グレイ・コートに至るまで   作:A_R_S

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第一章 十有三にして走に志す
6.灰色と北極星


 

 ずらりと盾やトロフィーが並ぶ部屋には、中央にいかにも年季の入っていそうなオフィス机と来客用と思しきソファー。部屋の大きさはそれほどでもなく、五人ほどを収容すれば窮屈と感じそうなものだ。

 反対側の壁には、紺の生地に大きな北極星のシンボルを誂えた旗。

 

 何の因果か、結局私はこの男の前に立っていた。

 

「メジロマックイーンです。本日よりお世話になります、よろしくお願いいたします」

 

 深々と礼をする私の頭をちらりと見た武川は、すぐに眼前のコンピュータに視線を戻したようだった。

 

「あぁ、堅苦しいのは悪いがナシで頼むわ。余計なお飾りの言葉は本質が紛れていけない。お嬢様には難しいってんなら、おいおい慣れるで構わないから」

「は、はあ」

 

 頭を上げる。暫くの間、タイピングの音だけが部屋を支配し、一際高いキーの音と共に武川は顔をモニターから上げた。

 

「とりあえずそこ、座っとけ。10分で片づける」

 

 そう言うと武川は再び誰もいないかのように作業に没頭していった。指示された黒革のソファーに私は座り、待っている間にこの一週間のことを考えていた。

 

 

 

 

 トライアルを終え、マックイーンたちはそれぞれの生活を一変させることとなった。一年生ながら好記録が続出したことによって、スカウト対応に追われることとなったからだ。

 トライアル明けの月曜日、朝のホームルームでかなりずっしりとした封筒が渡された。中にはチームの一覧表、各チームごとのパンフレット、そしてチーム加入届。

 それぞれ凝ったデザインのものや逆に簡素な内容、10ページにも及ぶ厚い冊子のものなど、個性が出たものだった。

 隣でほぼ同様の内容を受け取ったネイチャは、前日のテンションの高さが嘘のように、その量の多さにやられていた。

 

 付け加えると、そのお祭り騒ぎの中心にいたのは間違いなくトウカイテイオーだった。一人だけレベルの違う量の資料を抱えていたことから、おそらくほぼ全てのチームから声を掛けられているようだ。

 作戦会議でもしよか、というネイチャの声掛けによって昼休みに集まった時には「わかんないから、一旦全部のチーム見てくる!」と笑いながら言っていた。実際、まるまる一週間かけて全てのチームの体験練習やら説明会やらに奔走していたようで、しばらくの間彼女の姿を放課後に見かけることはなかった。

 

 マックイーンはというと、ネイチャに付き合っていくつかのチームの視察に同行していた。

 一応、自分の立場は不明確ながら、スカウトのうちのどれを受けてもよいということになっている、はずだ。

 スカウト資料の中には「チームポラリス メンバー募集 武川」とだけ記載された、他チームと比べてとんでもなくシンプルな紙一枚にホチキス止めされた武川の名刺が封入されていた。

 そのたった1枚の紙が、あの理事長室でのやり取りが本物であったこと、そしてトライアルの結果が武川のお眼鏡に叶ったことを示していた。

 

 正直なところ、マックイーンにとってはあのように手酷く試されるような真似をされたこともあり、武川の印象はあまりよくない。というか、悪いと言って差し支えなかった。

 とはいえ、本家の意向を無視して別のチームに入るという選択肢は、自分の立場を客観視した時に現実的とは言えないというのが実情ではある。マックイーンが自分の両親と祖母とのあいだにどのようなやり取りが交わされたのかを想像するのは難しいが、明確に本家の面子を潰すような行為には流石の両親もいい顔をするとは思えなかった。

 

「いやはや、いいとこの娘だと大変ねえー。アタシ、みみっちい庶民の出だからお嬢様に憧れたこともあったけど、まさかお嬢様じゃなくって良かったーなんて言う日が来ると思わんかったわ」

 

 ネイチャには、そのようなことを道中で話していた。ここ一か月でホープフルクラブの面々とはかなり仲良くなったが、その中でもネイチャは同じクラスであり、席も近いことから随分気心の知れた関係になっていた。

 

「もう、茶化さないでください……」

 

「あははー、悪い悪い。んでも、ポラリスだっけ? サイレンススズカにスーパークリーク、どっちも超一流選手じゃん? 実績もあって、6年間マンツーマン指導受けられて。ま、相性合わない可能性もあるけど、悪くない話なんじゃない? それにアンタさ、この学校のデビュー前の中では4番目に早いんだからー、自信もって飛び込んじゃえって!」

 

 そのネイチャは当初から武川推しだった。

 燦然と輝く事実として、武川は十分すぎる実績を持っていた。一対一の指導にどれほどの効果があるのかについては他の前例が無さ過ぎて不明なものの、成長効率が高いことは想像に難くない。

 

 結局、散々悩んだ挙句いくつかの勧誘活動を丁重に断ったマックイーンは、こうして北極星を掲げるチームの部屋に足を運ぶこととなったのだった。

 

 

 

 

「子供受けしそうな飲み物はなくてな。紅茶でいいか?」

 

 いつの間にか仕事を終えたらしかった武川は、そう言いながら既に狭い給湯スペースへと足を向けていた。

 マックイーンの肯首をちらりと確認し他かと思うと、カチャカチャと食器を出す音が響いた。

 

 

 

 

 改めて、中央トレーナーの武川だと軽い自己紹介をしながら、ティーカップに入った紅茶を手渡す。

 

「何はともあれ、まずは東京トレセンにようこそ。一応チーム所属という立場になったことで、晴れてお前はレースへの参加資格を得たことになる。といっても、俺とお前だけのチームであり、他にメンバーが増えることはお前が卒業するか、ここからお前が去る時以外には無いがな」

 

 その言葉にマックイーンは少しの不快感をあらわにする。

 

「私が逃げ出すと、そう言いたいのですか?」

「そういうことも可能性としてはあるだろうが、スズカみたいにこの国じゃ収まらんって言って海外に飛び出すこともある。ま、そういちいち目くじらを立てんな」

 

 一方の武川は飄々としたもの。

 

「俺たちはチームになった。が、別に俺のことは無理に好きにならんくていい。辞めたいと思ったら、それも変に遠慮せずさっさと言え。さっきも言ったがそういう無駄な空気の読み合いみたいなことをするのは俺は好かん。ついでに言えばそんな時間は俺はともかく、お前には無い。そうだろ?」

 

 それは紛れもない事実だった。

 

「さて、早速だがマックイーン、まず俺たちはしなきゃいけないことがある。それは何だ?」

 

「しなければいけないこと……諸手続等のこと、でしょうか?」

「それも一つだが、今すぐに締め切りが迫っているわけじゃないから心配しなくていいし、主にそれは俺の仕事だ。他には?」

「……わかりません」

「じゃあ答えだ。俺はお前のことをデータ上でしか知らんし、お前は俺のことを知らない」

「……つまり?」

「さっき俺のことを無理に好きにならんくていいといったが、それは歩み寄る努力が必要無いということを意味しない。というわけで、まずは軽く自己紹介してくれ。気になることについては口を挟ませてもらうんで、そのつもりで」

 

 武川の眼が悪戯っぽく笑う。その顔と態度に、緊張しながら入室した自分が馬鹿らしく思えてきた。

 

 

 

 

「メジロマックイーン、今年入学の一年生です。ご存じとは思いますが、祖母の意向に従い京都から参りました」

「お前、家族とは仲がいいのか?」

 

 その発言通り、すぐさま武川は割って入ってきた。

 とたんにマックイーンは眉をひそめる。

 

「……無遠慮に踏み込んできていいものではないと思いますが」

「必要な話だ。というか、俺はお前の婆さんから多少なり事情を聞いてはいる。なんとなく察しはつくが、もし家族仲が良好なんならそれに越したことはない」

 

 

 

 ここでいう家族とは、両親のこととイコールだ。その事はマックイーンにも理解できた。

 

 尊敬はしている。嫌いではない……はずだ。

 

 だが。

 

 思い出す顔は、鬼気迫る指導と、失望。

 

 

 

 マックイーンにとって生家は、両親とは、畏れの対象だった。

 

 物心ついた時から速く走ることを、強くあることを要求されてきた。はじめはそれでよかったのだ。タイムがよくなれば気難しい母も、いつも無表情な父も、少し機嫌が良かったように思うし、時折その事を褒めてくれもした。

 初めてのプレオープン戦のレースで勝利した後のことはあまり覚えていないが、その場にいなかった両親へ電話で報告をした時も、今までにないくらい母が喜んでくれたことは覚えている。

 

 次のレースは、両親そろって観に来てくれた。確か8人立てのレースで、6着だった。

 

 帰りの車内では、誰一人口を開かなかった。

 

 

 

 それから父は、食事以外では顔を見ることも珍しくなった。母は更に厳しい教育を施すようになった。

 それは走り方だけに留まらず、勉学、礼節、所作といった、レースには直接関係のない事柄まで。一つでも出来ないことがあれば苛烈に叱られ、その日の内容を完璧に習得するまでは食事をとることも許されないような、そんな日々が入学まで4年程続いた。

 

 

「自信を持って良いとは……言えません」

「……まあ、そうだろうな」

 

 少し頭を掻き、バツの悪そうに武川はそう答える。

 暫くの静けさの後、再び言葉を切り出したのは武川の方だった。

 

「悪かったな、言いにくいことを聞いて。こういうのは本人の口から得た情報を第一優先にしておきたかった」

「いえ。……必要であるなら、隠すようなことでもありませんので」

 

 

「……一旦明るい話にしよう、好きなモンはあるか?」

「甘いものであればおおむね」

「ふうん。女の子だな。自己管理に支障が出ない範囲でなら好きなだけこの部屋に置いてっていい。得意な距離は?」

「最近よく走っていたので、I区分でしょうか」

「まあ、正直に言えばトライアルの結果は驚きだった。将来の目標は?」

 

 すぅ、と息を吸って答える。

 

「天皇賞の、制覇です」

 

 鋭い目をして武川は返す。

 

「それはお前の意志か? それとも『家』の事情か?」

「私はそうあるべきだと育てられてきました。ですから、それが自分の意志であると言い切ることはできません」

 

 ほぉ、と武川は少し驚いたようだった。

 

「……ま、今はそれでいいだろう。正直なのはいい事だ」

 

「地に足の着いた話をするなら、お前の適正は『春』と『秋』の両方を視野に入れることができる可能性が充分にある」

 

 

 

「ただし、それはあのトウカイテイオーの存在が無ければの話だ」

 

 

 

 コト、と武川がティーカップを置く。

 

「L区分の春は参考記録も何もないから一旦置いておくが、端的に言えば今の時点で、あのトウカイテイオーは2000mのシニアG1レースを制するポテンシャルがある。1.58.5というのはそれだけのタイムで、参考までに教えておくがこれは去年の天皇賞の優勝タイムよりも速いし、3秒縮めることができればそれは国内の2000のレコードタイムになる」

 

 所詮はトライアルの結果で、レースはタイムアタックじゃないから色々考慮すべき点は他にもあるがな、と武川は続ける。

 

「まあ何が言いたいかというと、天皇賞の秋を視野に入れるならば、同期にいるトウカイテイオーをどうにかして退ける想定をしておいて然るべきだ」

「……私は、勝てますか?」

「濁しても仕方ないから言うが、勝てない可能性の方が高い。現状のままでは不可能だ」

 

 それは何一つ誤魔化しの効かない、現実。

 それほどにインパクトのある数字を叩き出したのがあのトライアルで、多くのチームがこぞって勧誘合戦を演じていたのも頷ける話だ。

 

 

「お前の婆さんが、どうして俺に依頼を出したのかはこれでなんとなく察しただろう。俺の役割はマックイーンをテイオーに勝たせ、秋の盾をメジロ家にもたらすことだということになる。あの婆のことだから他にもアレコレ手を打ってるだろうが、まあ、俺はそんなことはどうでもいい。これは俺の師匠の受け売りだが、結局のところ、走る奴の気持ちが伴ってなきゃ何にも始まらん。だから俺はお前の意志を聞いた。家の事情に囚われ、死んでも天皇賞を獲るとか言い出したんなら、俺もやり方を変える必要があった。だがお前の答えは違った。お前は自分の意思がわからないと言った。一年生でそれが出来上がっている奴なんか普通おらん」

 

「だから、迷ったっていい。結論を変えたっていい。お前なりの目指すべき場所を探す長い旅が始まったってだけ。そのつもりで、気構えずひとつづつ積み上げるべきだね、まだガキなんだから」

 

 

 

 

 

 

 

「少し腹を割って話せてよかったよ。改めて、我がチームへようこそ、マックイーン。これからのことは、これから考えよう。お前自身のために、な」

 

 差し出された右手。マックイーンは少し戸惑いながらも、その手に応じる。

 

 いつの間にか、この部屋に入る前に抱いていた不信感や不安は、少しは晴れたようだった。

 

 

 

 

「ま、現実問題としてトウカイテイオーに勝つ方法は考えなきゃならんが。とりあえずそれはこっちに任せてくれ」

 

 ところで、と武川。

 

「お前、お勉強はできる方?」

「厳しく躾されてきた方だとは思いますので、それなりには」

「結構。来月から三か月、北海道遠征で授業は欠席するから。足りないものはこっちで手配するから、準備と予習だけはしておけよ。一応教育機関でもあるから、落第されたら面倒だ」

 

 今日一番の驚きと困惑の表情を浮かべるマックイーンを横目に、さも当たり前かのように武川は告げるのだった。

 

 

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