其方の涙を拭うため、その先で手を伸ばした   作:ベーグルの真ん中

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第2話 旅先に野花を添えて

 野営の経験は十分すぎるほどあった。

 干支を半周するほどの武者修行の期間。山林に籠るなど日常茶飯事であり、獣の徘徊する夜間であろうと、木の幹を背によく眠っていた。

 

 仮想世界の中であろうと、そんな彼の習慣が変わる筈もなかった。

 モンスターが徘徊する森の中であろうと、彼は当然のように木の幹を背に目を閉じている。その場所はモンスターが出現しない、俗にいう『安全地帯』ではない。比較的少ない方ではあるものの、モンスターが出現する可能性はある場所だ。

 

 そんな場所で彼は仮眠を取っている。自殺行為甚だしい行動だ。どのプレイヤーが見たとしても、「正気の沙汰じゃない」と言い切るほどの蛮行。しかし、『安全地帯』と呼ばれる存在があることを知らない彼は、それが当たり前のことだと思ってやっている。

 

 そんな眠っているプレイヤーに対して襲い掛かってこないほど、モンスターは優しくない。

 

「――ッ」

 

 ウツボカズラを人間サイズに巨大化させたような、そして人間のような大口を開いた食虫植物『リトルネペント』が寝ている彼を見つけた。そこからの行動は早く、体の一部である蔦を鞭のようにしならせ、勢いよく彼に振るった。

 当たれば少なくないダメージは必至。補給も出来ない森の中で、たったの一撃が致命傷となりうる状況。あわや、その蔦が彼の身体に叩きつけられるかと思われた、その寸前。

 

 月明かりに照らされ残る残光、その銀閃が三日月を描いた。

 

「ッ!」

 

 どさり、と音を立ててすぐに、パリンと『リトルネペント』の一部が砕け散る。眠っていると思った相手からの手痛い反撃に、モンスターのくせして動揺したのか。その根っこの足でたたらを踏むようにバランスを崩したのが、運の尽きだった。

 

「斬り捨て御免」

 

 およそ胴体といえる箇所と、足となっている根との境界線が断ち切られる。

 支えを失った『リトルネペント』はズレるように大地に沈むと、そのまま砕け散って消滅する。

 

「……」

 

 彼はもう目をつむっていた。いや、初めから目をつむったままだったのかもしれない。

 そんな様子のまま、一番近くにあった木の幹に背中を預けて脱力する。すぅ、と小さな寝息が、静寂に包まれた森の奥に消えていく。

 

 

 

 早朝。肌に染み付くような冷たい夜の空気が残る時には、彼は起き上がって歩みを進めていた。

 ここ数日、彼は街を出てからただの一度も、人が居る場所にたどり着けていなかった。それは、彼が方向音痴だからとか、そんな話ではなく、単純にどこに何があるのか知らないせいだ。

 

 今の彼は、さながら放浪者のようだ。しかし、外面は悠然としているものだから、はたから見て計画的に見えてしまう。

 

(……そろそろ、武器の手直しか、買い直しといきたいが)

 

 教わったコンソールの扱いを拙いながら行っていき、武器の耐久度を見てみれば、そろそろ半分を切るかといった具合だ。無手となるのは状況が悪く、本格的に物資の補給をしなければならない時期に突入している。

 

(引き際といったところか)

 

 判断は非常に早かった。次は武器を買い込んで突入しようと、彼は今まで歩んできた道に戻っていく。

 帰路につきながら、彼は後頭部を押さえて息を吐く。

 

(次は地図も必要か。いや、それは風情に欠けるというもの……しかし)

 

 足踏みばかりするのもどうなのか、と彼は頭を悩ませた。情緒と欲望を天秤にかけて揺れ動く。気難しく眉根を寄せながら、剣の柄に手を置いて、考えながら歩みは止まらない。

 

 

 明らかに、心ここに在らずといった様子で進むことしばらく。すっかり朝日が水平線より顔を出し切ったころ。

 

 ヒュ、と鋭く風を切る音が背後より彼に迫る。

 

「危ないっ!」

 

 と、危機を知らせる言葉が聞こえてきたのは直後のこと。しかし、そんな声の後に状況を把握していては、回避が間に合うはずもない。

 力強く、大地を踏み締める音が彼にはよく聞こえてきた。声をかけた者が近づいているのだろう。

 

「忠告、痛み入る」

 

 彼が短くそう返した時には。

 蔓の鞭は、彼の真横の空を切る。

 

「……は?」

 

 飛び出した者がそんな声と共に固まったのも一瞬のこと。すぐに次の攻撃を行おうとする『リトルネペント』に向けて駆け出すと。

 

「はぁぁぁっ!」

 

 気合い一閃。青いエフェクトを剣に纏わせて振るい、一撃のもとにモンスターを葬ってしまった。

 ふぅ、と息を吐いたのは少年だった。特徴ともいえない黒髪に、片手剣を獲物とする男の子。

 

 そんな少年に向けて、彼はパチ、パチ、と手を打ち鳴らす。お見事、と称賛の言葉を口にして、少年のことをまっすぐ見ていた。

 

「危ういところの助太刀、ありがとう。アレを一撃とは、類い稀なる実力者とお見受けいたします。拙子、考えに耽るあまり注意を疎かにしておりました。助けていただいたこと、改めて感謝を」

 

 そしてそんな言葉と共に、彼は深々と腰を折った。

 その反応か、それとも話し方か。少年は面食らった様子で言葉に詰まると、しばらくの沈黙がその場を支配する。

 

 その間、彼はまだ頭を下げたままだった。

 

「いや。あんたからすれば、余計なお世話だったんじゃないか?」

 

 そんな彼に向けて、少年はそう言った直後、その頬を少しだけ痙攣させた。

 彼は顔を上げてそれを見たが、触れることでもない。いや、いや、と大仰に首を横に振りながら口を開く。

 

「拙子では二刀の必要があった故。武器の損耗も激しく、無駄な諍いは避けたかったところ、貴殿に助けられ。余計なお世話などと、口が裂けても言えぬというもの」

「武器が損耗……? 今、朝だぞ。村で修理とかしなかったのか?」

 

 ここに怪訝な表情で、少年は鋭く切り込む。

 彼はいやぁ、とおどけた様子で頭をかくと、実は……と、事情を話した。

 

「はぁ!? 数日、野宿!? それも安全地帯じゃないところで!? 補給も一回もなし!?」

 

 少年は聞けば聞くほど表情を険しくしていき、聴き終われば怒鳴りに等しい声音で「死にたいのか!」と、彼のことを一喝した。

 これに否、と答えて首を横に振ると、彼は少年の様子とは裏腹に、ずいぶんと落ち着き払った様子で口を開く。

 

「耳が痛いところ。しかし、死にたいわけではなく。故に、今こうして引き返している次第」

「……ここから『はじまりの街』まで、急いで丸一日掛かる。そんな状態じゃ、本当に死ぬぞ」

「しかし、今わかる道はそれだけともなれば、戻る以外に是も否もない」

「近くの村なら知ってる。そこで武器の修理だってできる。案内するから、無謀なことはやめろ」

 

 おおっ! と少年の提案に感極まって、彼は大きな声を上げる。突然のことに少年が一瞬たじろぐも、彼はそんな少年を目に入れる前に深々と腰を折って頭を下げ。

 

「拙子の無知、危ういところ、二度も救いの手を差し伸べていただき、ただただ感謝の念が絶えませぬ。この御恩、決して忘れませぬ。貴殿に危機訪れた時、拙子の道半ばの微力なれども、存分に振るうことを誓いましょう」

「…………その長いロールプレイ、もういいから」

「……ロールプレイ? はて、つい先日の恩人にもまた、そのようなことを言われた記憶が」

 

 この状態は思った以上に恥ずかしい、と口についたそんな言葉にも、彼は首を傾げるばかりだった。それを見た少年は思わず天を仰ぎ、深くため息を吐いてしまう。

 

「とにかく、村に行くからついてこい」

「かたじけない」

 

 彼の返答に少年の眉がピクリと動くも、少年はそれ以上の追及はせず、ポーカーフェイスを演じて村に向かう。彼もまた、そんな少年の後に続きながら、ふと思い出したように。

 

「失礼。拙子、名をヤマトと申す。恩人たる貴殿の名をお聞きしたく」

 

 そんなことを聞いた。

 少年は振り向かず、前を見たまま短く答える。

 

「……キリトだ」

「キリト殿。まこと、感謝を」

「もういいって」

 

 ところでロールプレイとは、だとか。

 こうして村を見つけるコツとは、などと。

 

 村への道中、他愛のない話題を振るのはいつも彼、ヤマトからであって。

 無視する理由もない少年キリトは生来の気質故か、返答だけは律儀に行って。

 

 旅程に素朴な花が添えられる。

 

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