其方の涙を拭うため、その先で手を伸ばした   作:ベーグルの真ん中

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第4話 誰かを救う強さ

 ――「強さ」というものに触れた時、彼はそれが、どうしようもなく救いのないものだと思った。

 

 

 

 彼は大人のくせして、泣いていた。

 漏れるような声はなく、震えは押し殺して、ただ頬を伝う玉の雫が、乾いた大地にしみ込んだ。

 

「よく、頑張った」

 

 ただただ、褒め称えた。

 心の底から、尊敬の念をもって、言葉を紡いでいた。

 

 真紅の瞳を真っ直ぐ見つめて、何度も頷き、否定を否定し、その在り方に眩しいくらいの言葉を投げかけた。

 しおれた花のように力ないその手をそっと掬い取り、行こう、と口にする。

 

「其方の友が待っている」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「スイッチ!」

 

 鬼気迫る声が、崖上の地形に木霊した。

 直後に退く少年と入れ替わるように飛び出した影は、瞬きの暇さえ許さず弧線を閃かせ、ゴリラのような体躯にワニのような頭を持つモンスターの首を斬りつけた。

 

「っ、浅い!」

 

 HPゲージは残り3割のイエローゾーンにまで突入したものの、全損はしていない。

 攻撃を受けるも、その間にモンスターは態勢を整えた。右の巨腕がうなりを上げて引き絞られる。全霊ながらも、隙だらけの拳を放つものだと容易にわかる行動に、立ちはだかる彼はすぐに剣を構え直し。

 

「スイッチ!」

 

 後ろから少年が掛けてくる声に即座に反応して、身を引いた。

 繰り出される攻撃が空を切り、勢いのまま、あわやその先に居る瀕死の少女を捉えようとしたとき。

 

 その間に割って入るは青の刃。ソードエフェクトに包まれたそれは、拳の弾丸を打ち上げるかのように激突し、そのまま確かに勢いよくはねあげて、その胴体をがら空きにしてみせた。

 

「いざ!」

 

 今度は彼が声を上げて、またも同じく首に弧線が走り抜けて。

 そのワニのような頭が、宙を飛んだ。

 

 ほんの数秒で、戦いはあっけない幕引きを迎える。

 

 しかし、警戒心を解くわけはなく、二人は示し合わせたようにそれぞれの方向を確認して追撃を警戒した。それも今はないとわかってようやく、仰向けに倒れている少女に向いた。

 

「ヤマトは警戒」

「承知」

 

 役割分担は一瞬だった。剣の柄から手を離さないヤマトと、倒れた少女に声を掛けるキリト。

 どうやら、少女は回復アイテムが底を尽き、万事休すといったところだったらしい。更に話を聞けば、『リトルネペント』の「実付き」を不注意で攻撃した故に、そのような窮地に陥った、と。ソロで無茶なことを、と思わず口に出たキリトに鋭く反応して、「一人じゃ……」と言いかけたところで、彼女の言葉が止まる。

 

 既にHPがレッドゾーンに突入した彼女に、とりあえずPOTを飲ませて回復をさせながら、キリトはそれ以上の会話を続けられない。

 

「……もしや、アスナ嬢であるか」

 

 そこに確かな切り口から言葉を掛けたのがヤマトであった。

 少女は確かに目を見開き、思わずといった風に。

 

「えっ……あなた、どうして私の名前?」

 

 そう口についた。

 ヤマトはひとつ頷くと、何か言いたげに視線を向けてきていたキリトとアイコンタクトを交えながら。

 

「やはりか。キリト殿、交代を」

「知り合いか。なら話が早い」

 

 流れるようにスイッチを決める。練習の成果、というには少々場違いではあるが、今はそんな滑らかな対応が、お互いにとってありがたかった。

 

「拙子は初日、其方とミト殿に邂逅いたしました。ミト殿を5分ほどお借りした者。名乗りそびれたこと、大変な失礼をいたしましたこと、深くお詫び申し上げる。改めて、拙子はヤマトと申します」

「……あっ! その喋り方!」

 

 お互いの認識が一致する。彼はそれにひとつ頷いてから、遠慮無用とばかりに。

 

「ところで、アスナ嬢。ミト殿はどちらに?」

「……それ、は」

 

 栗毛の少女アスナの言葉が詰まる。

 

「……亡くなられたか?」

「…………わかんない」

 

 彼は後頭部を押さえて、小さく息を吐いた。

 どう話を振ったものか、としばらくの沈黙が流れる中。

 

「えっと。そのミト、って人と、パーティーは組んでないのか? ただのフレンド?」

「……組んでた、けど」

「…………」

 

 警戒をしながらも、話の進展がないかとゲームシステムの面から質問をしてみるも、地雷を踏んだ気がしてならない。

 だが、状況はおおよそ掴むことは出来た。

 

「ヤマト。多分、その人とミトって人は、少し前までパーティーを組んでた。でも、何か理由があって解散したんだと思う。パーティーを組んでるなら、左の方にパーティーメンバーのHPが見えるはずだから」

「……キリト殿。アスナ嬢のHPは、ここに来た時は?」

「真っ赤。1割切ってた」

「…………」

 

 キリトとヤマトが視線を交えたのは一瞬であった。

 そして、その視線で通じ合えるほど、二人は関係が深いわけでもない。思考回路が似ているわけでもない。

 

 沈黙もしばらく。

 

「ミト殿の件、拙子に預けてはくれぬか。キリト殿は、アスナ嬢を」

「……ミト、って人のリアル……現実世界の姿、ヤマトは知ってるのか?」

「まったく」

「じゃあダメだ。ヤマトの話だと、あの広場に集められる前に教わったんだろ? なら、ヤマトが見たミトって人はアバター……ゲームで設定された姿だ。容姿がわからない相手なんて見つけられない」

「…………」

 

 キリトの言い分は最もであった。

 このSAOには現在、1万人のプレイヤーが集められている。その中で死亡した者を除いても、8000人以上いることは間違いない。しかし、このフィールド近くに居るプレイヤー、ともなれば百分の一以下に絞り込めるだろうが、それでも数は多い、

 

「アスナ嬢。ミト殿の容姿、教えていただきたく」

 

 膝を着き、視線を合わせて真摯に向き合う。

 アスナはその真っ直ぐな視線から逃げるように、目を伏せた。

 

 しかし、それでも急かすようなことはしない。ただジッと、ヤマトは答えを待ち続ける。

 

「……なんで、そこまで」

 

 ぼそりと、呟かれた言葉を、彼は確かに聞いた。

 

「恩人故に。拙子、ミト殿の教えなければ、既に骸も残っていなかった」

「ミトが、救った? どこで」

「最初の邂逅。たったの5分。されども、大馬鹿者を救うには、それで十分」

「それだけで」

「人は、些細なことひとつで救われるほど弱い故」

 

 アスナは迷っていた。視線を下に向けたまま、固まっていた。ここが危険なフィールドであることも忘れて、膝を抱えてうずくまる。

 

「…………薄い、紫色の髪」

「特徴的だ」

「髪型は、私とほとんど一緒。後ろはポニーテール。女の子。目は赤くて、武器は大鎌」

「……ミト嬢、であられたか」

 

 承知、としっかりと頷いた彼は立ち上がると。

 

「はぐれた場所はここで相違ないか?」

「……そこの崖から落ちた」

 

 アスナが指差したのは、確かに今にも崩落しそうな行き止まり。先に全く地形の続かない場所である。

 

「今日中に見つけよう。説得は……しばし、お待ちいただきたく。集合はキリト殿に案内された村でよろしいか」

「いや、ずっと滞在するつもりはないぞ。だから」

 

 キリトは否定を突きつけると、手早くコンソールを操作し始める。

 すぐ後、ヤマトの目の前にシステムメッセージが表示された。

 

「フレンド登録。承認してくれたら、それですぐに連絡が取れる」

「承知」

 

 即座に承認すると、彼は背を向けて、下りの道を足速に進み始めた。急ぎすぎて転落死、などという間抜けなことにはならなさそうだ。

 

「……とは、言っても」

 

 残されたキリトは、行き場のない視線を、警戒しているふりをして周囲に散漫と動かした。しかし、『索敵』スキルにも引っ掛からなければ、目視で確認することもしばらくなく。

 

「…………」

 

 かと言って、アスナと呼ばれた少女から話しかけてくることはない。立ち上がり、どこかに行くわけでもない。

 

(恨むぞ、ヤマト)

 

 こんな状況に残されたキリトは、ただただ途方に暮れるしかなかった。

 

 

 

 たったの二振り。

 羽虫を払うかの如く繰り出される剣が、モンスターを瞬く間にポリゴン片に変えていく。

 

 足取りは素早く、しかし走ることはなく。

 その俊足が解放されたのは、下山直後のことだった。

 

(向かう場所はおそらく)

 

 駆ける。

 キリトから教えられた安全なルートを無視して、モンスターを切り伏せながら強行する。獣道を突き進み、下り、上り、あるいは登り。拙い手つきでポーションを取り出し、その蓋を開けるのに苦心し、ようやく開栓すれば進みながら飲み下す。

 

(良薬口に苦しというが、これはなかなか)

 

 モンスターは全て、すれ違いざまの二振りをもって葬った。鮮烈な音を鳴らし続けて進むその様は、まさしく暴走特急と言えるほどには喧しい。そのくせ、本人は一言も口を開いてはいないのだ。

 

 そうして獣道を突っ切り、もとの道に抜け出たところで。

 

「……天運は、拙子にあり」

 

 すぐ向こうから、モンスターから逃げる少女の姿。その片手には忘れるはずもない、特徴的な大鎌が握られている。

 その様子を見てすぐに、彼がポーションをまごつきながらも取り出したところで。

 

「っ、ごめん逃げて!」

 

 薄紫の髪を、後頭部から尻尾のように垂らした少女が声を張り上げる。切羽詰まったその声音に、彼はひとつ頷いて、同じ方向に走り出す。

 併走しながら、少女のHPを見てみれば、残り1割を切っており、ゲージが真っ赤になっている。

 

「これを」

「え? ……いや、ありがとう」

 

 慣れた手つきだった。差し出されたポーションを瞬く間に飲み下した彼女は、空になったその瓶を放り捨てて。

 

「1分あれば回復するから」

「一応予備を」

「……そっちの分は?」

「十分に」

「わかった」

 

 そんなやり取りを短く交わしながら、差し出されたポーション3本の内、逡巡を経て全てを受け取りストレージにおさめた。

 

「……迷惑かけてごめん。残りは私がやるから」

「一匹は拙子が引き受けましょう。経験値、とやらが惜しい故」

「なら、左2体やるから。間合いだけは気をつけて」

「心得た」

 

 反転のタイミングは、示し合わせたかのように完璧だった。

 少女はHPが半分回復する前に、もう反転を行った。はなから自分で全部片付けるつもりだったのか、それとも彼のことを足手まとい、とでも判断したのか。ポーションを飲んで30秒も経っていない。

 

 しかし、少女の横目に映るのは、同じく反転していた彼の姿であった。

 視線を交えることなく、少女は振り切る勢いでモンスター向けて駆け出した。大鎌に青いライトエフェクトを纏わせて、間合いには入ったその刹那。

 

 一振り目、攻撃の予備動作に入っていた手前のモンスターの蔓を切断した。

 二振り目、左斜め上から袈裟斬りをもって、モンスターをポリゴン片にかえる。

 三振り目、牽制の横斬りによってモンスターを怯ませて。

 四振り目、切り上げに体をのせてわずかに跳躍しつつ、攻撃しようと突き出した蔓もろとも胴体を斬りつけて。

 五振り目、その勢いのまま横薙ぎをもって胴体と根っこを泣き別れにさせ、葬った。

 

 パリンと、ガラスが砕け散るような音が鳴り響く。3回の音を確認した少女は、右一匹を仕留めた彼を見て、思わず眉を顰めて息を吐いた。剣が既に、鞘の内にあったのだ。

 

「巻き込んでごめんなさい。それとありがとう、助かった。それじゃ」

 

 矢継ぎ早に必要なことだけ口にしたかと思えば、少女は大鎌を握り直して、きた道を見ると、そのまま駆け出そうと姿勢を落としたところで。

 

「お待ちを」

「ごめん急いでるから、文句は次会った時でも」

「ミト殿、いや、ミト嬢でお間違いないか」

「そうだけど時間ないから、また後で」

「アスナ嬢は存命しておられる。拙子の師が今、ついておられる。そうそう問題はありますまい」

 

 ぐるり、と首だけが振り向き、目を丸々と開いた彼女と視線が合った。

 

「…………」

 

 瞳の奥は、万華鏡を覗き込んだかのような変化を繰り返していた。

 やがて、感情のさざ波が落ち着いたかと思えば。

 

「そう」

 

 短く答えて前を向き、すたすたと来た道を戻り始めた。

 彼は、そんな少女に追従するように歩きはじめる。

 

「ついてこないで」

「ここで恩を少しでも返さねば、拙子の面目が立ちませぬ」

「ポーションだけで十分だから。3本もあれば何とかなるし」

「それだけでは足りぬ故。拙子はミト嬢に、命を救われております」

「……いや、ていうかアンタ誰? 恩なんて売った覚えないんだけど」

「『はじまりの街』の周辺、その平原にて5分の教えを受けた者です。その折は、名乗らずじまいとなりましたが」

「…………あぁ」

 

 思い出したように声を上げた少女ミトは、しばらく口を閉ざした後、自嘲するように息を吐いた。

 

「……結局ログアウトできなくなったし、あまり意味なかったけど」

「まさか。そのようなことは、決して」

「あるでしょ。教えたのは説明書のような、最低限の操作だけ。そんなの、そこら辺のNPCに聞けば教えてくれるし」

「…………そうで、あったか」

 

 どこか重い声音で、彼は絞り出すようにそう口にした。

 それを聞いて、ミトは「だから」と突き放すように。

 

「恩なんて、そんなのいらない。善意の押し売りなんてしてる暇があるなら、まずは自分のことやったら? 『はじまりの街』なら、ビギナー同士でいくらでも組めるでしょ」

「しかし、拙子が同行せねばアスナ嬢がどこに居るのか、事の真偽も、確かめられぬかと」

 

 こん、とミトが道端にある小石を蹴った。脇道、雑木林の中にガサガサと音を立てながら、小さな姿をくらませる。

 

「……じゃあ、案内だけね」

「承知」

 

 

 

 そうして道中の事。

 沈黙を切り裂く術を、ヤマトは持っていなかった。ミトから彼に向けて話しかけてくることはなく、ただ時折、視線をよこして「この道で合っているか」を窺ってくる。彼もそれに応えて首を縦に振り、言葉はかけない。

 

 そんな沈黙の先。

 ヤマトがキリトたちと別れたその場所に、二人はまだ居座っていた。

 

 会話をしている様子はなく、アスナは膝を抱えて下を向いている。

 その無防備な彼女の様子を脇目に見ながら、キリトは周囲の警戒を入念に行っている。いっそ過剰なほど、挙動不審な様子で。

 

「あっ」

 

 崖路よりその様子を見たミトは、すぐさま高低差の陰に身を隠して、その場に座り込んだ。

 

「ほんとに、生きてる……」

 

 その呟きを聞いて、ヤマトは後頭部を押さえる。その口からため息も、言葉も出てこない。

 ただ、上に居る二人に見つからないように自らも、高低差の陰に身を埋める。周囲を目視で確認しながら、ただ時が流れるのを待つ。

 

「…………」

 

 ミトは動かなかった。何かを呟くこともなく、アスナと同じように座り込んで俯いている。

 

(事の顛末は、おそらく)

 

 あくまでも推測。状況証拠とアスナの説明、キリトの補足によって導き出された状況の仔細。

 

「複雑な事情、察するには過分に重いところ。故に、これから呟くは拙子の聞くに値せぬ戯言として、耳に入れるも入れぬも、ご随意に」

 

 ミトはこの言葉を聞いても、はたまた本当に聞こえていないのか、全く反応を示さなかった。

 しかし、ヤマトはそれを気にすることなく、呟くように口にする。

 

「拙子がもしも、あの崖上でモンスターに囲まれたとしましょう。同年の弟子を持ち、教え導きながら旅をした、その弟子も同じ場に居たとして。拙子は運が良いのか悪いのか、崖上から転落。モンスターよりの難をひとり逃れてしまい、弟子が取り残される。そんな状況に陥った場合」

 

 ミトの両肩がわずかに震えるも、彼女が顔を上げることはない。

 

「拙子ならば、まず同じ場所に戻れるかを考慮する。しかし、それは“弟子を連れて帰れるだけの余力を残して戻れるか”という条件のもとの考慮となる」

 

 彼は剣の柄に手を置きながら、言葉を続ける。

 

「その条件に見合わぬなら、拙子は弟子に合流場所を指定し、期限を設けた上で、いち早くその合流場所に向かいましょう。酷な話であるのは承知の上で、決して助力には行かぬ」

 

 鉛のように垂れて、のしかかるような声音で彼は続ける。

 

「犬死ほど情けないことはない。これが忠義を捧げる君主に対してであらば、まだ美談ともなろう。されど、師が弟子のために共倒れ? なんと下らぬ話か。遺志も継げぬ未熟が、師などと笑わせる」

 

 故に。

 

「弟子よ、存分に恨むといい。己の見る目の無さと、足りぬ実力を。己の弱さが招いたその状況を踏み越えられぬなら、その場を死地とし散るがいい」

 

 冷たい声で、彼は言い切った。とても情など感じさせない無慈悲な言葉。

 

「……そう」

 

 しかし、そんな模範解答。人を人とも思わない冷酷な答えを、ミトは求めていなかった。相槌は返したが、それだけ。彼女の感情を波立たせることさえ出来ない。

 

「生まれる時代を間違えた故、こんな答えしか出ないのだ」

 

 彼の吐き捨てるような言葉。突然変わるその様子に、ミトは思わず顔を上げる。そしてちらりと、その横顔を見た。

 

「弟子を、友を見捨てることは悪なのだ。どれだけ言い繕ったとして、状況が許さぬとしても、見捨てられた者の知ったことではない。助けを求める者が望むことは、ただ見捨てられぬこと。手を取る誰かに、窮地より引き上げてもらうこと。最後の最後、助けを求める声が途絶えるまで、ただ手を伸ばし続けることが求められる。それが正しいことだと、世は嘯く」

 

 ヤマトの顔は、悲痛に歪んでいた。

 まるで痛みを堪えて泣き出すまいとしている子どものように、歯を食いしばり、拳を握り込んでいる。ぐっ、と剣の柄を握る手にも、力みが見えた。

 

「そんなことを、誰が出来る?」

「えっ――」

 

 逆に問いかけられて、ミトは反射的に逡巡する。

 そして結論は、即座に出てしまった。

 

「出来ない。そんなこと、正常な人間には到底出来ない。それが出来る者は殉教者と呼ばれる。たとえ残りのHPが1割を切り辛うじて生きている状態、モンスターの大群を目の前にして、物資も枯渇し。そんな中でも突き進み、死んでいく者は殉教者以外に出来はしない。そしてこれを突破し、友を救い出す者は人ではない。英雄と呼ばれる狂人だ」

 

 ましてや、と。

 

「まだ二十歳もいかぬ女子が背負うにしては、重すぎる」

 

 すっと、心に隙間風が通るようだった。

 

「現実からの逃避。死の気配からの逃亡。どちらも大変結構。いただけなかったのは、結果的に、友を裏切る形になったこと。しかしまぁなんとも、諦めは人一倍悪い様子」

 

 肌身に沁み込むようだった。

 

「それで十分。相手には察せぬが、最後まで手を伸ばそうと、もう一度立ち向かったその心意気こそ肝要なのだ。ならば、もう一押しではないか」

 

 感情はひどく波立つというのに。

 

「頑張った」

 

 膝をついて、瞳を合わせてくる彼の顔を見ると、芯の部分は凪いでしまう。

 

「よく、頑張った」

 

 彼の瞳からとめどなく溢れる涙が、ミトをより冷静に至らしめた。

 自分よりも慌てふためく人間がいると、不思議と自分は冷静になってしまうように。まるで三人称から物事を見つめるかのような冷静さを、彼女は今に限って持っていた。

 

 力なく垂らしたその手を掬い取られながら、彼女は呆気にとられるように、ただただ彼のことを見つめるしかない。

 そうしていると、手を引かれる。行こう、と声を掛けられる。

 

「其方の友が待っている」

 

 アスナが今も膝を抱えているのはどうしてか。

 自分はどうして、ここまで来てしまったのか。

 親友に、一体何をしてしまったのか。

 

 すぐに逃げ出してしまいたい現実が目の前にある。しかし、ここで逃げたらダメだと、冷静な自分が断言する。

 何より、どのみち手を引かれて逃げられない、と諦める。

 

 逃げることを諦めて、一本道の先にある現実に向き合うことにする。

 

「はなして」

 

 ミトはふてぶてしく、取られた手を振りほどいた。

 その場から迷いなく立ち上がり、凛とした様子で背筋を伸ばし、歩き出した。

 

 アスナのもとまで歩き、膝をついて、声を掛けて。

 その様子を見守っていたところ、その近くに居たキリトと目が合った。

 

 彼は口元で人差し指を立てて、静かに、とジェスチャーを送る。キリトはそれを見るや、二人の様子、周囲の状況をすぐさま確認した後、ヤマトの方に駆け寄って。

 

「おい、どういう状況だよこれ」

 

 と、状況の説明を促した。

 キリトからしてみれば当然の疑問であった。約1時間ほど沈黙に晒された挙句、何やら自分のあずかり知らぬところでイベントが進んでいるのだ。問い質したいことは山ほどあったものの。

 

「ミト嬢は諦めが悪かった。ただ、それだけのこと」

「ここから近くの村まで、急いで一時間だぞ」

「たった4本。回復薬を渡せば、すぐに引き返したのだ」

「……よく追いついたな」

「獣道を猛進した故」

「無茶するよ。仲がこじれる可能性だってあるのに」

「ミト嬢であれば問題なし。底抜けにお人好しなのだ」

「恩人だからって、よくまぁそこまで首突っ込めるよな」

「伊達に歳は食っておらぬのです」

「…………ちなみに、何歳か聞いていいか?」

「これでも三十路手前である」

「……マジか」

 

 まじまじと、キリトはヤマトの顔つきを……特にその無精髭を見ながら、「30後半のおっさんかと思った」と、心の中だけに感想を止める。

 ただ、どちらにしても自分の倍は生きてるおっさんである。歳の差というのはそれだけ影響をもたらすものかと、キリトは喉を鳴らす。

 

 その後も、二人の少女が落ち着くまで、男二人は何の益もない雑談と、キリトの愚痴にて、時間はあっという間に過ぎていくのであった。

 

 

 


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