グレイ・コートに至るまで   作:A_R_S

2 / 8
2.トウカイテイオー

《分家の娘っ子がよくもまあ、本家の敷居を堂々と跨ぐことができたものだ。》

 

 マックイーンがそうした悪意のうずを直に受けることになったのは、今からおよそ3年は前のことだった。

 誇りあるメジロ家の一員として恥ずかしくない振る舞いをせよと、何かにつけて両親より厳しく躾けられてきたマックイーンは、それでいて本家の集まりに顔を出したことは記憶の限りそれまでなかった。思えばそれは、両親なりのマックイーンへの気配りであったのだろうが、10歳の節目を前にして唯の一度も本家への挨拶一つないという非礼をしてなお許すほどの強い庇護となることはなかった。

 広い屋敷のそこかしこからひそひそと漏れ聞こえる誹。両親に連れられ、子供心にそれが自分へ向けられていると気づきながらも、聞こえていないふりをして奥へ奥へと屋敷を進む。

 

 その先に待っていたのがマックイーンの祖父と、祖母である浅間の媼であった。

 

 メジロ家の本家筋一同も一枚岩ではない。むしろお家騒動の中で、争うあう犬猿の仲であろう。とはいえ、其々が虎視眈々と次期当主の座を狙い目を光らせている中、余計な登場人物を増やすことを望まぬ者達が、分家であるマックイーンの両親を爪弾きにしてきた。幸か不幸か、両親もまた野心家であるが故に、そうした扱いが間違っているとおおっぴらに糾弾することも出来ないのだが。

 ともあれ、そうして十の節目にようやく自らの祖母に御目通り叶ったマックイーンにとって、その印象は厳格そのものの他に何も無いと言い切れるほどに、自らとは薄い関係であると自認していた。

 

 そのため、先程の物部理事長から伝えられた事について俄に信じがたいと考えることは自然だといえる。メジロ家当主夫人である祖母が、分家の娘という、立場上重要でも有力ともされていないような、吹けば飛ぶ程度の自分に気鋭のトレーナーを付けることを求めた。もっと言えば、こうして慣例を外れ、東京の学園に入学させられたのも、武川というそのトレーナーに担当させるためということになる。

 はっきり言えば、自分がそれほどまでに祖母に意識される理由が不明である。ほんの少しほどでもその意図を予想することすら難しい。マックイーンにとって、浅間の媼とはそのくらい隔絶した存在だった。

 

 

 

 少し武川のことも調べた。担当を1人しか持たない異端主義ながら、後ろ指をささせない実力を若くして証明した東京のトレーナー。

 帝国大学体育学科を卒業後、東京トレセン学園でトレーナーとしてのキャリアをスタート。4年間、コルバスというチームのサブコーチを経て、スーパークリークの専属トレーナーとなった。

 彼女の現役実績はめざましく、G1四勝を含む16戦11勝と凄まじいものになっている。クリークの卒業後はサイレンススズカを担当し、こちらもG1レースを複数回勝利している。怪我から奇跡の復活を昨年遂げ、6年生シーズンの主戦場としてアメリカを選んだサイレンススズカは今年度、()()()()()()()()()()

 

 輝かしい業績だ。否が応でも、マックイーンとは釣り合わぬことを雄弁に語ってくれる。

 毎年、東西それぞれで400名程度ずつの新入生が入学してくる中央二校のトレセン学園だが、それに対してG1レースの機会は1年間でたった24回しか存在しない。殆どのウマ娘にとっては縁のない世界で、その中で適正、実績といった様々なをくぐり抜けることができた秀逸なトップレベルの者たちが鎬を削るレースがG1である。それを複数回勝つウマ娘というのは実際のところ、例年複数名出るといえばその通りではあるのだが、それは裏を返せばただでさえ狭き門であるG1のを制する栄光が、より狭き門となっていることを意味するだけだ。

 

 自分に求められた重圧と期待の狭間で吐き気を催しそうになる。確かにメジロ家の一員として天皇賞を意識しないことは難しいが、これまでのレースで、マックイーンは勝つこと、勝ち続けることの難しさを嫌というほど身に染みて理解していた。

 

 むかしはこんなことを思うことはなかった。純粋に、ただ純粋に速く走りたいと願い、あるところまではその願いの通りにしがらみなく進んできた。

 

 どこで梯子を掛け違えたのだろうか。

 

 

 

 その晩、夢を見た。

 

 自分と、もう一人がトラックを走っている。もうゴール板はすぐそこで、最終直線で二人は競り合っている。他には誰もついてこれない。

 

 息が苦しい。だがそれは、気持ちよく駆け抜けている時特有の苦しさであって、焦燥や不快感とは無縁のそれだ。

 

 あと、50メートル。ゴールはすぐそこ。ぐっと力を込めた一歩で前に出る。隣を走る彼女よりもほんの少しだけ、先に抜け出したことを実感した。

 

 あと、10メートル。ちらりと隣を見遣る。彼女もまた、苦しそうな笑顔を浮かべて前だけを見据えている。うるさい位に輝いた瞳が、なんだか眩しい。

 

 つぎの瞬間、ゴール板を駆け抜ける。最後の最後で抜かれたようにも見えたが、おそらくは自分が少しだけ残していたはず。張り詰めた緊張が一瞬にして解れたことで、ふらりとその場に倒れこむ。

 

 

 ──きみ、速いね! 

 

 どこかでそう、声をかけられている気がする。肩で息をする体にすこし気力を入れ、そのまま上半身を起こす。

 隣を走っていたウマ娘がひらひらと手を降っていた。

 

 

 

 これは、存在しない記憶だ。私はまだ、レースで勝利を収めたことはないのだから。

 

 

 

 ふと、自分自身を見つめていることに気づく。

 (彼女)はとても楽しそうに笑う。何かを話しているようだが、断片的にしか会話の内容は聞き取れない。

 

 ──じつは、レースで負けたのってはじめてなんだ!でも、今までで一番楽しかった。そうだ、ぼくは××××××××! きみの名前は? 

 

 二人が楽しそうに談笑しているのを見ていると、なんだか胸騒ぎがしてきて目を逸らす。こんな記憶はあるはずもないと言い聞かせ、耳を塞ぐ。音は途絶えない。

 

 ──ぼく、もっともっと速くなりたいんだ!ねえ、マックイーンはどうしてそんなに速いの? 

 

 たゆまぬ努力と、勝ちたいと思うこと。そんなことを言ったような気がする。

 

 ()が? 

 

 ──でも、それだけじゃない。きみ、そう言いたそうな目をしてる! 

 

  やめて。そんな目で私を見ないで。

 

 〈そうですね……〉

 

  やめろ。そんなことを私に言うな。

 

 〈レースが、〉

 

  やめろ! 

 

 〈楽しいから、ですかね〉

  やめろ!!!!!!!

 

 声にならない声で叫ぶ。刹那、視界がグニャリと歪む。

 

 

 

 

 

 

 暗転。

 

 

 

 

 

 

 

 そこにはもう、だれもいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日、最悪の目覚めを振り払い、マックイーンが自らの教室へ向かえばそこには、ちょっとした人だかりができていた。中心からはやけに明るい声がする。

 その一団が自分の席を中心に形成されていたことに気づくところまではそれほどかからなかったが、身に覚えのない光景に身じろぎ、少し足踏みしてその場に立ち止まった。

 

「あの…どいてくださいますか? そこは私の席の筈なのですが…」

 

 数秒の硬直の後に意を決し、その集団の主であろう者に声をかける。鹿毛のポニーテールを靡かせて声に振り向いた少女は、マックイーンを見ると途端にシアンの瞳をキラキラと大きく輝かせ、よっという掛け声とともに机から飛び降りた。

 

「あ!来たね、マックイーン! 聞いたよ、早速エアグルーヴから声をかけられたって?流石だねぇ~」

 

 ずい、とパーソナルスペースなど存在していないかのように距離を詰めてくる。近い。

 というか、彼女はどうして自分の名前を知っているのだろうか。

 

「えっと…すみません、何処かでお会いした事がありましたか…?」

 

 え、と発する形のまま口を開き、少女の顔が固まる。声は出せていない。

 

「ボクのこと、忘れたの!? あの時はあんなに楽しかったのにぃ!?」

 

 五秒ほどの硬直をおいて、今度こそえぇ~と叫んだ。だいぶ喧しいが、そのせいですっかり気が紛れて後味の最悪な夢については忘れながら、マックイーンはどうにか無事に自分の机を奪還することができたのだった。

 

 

 

「じゃ、改めて。ボクはトウカイテイオー! はじめましてじゃないけど、忘れちゃったみたいだからレースでボコボコにして思い出させてあげよう!ねね、校内トライアルはどの距離で出るの?決まってないならさ、一緒に2,000メートル(皐月賞距離)で勝負しようよ!」

 

 相変わらず動きも声もうるさいウマ娘は、トウカイテイオーと名乗った。あいにくだが、記憶の限りでは名前に覚えもなく、もっと言えば自分のクラス彼女がいたことすら今初めて知った。一応、一通りクラス名簿には目を通したつもりではいたが。

 

「はあ、えっと…メジロマックイーンです。非礼をお詫びします。できればどちらでお会いしたか教えて頂きたく思うのですが」

「やだ!ちゃーんとレースで思い出させてあげるから、覚悟しててよね」

 

 今度は頬を膨らませる。つーん、という擬音がとてもよく似合いそうだ。

 

「左様ですか…。それと、トライアルについてですが。不肖ながら、あまり詳しくなくて」

 

 とにかくよく表情がコロコロ動く。さっきまでの拗ねた表情はすぐに消え、続いてふっふっふと怪しげな笑みを浮かべている。

 

「そっかそっか!じゃ、優しいテイオー様が特別に教えてあげよう!来月に校内トライアルの模擬レースがあることまでは知ってる?」

 

 頷く。

 

「そのトライアルって、距離を自分で選ぶんだ! と言っても、1200から400刻みで2000までの根幹3種の中から選ぶだけだけど。そして、ボクは無敗無敵の三冠ウマ娘になる予定だから、その第一歩としてまずは皐月賞距離で力試しというわけ。わかった?」

 

 わかったことは二つある。一つはトライアルについてで、もう一つはトウカイテイオーがずいぶんと自信家であるということだ。再来年のクラシックについて目標とするのは珍しいことではないと思うが、そこに無敗やら無敵やらと壮語の尾ひれがくっついてしまっている。

 だが、あまり嫌らしい感じはしないのが不思議だ。周囲も呆れながら、トウカイテイオーの話を嫌そうなそぶりは見せずに聞き流している。底抜けに明るく、元気で純粋な自信家。おそらくそれが彼女の自然な魅力なのだろう。

 

 それにしても、トライアル。こうも短期間のうちに、同じレースについて話題に上がるとは思ってもいなかった。

 トライアルの主役はチーム決めに直結する二年生。全くの無関係ではない、それにマックイーン自身にしてみれば、結果はどうあれその後の将来を決定づけるものになってしまったものではあるが、一年生にとってはそれほどのモチベーションを燃やすイベントではないと思っていた。トウカイテイオーだけでなく、周囲にいるこの者たちにとってはどうもそうではないらしい。

 

「なんか、納得したのかしてないのかよくわかんない顔だね。マックイーン、キミって放課後は暇? 何人か速そうな子に声かけてトライアルまでに特訓しようと思ってるんだけど、良かったら一緒にどう? ボクと一緒に走れば速くなれること請け負い! 悪くないでしょ?ネイチャもホワイトストーンもくるって!」

 

 同時に、始業を告げるチャイム。やば、じゃ放課後ね~と()()()()()()()()()()トウカイテイオーはすばやく走り去っていった。マックイーンが返事をする、その前に。

 あんなに馴染んでいたように見えたが、クラス違ったのかとテイオーに思いを馳せながら、いつどこで彼女と会ったのかとマックイーンは暫く記憶を辿っていた。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。