グレイ・コートに至るまで   作:A_R_S

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私の夢は叶いましたが、それもまた、一つの通過点に過ぎなかったのです。


2022年8月 仁川にて


序章 士別れて三年即ちさらに刮目して相待すべし
1.グレイ・コートの発つ日に


 私は強く在らねばならない。いつからか、その焦燥とも言うべき感情に心を支配されていた。

 まあ、大なり小なりの程度の差こそあれ、そうした気持ちを胸に私たちは皆、ここに集っている。それは否定するべくもないものだ。

 重圧。期待。そして、それらを裏切ったときに顔に浮かぶ、失望の色。

「強くなりたい」が、「強くならねばならない」に変化するまでにはそう時間はかからなかったことだけはよく覚えている。

 

()()()()()()()()()()、はずなのに。

 

 

 

 

「貴様がメジロマックイーンだな。理事長がお呼びだ。本日の終業後、理事長室まで来るように。いいな?」

 

 突如として訪れた生徒会会長の姿にそれなりに騒然とした室内は、自分に注目を集める形でしん、と静まり返った。

 入学式を終え、さあいよいよ東京トレセン学園での学生生活が始まろうかというまさにその瞬間に、先ほどまで式典で登壇していたエアグルーヴ生徒会長の教室への出現という異様な光景は、それだけで耳目を集めるに十分なものだった。

 マックイーンの返事も聞かず、用件だけを伝えたエアグルーヴはそのまま回れ右をしたかと思うと、即座に立ち去って行った。

 後には嵐の後の静寂。

 

「……はい?」

 

 用件を告げられたマックイーンはというと、あまりのことに戸惑いを隠すことができない。最も、それは周囲の同級生たちも同様であったが。

 まだ名も知らぬクラスメイト達とは当然、会話の一つもしたことが無い。中には良家筋の参加する未公認のプレオープン戦*1で顔を見た者もいるにはいるようだが、注目の的となったマックイーンにわざわざ話しかけようなどという恐れ知らずの心を持ち合わせた者はいないようだった。

 それから担任が教室に来るまで、少しのひそひそ話のほかに音のない時間が、ずいぶん長く続いた。

 

 東京トレセン学園は、日本中央ウマ娘会(URA)の設置しているトレーニング・センター校の一つである。入学試験はそれなりに大変ではあっただろうが、それに見合った非常にレベルの高いトレーナーと設備、それに財務や医療等レースに付随する様々をサポートするを専門機関を備えており、ウマ娘としてレースに参加する上での登竜門的存在となっている。

 特に、在学6年間と同時期で開催されている人気の高いレースシリーズであるトウィンクル・シリーズにおいては事実上中央のトレセン*2に在学していることが出走条件となっており、君たち新入生は在学中切っても切り離せないこれらのレースでの活躍のため、これからの6年間は家だと思って鍛錬に励んでほしい。

 

 と、そのようなどこかで聞いたような説明が担任からされたところで、初日は解散となった。今日は寮の自室を整理し、明日からのトレーニングと授業に備えるように、ということらしい。

 マックイーンにとってはそれほど真新しい情報もない。いままでに、両親から随分と聞かされてきた話だ。

 そうして席を立つ。ギイ、と古びた床を擦る椅子の音。動きがあったことで、先の会長襲来事件以降、ちらちらと浴びていた好奇の視線が自分に再び降ってくる。

 あのひとは何者なんだろう、とか、会長じきじきの指名だし、やっぱり速いんだろうな、とか。声には出ていなくとも、目線からなんとなくそう言いたそうな色が伝わってきてうんざりしてしまう。

 期待を寄せられることは嫌いだ。

 それに一々応じるのも、これ以上目線を集めるのもイヤで、マックイーンは立ち上がり、教室を後にした。

 

 

 

 道中、広大な敷地の中で少し迷ってしまったが、たまたま通りがかった先輩の案内もあって無事に目的地へたどり着くことができた。そういえば、あの葦毛の先輩の名前を聞くことを忘れてしまった。後で礼を言わねば、と思っていたのに。

 常識離れした立派な二枚開きの扉の上には、見事な崩し文字で理事長室、と書かれている。本家のお屋敷と比較しても何ら遜色ない厳かな雰囲気に気圧され、マックイーンはその扉をたたくことを躊躇ってしまう。

 

 扉の前でどうしたものかと思案していると、目の前の扉が少し開く。顔を出したエアグルーヴには聞こえていなかったようだが、鳥のようなか細い声を発し、マックイーンはそのまま尻もちをついて転げてしまった。

 悲鳴を上げなかった自分を少し褒めてやりたい。

 

「どうした、入らないのか。……大丈夫か?」

 

 少し驚いたようでエアグルーヴがマックイーンに手を貸す。

 

「申し訳ありません、取り乱しました……」

「いや、私も驚かせてしまって済まない。さあ、理事長がお待ちだ」

 

 差し出されたエアグルーヴの手を取り、案内のままに扉の向こうへ歩みを進める。

 扉の向こうには、先ほど同様の重厚な扉がある。

 つくづく立派な建物だと感心するのも束の間、先へ進みなさいという無言の合図を受け、マックイーンはその扉をノックした。

 

「失礼いたします。メジロマックイーン、御呼びと伺い参上致しました」

 

 入りなさい、という凛とした老齢の女性の声。その声に従い、扉を押す。

 

 

 

 見事、としか形容できない赤い絨毯の敷き詰められた三十畳はあろうかという部屋には、時の流れを雄弁に物語る硝子細工の机と、向かい合ったソファ。

 そこには先ほどの声の主と思しき妙齢の女性と、部屋には少し不釣り合いな若々しい青年の姿があった。女性の方はウマ娘らしく、よく手入れされた尻尾が膝の上に乗っている。

 壁には先ほどと同様、崩し文字の額縁。

 

「よく来たわね、メジロマックイーンさん。あなたの入学を歓迎します」

 

 さあ座って、と促されるままに二人の対面に着席する。

 

「右も左もわからないうちに呼びつけてしまってごめんなさい。私が東京トレーニングセンター学園理事長、物部よ。お会いできて嬉しいわ、”アサマ”の孫娘さん」

「……お婆様をご存じでいらっしゃるのですか?」

「旧知の仲よ。最も、アサマの方は私のことを友人なんて言わないかもしれませんけど。まあ、そんな昔のことは一先ず置いておきましょう」

 

 聞きたいことは後で答えるとして、先に伝えなければならないことだけ話してしまいましょうと物部は話を進める。

 

「本校ではほとんどの場合、二年次からのチーム所属と同時に担当トレーナを決定しています。言うまでもなく、本校に限らずウマ娘のトレーナーは育成されるウマ娘よりも少なく、チーム内で切磋琢磨しながらそのチームのトレーナーから指導を受けることで、効率的な育成を実現できていることになります。なので、こういった事例はかなり特殊になります」

 

 そこまで言い切ると、物部は自己紹介なさいと、それまで無言で聞いていた隣の男性に促す。

 

「武川です。ここ東京トレセン学園でトレーナーをしてます」

「彼は、チームを持たず、同時にたった一人しか指導しないという変わった主義の持ち主でね。学園としてもチームを持つよう説得はしているのだけど、腕と実績だけは確かだからどうにも受け入れてくれない」

「は、はあ……」

「ああごめんなさい、話が見えないわよね。貴女の祖母、『浅間』からの要望で、我が東京トレセン学園では専属トレーナーとしてここにいる武川に担当させることを許可しました。勿論、これは決定ではありません。貴女が断りたいというのであればそうすることもできるし、どちらかと言えば、私はそうしてくれることを望んでもいる」

 

 

 

 マックイーンはメジロ家の分家筋、その待望の長女として生まれた。母もウマ娘としてそこそこの成績を残しているという話を聞いたことはあるが、あまりその話はしたがらない。

 いつからそうだったかまでは覚えていないが、小さいころから走るのは好きだった。屋敷の執事たちの誰よりも速く走ることも出来たし、両親もそれを見て褒めてくれるからだ。そうやって、いつまでも走っていられたらいいと、昔は本気で思っていた。

 

 そして成長するにつれて、プレオープンで他のウマ娘達と一緒に走ることになった。並ぶ顔はどれも皆ワクワクが止まらないといった様子で、かくいうマックイーン自身も随分浮かれていたような気がする。

 そうして走った初めてのレースは二着。興奮も冷めやらぬ中、家に帰って結果を報告した時の両親の、とりわけ母の顔は忘れられない。

 

 そう、とだけ。それだけ告げて、母は寝室へ姿を消した。

 

 そんなに失望されたのは初めてのことで、出かける前に何かやらかしてしまったのかと思って自分の行動を振り返ってみたりもしたが、思い当たる節もない。それから両親は今までとは変わり、走りについて厳しく接するようになっていった。そうしてわたしは、思い至るのだった。

 

 強くならなくちゃ。

 

 強くありたいと、結果を出してまた喜ぶ両親の顔が見たいと思えば思うほど、練習のタイムも、レースの結果も上手くいかなくなっていく。初めて走ったあのレースのタイムに届かない日々。天皇賞どころかこのままでは重賞ですら、と話す両親の話し声を耳に挟んだ時、自分に何が求められているのかを理解してしまった。

 

 そして、その期待に応えられなさそうだ、ということも。

 

「……わたしは、特別ではありません。期待されるような才覚も、それに耐えうる精神も、持っていません。専属のトレーナーという特別扱いを受けるのに、私は相応しくない」

 もう、期待されるのは勘弁だ。

「それは正しくないわ。中央のトレセン学園へ入学を許されるのは、一握りの優駿だけ。狭き門を潜り抜けた貴女に、その資格は十分ある」

 それは方便に過ぎない。

「詭弁でしょう、理事長」

 

 それまで無言を貫いてきた武川が、そこで口をはさむ。

 

「すみませんね理事長、そろそろ黙ってるのも限界っす。確かにマックイーン、お前は現状そこまで期待されるような成績は残していない。これは客観的な事実で、プレオープンの戦績も聞いたが、正直言えばまあ、普通だ」

 

 だからな、と武川は続ける。

 

「一月後に学内トライアルのレースが控えてるだろう? アレは基本的に二年がチームに所属するためのもので、一年生は体験参加みたいな位置づけにはなっているが、毎年、一年のあのレースの結果で即スカウトされる奴は数人いる。だから、そのレースのお前を見て、俺が担当するかどうか決めてやる」

「ちょっと、勝手なことを……」

「いいでしょう、理事長? どうせこのままだとマックイーンは断るだろうし、俺だって実際の走りを見てもいない奴の子守りを押し付けられることには納得いっていないんですよ。大したことが無いようなら、それまで。アサマの妖怪(ババア)には断られたとでも言っておけばいい。それに理事長、本人の意思のない決定を望んでいないのは他でもない、あなただ」

 

 沈黙。

 

 いいでしょう、と小さく物部が肯くまで、それは続いた。

 

「ごめんなさい、ずっと置いてきぼりにしてしまって。それに随分取り乱してしまったわね。これまでの経緯はなんとなく理解できたかしら」

 こくん、と相槌をうつ。

「そう、賢い子ね。あなたの担当トレーナーがどうなるかは一旦保留となり、最終判断はトライアルの結果を受けて武川が判断することとします。勿論、その時には貴女がどうしたいかの気持ちももう一度聞くことになると思いますから、そのつもりで」

 

 

 

 

 

 

 

 マックイーンの去ったあと、その部屋には二人がまだ残っていた。

 

「まだ12の子供が、大人の事情に巻き込まれるなんて。いい気分じゃないわね、武川」

 

 グラスに注がれた紅茶が揺れる。

 

「我々だって、片棒担いでるんですよ」

「手厳しいわね。その通りだわ」

「まあ、あの年の少女にとっては随分もみくちゃにされているといっていいでしょう。入学初日だってのにあんな濁った目で見られちゃあ、俺だって逸らしたくもなります」

 

 メジロ家*3の相続問題は、水面下で冷戦状態にある。アサマ亡き後の家督を継ぐ者として、本家筋と分家筋とで争い、さらにその子供世代まで影響が波及している、らしい。そうした争いの中で、既に選手生命を断つことになってしまった者までいる。

 京都に居を構えるメジロ家の孫娘がわざわざ東京に送られたのも、そうしたごたごたから遠ざけるためだとアサマは語っていた。

 

「ままならないもの、ね」

 

 部屋に西日が差し込む。カチ、とティーカップを置く音だけが、やけに部屋に響いた。

 

 

 

*1
中央レース・地方レースは共にURAの主催するウマ娘のレースであるが、その他にも非公認でウマ娘のレースが開催されている(通称野良レース)。基本的にはこれらのレースにURAが関わることはないが、例外としてトレセン未就学の12歳未満のウマ娘を対象としたレースを旧家が中心となった団体が主催し、URAがこれを協賛、こうした未就学向けレースがプレオープン戦である。あくまで非公式であるため戦績はURAには登録されないが、入学試験ではレース結果を参考の一つと設定している。そのため、旧家に生まれたウマ娘たちは10歳ごろからプレオープン戦に参戦していることが多い。

*2
東京府中に設置された東京トレセン学園と京都淀に設置された関西トレセン学園の2つを「中央トレセン」と呼んでいる。トウィンクルシリーズ出走の条件として、この二校に所属していることは大きなアドバンテージであり、地方にもトレーニング・センター校自体は設置されているものの、設備面、開催レース面で大きな隔たりがあり、基本的には中央と地方が交わることはない。

*3
かつて天智天皇とともに大化の改新をはじめとした諸改革の際、側近かつ直接的な軍事力という両面を担っていたことを源流として、天皇家の親衛として重用されてきた家柄。時代の変化とともに軍事力としてのウマ娘の優位性が失われていったことから、明治38年にその任を解かれたが、それまでの忠誠への恩義を示すため、天皇陛下より盾を下賜された。また、今後のメジロ家の活躍の場を作るため、現在のウマ娘レースの源流となる競技会を開始したことが天皇賞のルーツとなる。既にメジロ家のみがこのレースに参加していた時代は遠く昔となり、門戸の開かれた中央レースの一つとなった後も、メジロ家の命題として天皇賞の盾を獲得し、守ることは大きなウェイトを占めている。

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