「そうか、よろしく」
自分の口から出た声が震えていないか、柄にもなく不安に思う。何度も写真を見ては、その存在を脳裏に焼き付けていた妹はそこにいる。写真と寸分違わない顔立ちと、噂通りの閑かな雰囲気を纏わせた少女は唯一、小柄であったと言う点においてだけは想像と異なっていた。
半分だけ血の繋がった妹がいる、という話は聞いていた。頼んでもないのに周囲の人間は面白がってその少女の噂話をした。どうやら七億と引き換えに引き取られたらしいとか、相伝を期待したのに紛い物だったとか、とても無愛想だとか、皆が寄って集っては話をした。
加茂さんからも話を聞いて、その妹とやらが俺に興味を持っているらしいことも知っていた。加茂さんは相変わらず「僕ら三人はとてもよく似ている」とか訳のわからないことを言っていた。
噂によると、どうやらその妹は禪院に引き取られたらしい。俺も津美紀と行くはずだった場所。一般人である津美紀が行っても幸せになれないらしい場所。
あの日、五条さんに選択を迫られ、俺はその場所へ行くことを回避した。そこがどんな場所なのか、まだ小学一年生だったあの頃はともかく、今ならわかる。俺が禪院に行くのを拒否した時、五条さんは「少し無理をしてもらうよ」と言っていた。もしも禪院に入ればそれ以上の苦労があるのは想像に難しくない。
五条が現れなければ、俺や津美紀も少女と同じように選択肢などなく禪院に引き取られていたに違いない。自分が辿る可能性のあった人生を歩む少女に少し同情する。でも、それ以上は何もなかった。
正直なところ、急に『妹がいる』と言われたところで実感は湧かない。思うことも何もない。強いて言うなら、もう顔も覚えてないあの男はやはりクズだったということが再確認できたくらいだ。
何がともあれ、俺の家族は血が繋がらずとも一つ屋根の下でよろしく二人きりで暮らしている津美紀、ただ一人だけだった。
しかし、その存在は嫌でもちらつく。
例えば、稽古のとき、俺の背が延びたとき、津美紀が笑ったとき、三人で食卓を囲むとき、五条さんはここにはない何かを見ている。俺や津美紀越しに何かを見て、なんとも言えない顔をするのだ。基本的にはひとまわり以上離れているとは思えないほどの阿呆さで立ち振る舞い、稽古のときだけ少し真面目になる五条が、そのどちらでもないときに哀愁漂う様子で困ったように微笑むのは違和感でしかなかった。
その何かが禪院蓮であると理解するのに時間はかからなかった。噂も相まって、俺の中で異母妹の存在は大きくなっていった。会ったこともないのに、会ったことがあるような気がするくらいには具体的なイメージが自分の中にあった。あまりにもその存在が鬱陶しくなって、時々、その辺の奴らを締め上げる時に八つ当たりのような感情をぶつけてしまった。
勝手に俺の人生に入ってくるな。俺の家族は津美紀だけで充分なんだ。会ったこともないのに、俺の心に住み着くな、と。
そうした日々の中で、ぼんやりとした異母妹は次第に俺の妹になってゆく。身勝手にも、不快にも、恋しい程に。
「恵、今年ね、蓮も高専に入学するんだって。それでね、東京校に入学することになったんだけど、よかったかな」
普段のふざけた口調ではなく、やけにしっとりとした声で五条さんは言葉を紡いだ。今更、何の配慮だと内心毒吐く。今まで散々その存在をチラつかせて、いやでも存在を俺に刻み込んでいた五条は申し訳なそうにこちらを見る。俺がここで首を振ったらどうなると言うのか。呆れる気持ちが半分。ようやく出会える高揚感が半分。俺は何も言えないまま、夕日の差すアパートでこの男の横顔を見つめた。慈しむような後悔を滲ませた人類最強に違いない男の顔は偽りとは無縁ようだ。
何の目的か、要らぬ噂や写真は与えられても俺が直接、妹に会うことは許されなかった。はやる気持ちを落ち着け、俺はなんてこともないように五条さんの言葉に頷いた。まっすぐに見つめていた五条さんが少し嬉しそうに顔を綻ばせたことは、ここだけの秘密だ。
「貴方が、伏黒恵?」
そして、俺はようやく妹に会ったのだ。
五条に連れられた彼女は何も言っていないのに、俺を見て問いかけた。何だかむず痒くなって、本当は知っているのに、知らないふりをして俺は言った。
「誰、オマエ」
「禪院蓮。貴女の異母妹」
彼女は事もなさげにそう言った。俺が五条さんの問いに対して興味なさげに頷いたとき同じように。聞かれたから答えた。常識を問われたときと変わらぬような声色で呟いたのだ。
俺にはそれで充分だった。今まで、点でしかなかった妹が線となって俺と繋がった。俺と似て、非なる人生を歩む妹。その黒い瞳に輝きは見受けられなかった。身体だって、女子とはいえ俺よりもずっと小柄だ。一つしか歳の変わらない津美紀と比べても、やけに細く小さな背を見ると胸の奥が痛む。
衝動的に思った。俺が守ってやらねばならないと。それまで唯一の家族であった津美紀が呪われて目を覚さなくなったことも原因の一つであっただろう。守れる時に、きちんと守っておかねばならない。それが身に染みて俺はわかっていた。
津美紀に返さねばならないことがたくさんある。しかし、今それはできない。だから、津美紀にしてもらったことの一つ一つを代わりに彼女に返すのだ。きっと善人の津美紀は喜ぶ。
「それも恵の優しさでしょ」
脳裏に焼き付いた彼女は笑う。
いつか三人で。いや、おまけで五条さんも含め、四人で食卓を囲める日がくればいい。そうした興奮と緊張が滲まないよう努めて俺は彼女に答えたのだ。