術式大好き禪院家に売られた甚爾の娘   作:とうひ

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エレベーター事変

 停止したエレベーターは寒く暗く狭い。

 現状、東京校一年生は伏黒恵と私の二人きりだ。私たちは今日も今日とて、二人きりで任務に向かったのだった。それだけなら何の問題もなかった。ここへ来てからそれなりに一緒に任務をこなしてきたし、伏黒恵も私も弱くない。互いに影を使う術式の私たちは相性だってそう悪くない。

 しかし、事件は起きたのだ。

 無事に任務を終了し、問題のあった図書館から帰ろうとエレベーターに私たちは乗った。だが、この図書館を行き来するエレベーターは突如、止まったのだ。最初は止まっただけ、続いて電気が消えた。緊急ボタンを押して助けを求めたが繋がった気配はない。地下階の途中で停止したため電波もなく、携帯も繋がらない。このまま救助が来なくても私たちと連絡が取れなくなったことに補助監督が気付けば、助けは来るだろう。問題は、このエレベーターの温度が徐々に下がり続けていることだ。まだ春先、夜は冷える。しかもここは地下。とても暖かいとは言えない。困ったことに、エレベーター内の電気も先ほど消えているのだ。要するに、私はとても苦手な環境に閉じ込められているのだ。暗く寒い場所に。それも、伏黒恵とともに。

 背筋がゾワつくような、胸が冷えるような嫌な気持ちから身体が震える。伏黒恵にこの震えが悟られないように、必死に平然を装う。

「おい、大丈夫か?」

「平気。構わないでください」

「強がんなよ」

「脱兎をしまってください、伏黒恵。呪力の無駄遣いですよ」

 小さいとはいえ、この狭い密室では震えを隠し切れない。暗闇に順応しきらない視界ではなく、わずかに早まった私の呼吸音から彼は察したのだろう。伏黒恵は、私が寒さから震えていると勘違いをしたのか、複数の脱兎をこの場に出現させた。温めるように、慰めるように、式神たちが群れを成す。小さく暖かいこの式神たちの存在はありがたい。それでも、先程まで任務をしていた上に、これからまた何が起こるかわからない状況で呪力を無駄遣いする伏黒恵はおかしい。少なくとも五条悟から指導を受け、任務との向き合い方を指導されているであろう彼が下す判断にしては適当と言えない。

 エレベーターの隅と隅で距離を取る私たちを埋めるようにいる脱兎たち。私には召喚することができない式神。そう思うと、この愛らしく暖かい生き物の熱を感じることができなくなった。寒気に加えて、吐き気さえしてきた。我ながらよくこんなざまで呪術師をできているな、と思う。吸い込む息が詰まる。身体の震えは大きくなる。歪みゆく視界に呼応するように、意識が遠くなってゆく。このまま死んでも良いと思った。この程度の寒さでは凍死できないと理解していながら、このままこの場にいるくらいなら死にたいと思った。

私の反対の隅に座っていた伏黒恵が立ち上がり、横に腰を落ち着ける。彼は脱兎を無理やり私の膝の上に置く。

「乗っけてろ、寒いだろ。本当は玉犬を呼べたらよかったんだけどな」

 その玉犬は任務を経て既にボロボロだ。今は休めてやりたいのだろう。無愛想に見えて、彼は根が優しいようだ。そんな彼に、妙に気遣われるのが嫌になって、私は口を開いた。いや、本当は誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。

「寒くて、暗い場所は嫌い。誕生日にどうしてもお母さんに会いたくて駄々をこねて蔵に閉じ込められて……。どのくらいの間、閉じ込められていたのかは覚えてないけど」

 数時間だったかもしれないし、数日だったかもしれない。光の入り込まない寒くて暗い蔵の中で、恐ろしくなった。もしかしたら私はこのまま、ここで死ぬのかもしれないと。「だから、私は寒くて震えてるわけじゃない。心配しないで」そう彼に伝えた。

 相変わらず、エレベーターの中は暗い。伏黒恵がどんな顔をしているのか、暗がりになれた目でもよく見えなかった。沈黙が続く。数匹の脱兎が跳ねているのか、少しエレベーターが揺れた。

「すまん」

「なぜ、貴方が謝るの?」

「わからない。それでも、すまなかった」

 ふいに、暖かさに包まれる。この感触を私は知っている。ああ、五条悟か。あの男もこうして、謝りながら抱きしめていたなと思い返した。五条の包み込むような抱擁と違って、伏黒恵の抱擁は力強かった。あまりにも強く抱え込まれるものだから、痛くて無理矢理その温もりから抜け出した。

 なぜ、伏黒恵がそこまでするのか、私にはちっともわからない。それでも、必要以上に彼が私を気遣ってくれていることはわかっていた。たしかに、私は今日まで適度な距離を保ってきたし、彼も私が引けば大人しく引いた。それが今日はどうしたものか、伏黒恵をとても近くに感じる。こんなにも近くに彼がいるのは初めてだ。だから私はきちんと線引きをした。

「どこまで行っても、私と貴方は所詮、他人。半分血が繋がっていようとなんだろうと、どこに行き着こうが貴方は伏黒恵で、私は禪院蓮です。私のことで貴方が責を感じる必要はない」

「津美紀が……俺の姉貴は、いつも俺のことを心配してくれてた。だから、俺はお前の心配をするし、俺はお前が何と言おうと家族として守るべき存在だと思ってる。だから、大切にしたい」

「バカですね」

「だったら、だったら何で初めて会った時に異母妹だなんて言ったんだよ」

 暗闇にそのまま溶けそうなほど、細々と話していた伏黒恵が突然、大きな声で言った。悔しいことに、私はその問いに対する答えを私は持ち合わせていなかった。彼の大声に反応したのか、エレベーター内の脱兎たちが一斉に跳ねる。脱兎たちの揺れに合わせて、強くエレベーターが揺れる。二人きりの空間は逃げ場がなくて困った。わからないなりに必死に私は答えた。

「わからないです。ただ、貴方にずっと会いたかった。そして会ったら言ってやろうと決めていただけです。貴方こそ、初めて会った時『そうか』なんて言って興味がなさそうにしていたではありませんか?」

 本当は言ってやりたかったのだ。お前よりも三億円分価値の劣る存在だと。貴方は知らないかもしれないが、貴方には異母妹がいるのだ、と。返ってきた言葉だって「そうか」だなんて興味がなさそうなもので、やっぱり彼は私のことなんてどうでもいいのだと思っていた。それなのに、あのときの会話のそっけなさが嘘のように、真横の彼は熱くなっている。布擦れする音が横から聞こえた。肩が重くなる感覚が訪れ、上半身が生ぬるい温もりに包まれた。伏黒恵は制服の上着を脱ぐと私の背にかけたのだ。そして彼は、私から少しだけ距離をおいた場所に再び腰をおろした。

 寒くないと言った私を無視して気遣いを伏黒恵は見せる。この男は憲紀さんと一緒で話を聞かないのか。私が上着を返そうとする前に、彼が口を開いた。

「はあ……わかった。俺が悪かった。じゃあ、これから俺たち他人じゃなくなろう。教えてくれ、暗くて寒いところが嫌いなら、好きなものは何だ?」

「あったかいもの、あとは本。貴方は?」

 仕方ないから上着を返してから答えた。これで風邪をひかれたら流石に夢見が悪い。

「生姜を使った料理。本は俺も好きだ」

 私たちは暗闇の中で少しずつ好きなものを共有した。彼の顔は暗闇で見えない。どんな顔で話しているのかわからないから気が楽だった。きっと彼からも私の顔は見えていないだろう。彼は淡々と好きなものを語る。私の番になれば、私の言葉に時折、相槌を打つ。好きな作家が一緒だった時だけ、彼の声がうわずっていた。

 これまで伏黒恵がどんな人生を歩んできたのか、相変わらず、噂以上のこと知らない。だけど、好きなものは知っている。私の中で、少しだけ伏黒恵との距離が近付いた。今度は私の膝の上の脱兎が跳ねる。膝の上で跳ねても、エレベーターは揺れなかった。気付けば、ちゃんと膝の上の脱兎の温もりを感じることができるようになっていた。そして、この夜、恵と私は他人ではなくなった。

 

 五条悟も恵も馬鹿だ。私を見つめる目はいつも罪悪感に満ちている。何を悪く思う必要があるのだろうか。別に、私の不幸は彼らによるものではないし、彼らが幸せだから私が不幸なわけはない。私を地獄に突き落とした張本人として唯一、責任を取り得た男はもうこの世にいない。私はあのヒモ男が無責任に子種をばらまき、私の母を孕らせた時点で、地獄行きが決まっていたのだ。

 それでも、母は寝物語の際、愛おしげに男─禪院甚爾について語った。とても体格がいいこと、目つきは鋭く精悍な顔立ちであること、普段はぶっきらぼうで金を持っては消えたこと、それでも母を労い、優しい言葉を母に送ったこと、ぶっきらぼうながらも母を気遣う態度を日常の折々で取ったこと、それらに母の胸は踊ったこと。男との繋がりを失いたくないあまり、執念で私の出産を遅らせたこと。

 いや、そんなことできるのか。それが本当か嘘かはわからないけれど、話を聞けば聞くほど、母はヒモ男に捕まった愚かな女に過ぎなかったし、父は最低な男であった。

 

 

 五条悟も恵も馬鹿だ。可哀想なものを見るような目で私を見る。本当に見ているのは私では無いくせに、勝手に何かと重ねては苦しんでいる。だが、私も同じくらい馬鹿だ。それをわかっていて気づかないふりをする。面倒くさいからだ。きっと面倒くさいで片してはいけないことなのだろうな、と他人事のように思った。

 夢に見る。もしも、父が母と私を捨てていなければ。もしも、あの家に引き取られていなければ。もしも、呪術師にならなければ。もしもは尽きない。

そして、ようやく伏黒恵の顔を初めて見た時に、私は父を思った。母に聞いた通りの目つきと精悍な顔立ちである黒髪の男を見たのだ。きっと私のことなんてどうだっていい父親、平気で自分のいた地獄に私を売った父親。それでも、やっと私は伏黒恵越しに恋焦がれた父親を見て、胸がいっぱいになった。

だから、この呪いは本来、父にかけるべき呪いだったのだ。しかし、溢れ出る衝動のまま、その言葉を口にだして私は伏黒恵を呪ってしまった。

「禪院蓮。貴方の異母妹」

 いもうと。たった四文字が人を不幸にした。本当に悪いのは私なのだ。私よりも恵まれて、私と違って地獄でもそれなりに幸せに生きられたはずの異母兄。彼は私を恨みこそすれ、私に恨まれる道理はないのである。私は妬まないと言ったその口で、彼を地獄の果てへ道連れにしてしまったのだ。

 恵は私に歩み寄ろうとする。歩み寄った先にあるものなんて何もない。彼は、彼を愛してくれる義姉がいる。守るべきものがある。私には何もない。幼少の頃に引き離された母の顔は、もう思い出せない。あんなに会いたかったのに、もう思い出せないなんて、私も父に似て薄情のようだ。

 あれから数時間経って私たちは無事に暗く寒い箱から解放された。

 二人で帰路に就く。先を歩く恵が逐一、振り返ってこちらを見る。バレていないつもりなのだろうか。こちらからすれば鬱陶しいくらいの視線だ。

 彼は兄という形に拘っているようだが、所詮同い年なのである。階級だって同じだし、おそらく彼が学校に通っている時、私は修行と任務に勤しんでいた。別に私は彼に守ってもらう必要はない。それでも、あの冷たい家から離れて過ごすこの高専で、彼と家族ごっこに勤しむのは悪くないと思えた。人から心配されるのも、慈しむように温かい目線を送られるのも、むず痒いが悪くはない。もしかしたら、あたたかさに包まれて日々を過ごすのは、この学生生活で最後になるかもしれない。私はどうせ禪院に振り回されて一生を終えるのだ。大好きなあたたかさと離れて生涯を終えるのは想像に難しくない。

 これから先、何があってもここでの日々を糧に立ち向かえるように、一生懸命に私と向き合おうとする兄のあたたかさを少しは受け入れることにした。 

 

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