其方の涙を拭うため、その先で手を伸ばした   作:ベーグルの真ん中

3 / 4
第3話 世は情け

 朝起きた時の寝ぼけ眼、視界を覆う霞は、数度の瞬きをもって拭き取られていく。一度瞬くと、視線の中央から少しずつ、世界が鮮明になっていく。ふと横切るかのように、滲んだ彩りが形を整えて映し出される。整形された視界が完成される瞬間というのは、まるで目の前を流星が過ぎ去るかのように鮮烈に、目を覚まさせる。

 

 そんな流星が何度も、キリトの目の前に閃いてやまない。

 

 赤色のダメージエフェクトではない。

 青色のソードエフェクトでもない。

 

 ただ一本の剣の残影が瞬く。あれ、どうしてこの人と一緒に居るんだ、とつい先ほどの記憶が霞みゆくほどに、新しい記憶が眩しかった。

 

 瞬きをすれば、残されるのは青白いポリゴン片だけだ。

 一際強烈な衝撃音も鳴りやまない。民家の前で鳴らせば、近所迷惑だと怒鳴られるほどのそれが、少なくとも夢ではないのだと訴えてくる。何度も、何度も。

 

「……マジで?」

 

 

 

 事の発端は、ヤマトの壊滅的な知識量に気付いての事だった。

 SAO以外においても、MMORPGにおいてはしばしば、共通する専門用語というものが存在する。

 

 たとえば、回復アイテム類のことを「POT」と通称したり、モンスターが発生することを「POP」と言ったり、敵への弱体化のことを「デバフ」、味方への強化の事を「バフ」などと。

 プレイヤー間同士での暗黙の略称といったものが存在する。これはMMORPGという大きな括りの中で共通したものもあるが、SAOという一ゲームの中でのみ通用する略称というものも存在する。

 

 普通のゲームであれば、そういった略称などは経験者に教えてもらうことが常ではある。ゲーム進行上でパーティーを組む場面――それこそフロアボス戦、フィールドボス戦など――を経て、徐々に学んでいくのだが。

 こうしたオンラインゲームという都合上、「自分で事前に調べろ」と切って捨てる者も少なくない。お互いに時間を使って遊んでいるわけだから、その時間を無駄にしないためにも、事前にやれることは各自でやろう、という風潮だ。実際、そういった事前知識を身に着けた上でボス戦に参加し、仲間への迷惑を掛けないことを前提とする初心者お断りの空気は、昨今のオンラインゲーム上で多く見受けられる。この「事前に調べろ」という風潮は、特に余裕のない場合(一人のミスが攻略失敗に繋がりかねない難易度など)に適用されることが多くを占める。

 

 しかしながら、少し考えてみてほしい。現在SAOは、プレイヤーのHPがゼロになることで、現実世界の自分まで死亡するデスゲームと化している。そんな状況下で、いくら経験者といえどもズブの素人を受け入れられる者が、一体どれだけいるというのか。

 

 βテスター屈指の実力を持つキリトでさえ、そんな初心者の安全の保障は一人までが限界だ。これが二人になれば、初心者がそれぞれ別の場所に分断された場合に対処が出来ない。三人になれば、そのリスクは倍増どころでは済まされない。死を恐れてまともに行動できなくなれば目も当てられない。

 デスゲームと化したことによって、HP全損によって受けるのはゲーム上の経験値や通貨の消失ではない。教え導くとなれば、そのプレイヤーの「命を預かる」と同義なのだ。

 

 まともな神経をしている人間は、「命を預かる」なんて早々出来ない。現にキリトも、『はじまりの街』に置いていったフレンドが一人いる。そのフレンドは今、十分な安全マージンを取りながら、一緒にゲームを買った仲間と共に、コツコツと経験を積んでいる最中だろう。

 

 

 ここまでなら、キリトがヤマトの世話を焼くことはなかった。村まで案内して、「次は事前に調べてこい」と放っておいたところなのだが。

 繰り返しになるが、現在のSAOはデスゲームと化している。追加で言うのであれば、「外部との一切の連絡手段が遮断されている」のである。

 

 即ち、ネットサーフィンを経て用語の検索をすることも出来なければ、攻略サイトを見て事前知識を得ることだって出来ない。「自助努力ではどうにもならない状況」というのが、一番の問題点であった。

 

 一応、キリト自身は情報媒体としてプレイヤーメイドの攻略本を持っているのだが……今の状況における情報は、命と同程度に重い。それも、その1冊に500コルもの大金(店売りの黒パンが1コル、安めの宿の一泊が50コル)をはたいて購入している。

 当然、お手製の攻略本1冊で収まるほど、SAOという世界は狭くない。既に4冊は存在するそれをヤマトに買い与える、というのは……キリトの財布事情をもってして厳しいものがある。冷たいように受け取られるが、命が掛かっているこの状況において助ける義理が微塵もない。ゲーム内通貨は回復アイテムの購入に、武器の修理・強化にも利用されることから、その収支が自身の命を左右しかねないのだから。

 

 しかし、この攻略本がなければ自助努力ではどうにもならない。特にソロともなれば、情報一つの欠け、たった一つの失敗が死に繋がりかねない。

 ならばその攻略本を買え、というのは……初心者がそれほどのゲーム内通貨を持っているのか、という問題に繋がる。買えたとして、それで事前準備が出来なくなっては本末転倒もいいところ。ヤマトの手持ちも聞いてみたが、予備の武器の購入、回復アイテムの補給、武器の修理まで考えれば、とても「買え」と強制は出来ない。

 また、フレンドに押し付ける、という選択肢があり得ないことは上記のことから言うまでもない。一歩間違えば、ヤマトの加入が原因で足並みが乱れ、パーティーが全滅しかねない。

 

 

 そんな事情から、キリトに残された選択は二者択一。

 ここで「見捨てる」か、「教え導くか」という、初日の再現。

 

 天秤が傾いた決定打は二つ。

 

 一つ、ソロであること。

 一つ、ゲームの知識が壊滅的に欠如していること。

 

 即ちキリトから見て、「あ、こいつ詰んでる」という状況だったことが、ある種の幸運であったというべきか。

 

 SAO屈指の実力者からのマンツーマン指導の権利を得たのは、そんな文字通りどうしようもない理由からだったのである。

 

 

 

 ――のだが。

 

 知識量と戦闘能力は比例しない。それはキリトもよくわかっている。しかし、物には限度があるだろ、と心中で思うほどには酷い乖離であった。

 

「…………俺、必要か?」

 

 装備は貧相。初期装備から何も手入れのされていないビギナーそのもの。

 回復アイテムの類は村で調達させた。今まで一度もコルを使ったことがない、という言葉には数秒絶句さえした。

 

 そんな状態で、間違いなく最前線プレイヤーたるキリトの居る場所まで辿り着いてみせた。

 冷静に考えてみれば、その状況証拠だけで「プレイヤースキル」の高さは証明されている。運が良かった、なんて理由だけでセルフアイテム縛りの状況下、『はじまりの街』から森のフィールドまで辿り着けるほど、SAOというゲームは甘くない。

 

 しかし、そのことを考慮したとしても。

 

「いやはや。『ステータスを振る』というのは、かくも素晴らしく。足枷の外れたような心地」

 

 今までレベルアップ時のステータスポイントを振ることさえせず、ここまで辿り着いたというのは異常を通り越して呆れさえくるものがあり。

 三匹居た『リトルネペント』を、ソードスキルなしに流れるようにポリゴン片に変えてしまう実力は、キリトの理解の範疇を越えていた。

 

 同時に、「ちゃんと指導していてよかった」と思えるところがまた、タチの悪い。デスゲーム化したSAOにおいて、アイテム縛りだけでなく、ステータスポイント無振り縛りなどと、ヤマトが知らずにやっていたことはまさしく狂気の沙汰である。

 実力を見た今であっても、「このまま行けば確実に死んでいた」と確信させるくらいには、ヤマトの知識量は惨憺たるものであった。

 

「それだけやれるなら、この先ちゃんと情報さえ仕入れれば……あと、宝箱とかのトラップに注意しておけば、ソロでも何とかなる……って、言いたいんだけど」

 

 ゼロから知識を仕入れる大変さは、学生であるキリトはよく理解していた。勉強だって、個人の頭の出来にも左右されるだろうが……少なくとも、苦手科目を一夜漬けで90点以上とれる自信はキリトにはない。

 今日知識を詰め込んだところで、それを活用させて常態化させなければ意味がない。飢えた者に調理した魚を与えるだけでは一時しのぎにしかならない。しっかりと、魚の獲り方まで教えてこそ、危機を脱したことになるように。知識もまた、それを活用できるようになって初めて力を持つ。ど忘れでもして消失することは、この状況では決して許されない。

 

「使いこなせるようになるまでは面倒を見る。放っておいて死んだ、なんてことになったら、目覚めに悪いし」

「何から何まで、かたじけない。授業料は、この世界の通貨とモンスターからの品でよろしいか」

「話が早くて助かるよ。次行こうか」

「承知」

 

 建前もそこそこに、二人は森の奥に進んでいく。

 次はパーティー連携のための「POTローテ」の説明か……いや、ダメージを受けないのだから、今は「スイッチ」の実践訓練の方が有用か。ならばそれに付随して、この世界を生き抜くための最大の攻撃手段、ソードスキルについて教える必要も――

 

 鮮烈な音が耳を貫く。見ていたところ、また二撃で『リトルネペント』を屠ったようだ。

 

(ソードスキル、必要……だよな)

 

 どんなプレイスタイルにしても、ソードスキルは必要だ。そもそも、この階層でソードスキルなしでやっていけたとして、それが上の階層でも通じるかと問われれば、キリトは即座に首を横に振る。

 

(メインウエポンは片手剣みたいだし、そっちからか。手本は「スイッチ」するときに見せれば一石二鳥か)

 

 次の教育方針は粗方定まった。

 後は口頭で教えて、実践を繰り返す。それだけで問題ないと自分に言い聞かせ。

 

「それじゃあ次に――」

 

 珍しく、キリトの方から話を切り出した。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。