討竜記   作:外典断章

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第3話

 

 

 

「……冗談じゃ、ないんだな」

「ええ。全て本当のことよ」

 

 不自然なほど穏やかに。そして、自然体でアルはそう言った。まるで明日の昼食について話すかのような穏やかさに自分がおかしいのではないか、という錯覚すら抱いてしまう。

 

 艶やかな漆黒の髪に金色の瞳。黒いシャツ、そして革製のベルトで支えられた黒いブレー。上下共に黒い衣服を纏っただけの簡素な身なり。見慣れた姿だった。見慣れた女だった。

 だというのに……足が竦んで動けない。舌が乾く。一言を発するのにも体力を消耗する。

 

「貴方の両親を殺したのは私。村の東を消し飛ばしたのも私。加えて言うなら、《果ての山脈》の魔獣が活発化しているのも私の所為よ」

 

 竜とは魔獣の王である。

 魔力を喰らい、莫大な炉心をその身に宿す生きた巨大兵器。そのおこぼれに預かろうとする魔獣が寄ってくるのだと、かつて聞いた話を思い出した。

 

「どうしたの、ネロ。貴方は私を探していたんでしょう? ほら、ここにいるわ。私が全ての元凶。貴方の運命を狂わせたのは私よ」

「……わかんねぇ。わかんねぇよ、アル。お前は、なんで……」

 

 頭が痛む。俺を苛むかのように、脈打つような痛みが蝕んでいる。

 アルは竜で、両親の仇で、育ての親。くそ、意味がわからない。何を言っているんだこいつは。馬鹿を言うんじゃないと笑い飛ばそうとするも、奇妙に顔が歪んだだけに終わる。

 

「そう……実感がないのね」

 

 声色低く。彼女は残念そうに呟く。その言葉に何かを返そうとして。

 

 ──瞬間、暴風が室内を吹き荒れた。

 撒き散らされる轟音と衝撃。舞い上がる埃に視界が塞がれる。思わず腕で顔を庇った。室内の家具や食器がぐちゃぐちゃになって壁に叩きつけられる。破砕音が鼓膜を突き破らんばかりだ。咳き込みながら不意に感じた寒気に身震いする。いや違う、これは──。

 

「これで理解できたかしら」

 

 あまりにも巨大な風穴がそこにはあった。

 家の壁が丸ごと吹き飛んでいる。圧倒的な暴力の痕跡。頬を伝う血に俺は少し呆然としていた。指の腹で傷跡をなぞる。微かな痛みが走った。恐らくは食器の破片が掠めたのだろう。

 

 この破壊を齎した張本人へ視線を向ける。見れば、彼女の右腕から先は奇妙に変異していた。捲りあげた袖の先、肘から下は歪な変形を遂げていた。黒い鱗、捻れた鉤爪──人間の肉体とはあまりにちぐはぐな腕は不気味なグロテスクさを孕んでいる。自然と呟く。

 

「竜の、腕──」

 

 目を疑うも、目前の光景は変わらない。疑いようもなく。どうしようもなく、それは竜の腕としか言い様のないものだった。奇妙にてらてらと光を反射する鱗は黒曜石のように艶やかであった。透明感を湛えながらも墨を流したような漆黒のそれは、彼女の髪色とまるで同じだ。

 

「さ、かかって来なさい。貴方の仇はここよ」

 

 にこやかに、もうこれで阻むものはないだろうと言わんばかりに、彼女は腕を広げた。それは抱擁を求めるようでいて、しかしそうではない。何やらかちかちと奇妙な音がしていた。それが己の口から発せられたものだと気付くまでに少し時間がかかったのは、やはり今の状況に現実感を覚えていない証か。歯の音が合わず、戦慄く唇に合わせて音は響く。

 

 ……そうだ。俺は恐れているのだ。その暴力に、ではない。その理解不能な思考と行動に恐怖していた。俺の知っているアルではない。顔も姿も同じだけの別物としか思えない。掠れた声で問う。

 

「わからねぇよ、アル。なんでこんな唐突に、お前は」

「……? 何を躊躇うことがあるのかしら。仇討ちを望んでいたのは貴方でしょう?」

「躊躇わねぇわけがないだろ!」

 

 本気で言っているのだろうか。本気で言っているんだろうな、と冷めた部分が判断する。

 

「七年間だぞ」

「ええ、そうね」

「七年一緒に生きてきたお前を、そんな簡単に斬って捨てる事が出来るわけが、ねぇだろうが!」

 

 顔が歪む。当然の話を、当然の理屈を吐き出している。だが彼女の表情は変わらない。だが、すぐ何処か納得したように目を丸くする。

 

「ああ、なるほど。そういう事ね」

「アル──」

 

「足りないのは実感じゃなくて」

 

 本能が絶叫する。

 硬直する筋肉。眼筋はかろうじて動き、俺のすぐ真横に立っている影を認識していた。振り上げられた腕が俺に影を落とす。

 ──死

 

()()()の方だったみたいね」

 

 思考が、認識が、己を己であると規定する自我が一瞬断絶していた。

 気付けば空が見えていた。鈍く打ち付ける音共に背に衝撃が走る。平衡感覚がトんでいた。口の中は鉄の味で溢れ、たまらず口を開けば胃液が零れ落ちる。喀血していないあたり内臓に損傷はないのか。動悸が激しい。脚は生まれたての子鹿の如くぶるぶると震え、拳を地面に打ち据えることでかろうじて上体を起こす。

 荒い息が白く染まる。ここは、外だ。ようやく認識が現在に追いついた。

 

 ……ただ、手で払っただけ。本能が防御を選択したからこそ、俺はこうしてまだ生きている。俺自らの意思で防御した訳では無い。全ては防衛本能のなせる技。

 つまりは、偶然。二度はない。さくさくと雪に覆われた地面を踏みしめながら、絶対者は近付いてくる。

 

「ほら、忘れ物よ」

 

 どさり、と。何かが俺の傍に放られた。剣だ。しかし鞘に罅が入っている。あの攻撃を受け止めたのはこれだったのだ。だからこの程度の軽傷で済んでいる。

 

 ……俺の、愛剣。十歳になった俺へ、アルが寄越した長剣。

 

「さて。今度こそ理解したかしら? 私は竜。貴方は人。選択肢なんてないのよ。わかったならほら、早く立ち上がりなさいな」

 

 十歳の俺にはあまりに大きすぎる長剣だった。

 俗に言う片手半剣(ハーフ・アンド・ハーフ・ソード)。片手でも両手でも振るうことの出来るそれの通称は雑種の剣(バスタードソード)。半端な武器かもしれないが、しかしそれは俺が持ち得る唯一の財産だ。

 

「ネロ?」

 

 毎日欠かさず剣の手入れを行ってきた。俺の得物だから。違う、本当は違う。当たり前の話だ。そう、当たり前の話なんだ。

 

 家族からの贈り物を大切にするなんて、至極当然のことだろう──?

 

「……無理、だ」

 

 気付けば、そんな言葉が零れ落ちていた。

 

「無理に、決まってんだろ。家族なんだぞ。それがいきなり竜だの、仇だの。わけわかんねぇよ。斬れるわけがないだろうがよ」

 

 重苦しい沈黙が降りる。

 風が山の上から下へと吹いていく。アルは暫く黙したまま俺を見下ろしていた。その表情は月光の影になっていてわからない。震える手を伸ばして剣を引き寄せる。

 ぽつりと、不意に彼女は呟いた。

 

「わかった」

「……アル」

 

 顔を向ければ、彼女はこちらに背を向けていた。両腕は竜の腕へと変化している。俺は呆然としたまま、黒いシャツを着たその背を見つめる。

 

「ええ、よくわかったわ。貴方は家族だから私の事を斬れないと、そう言うのね」

 

 やっと理解してくれたのだろうか。俺は目を見開き、そして──。

 

 

「なら私は、あの村の住民を一人ずつ殺していくわ」

「──────ぇ」

 

「手足を捥いで、焼いて止血して。いえ、その前に爪を剥がして骨を砕く必要があるのかしら? 拷問なんてしたことが無いけれど、ええ、頑張ってみましょう」

 

 ……なにを、いっている。

 

「貴方に聞こえるように、一人ずつ丁寧に殺していくことにしましょう。そうね、懇願し哀願する声が届くように歌わせましょうか。えっと、あの村には何人いたかしら。確か九十六人? なら一人につき一時間もいらないわね」

 

 ……このおんなは、なにを。

 

「大丈夫。絶対に逃がさない。必ず一人残らず鏖殺してみせる。ええ、黒竜アルバ=ダァトがここに誓うわ」

 

 ………………………………。

 …………………………ェ。

 

「老若男女問わず、赤子に至るまで」

 

 ………………ぞ、てめェ。

 

「必ずや殺し尽くして──」

 

 

「ぶち殺すぞ、てめェェェェェ!!」

 

 吼えた。月光の下で火花が散る。もはや身体の痛みなど吹っ飛んでいた。弾けるような衝撃と轟音。竜腕を差し込んだ防御の奥で、三日月を描く口元。蕩けた金の瞳。女は笑っていた。

 その全てが、腸が煮えくり返る程に憎らしい。

 

「お前は──お前が──ッ!」

「ふ、ふふふ、ふふふふ──!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 そういう奴だと知っている。本気なのだと気付いて絶望した。悪意なき悪。理由なき悪徳。その姿が七年前に見た黒い影と重なる。

 親父を、お袋を。骨すら残さず消し飛ばしたあの息吹(ブレス)

 両親の仇(アルバ=ダァト)が、そこにいた。

 

「アァァァルゥゥゥゥゥ──!!」

 

 怒りに身を任せた剣撃。間断なく爆ぜ散る火花。だが激情に駆られながらも、すぐに違和感に気付いた。奴は馬鹿正直に全てを受け止めていた。普段の鍛錬ならば全てを躱していたあいつが、だ。

 ……ぎり、と歯が軋む音。脳髄が沸騰するような憤怒。竜腕を蹴りつけながら、殺気立って睨みつける。

 

「加減のつもりかよッ!」

「愚問ね、ネロ」女はチッチッと舌を鳴らす。「私は竜よ」

 

 答えになっていない。だが、言わんとすることは理解した。

 今の奴は『竜』だ。『人』ではない。人の技など使わない。

 技も何もなく、ただ圧倒的な力と速度で捩じ伏せ、押し潰す。剣技などという小細工に頼るまでもない。最短で最速を駆け抜ける竜腕。

 

 ──その全てが、吐き気がするほどの、傲慢。そう認識する。

 

「嘗め、やがって──!」

 

 腹の底で滾る憤怒。力みすぎた結果、少し剣筋が外れたのを自覚する。その隙を縫うようにして竜の拳は大気を引き裂きながら放たれる。首筋を掠める一撃。修正しながら返しの一閃は難無く受け止められた。

 

 ……怒りを飼い慣らせ、ネロ。

 冷静な自分がいる。怒りとは点火剤だ。それに振り回されるべきではない。思い出せ。

 ──グリップは緩く。小指を締めるように。脇を開くな。

 そろそろ目も慣れてきた。直撃すれば即死に至らずとも骨の数本は確実に持っていかれる一撃を、数センチメルトルの差で、躱す。

 ──重要なのは足捌き。弧を描くように、常に中心点を置きながら彼我の間合いを保て。

 

 驚きに見開かれる金の瞳。不用意な斬撃を避け、回避に注力する。気付けば何のことは無い、竜の一撃に等しい腕力であろうとも攻撃範囲や関節の限界点は人と同じだ。

 ……大振りな一撃は当たらない。動作(モーション)は最小限に。接触面積を広げる必要はない。

 全部あんたが教えたことだ、アル。急所を的確に狙う拳は、その経路も想定しやすい。故に誘う。奴は必ず乗ってくる。理由は単純だ。竜故に。その傲慢さを抱いたまま死ね。

 ……身体能力差が激しいならば、狙うべきは後の先(カウンター)

 

 全体重を載せた一撃をそのまま返す。狙いは奴も理解しているだろう。その上で、やはり乗ってきた。爛々と輝く縦に裂けた瞳孔。黒い鱗は艶やかに月光を反射する。俺の心臓を貫かんとする一撃。重心は軸ではない足に。

 ………今ッ!!

 

「う、ぉぉぉぉおおおお!」

 

 掠めただけで身体が木っ端のように吹き飛びそうになる。皮はおろか肉ごと頬が抉られる。だが、感覚はあった。確かに奴の胴を剣が捉えた。距離を取って構え直す。重傷とはいかずとも、あの勢いをそのままカウンターに変換したのだから───。

 

「…………く、そったれが」

 

 振り向いた先で、奴は薄く笑っていた。

 襤褸となった黒いシャツの残骸を剥ぎ取り、その上半身が露わになる。

 

「ネロ。狙いは悪くなかったわ」

 

 右の脇腹。黒い鱗の上を、一本の筋が痕として刻まれていた。鉤爪がその上をなぞり、彼女はくすくすと笑う。確かに痕はあった。だがそれだけ。俺が決死の覚悟で与えた一撃は、かすり傷にも満たない。あまりに理不尽な結果に頬が強ばる。俺の右頬の傷から溢れる違う鎖骨にまで垂れていた。

 

「けれど残念。私は竜なのよ」

 

 うなじから乳房、そして脇と腹を覆う黒い竜鱗。目を背けたくなるような艶やかさと不気味さを内包させた姿がそこにあった。

 この世の何よりも堅牢な天然の鎧が刃を阻んでいる。唯一それがないのは喉、そして胸の中央のみ。

 

 ……無理だ。そんな見え見えの急所を悠長に狙って穿つような暇も隙もない。ならどうする。先程と同じ場所に、全く同じ場所にもう一度斬撃を──駄目だ。そんな絶技、出来たら苦労しない。そしてあいつは傲慢だが馬鹿ではない。同じ形のカウンターに引っ掛かるはずが無い。

 

「さて、準備運動はここまででいいでしょう」

 

 (アル)は艶然と笑う。彼女の踏み込みに耐えられなかったのか、既にブーツもその形を成してはいない。だがやはりその足を覆うのは黒い竜鱗であり、それだけで凶器に足ると主張している。

 

「私を失望させないで頂戴ね、ネロ」

 

 絶望感を振り払うようにして、俺は吼えた。

 

 

 気合と根性で何とかなるような相手ではない。

 膂力は当然、防御能力も向こうが上。加えて問題なのは奴の無尽蔵な体力だった。季節は冬の終わり、峠こそ越えたが夜間の寒さは尋常ではない。汗を吸ったインナーが急速に体温を奪い、ただでさえ圧倒的な体力差は更に開いていく。それでも動けているのは魔力による強化故だ。

 

 ……《加速法(アクセルギア)》。奴はこれをそう呼んでいた。自己魔力(マナ)は魂魄から剥がれ落ちた代謝より生じるもの。人間が体内から生成できる魔力はたかが知れている。故に重要なのはそれを如何に運用するかだ。

 丹田を起点に全身へ魔力を循環させることで根本的な運動性能を向上させる技術、これは基本だ。その次の段階はこれを剣の型と共に行うこと。魔力の循環だけならばいい。だが同時に剣を振るうとなれば話は変わってくる。これを修めるのに二年はかかった。

 

 最終段階は循環させる魔力、これを『偏らせる』ことだ。防御にしろ攻撃にしろ、接触部位へ回す魔力を一時的に大きくすることで瞬間的に能力が高まる。移動する際に蹴り足へ交互に魔力を偏らせれば、移動能力は爆発的に向上する。《加速法》と呼ばれる所以はこれだろう。七年かけてものにしたこの魔導体術が俺をまだ生かしている。

 

 ……ただ、それも限界が近い。視界の端に映りこんだ影。直感だけで肘に魔力を集中させ、虚空へと打ち込む。大気が揺れた。びりびりと骨を伝わってくる衝撃を逃がしながらぐっと歯を食い縛る。衝突(インパクト)の前に止めたというのに、それでこの威力。拳に握り締めた竜腕を引きながら、竜が嗤う。

 

「これで何度目かしら。よく保ってるわね、ネロ」

「黙れ」

 

 右下からの逆袈裟。当然のように回避され、くるりと宙を回転して猫のように着地する。くそったれ、と内心で毒づいた。高速のヒット・アンド・アウェイ。恐ろしく堅実で単純な戦法であり、それ故に対抗策はない。あの速度についていけない以上俺に許されるのはカウンターのみ。だが奴は初撃が凌がれればすぐに離脱し追撃を許さない。要は、俺にとって唯一の好機は一撃目だけだ。それに合わせる必要がある。

 

 ……一番最初のカウンター。あれが最も手応えがあった。だがそれでも鱗に引っ掻いたような傷をつけただけ。無理だ。結論はとうの昔に出ている。俺の動体視力で捉えきれないような速度の初撃に完璧なカウンターを合わせたとしても、きっと致命とはならない。だがこのまま手をこまねいていても体力を消耗するばかり。

 何処かで、打って出る必要が──!?

 

「ッ…………!」

 

 汗が目に入った。ほんの一瞬。その僅か一瞬の隙を奴は突いた。剣で払う──が、しかし受け損ねた。常識を越えた剛力により生み出された衝撃は僅かに伝わるだけでも暴れ回る。弾き飛ばされる剣。呻きながら地面を転がり、追撃を躱すべく身を屈めながら周囲を伺う……が。

 

「…………何のつもりだ」

 

 竜は止まっていた。

 退屈そうに、俺を見下ろしながら、金の瞳が細められる。

 

「つまらないわね」

「言うに事欠いて、それかよ」

 

 だが、幸いだ。必死に呼吸を整える。こびり付いた血を手の甲で拭い、弾き飛ばされた剣の方へ歩を進める。無論、奴から目は逸らさない。そんな愚行を犯せるほどの蛮勇は持ち合わせていない。

 

「実際、つまらないのよ。まるで防戦一方。そうね、言わせて貰うけど……殺す(勝つ)気が感じられない」

 

 ……言いたい放題言いやがる。

 だが、事実だ。俺自身この先が敗北に繋がっていることを理解している。だがそれでも──俺は強ばった顔で笑ってみせた。

 

「言ってろ。吠え面かかせてやる」

「そうね。貴方が何も無策なわけないわよね。けれど、面倒だから──」

 

 腰を落とし。低い前傾姿勢を取り、アルは告げた。

 

「こういうのはどうかしら、ネロ。次の一撃で私は貴方を殺す。宣言するわ」

 

「……好機(チャンス)でも与えるつもりか?」

「ええ、そうよ。私も貴方も次の一撃が最後。次で私は貴方を殺せたら勝ち。貴方は私を殺せたら勝ち。簡単よね?」

「はっ。どっちも生き残ったらどうするんだ」

「そんなはずないじゃない」

 

 きょとんとした顔で、アルは続けた。

 

「貴方が損なった時点で、貴方は死んでいるわ」

「…………そうかよ」

 

 深く息を吸う。剣を拾い上げ、こちらも腰を落として剣を構える。了承の意と取ったのだろう、竜は笑みを深くした、

 ……実際、これは俺にとっても好都合ではある。先程の隙を狙われていれば間違いなく死んでいた。だが追い詰められている事実は変わらない。俺のカウンターは通らない。だが次に全力を傾けるというのなら、勢いをそのままぶつければ或いは──。

 

 だが、理性が囁く。それでも無理だと。奴の鱗は貫通出来ない。ならば狙うは喉元か。いや、安易すぎる。奴は必ず対策している。唇を噛み、グリップを握りしめた。

 魔力を循環させる。全力で魔力を込めれば或いはどうだろうか。全身の魔力を十だとして、九の魔力を刃に込める。そうする他に、方法は…………ない、のか?

 

 何かが引っ掛かった。魔力を込める。それだけでいいのか?

 

「………………」

 

 かつてミノタウロスの一撃を受けた時。俺はどう凌いだ?

 魔力を回す──それも当然行っていた。だが振り下ろしの威力を向上させる為に質量増加の魔術を行使したはずだ。土壇場でのやけくそのような魔術だったが、それが功を奏して生きている。

 

 ……いや、駄目だ。質量魔法(グラムマギア)の燃費は最悪の一言に尽きる。俺が使えばすぐにガス欠になる。質量を十倍にでもすれば五秒が限界。何の役にも立たない魔術だ。頭を振る。魔力が尽きてしまえば回す魔力もないのだ。その次はない。

 

 次は──ない?

 

「…………そう、だ」

 

 ずっと引っ掛かっていた違和感。ここに至りようやく理解する。魔力が尽きた後の話? 笑わせるな。元より次の機会を前提としてどうする。()()()()()()()()()()()()()()()。事ここに至ってなお自身の甘さに笑えてしまう。

 

 出し尽くす。俺の全ての魔力を一点賭け(オールイン)する。ようやく理解した。きっと、正解はこれだ。小賢しくも小出しにして凌いで、それがなんだと言うのか。覚悟を決めたような気になっていたが、結局自分が臆していた事に気がつく。

 

 一撃で屠る──だが問題は二つ。ひとつは、鱗を貫通させるに必要があること。もうひとつは、タイミングを合わせられるかということ。

 ……十倍では話にならない。百倍でも足りるかどうか。

 ならば。千倍なら──竜の鱗に、届きうるか?

 あまりの馬鹿馬鹿しさに笑えてしまう。精々質量の十倍加で五秒が限度と言った。それを千倍? もはや一秒どころか一瞬にすら満たない。

 

 だが、それでいい。ほんの刹那、そもそもの話俺の腕が千の剣に耐えうるのは恐らくそれが限界だろう。そうでなければ無様に千切れ飛ぶのが関の山。

 ……ただでさえ合わせるのが難しいカウンターの一瞬、接触の瞬間に質量を千倍にまで増加させ斬り飛ばす。まるで遥か山頂から針の穴に糸を通すが如き難行。現実味が無い、などという領域ではない。

 だから、どうした。きっとその程度成せなければ、この女に刃は届かない。魔力を胎動させながら静かに呟く。

 

「来いよ、アル」

 

 竜が笑った。

 たわむ両脚の筋肉。来る、と理解していた。

 だが見失った。

 姿は掻き消えた。何も見えない。見ずとも耳で捉え──無理だ。ここでは音すらあまりに遅い。忘我の領域で剣を握る。全身を駆け巡る血液の速度すら凌駕しろ。心臓の一拍を切り刻め。人刃一体の境地に没入する。あまりにも滑らかに駆け巡る魔力が刃へ浸透し、

 

 ──蕩けた金が、見えた気がした。

 

 刹那、全てが弾け飛ぶ。会心の感覚があった。もはやいつ振り抜いたのかもわからない。だが何かを斬った感触があった。そして同時に、この身を木っ端のように吹き飛ばす衝撃も。どさりと遠くで何かが落ちた音がした。そして、俺の身体も同様に。

 

 ……全ての魔力を出し切った結果、何かがプツリと途切れてしまったようだった。身体は言うことを聞かない。筋肉が断裂しているのを自覚する。それでも右腕の指はぴくりと動いた。左、は───。

 

「……嗚呼、なるほど。そうか」

 

 勘違いしていた。

 きっと成功か失敗かならば、成功だろう。俺は竜を確かに斬った。だがそれは勝利か敗北かで言えば。

 

()()()()()、ネロ」

 

 疑いようのない、敗北であった。

 ふらふらとアルが立ち上がる。その左肘から先はなかった。竜鱗を貫通し、俺が斬り飛ばしたのだろう。そして見ずともわかった。俺の左肘から先もまた、無くなっている。相打ちであり、五分であり、それでいて俺の決定的な敗北だった。なんのことは無い、単純な生物としての規格の差である。

 

 腕をもがれようが、竜は死なず。だが人間は血を流しすぎれば、死ぬ。当然すぎる道理。

 

「………………ちく、しょう」

「誓いは果たす。村人は一人残らず殺す。その後にまだ息があるなら、私の手で縊り殺してあげるわ……ネロ」

 

 虚ろな足取りで歩き始めるその背を見つめる。もはや狂気に近い。この女はイカれている。何が彼女を壊したのかは知らない。

 

「…………嗚呼、けれど。あの剣は本当に見事だったわ。それは認めてあげる。ひょっとすると、貴方もあの剣聖と同じ領域に至れたのかもしれないわね」

 

 …………なにか、言っている。だが、聞き取れない。

 身体が冷えていく。呆然と空を眺める。今日は満月だったのか。全く気づかなかった。

 

 嗚呼、本当に。

 酷く綺麗な、月───。

 

 

 ──────い。

 ─────ない。

 ───たくない。

 

「──しにたく、ない」

 

 芋虫のように地面を這いずる。だが外聞など知ったことではない。ろくに動かない身体を叱咤し。左腕から血を撒き散らしながら一点を目指して進んでいく。

 

「無様ね、ネロ」

 

 それは聞いた事のない声音だった。

 それは見下すようで。

 それは、どうしようもなく。

 

「生き汚いのも考えものね」

 

 失望と嫌悪に満ち溢れていた。

 

「やっぱり駄目ね。貴方は英雄の器ではなかった」

 

 しにたくない。

 しにたくない。

 

「本当にどうしようもない失敗作」

 

 しにたくない。しにたくないしにたくないしにたくないしにたくないしにたくない───。

 

「さようなら、ネロ。あの村の人間も後を追わせてあげるから安心なさい」

 

 

 ───ああ、()()()

 

 それは本当に最後の力だった。死にかけの虫が見せる痙攣。命を燃やし尽くす生命の最後の輝き。取るに足らない足掻きに過ぎず。

 だがその足掻きが、奇跡を引き寄せた。

 

「……ァァァァァァァアア”!」

 

 咆哮する。

 悶絶する。

 狂乱する。

 慟哭する。

 懺悔する。

 侵食と拒絶と再生と崩壊を繰り返しながら生死流転する輪廻混沌の坩堝と化す。陰陽相克しながら胎内はさながら生き地獄が如く。がくがくと身体を痙攣させながら、涎と涙と血を撒き散らしながら──()()()()()

 その様を凍り付いたようにアルバ=ダァトは見ていた。永くを生きてきた彼女さえも驚愕たらしめる事象。

 

「貴方は……一体……」

 

 視線の先。先程まで何も無かったはずの左腕から先には、血まみれの黒い腕が生えていた。

 生えていた、というのも語弊を招く。より正確に言うのならば、それはかろうじて繋がっていた。だが確かに繋がっていた。どくりどくりと黒竜の腕が脈打つ。脈打ちながら、新たな主へと血液を送り込んでいく。

 先程彼自身の手で斬り飛ばした、竜人アルの左腕。

 何の因果か。何の奇跡か。それは少年の腕へと接続されている。

 

「……続けようぜ」

 

 幽鬼の如く影が立ち上がる。

 だがどう足掻こうと満身創痍。もはや立つだけで息も絶え絶え、剣を振るうなど以ての外。既に死に体であり、果てる間近の死に損ない。少し嬲れば方は着く。

 そのはずだというのに──その燃え盛るような瞳だけは死んでいない。黒い竜は息を飲んだ。

 

「第三ラウンドだ、アルバ=ダァト……!」

 

 

 最後の竜、アルバ=ダァトは狂っている。

 

 故に。それを殺す英雄もまた、常識の範疇を逸脱せねばならない。

 

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