から、ネットサーフィンに励むようになった。何やらVRがどうちゃら、と独り言が増えたかと思えば、ある日突然、早朝から居なくなる。なるほど、行方をくらませるのは父親譲りだったらしい。

 違うところといえば、その日の正午には戻ってきたことか。父親は「いいものがある」といって、機械仕掛けのヘッドセットに、『ソードアート・オンライン』というパッケージを渡した。

 

 そう言った世情にてんで疎かった彼は訝しげに首を傾げるのは必然であった。それを微笑ましそうに見ながら、ハリボテ知識を披露する父親の姿は、まさしく一家の団欒と呼ぶには相応しいものだったと、後に母親が語る。

 

 父親が説明を終えれば、彼は童心に戻るかのように大いにはしゃいで礼を言えば、早速とばかりにヘッドセットことナーヴギアを装着した。起動の方法がわからず、父親からレクチャーを受けながら、時に父親もまた調べながら、準備は整う。

 

「じゃあ、いざいざ!」

 

 今風なのか古風なのかわからない、興奮冷めやらぬ声を上げながら。

 

「リンクスタート!」

 

 こうして、彼の冒険は幕を開けるのである。

 フィクションが、命の重みを伴って現実となることをまだ知らず、その世界に潜り込むのであった。

 

 

 

 

 

 

 世界に飛び込んだ。

 真っ白な空から落ちていき、暗いトンネルをくぐった先に開けたのは、ヨーロッパであった。

 外周はぐるっと大きく塀で囲まれ、石畳によって舗装された地面の上。石・レンガ造りの建物が連なる街並み。雑踏の如き人々の集まりは流れることなく、まるでひとつのオブジェのように佇んで、喧騒を彩った。

 

 彼が何の気なしに空を見上げれば、あっぱれな晴天が出迎えた。

 まるで祝福を受けたかのような心地に浮足立つ。田舎から上京した若者のように、三十路手前の彼が童心露わに世界を見渡す。目を見開いて、瞳を輝かせて、挙動不審にキョロキョロと。

 

「もしや、冒険者の御方ではありませんか。ようこそ、『はじまりの街』へ」

 

 そんな彼のもとに、妙齢の女性が声を掛ける。頭の上に黄色いクリスタル型のアイコンを持つ、俗にいう「NPC」であるのだが、ゲーム初心者の彼がそれを知る筈もなく、「これはこれは」と綺麗にお辞儀を返して口を開く。

 

「お恥ずかしいところをお見せいたしました。今、こちらに来たばかりなもので、勝手も分からず、しかしこの世界の美しさには見惚れるところばかりで、立ち往生していた次第。……して、何用かお聞きいたしましょう」

「私は冒険者の方々の案内を担当しております。どこか行きたいところがありましたら、お申し付けください」

「これは、これは。何とも至れり尽くせり。しかし、行きたいところ。……ふと思いつく限りは候補は三つ」

 

 一つ、と彼は人差し指を立ててそのまま続ける。

 

「景色の良いところ。やはり、この世界隈なく見て回りたいという欲求に駆られて仕方なく。しかし、街中にはどうにも、高台のようなところはないように見受けられる」

「『はじまりの街』の中には、この第1層を見渡せる場所はございません」

「第1層……? あぁ、いや、承知。100層の天空城からなる一層目、ということでありましたか。しかし、残念。となれば、その場所を探すために足を稼ぐ必要がありますが、やはり旅には先立つものがなければ、すぐに野垂れ死にましょう。して、お恥ずかしながら、日銭を稼ぐにはどうすれば?」

「街の外に出てモンスターを倒すと入手することが出来ます。また、モンスターからのドロップアイテムを店で売買、その他、クエストの報酬として受け取ることが可能です」

「つまり、モンスターを狩ることが日銭稼ぎと。なれば、最後の一つと目的も一致する。戦える場所……街を出るには、どちらに向かえば?」

「こちらのメインストリートを真っ直ぐ行った門の先から、圏外となり、モンスターとの戦闘を行うことが出来ます」

「承知。わざわざ時間を割いていただき感謝を。大変失礼ながら、もう衝動を抑えきれぬ故に、これにて」

 

 礼に始まり、礼に終わる。

 相手が呼び止めるような視線、仕草をしないことから、彼は迷いなくさらに広い世界を求めて踏み出した。

 

 

 

 

 

「ふむ」

 

 剣を一振り。するり、と風が靡くような一閃が、すれ違うイノシシの胴体に真っ赤な一文字を刻み付ける。飛び散った青白いポリゴン片は流血の表現か。「フレンジーボア」という名前のすぐ横にあるHPゲージは、残り2割となり真っ赤になっている。

 

「所詮はゲームと、少々侮っていたらしい」

 

 しみじみと、彼はそう呟くと。

 再び突進してきた「フレンジーボア」から軸を逸らし、一閃。流麗なる弧線が首を刈り取り、宙に飛ぶ。HPバーは瞬く間に全損し、その胴体も、宙に飛んだ頭もパリンと音を立てて砕け散る。

 

「急所は確かにある。しかし、一太刀で飛ばせぬのは、この仮想の肉体が脆弱故か。胴体への一撃は普通。牙への攻撃はほぼ無傷。……武器の劣化具合も気になるが」

 

 はて、どう確認したものかと首を傾げる。しみじみと観察してみるものの、新品の時と特に変わった様子はないように見受けられる。粗末に扱ったつもりは毛頭ないものの、それが扱いの巧さによる効果なのか、はたまた「耐久度の減少が見た目に反映されない」せいなのか。彼はそこに答えを出すことが出来ないでいた。

 

「……手入れは己で出来るのか? それとも鍛冶師でも……いや、そもそも店を知らぬが」

 

 参った、と彼は後頭部を押さえて息を吐く。どうにも困った時に出る癖だった。

 周囲を少し見てみるが、動きがたどたどしい者が多い。武道、武術の未経験者が多いのだろう。そしてそれ以上に、「慣れている」ようには見えなかった。

 

 一息おけば、見切りをつけて場所を変える。道すがら、干し草のように香しくも、瑞々しい緑の匂いが鼻につく。からっと晴れた日、日当たりのよい山林の一角に居るような心地であった。

 虚空より生まれる「フレンジーボア」は、こちらから攻撃をしなければ大人しい、家畜のようなモンスターだった。武器に不安のある彼は、モンスターを無視して人を見る。

 

 

 

「……ほう」

 

 そのアバターは一際目につく体躯であった。

 大柄な肉体であった。そのくせ、猫背に蟹股という姿勢の悪さが目についた。白い仮面を装着しているが、一体その下にはどんな凶悪な面構えを持っているというのか。伸びっぱなしの髪をかき上げただけの様は、放浪者のようなだらしなさを思わせる。

 そんな見た目のくせして、力みが無いのだ。いや、猫背に蟹股のどこに力む必要があるのかと言われればその通りだが。少なくとも話にならない素人とは少し違うだろう、そう思わせるくらいには、その姿が板についている。

 

 何よりも目を惹くのは、その武器だ。

 鉈というにはあまりに刃が大きく、大太刀というにはあまりに刃が湾曲している。角なく弧線を描くその武器は「大鎌」である。

 

 大鎌という武器は、剣や刀よりも数十倍扱いの難しい武器である。その要因は担い手の少なさに起因した流派の少なさ。剣術より分派した流派はあるものの、鎌術を本流とするような流派は、少なくとも彼の知るところ存在しないのだ。よって、「正しい扱い」や「型」といったものが、「剣」に比べて非常に未熟なところがある。

 また、創作媒体によって「大鎌」という武器ジャンルが認知されているところはあるだろうが。そもそも一般的に「鎌」とは農業、園芸のために使用するためのものである。武器として現実的に用いるのはよくて「鎖鎌」といったところ。「大鎌」を現実的に扱う人間が、この世の何処に居るというのか。

 

 したがって、武道・武術の者、というわけではあるまい。足運びに安定感はあるものの、熟達した技量からくるものではないのだから。いや、そもそも猫背蟹股が構えなど、そんな流派は聞き及んだためしがない。

 

「よし」

 

 ならば、どうして彼はひとつ頷いて、その者に近づくのか。

 それは扱いづらいその武器で、さも当たり前のように「フレンジーボア」を刻み、全く動じることなく作業の如く処理してみせているからであった。

 

 また、その男のすぐ近くには、栗色の長髪の少女が立っている。大鎌の男の姿を見て、その言葉を聞いて、何やら学んでいる様子だ。

 そして、その少女の得物は「剣」である。それも「細剣」と分類される、刺突に優れた刀身の細い武器である。

 即ち、大鎌の男は「教えを授ける立場」なのである。武に精通しているわけでもなく、同じ武器を扱うわけでもないのに「教えを授ける」とは、考え得る限り二つしかない。

 

 そして今まで見せた迷いのない作業の如き動きは、彼に確信を持たせるには十分すぎた。

 

「失礼。少々お時間をいただきたく」

「はて、何か」

「……ミトの知り合い?」

「いや、初対面だね」

 

 栗毛の少女は、その大鎌の男のことをミトと呼んだ。

 大鎌の男、ミトの声は、重低音かと思えば思いの外高く、その風貌と相まって胡散臭さというものがにじみ出ていた。

 

(柳のような御方だ)

 

 物腰柔らかである。不快感を滲ませず、純粋に話しかけられた理由に首を傾げているだけ。楽しみを邪魔された、といった含みはない。

 ならば、と彼は切り込む角度を決めて口火を切る。

 

「拙子、この世界に潜りまだ一時間に満たぬ若輩の身の上。右も左もわからぬ赤子同然ともなれば、教授いただける師を探していたところ、見事な大鎌捌きを拝見いたしまして、これは、とあたりをつけた所存。つきまして、先人の知恵を指導賜りたく、話しかけた次第」

「随分、回りくどいロールプレイだね。要するに、ビギナーだから経験者から教えてほしいことがある、ってことで?」

「然り」

「なるほどね。アスナ、一人追加してもいい?」

「あ、うん。悪い人じゃなさそうだし」

「いや、こんなガチガチのロールプレイしている相手に、そんなのわからないけどね」

 

(はて、ロールプレイとは)

 

 と、頭の中で疑問符が浮かぶも、今聞きたいこととは関係ないだろう。聞き流している内に「さて」と大柄の男ミトが彼の方に向き直る。

 

「じゃあ、教えてほしいことは? スキルの取り方? ソードスキルのやり方? それともここのモンスターの弱点とか?」

「……スキル? ソードスキル? ……お恥ずかしながら、聞き及ばぬ言葉ばかり。拙子としては、この武器の劣化具合の確認方法がわかれば――」

「……何もわからないことがよくわかった。よし、じゃあまずはコンソールを開いて」

「……コンソール? とは」

 

 彼のその言葉に、大鎌の男の仮面の奥。ちょうど穴の開いた瞳の部分が、怪しい赤色に光を持ったように見えた。

 

「うん。アスナ、ごめん。ちょっと5分くらいちょうだい」

「わかった。じゃあ、私はソードスキルの練習してるね」

 

 さてと、と栗毛の少女アスナを見送ったミトは彼の方に向き直り。

 

「じゃあ、まずコンソールの出し方だけど。これないとゲームからログアウト……ゲーム中断が出来ないから、絶対に覚えるように。まず――」

 

 身振り手振りを加えながら、ミトは懇切丁寧に、何もわからない彼によく教えてくれた。

 何より教え上手なのだろう。言葉の意味すら怪しかった彼に、本当にたったの5分で、コンソールの使い方を理解させたのだ。アイテムの確認方法も、使い方も、装備の仕様についても、彼はミトの教えによりしっかりと理解してみせた。

 

「――と、こんなものか。とりあえず、知りたいことはわかった?」

 

 ミトの確認に、彼は大きく頷いて見せれば、続けざまに深々と腰を折って頭を下げる。

 

「まことに、感謝の言葉を。ありがとう。拙子は危うく、現実世界に帰る術すら知らぬ間抜けになるところであった。貴殿はまさしく、命の恩人といって過言に非ず。何かあれば、また道半ばの虚けの微力、存分に使いましょう」

「大げさ……って、わけでもないけど。次から説明書は読むようにね」

「ははは、耳に痛いところではありますが」

 

 彼はここで一息吸い込むと、顔を上げて、晴れやかな笑顔をもってミトの仮面越しの瞳を見つめ、頷いた。

 

「――承知。ご忠告、痛み入ります。それでは、拙子はこれにて。また縁が交わる時、お会いいたしましょう」

「そうだね。また縁があれば」

 

 そうして、二人は別れることになる。

 

 彼は街の方に行き。

 ミトは栗毛の少女アスナの方に足を進める。

 

 

 

 夕刻。

 『はじまりの街』の広場にプレイヤーたちが強制転移させられ、この世界のGMである茅場晶彦の演説が始まる。

 しかし、それは期待に胸を膨らませていたプレイヤーたちの心を、絶望の底に叩きつけるものであった。

 

 ゲームからのログアウトが不可能なこと。

 ナーヴギアを外部から強制的に外せば、ただちにそのナーヴギアによって脳が破壊されてしまうこと。

 そしてこのゲームでのHPがゼロになれば、現実世界でも死ぬ。上記したナーヴギアによる、脳の破壊が実行されること。

 

 途中、茅場晶彦が配った『手鏡』というアイテムにより、アバターという仮初の姿は剥がされ、現実世界の容姿が露わになった。

 

 故に、これはゲームであっても遊びではない、と。

 

 一方的な通告。そして、自らの目的は既に達成されたと。

 言いたいことだけ言って、締めに「諸君らの健闘を祈る」などと言葉を残して、巨大な赤マントのアバターと、広場を覆っていた空間と共に消えていった。

 

 

 

 最初に悲鳴を上げた誰かを皮切りに、広場に残されたプレイヤーは混沌に包まれた。

 冷静に、いち早く広場から脱出して、フィールドに駆り出るプレイヤーが居た。

 絶望的な状況に呑まれ、近くの誰かに泣きつくプレイヤーが居た。

 未だに事態を飲み込めず、茫然自失と空を見上げるプレイヤーが居た。

 

 彼もまた、空を見上げるうちの一人であった。

 ただひとつ、違うとするならば。

 

「嗚呼」

 

 その口元が、ただただ嬉しそうに綻んでいたこと。

 彼は夕暮れの空を見上げながら、しみじみと。

 

「この世界にたった今、生まれ落ちたのだ」

 

 そう呟いた。

 しかし、感慨に耽るのも束の間。

 

 彼はその身を翻して、悠然と歩み出した。

 誰にぶつかるでもなく、誰に声をかけられるでもなく、腰に据えた剣の柄に手を置いて、歩いている。

 

 街を出て、フィールドを練り歩き、最初に出会ったのは狼のモンスター。

 喉元を食い千切ろうと飛びかかる獣を、横にするりと避けてすぐ後。

 

 夕日に煌めく刃が弧を描く。狼の首元から寸分の狂いなく描きとり、その頭は宙を舞い、パリンと音を立てて砕け散る。

 剣はもう、鞘の内にある。歩みを一切止めることなく、彼は広大な草原を真っ直ぐに進んだ。

 

 背中に日の温もりを受けながら、鼻奥をツンと刺激するような冷き空気を嗅ぎ取った。

 彼は、夜に向かって歩みを止めなかった。

 

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