ウマ娘 クリスマス合同   作:ウマ娘 クリスマス合同

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『過去作』
【アンタがいなきゃダメなんだよ、バカ】
https://syosetu.org/novel/267551/


【いつもあなたと一緒に】 ─ 『サイレンススズカ』作:八咫ノ烏

【一年目】

 

 街中にイルミネーションの光がキラキラと灯り、皆がプレゼントを送り合う。そんなクリスマスの時期がやってきた。今までならかなり暇を持て余して、どこかへ出掛けるなりゲームに没頭するなりしていたことだろう。しかし、今の俺にはそんな余裕はない。

 

「二月にあるメイクデビュー戦…それまでになんとか馬込みに巻き込まれても耐えられるようにしてあげないと…」

 

 せっかくのクリスマスで一応は休暇となっているのに、担当のことを考えている。トレーナーの性というやつだ。自分のことより担当の方が大事というのはトレーナーやそれに関わる人たちの間では共通事項だと思っている。

 

 うちの担当は最初っから最後まで先頭に立ってそのままゴールまで押し切る、いわゆる逃げの戦法を得意としている。最初から最後まで先頭で走ってゴールまで逃げ切る。今の走りを見ている限り才能に任せて走っている感は否めないが、体や実力がそれに追いつけば化け物クラスの逃げウマ娘が誕生するに違いない。俺はそう思っている。

 

 逃げが得意というだけあってスタートダッシュは俺の知るウマ娘の中でも一二を争うくらいに上手い。とはいえ、出遅れでもしたら大変なことになる。そんなことになっても勝てるようにと試行錯誤はしているのだが。なかなか身につかないらしく、やはり彼女には彼女の思うままに走ってもらった方がいいんだろうか。

 そんなことを考えてもう二ヶ月経ったというのに、未だに答えは出ない。もし答えを出せていれば今日くらいはゆっくり出来たんだろうが、この状態のまま年末を迎えるわけにもいかないだろう。

 

「あの逃げがマチカネフクキタルやらメジロブライトやらにどれだけ通用するか…。難しいところだな」

 

 今のところ目をつけている彼女の同期の名前を挙げていく。G1で勝ち進めばそのうち一つ上の世代の距離適正が被っている強豪、女帝と呼ばれるエアグルーヴとの対決だってありえるわけだ。生半可な実力のままで勝てるような相手ではない。あの大逃げが彼女たちにも通用し得る武器であれば…。

 

 部屋で一人思案を巡らせていると。

 

 ピンポーン。

 

 チャイムが鳴った。この部屋に人が訪ねてくるなんて珍しいこともあるもんだ。荷物の配送とかは何も頼んでいないし、勧誘とかの人がわざわざトレーナー寮に来るとは考えにくい。

 同期は確か神社巡りだのお茶会のマナーを学んでくるだの言っていたからわざわざこの部屋に来ることもないだろう。先輩後輩あたりにあまり関係を持っている人はいない。

 

「誰なんだ…?はーい」

 

 疑問を口にしてインターホンに出る。ここのインターホンには相手が誰なのかを映すモニターがないから声で判断するしかない。知らない奴だった場合は即切ればいいし、特段不自由していることもない。

 

「トレーナーさん。私です」

 

 スピーカーから聞こえてきたのはオレオレ詐欺の典型例のような言葉で、しかし誰かを判断するには十分すぎる声だった。

 

「えっスズカ!?」

 

 驚きのあまり叫んでしまった。俺の担当ウマ娘であるサイレンススズカ。間違いない。聞き慣れた彼女の声そのものだ。だがなんでわざわざ彼女がこの部屋に来たんだ?一体何をしに?

 疑問は尽きないが、そのまま外に放っておくわけにもいかない。急いで玄関に向かって部屋の扉を開いた。途端、強烈な寒気が俺を襲ってくる。

 

「うお寒っ…雪降ってるのか、珍しいな」

 

 外をチラチラと舞っているのを見て呟いた。俺が上京してから初めてじゃないだろうか。地元じゃ珍しいものではなかったが、数年振りに見るからだろうか。心なしかテンションが上がっている気がする。

 そんなことはさておいて。

 

「寒いでしょ。入って入って」

 

 若干の郷愁を感じている間、雪に手を伸ばして弄んでいたスズカにそう言った。少し着込んでいるとはいえ、この寒さはどうにもならないだろう。スズカは小さくこくりと頷いて

 

「お邪魔しますね」

 

 と言い部屋に上がる。この瞬間だけ何も変な物を買っていない自分を褒めてもいいのではないだろうか。無駄な心配をしないで済むのはかなりありがたい。

 

「何かあったかいものでも作ろうか?ココアとか」

 

 冷えた体を震わせて言う。スズカのことだから多分走ってきたか今から走りにいくところだったんだろう。体が相当冷えているはずだ。

 

「じゃあお願いしますね」

「分かった」

 

 上着を脱ぎながら頼んでくる。まさかこんなところで間違えて二つ注文してしまったマグカップが役に立つとは思わなかったな。きっと塞翁が馬という言葉はこういうことを指すんだろう。

 水を入れてレンジでチンするのを待っている間、スズカは物珍しそうに部屋の中をキョロキョロと見渡している。そんなに珍しいものなんて何もないと思うんだが…。

 

「なんか珍しいものでもあったか?」

「いえ、そういうわけじゃなくて…。男性の部屋に入るのは初めてなので」

「そうか。…ほら、ココア出来たぞ」

 

 さらっととんでもないことを言われたような気がしないでもないが、軽く受け流してココアの入ったカップを差し出した。それを両手で抱え込むようにして持ち、ゆっくりと飲んでいく。とても美味しそうに飲んでいるのを見て少し幸せを感じるのはなんらおかしな話ではないだろう。とても癒される光景だ。

 そんなことはさておいて。

 

「急にこんなところに来てどうしたんだ?」

 

 今のところ一番の問題点であろう疑問を口にする。スズカがなんの目的も無しにここに来るとは考えにくい。クリスマスだからとかか?プレゼントをもらいにきたとかだったら何も渡せるものがないのでかなり申し訳ないが。

 それを聞いたスズカは小首を傾げて記憶を辿っているのか、うーんと少し唸ってから

 

「心に身を任せて走ってたらたまたま近くに着いて…せっかくですしついでに少し寄ろうと思って」

 

 と言って残っていたココアを飲み干した。クリスマスプレゼント目当てじゃなかったのか、と少し意外に思ったのも束の間。

 

「…そういえば今日クリスマスでしたね」

 

 と俺をチラッと見て呟く。どうやら今日がクリスマスであることを忘れていたらしい。そりゃプレゼント目当てで来るはずがないよな。スズカはうんうんと一人で納得して軽く頷く俺を怪訝な表情で見つめたあと、少し考えて口を開いた。

 

「トレーナーさんは何が欲しいですか?」

「何って…何のこと?」

 

 思わず聞き返してしまった。いきなりどうしたんだろうか。スズカはえ?とでも言いたげに眉を八の字に曲げると

 

「クリスマスプレゼントですよ?何が欲しいですか?」

 

 と言う。なるほど、そういうことか。彼女なりの気遣いということだろう。しかし…。

 

「うーん…ないかな」

 

 強いていうなら休暇だろうか。とはいえ、まさか高校生の子にプレゼントをくれなどと集るわけにはいかない。

 俺がそう言うとスズカはそうですか、と言って少し考え込む仕草を見せる。何か今用意するとかそんなことを考えているんだろうか。

 

「プレゼントは私の勝利でいいですか?」

「えっ」

 

 思わず間抜けな声を出してしまった。スズカは

 

「私のレースでの勝利がプレゼントってことでいいですか?」

 

 と繰り返し尋ねてきた。俺はどう反応すればいいのだろうか。素直にうんと頷けばいいのか? しかしそれだとこれから彼女が勝ったレースの勝利は全て俺に捧げられることになるのか? それは申し訳ないというかなんというか。

 

「トレーナーさん?」

「お、おう。それでいいぞ」

 

 勢いに任せて言ってしまった。今更取り消し様もない。まあ、彼女が勝つ分には嬉しいからいいんだが、それが全て俺へのプレゼントになると思うと恥ずかしいというかなんというか。なんとも複雑な気持ちだ。

 そんな俺の心を知ってか知らずかシンクに空になったマグカップを出したスズカは、そろそろ行きますねと言って玄関に向かっていく。見送るために俺もその後に続いた。

 

「急に押しかけてすいませんでしたトレーナーさん」

「いいよ別に。こっちこそごめんな何にも渡せなくて」

 

 言ってから思ったが、教え子からプレゼントを貰うことになったのに俺から何も渡していないのはおかしいな。あとで何か見繕って渡しておこうか。なんならあのマグカップでも…いや、それはダメだな。何度か俺が使った可能性が高い。そんなものを渡すわけにはいかないだろう。ちゃんとしたものを渡してあげなければ。

 そんなことを考えている間にスズカはランニングシューズを履き終えて立ち上がり、扉の取っ手に手をかける。

 

「それじゃあ、お邪魔しました」

「おう。気をつけてな」

 

 俺がそう言うと扉を開け、ぺこりとお辞儀をして走り去っていく。あっという間に視界から消えてしまった。薄く積もった雪に彼女の蹄跡が残る。そこからクリスマスプレゼントの着想を得た。

 

「…ランニングシューズでも買ってあげようかな」

 

 走るのが大好きな彼女なら喜んでくれることだろう。寒さに体を震わせて扉を閉め、部屋に戻る。

 この二ヶ月後に京都でメイクデビュー戦を七馬身差で圧勝することになるが、このときの俺はまだそんなことが起きるなんて想像すらしていなかった。

 

 

 

【二年目】

 

 今年もクリスマスがやってきた。昨年の例に違わず今年も自分の家で過ごしているが、本当だったらトレーナー室であれこれやっていたかったのだ。しかし、どうやら改修工事をしているらしくトレーナー室に入ることは叶わなかった。そんなこともあって一人で部屋で過ごす羽目になっている。

 

「今のスズカの調子はどんどん上向いている…香港に行ったことで何かが掴めたのなら彼女はとんでもないことになるぞ…」

 

 やることも昨年と何も変わっていない。彼女のことで考えることだ。

 残念ながらクラシックは無冠、シニア級を相手にした秋の天皇賞とマイルCSも掲示板外とかなり残念な結果に終わってしまったが、今月の中旬に出た香港国際カップで何かを掴んだらしい彼女はここ最近目覚ましい成長を遂げていた。

 

「練習のメニューももう少し厳しくしても良さそうだな…」

 

 以前の彼女とは似ても似つかないほどのスピード。先頭を最高速で逃げ続け、最後の直線で差す。どのウマ娘もどのトレーナーも一度は考え、そして結局は不可能だと切り捨てた戦術を彼女は自分のものにしかけている。

 彼女が進化しようとしているのなら、俺もそれに続かないといけない。メニューも今の彼女用に見直さなくちゃいけないし、レースの出走プランだって練り直さなくちゃいけない。ひとまずはマイルのOPで始動し、中距離のGⅡで経験を積ませてから大阪杯や宝塚記念やといったGⅠ戦線に殴り込みに行くのが最適解だろう。

 

「2000mは少し長いか…かといって1600は前回の例もあるし彼女には短い。となると1800がいい塩梅だな。ちょうどいいレースはないかな」

 

 一月から三月に行われるレースの一覧を漁る。できれば金鯱賞には出しておきたいから出るなら一月か二月のレースになるだろう。

 

 そうして思案を巡らせている最中だった。

 

 ピンポーン。

 

 今年もチャイムが鳴った。まさか同僚がわざわざ訪ねてくるわけがない。なんとなく来訪者の予想はついていた。

 

「はーい。どなたですか?」

 

 インターホンを押して問い質す。外にいるのは誰なのだろうか。スピーカーから聞こえてきたのは

 

「私ですトレーナーさん」

 

 去年と同じような言葉で。俺は思わず苦笑いしながら玄関に向かう。

 

「今年も来たのかスズカ」

「走っていたらまたここの近くに着いていたので。お邪魔しますね」

 

 去年と同じ理由。体から蒸気が上がっているのを見るに走ってきたことは本当らしい。なぜ手にコンビニ袋を持っているのかを聞くのは多分野暮だろう。

 するするとリビングに向かったスズカはテーブルの上にその袋を置くと、中からケーキを二つ取り出した。

 

「間違えて二つ買っちゃったので一緒に食べませんか?」

「間違えて?一個はスペシャルウィークのために買ったんじゃないのか?」

 

 スペシャルウィーク。北海道から転入してきたウマ娘で、同室ということもあってかえらくスズカに懐いている。彼女がスズカと嬉しそうに話しているのを見ると心が温かくなってくるものだ。

 そんなことはともかく、あまり食が太い方ではない彼女が何の意図もなく二つもケーキを買うはずがない。十中八九スペシャルウィークと二人で食べるつもりだったはずだ。

 

「私もそのつもりで買ったんですけどスペちゃん今減量中なのをすっかり忘れてて…。一緒に食べようなんて言えませんし…」

「なるほどな」

 

 食堂で山のように盛られた米にがっつくスペシャルウィークの姿を何回も見ているからすぐに合点がいった。こりゃあの子のトレーナーは大変だろうな…。

 

「そういうことなら一緒に食べるか。クリスマスだし、かなり小さいけどパーティーってことで」

 

 俺はそう言ってフォークを二つ取り出した。ついでに冷蔵庫にしまってある炭酸をコップに装って彼女に差し出す。スズカはケーキのラベルを全て剥がすと俺の方に一つケーキを押した。俺はそれにありがとうと言って椅子に座る。これで簡易的ではあるが一応パーティらしくはなった。飾り付けも何もない質素なものではあるが。

 

「私が来るまではお仕事されていたんですか?」

 

 ケーキを一口頬張った彼女は資料でとっ散らかったデスクの方を指さした。別に隠すことでもないのでそれに首肯し、同じくケーキを頬張って

 

「シニアのローテをどうしようかと思って考えてたんだ。1800のレースから様子見で動きたいんだけどね」

「1800…重賞レースだと中山記念とかですか?」

 

 なるほどその手があったか。しかし初動はGⅠタイトルホルダーが出てくる可能性の低いオープン戦にしておきたいというのもあるのでやめておこう。ここで負けてしまっては目も当てられない。本格化しつつあるとはいえ、まだタイトルホルダーとやり合えるのかということに関してはあまり確信を持てないからそういうウマ娘と走るのはまだ避けておきたいのだ。

 

「手頃なところだとそうだな…オープンのバレンタインステークスとかになりそうかなぁ」

 

 俺がそう言うとスズカは目を丸くして

 

「オープン戦で始動するんですか?」

 

 と聞き返してきた。GⅠに何度も出走してきたこともあって重賞から始動するものだと思っていたのだろう。俺はザクっとケーキの一角をフォークで切り落としてそれを口に運んだ。

 

「あまりタイトルホルダーとかち会いたくないからな。様子見と思ってくれればいいかな。そのレースの結果次第でローテーションが変わってくるけど」

 

 もしオープンで負けてしまえばG1で勝てる勝てない以前の問題になってしまう。今の彼女で負ける未来は一切見えないが。

 

「もしそこで満足のいく結果が残せたらどんなローテーションになりますか?」

 

 真っ直ぐな目線で俺を見てくる。その目線は期待に満ち満ちていて、彼女の走りたい、先頭の景色を見たいという純粋な気持ちが伝わってくる。

 

「金鯱賞あたりを叩いてからGⅠ戦線に殴り込みに行く。そこで勝てたら中距離G1を、距離不安があればマイルを踏み荒らすつもりでいるけどそこはまぁまだ考えなくていいかなと思ってる」

 

 とりあえずざっくりとしたローテーションを彼女に伝えた。変わる可能性は多いにあるが、まさかどう考えても彼女には向かない短距離や長距離に挑むなんてことはするつもりは毛頭ないから大体はこんな感じになる。

 スズカはそうですか、と呟くと静かにケーキを食べ進め、炭酸を飲んでいく。何か思うことがあったりするのだろうか。

 

「ごちそうさまでした…うっぷ」

 

 口に手を当てて眉を顰めるスズカ。そういえばスズカが炭酸を飲めるかどうか知らないな。無理して飲んでいたのであれば申し訳ないのだが。

 

「炭酸苦手だったか?」

 

 俺がそう聞くとスズカは顔を振って

 

「そういうわけじゃないから大丈夫ですよ。普段あまり飲まないだけで嫌いでは無いので」

 

 と言った。安心した俺はならいいや、と言ってデスクでごっちゃになっている資料を一旦退かして出走するレースの案を画面に映し、スズカにそれを見せる。

 

「スズカはこのうちどれが良い?全部オープン戦だけど」

「…さっきトレーナーさんが言っていたバレンタインステークスでお願いします」

 

 即決。何か理由があるのだろうか。まあこれで俺たちのシニア級の初戦が決まったわけだ。

 

「わかった。出走登録しておくよ」

「お願いします」

 

 早速用紙にペンを走らせる。バレンタインというだけあって開催日は二月十四日。今日から二ヶ月くらいはある。その間にスズカはどれだけ化けてくれるだろうか。GⅠに殴り込めるくらいまで化けてくれるだろうか。他者を寄せ付けない圧倒的な走りをしてくれるのだろうか。

 そんな期待を胸に彼女に向き直る。スズカは俺の目を真っ直ぐ見つめていた。

 

「今年先頭の景色を見れなかった分、来年はその景色を独り占めしてやろう、スズカ。俺は最大限協力する」

 

 また不甲斐ない結果にしてしまうわけにはいかない。彼女に先頭の景色を見せてあげられるなら俺が死んだって構わない。それくらいの気持ちで挑まなくちゃいけない。彼女の信頼を裏切るわけにはいかないから。

 

「はい!」

 

 スズカは大きく頷くと、そうだ、と呟いた。何か思いついたのだろうか。

 

「クリスマスプレゼントは用意していないので去年と同じくレースでの勝利でいいですか?バレンタインと被ってしまいますけど」

「君が勝ってくれるのなら俺はそれが一番良いよ。ぜひ俺にも先頭の景色を見せてくれ」

 

 少しクサいセリフ。自分でももう少しいいことを言えなかったものかと思ったが、スズカは別にクサいと感じなかったらしい。ふふ、と微笑んで椅子にかけてあったジャンパーを羽織り、

 

「それじゃあ私はこれでお暇させていただきますね。急に押しかけてすみませんでした」

 

 と言って頭を下げる。去年いろんなトレーナーに聞いて回ったところ、クリスマスやバレンタインの日に担当ウマ娘が部屋に押しかけてくるのは普通にあるらしい。同僚は信頼されている証だと言って俺の背中を叩いてきたが…。別にそんなことはどうでもよくて。

 

「別にいいよ。暇してたし」

 

 暇していたというのは大嘘だが、嫌な気分になるわけがない。少し微笑んで彼女の頭を一瞬撫でて、口を開いた。

 

「じゃ、また明日トレーニング場で」

「はい。お邪魔しました」

 

 少し嬉しそうにしていたのは気のせいだろうか。玄関まで向かい、彼女の背中が小さくなるまで見送った。

 

「にしても寒いな…」

 

 寒さに体を震わせながらいそいそと家の中に引き返す。これから彼女が始動戦から連勝し、秋の天皇賞では去年のリベンジと言わんばかりの勢いで他者を圧倒して勝利を収めることになるとは全く予想していなかった。

 

 

 

【三年目】

 

 今年もクリスマスがやってきた。とは言っても去年までに比べたらだいぶゆっくりこの日を過ごせている。

 

「スズカの脚が万全な状態になるまでこれが続くのか…」

 

 原因はスズカの脚にあった。秋の天皇賞で史上初の二着に三秒の差をつけて圧勝したわけだが、その疾走の代償か、脚の骨が軽く折れてしまっていることが判明し、今は休養として実家に帰省しており、トレーニングは一切行っていない。当然レースなんかに出れるわけもなく、考えることがなくなってしまったわけだ。

 金輪際走れなくなるとかそういうわけではないからもしかしたら引退することになるのかもしれないし、あるいは復帰してスペシャルウィークを始めとした黄金世代と呼ばれている一つ下の世代と競い合うことになるかもしれないが、現状どうなるか一切わからない。動きようがないのだ。

 

「こんなに暇なクリスマスは久々だな…こんな形で来て欲しくなかったが」

 

 故障の程度がどうであれ、かなり心にくる。かれこれ一ヶ月近くこんな調子なんじゃなかろうか。同僚からは生気がないだの覇気がないだの散々な言われようだが、否定する材料を俺は持ち合わせていない。彼女が楽しそうに走っている姿を見ること。それが俺の日々の楽しみだったのだからそれが無くなればこうなっても仕方ないだろう。

 

「アメリカ遠征、か」

 

 天皇賞が終わる前に話していたことを思い出す。アメリカの競馬場は全て彼女の得意とする左回りになっていることや、向こうのGⅠのレベルを考えると彼女が勝てる可能性は十二分にあった。そういったところから彼女に遠征の話を持ち出していたし彼女もかなり乗り気だったが、それも全て無駄になってしまった。

 

 鬱になってしまったような感覚。別に死にたいわけではないけれど、気分は盛り上がらないし今までに比べて一日を何となく過ごしている割合が高い。気付いたら朝になっていて気がつけば日が落ちている。今まで起きもしなかったことが多発するようになっていた。

 今日もまた同じように気がつけば夜になっているのだろうな。そんなことを考えてため息をついた頃。

 

 ピンポーン。

 

 チャイムが鳴った。同僚が俺に同情してパーティか何かに誘いに来たのだろうか。とてもじゃないがそんな気分ではない。無視させてもらうとしよう。

 

 …やっぱり出るか。脳裏に栗毛の彼女の姿が思い浮かんで立ち上がった。彼女は今実家に帰省中なのだからここにいるわけがない。頭じゃわかっていても彼女がいることを期待してしまう。

 

「どなたですか」

 

 インターホンのスイッチを入れて問うた。スピーカーから返ってきたのは

 

「私ですトレーナーさん」

 

 いつものオレオレ詐欺の典型例のような言葉。優しい声音のそれを聞いた瞬間俺は玄関に駆ける。ドタバタとうるさく近所迷惑になっているのは重々承知しているが、今日くらいは我慢してもらおう。

 

「スズカ!!」

 

 玄関を開け、彼女が目に入った瞬間優しく抱きしめる。質量を持っている。優しい暖かさを持っている。決して幻覚ではない。

 

「おかえり…スズカ!」

 

 若干涙声になっているのを自覚しつつそう言った。俺の担当で異次元の逃亡者のサイレンススズカがそこにはいた。

 

 

「それで、今年は何でここに来たんだ?走るのは禁止されてるんだろ?」

 

 彼女を部屋に招き入れて数分。感情を何とか整えてそう聞いた。

 話を聞くところによると今日の朝にはトレセンに戻ってきていたらしい。脚はある程度治ったらしいが、当面走るのは控えてほしいと医者から伝えられたという。まぁ当然ながら全力疾走などして良いわけがないと口酸っぱく言われたそうで、走れないことに対する鬱憤がだいぶ溜まっていたらしい。

 

「寝ている間に脚を動かしてて布団がくちゃくちゃになってたのはびっくりしました。スペちゃんに見られてなくてよかったです」

 

 とは彼女の談だ。去年も一昨年も走っていたらここの近くを通りがかったからついでに寄った、という理由だったが今年はそれが使えない。果たしてどういう理由でここに来たのだろう。

 

 スズカは何度か躊躇ってゆっくりと口を開いた。

 

「走れないので今年は歩いてきました。クリスマスはトレーナーさんと過ごしたくて」

「そっか…そうなのか」

 

 何気に衝撃的な言葉を言われた気がする。一緒に過ごすのが俺で良いのだろうか。スペシャルウィークやエアグルーヴ、タイキシャトルなど親しい友人と過ごしても良いだろうに。

 俺がそう尋ねるとスズカは苦笑いして

 

「スペちゃんは仲良し五人組で遊ぶみたいですし、エアグルーヴは生徒会主体のクリスマスパーティの用意で忙しくしてますし、タイキは生徒会のものとは別でパーティを開いているので…。邪魔はできないので」

「邪魔になることはないと思うけどな」

「それ以上にトレーナーさんと過ごしたかったんです。お世話になりましたし、スペちゃんたちから私のことを心配しているとお聞きしたので」

「…優しいんだな君は」

 

 とっくの前からわかっていたことだが。その優しさが少し眩しく感じる。

 スズカはココアをゆっくりと啜りながらぽつりぽつりと話し出した。

 

「実家にいる間、どうするかずっと考えていたんです。引退するべきか、復帰するべきか」

 

 ピクリと体を動かしてしまった。その言葉の先がどちらになるかで俺の未来も決まる。新しい担当を探すことになるのか、彼女と共に駆けることになるのか。

 

「以前のようには走れない、とお医者さんから言われていたんです。少なくとも、天皇賞のような走りはできない。それでも景色を見るために走るか、ここで満足してレースの世界から去るか。少しだけ。少しだけここでやめても良いかなって思ったんです」

「…そうか」

 

 悲しいが、彼女の選択なら受け入れるしかない。先頭で飛ばしまくって最後の直線で差すという彼女の望んだ走りが出来ないかも、と言われたら無理に現役を続けてくれとは言えなかった。

 唇を噛む俺をよそに、スズカは言葉を紡いでいく。

 

「でも頭の中にトレーナーさんの顔が思い浮かんできて、考えが変わったんです。私はまだ走っていたいって。そう思ったんです」

「俺が?」

 

 走りたいと復帰を望んでくれたことは素直に嬉しいが、しかしどうして俺の顔で考えが変わったのだろうか。言い方は悪いが理解に苦しむ。

 少し悩む俺の手を取ったスズカ。驚いてギョッとする俺に独白する。

 

「前までは誰もいない景色こそが特別だと思っていました。それが私の見たい景色だと、そう思っていたんです。でも今は…、今はいつも私のために頑張ってくれているトレーナーさんと一緒に景色を見ること。それこそが私の見たい特別な景色なんです。私はトレーナーさんと一緒にもっともっとその景色を見たい。そう思ったらまだ引退なんてできるわけないじゃないですか」

 

 彼女の独白の途中から俺の視界のスズカの姿がボヤけていて彼女の表情がよく見えないが、多分優しく微笑んでいるだろう。目に熱い感覚がして、その熱を持ったものはほろほろと頬を滴っていく。これは涙だろうか。

 

「そうか…そうか…!」

 

 溢れ出る涙を拭い、何とか言葉を絞り出す。嬉しさ半分、気恥ずかしさ半分。俺の心に久々に日差しが差し込んだような気がした。

 

「俺もだスズカ。俺はまだ君と一緒に色んな景色を見たい。日本のレースだけじゃなくて、アメリカとか色んなところで君と景色を見たい」

「トレーナーさんもだったんですか?」

「そうだよ。でもそれ以上に辞めるんじゃないかって思ってすごい不安ですごい寂しかったんだ」

 

 誰にも話すことのなかった本心を曝け出す。どうせ他の連中は俺が何を思っているのか察していたのだろうけれど、別にそんなことはどうでもいい。クリスマスプレゼントを何にしようかな、とかそんなことですらどうでも良くなっていた。

 

「でもその心配は杞憂に終わってくれたんだ」

 

 このことの方がよっぽど大事なのだから。

 

「もっと色んなレースで勝って、色んな景色を見よう!! 俺たち二人で!!」

「━━っ!! はい!!」

 

 二人で再起を誓う。彼女のキラキラと目が輝いて見えるのは涙が浮かんでいるからだろうか。少なくとも俺は涙を流していると思う。みっともない顔かもしれないけれど、それでもここ最近のどんな顔よりも良い表情をしているんじゃないだろうか。自分で言うのもあれだが。

 

「今年のクリスマスプレゼントはこれで決まりですね」

「これ以上もらったら嬉しすぎて頭がどうにかなりそうだな」

 

 目の辺りを乱暴に拭って、二人で笑った。今まで不安に感じていたものが急にバカらしく思えてくる。そうだ。スズカが走るのを辞めるわけがない。そう信じて待ち続けていればよかったんだ。

 

「トレーニングメニュー考えないとなぁ。脚が使えなくても腕とかならダンベルやら何やらで鍛えられるだろうし」

 

 トウカイテイオーのトレーナーに色々聞いてみるとするか。そんなことを考えつつココアを啜る。

 

「私も早くリハビリを終わらせないと、ですね」

「あんまり焦らなくて良いんだぞ? 一応時間はたっぷりあるんだから」

「確かにそうですけど、早く走りたいんです。ウズウズが止まらなくて」

 

 笑いながら脚を摩ってそう話すスズカ。この調子なら復帰は早そうだな。そんなことを考えて表情をさらに緩ませる。

 彼女の走りを見れるまで、俺はあと何日なのか。全く予想がつかないけれど、俺はその日を心待ちにしている。

 

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