術式大好き禪院家に売られた甚爾の娘   作:とうひ

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彼の娘として生を受けてしまった人間のすべての終わりと始まり


エピローグ

 ここは渋谷。理不尽に人間が死んでゆく地獄。

 恵は気がついているのだろうか、対峙する男が恵の顔に瓜二つであることに。私は気が付いてしまった。わかってしまった。この地を暴れ回る修羅のような男は─あの男は私たちの父親だ。

 そして、男は恵に言ったのだ。

「禪院じゃねえのかよ、よかったな」

 あまりの衝撃に私はその言葉の意味を理解できなかった。

 伏黒恵は禪院恵にはならなかった。それが、「よかった」ことらしい。では、私は何なのか。禪院蓮は「よくなかった」のか。目を逸らしてきた事実は、男の言葉によって痛いほどこの身に突き刺さった。ずっと蓋をしてきた気持ちが溢れ出す。

 伏黒恵を恨みも妬みもしないなんて嘘だ。

 それを認識してしまったら、もしも認めてしまったら、私が不幸だと認めることになる。だから、恨みも嫉みも、この辛さと一緒に器にぎゅうぎゅうになるまで詰め込んで絶対に出てこないように蓋をしたのだ。

 確かに出てこられないよう蓋をしたはずだったのだ。あの日、真っ暗で寒い蔵に閉じ込められた私のように。

 それなのにその蓋は、たった一人の男の言葉によって容易に開けられてしまった。溢れ出た感情が突き刺さり、痛くて痛くて仕方ない。

 肝心の男は、先の言葉を残すと満足そうに自殺した。男は私のことなんて見向きもしなかった。

 ここは渋谷。焦がれた父に人生を否定された私のための地獄だ。

 

 ○

 

 七億円、それが自分の価値だと知った時、特に何も思わなかった。

 父の顔はよく覚えていない。物心ついた時から父にあたる男はそばにいなかった。いわゆる、ヒモというやつだったようで、母から絞れるだけ絞った挙句、得るものがなくなったら母と私を捨てて家を出て行ったらしい。そのうえ、その男は私を七億で地獄に売った。愛していたのに自分を捨てた最低な男と似た顔立ちの私を禪院へと見送る際に、母がどのような顔をしていたかなんて遠い記憶の彼方に捨てた。

 そして、私は禪院蓮になったのだ。

 金と引き換えに私を引き取った禪院家はまさしく地獄だった。影を使う術式から、相伝の術式を受け継いだのではないかと期待されたが、どうやら紛い物であったこと、女であったことからあまり良い扱いは受けなかった。

 周囲の人は度々、私と同時期にもう一人引き取られるはずだった男児について話しては、惜しんだ。その男児は、十億で引き取られるはずだったらしい。私との価値の違いは男であったこと、確実に相伝であったこと、この二点だ。私はその男児よりもその点において劣り、価値がない。この家に蔓延る禍々しい雰囲気も、飛び交う陰口もよくわからない。だが、私よりも三億円分の価値がある男児はこの地獄へ来なかった。それだけはよくわかった。

 禪院に引き取られてから目まぐるしい日々を送っている。朝起きて、修行をして、ご飯を食べて、任務をして、死にかけて、また修行をして、寝て、起きる。その繰り返し。ただそれだけの日々だった。

 引き取られた当時、私はまだ六歳であった。本来であれば通って当然の小学校もほぼ通うことなく卒業した。もう遠い昔のことすぎて思い出すことはできないが、当時の私は寂しくて駄々をこねたことがあったそうだ。具体的には「お母さんに会いたい」「学校に行きたい」「痛いのはもうやだ」「修行をしたくない」と言って泣いていたそうだ。先ほどから続く「そうだ」というのはその頃のことをよく覚えていない私は過去の出来事を女中たちの陰口から知るしかなく、どれも私のものではないような曖昧な記憶しかないからである。

 ただ一つ。駄々をこねると折檻をされたことは覚えている。時には、ボロボロになるまで特訓と称して痛めつけられ、時には、ご飯を抜かれ、時には、寒くて暗い蔵の中に閉じ込められた。酷い時には、呪霊が渦巻く蔵に放られ、自力での脱出を強いられた。祓うべき呪霊を飼う家というのは随分愉快である。振りかざす権威は、己たちが忌み嫌う非術師の存在、ひいては日常を脅かす呪いの存在があってこそなのだからとんだ笑い草だ。繰り返される日々が、辛いか、辛くないかと訊ねられても、私にはもうわからない。この地獄は日常であり、普遍的な事実であるが故に幸と不幸で測れるものではなくなっていた。

 周囲の人々は口々に言っていた。

「禪院家に非ずんば、呪術師に非ず。呪術師に非ずんば、人に非ず。蓮様は幸せなのですよ。呪術師として禪院に名を連ねられるのですから」

 何が幸せなのかちっともわからない。禪院の屋敷の中で、呪力を持たない者が私よりも悲惨な目にあっている姿は見ていた。歳の近そうな女の子は毎日悲しそうな顔をして給仕や清掃をしていた。彼女の着ている服は、この大きな家に暮らす子どものものとは思ないほど、薄くてぼろい着物であった。身体だって同世代であるはずなのに、私よりもずっと痩せ細っていてまともにご飯を食べられているのかよくわからない。その様子と比べたら、私は周囲が言うように幸せなのだと思う。わからないなりにそう思うことにした。学校に行けないし、行きたくもない任務に行かなきゃいけないし、その任務では死にかけることだってある。言うことだって聞かないと折檻をされる。

 しかし、それさえ我慢をすれば、きちんとした服を着ることができる。給仕が運んできたご飯が食べ、暖かい布団で眠ることができるのだ。死にかけた任務で得た給金では娯楽を得ることもできる。

 私はその給金で専ら読書に勤しんだ。学校にはまともに行けない。任務と修行で常に心身が疲弊、屋敷の中で同世代との交流は皆無。そんな私は、本を読む瞬間が最も好きであった。枕元の照明を頼りに、ページを捲る。就寝前に敷かれた布団の上で味わう時間は緩やかに、あっという間に過ぎてしまう。この時だけは誰に指示されることもなく、己の手で時間を刻む。文字を目で追い、想像する。やがて想像は私の世界を満たし、浸るうちにページが捲られてゆく。静まり返った部屋に紙の擦れる音だけが響き、凪のように穏やかな気持ちになれた。一般的な世間との繋がりを失った私が得られる外との唯一の繋がりであり、外の世界を知るただ一つの術が本は私の全てと言っても過言ではなかった。

 そんな私にも異母兄の活躍は嫌でも耳に入る。別にどうだっていいが、その男は同じ冬に私よりも少しだけ早く生まれ、紛い物の私と違って禪院相伝の術式である十種影法術を受け継ぎ、地獄に売られた私と違い、ギリギリのところで最強の呪術師である五条悟に保護された。その男の名を伏黒恵と言う。昔は三億円分私より価値のある男児でしかなかった男に関する情報は、歳を重ねるごとに詳細に流れてきた。

 次第に、その存在は私の中で具体性を帯びてゆく。彼に恨みも妬みもない。だが、ただ一目。彼を見てみたいとは思うほどには興味が湧いた。階級は私と同じ二級術師。どこかで会う機会があるかと思ったが、一度も出会うことないまま、私は十五歳になった。

 彼も五条悟に連れられて御三家の集まりには都度、顔を出しているようだ。しかし、私は未だに彼と顔を合わせたことはない。おそらく彼がいるときは私が省かれているのではないのだろうか。どんな理由があるのかは謎だが、任務でも集まりでも意図的に彼と私が出会わないように仕組まれているのは簡単に推測できた。

 一度、同じ御三家で歳の近い憲紀さんに伏黒恵について聞いたところ「彼は僕らによく似ている」と相変わらず腹の読めない顔で言っていた。全く参考にならない言葉だなと思いながら、私は適当に相槌を打った。不満気に眉間に皺を寄せて頷いた彼の顔はなかなか忘れられそうにない。

 これだけの歳月を費やしても、私は平行線上を生きる伏黒恵について肝心なことは何も知らないままであった。さらに月日を重ね、私はほぼ通わずに終わった中学を卒業した。知らない顔に囲まれ、思い出も何もない校舎に別れを告げたその日。広い屋敷にある、六畳ほどの小さな私の部屋に突如として男は現れた。箪笥や机といった必要最小限の家具しかない物寂しい空間に佇む白髪長身の彼は、見慣れた人間だというのに浮いて見える。

「はーい、こんにちは。グレイトティーチャー五条こと、五条悟でーす! 禪院蓮さん、突然ですが、君には春から東京都立呪術高専に通っていただきます! はいっ! ここで拍手」

「はあ……」

 わざとらしい明るさにまみれた彼の言葉に、ため息を零す。この男は今、なんと口にしたのだろうか。開いた口が塞がらない。今日、来客があることを私は聞いていないし、曲がりなりにも過去に因縁を残す家に白昼堂々侵入して告げることではないだろう。そも、久しぶりに袖を通した中学の制服を脱ぎ、本日の鍛錬に向かおうとしたら、この男が現れたのだ。私の部屋にズカズカと押し入ると家主の私よりも堂々と床に腰を落ち着かせ、私にも座るよう促すと彼は流暢に話す。

「私が入学するのは京都校のはずでは?」

 私は確かに禪院家より、今年度呪術高専への入学が決まったことを知らされていた。しかしそれは東京校ではない。京都校であるはずだった。

 最強の呪術師の名を欲しいままにする男は大袈裟に吹き出す。

「それは腐ったみかんたちの決定でしょ。僕が責任をもって、君を育ててあげる。蓮だって強くなりたいでしょ? それならヨボヨボのおじいちゃんたちよりも、最強である僕の下で学んだ方が強くなれるよ」

「別に、どっちでもいいです」

「やだぁ~、最近の若者ってそんな拗ねてるの? 可愛くなーい! 恵にそっくり」

 いい歳の癖をして、口を尖らせて拗ねる男は心底どうでもいい。でも、恵。嫌なほど耳にした名前が引っかかる。未だに会ったことはない、三億分だけ私よりも価値のある男。私に似て、非なる人生を歩む、半分だけ血の繋がった男の名前。

「似ているのですか? 伏黒恵は私に……」

「うーん……外見で言えば似てるかな。正確には、君たち二人があの男に嫌なくらい似てるって感じなんだけどね」

「そうですか」

「恵も東京高専に入学するよ。きっとこれからたくさん会える」

「別に会いたいとは言っていません。ひと目見たい程度には思ってますけど」

 私と五条悟。二人きりの空間に沈黙が流れる。先ほどまで何かと阿呆のように振る舞っていた男は口をきつく結んで姿勢を正した。それから、サングラスに阻まれているものの、真剣な眼差しでこちらを見つめて口を開いた。

「ねえ、僕が恵しか助けられなかったこと、恨んでる?」

「別に。貴方のせいだと考えたことはありませんでした。伏黒恵が私と同じように禪院に引き取られようが、貴方の元で保護されようが、だからといって私の人生が変わったわけではありません。だから、貴方には何の責任がありませんし、私は貴方を恨んでいません」

 五条がサングラス越しに目を大きく見開く。彼は対面した座布団から立ち上がり、膝立ちになると抱え込むようにして私を抱きしめた。

「ごめん、僕が君の存在にもきちんと気が付いていればこんなことにならなかったね」

 寒くて暗い場所は嫌いだ。折檻で閉じ込められた蔵を思い出すからだ。反対に、温かさはそれなりに好きだ。例えば、温かい布団の中、温かいお茶、任務終わりに浸かるお風呂。だから、五条に抱きしめられた瞬間、不覚にも心地良いと思ってしまった。優しく頭を撫でられる。温もりに溢れた大きな手は頭部を包むように滑り、目の奥が熱くなった。人肌に包まれるのは久しぶりだ。決して、抱きしめられたことが嬉しかったわけではない。目から溢れる水は決して喜びからでも悲しみからでもない。私が温かいものが好きなだけである。

 五条は私が泣き止むまで抱きしめ続けた。小さく啜り泣く私の声が落ち着くと、背を撫でていた手を放して彼は立ち上がる。障子の向こうから差し込む光を背負い立つ彼は、私に手を差し出した。

「善は急げって言うでしょ? 僕がなんとかするから、少し早いけど今日から寮で暮らそう」

 きっと五条は背負う必要もない責任と罪悪感を抱えている。それを背負わせてしまったのは、過去にクソみたいな言葉を残して死んでいったらしい父親か。いま目の前にいる、救えなかった子どもの私か。おそらく、その両方なのだろう。

 呪術師として生きる限り、行き着く先が地獄であることには変わりない。禪院に縛られて生きようと、それ以外で生きようと。でも、同じ地獄なら温かさのある地獄がいい。だから、男の罪悪感を利用することにする。血の通った男の手を握り返し、私は畳の縁を跨いだ。 

 

 

 

 

 

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