討竜記   作:外典断章

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第4話

 

 

 

 

「あり、えない」

 

 呆然としてアルが呟く。

 

「そんな奇跡がありえるものか。もしありえたとしても、どんな代償を払うのか──!」

「そうかい」

 

 口の中に溢れていた血を吐き出す。左腕の感覚はない。……ないが、視線の先では確かに繋がっている。脈打つ禍々しい竜の腕。もう意識も吹っ飛んで自分が何をしていたのかなんて全く記憶にない。

 

 だが、生きている──いや生かされているのか。

 

 異質な魔力が流れ込んできているのを自覚する。おそらく人間が取り入れるべきでないモノが血管内を駆け巡り、全身を侵し始めている。時限爆弾を抱え込んでしまったような錯覚。しかし恐らく、その認識は間違っていない。

 これではろくな死に方はするまい。ただ、それでいいと許容する自分がいた。

 

「だが実際にありえている」

 

 口元を歪める。立っているだけでも限界近いが、だからこそ笑って見せる。

 その瞬間、初めてその金の瞳に僅かな恐怖が混じったように見えた。人は未知を恐れる。それは竜も同じなのだろうか。

 ……左右の重心がおかしい。またすぐにでも千切れそうな左腕を掴んで支えながら、アルへと歩を進める。足裏が地につく拍子に飛びそうになる意識。歩くだけでも手一杯という有様。何たる無様か。ただ、気合いだけで持たせているに近しい現状。

 

「おいおい、喜んでくれよ」

 

 だというのに。虫けら同然の俺の歩みに対して、彼女の足は半歩退いていた。

 きっと自覚していないのだろう。理解出来ていないのだろう。拳を握りしめる。初めて得た精神的優位。好機を逃すつもりはない。

 

「お前を殺すためだけに、こうして生き永らえているんだからよ──!」

 

 踏み込みと同時に拳を叩き込む。右腕ではない。もはや感覚のない左腕を強引に叩きつけただけ。あまりにも不格好、どちらかというと左腕に振り回されているようにしか見えまい。回避はなかった。これまで通りにアルは軽々と受け止め──そして、確かに呻いた。ひび割れた竜鱗。予想通りで笑ってしまう。

 矛盾という言葉の由来を思い出した。全てを貫く矛と、全てを防ぐ盾。そして、今回軍配が上がったのは前者であった。

 

「っ、調子に乗らないで欲しいわね──!?」

 

 アルが踏み込み、しかしたたらを踏んだ。金の瞳に浮かぶ驚愕、困惑、動揺。だが当然といえば当然か。いかに無尽蔵の体力を持つ竜とはいえ、片腕を失っている。その損耗が軽いわけが無く、確かに削られている。まあそういうこちらも同様、どころか更に酷いものだが。

 

 ……筋肉の断裂個所は四ケ所。毛細血管が破裂でもしたのか、右の視界も少し赤くぼやけている。おまけとばかりに頭蓋の内側から鈍器でぶん殴られているような頭痛。立っているだけで奇跡、端的に言って死に体。満身創痍はお互いさまというわけだ。笑みを深くする。

 

「どうした、もう限界かよ」

 

 返されるのは言葉ではなく、唸るような声だった。

 竜が牙を剥く。跳ね上がる彼女の右腕をステップワークを駆使して回避する。明滅する視界。竜腕との接続によりかろうじて失血死は免れたものの、多くの血液が失われた事には変わりない。雲がかかったような意識の中構える。

 

 間近を擦過する互いの拳。耳元を轟と音を立てながら過ぎていく。

 見えてはいない。もはや直感だけで攻撃を認識しているに等しい。引き伸ばされる時間感覚。目をくれる暇なぞ何処にもない。周辺視野だけで初動を捕らえ、あとは感覚で回避するしかない。もはや要らぬ体力を消耗する余裕など一分たりともありはしない。最小限の動きで躱し、最短経路で叩き込む必要がある。

 ふ、と笑う。無理難題にも程があるだろう。だが不思議なことに、今の俺は酷く落ち着いていた。血を流しすぎたことで冷静になったのだろうか。こめかみを掠める拳を避けつつ思考する。

 恐らく、一発。それが俺に許された全力での拳の限界だと直感的に悟っていた。それ以上は身体が到底保たない。回避だけに専念していても体力は減っていくばかり。狙い澄ましたカウンターの一撃で刈り取る他に勝ち目はない。許された最後の一撃に全てを賭ける。

 

 分が悪いのは先刻承知。大ぶりの攻撃を必死に回避しながら、それでもその瞬間を狙い続ける。そんな俺を見て顔を歪めると、アルは更に攻勢を激しくする。俺はもはやふらつく足を必死に動かして回避に徹するしかない。明滅する視界。側頭部付近を掠めかけたか。死を瀬戸際で押し止めている感覚に炙られ、魂の奥底が焦げ付く。

 ……もっと引き寄せろ。削りながら、削られながらも研ぎ澄ます。ただ時を待つ。そんな俺の目が気に入らないのか、彼女の攻撃はより激しくなった。額から溢れ、唇まで垂れた血を舐め取る。

 ……まだ、だ。

 もっと削れるのを待て。光明は未だ見えない。金の瞳の奥に見える苛立ち、その最高潮を見極めろ。直撃さえ免れればいい。

 

 あまりにも原始的な殴り合い。永久に続くかと思われるような、闇の中を藻掻くが如き攻防戦。だが、一寸先には死を求め、死に狂った竜が確かにそこにいる。

 生に執着する人間と、死に執着する竜。子と親。男と女。弱者と強者。相対する全てが反発し相殺するような二つの命。交錯する拳と視線。

 何もかもが対極なのだと理解する。本当に真反対なのだ、俺も、お前も。だから互いを理解し合えない。当たり前すぎて忘れかけていた事実を再確認する。理解できないものへの対処法は二つ。即ち妥協か、排除か。この場合はどちらに該当するのだろう。かなりの難問だ。

 

「ふ、ふふ」

「は、はは」

 

 互いの喉から漏れる哄笑。見ずとも奴がどんな顔をしているかわかる。ああ、わかるさ。七年間、一緒に生きてきたんだ。俺の母であり、姉であり、家族であり、友人であり、初恋であり、そして……紛れもない仇敵。我が宿敵。

 ああそうだ、この女は──。

 

「ふふふふふふふ──!」

「ははははははは──!」

 

 ()()()()()()

 歯車が完全に噛み合う。俺の中でようやく殺意が形になった。愛とも憎悪とも執着とも取れぬ、矛盾した感情。一言で言い表すにはあまりに複雑怪奇。だがそれでいい。総身に殺意を宿して咆哮する。闇に溶けるような黒髪。蕩けた金の瞳。笑いながら拳を振るうそいつは、憎らしいほど美しかった。だから殺す。故に殺す。その容姿性格存在魂魄その尽くが殺意の引き金となり得る。

 

 ……繰り出される黒い竜腕。俺が回避できない瞬間を狙って、空隙を縫うようにその拳は滑り込んでくる。喰らえば間違いなく即死する、そんな破滅的な威力を秘めた拳。それをぼんやりと見つめ──僅かに肘を傾け、軽く()()()()

 僅かに、しかし確かに軌道が逸れる。生まれた三寸にも満たない隙間が俺にとっての生命線だ。驚愕に見開かれる瞳。間近を擦過した頭髪が燃え尽きる。吐く息は白く、吸い込む大気は凍えそうなほどに冷たい。

 

 ──反撃(カウンター)は既に放たれている。右に合わせた左。上を行く彼女の竜腕の影に潜るようにして、俺のものとなった左の竜腕は唸りをあげる。回避は、不可能。

 

「……俺の勝ちだ、アル」

 

 視線が交錯する。薄く笑った彼女が何か言おうとして唇を震わせ──溢れ出した血が言葉を塞き止めた。

 胸の中央、唯一竜鱗のない場所を左腕が貫いていた。滴り落ちる血。地面の上に零れ落ちていく命の証。痙攣しながらも、死にゆくというのにその肉体は美しい。そっと彼女の肩を掴み、ためらいなく一気に左腕を引き抜いた。噴水のように血液は宙を彩る。極彩色の紅蓮地獄──金の瞳の焦点はもはや合わず、口から溢れる血によって言葉も意味をなさない。

 

 その耳元で囁いた。

 

「お前が世界のどこにいようとも。必ず探し出して殺してやる」

 

 それは確かな誓約だった。彼女は静かに微笑む。そして声にならないまま、唇を動かした───待ってるわ。

 

 瞬間、轟音と共に山が揺れた。

 全てが闇に包まれる。いや、違う。これは影だ。あまりにも巨大な影。洞窟を引き裂き、樹冠を砕き、地の底からそれは天へと伸び上がる。巻き上げられた雪と土、そして空気が局所的な嵐となって山肌に叩き付けられる。巻き込まれればただでは済むまい。遠い──のだろうか? 遠近感がまるで意味を為していない。その伸びる果て、遥か上空を見上げる。

 

 ……知らず、呼吸が止まった。天が裂ける。雲が散る。月を喰らうかのようにそれはその巨躯を晒していた。漆黒の翼は合わせて四枚。だがそれでもその途方もなく巨大な肉体を支えるには少なすぎるのではないかと思わせた。その翼はあまりにも力強く、長いと言うのに。足りているように思えて足りず、足りないように思えて足りている。全てが矛盾した感想だが、しかしそれが真実なのだろうと悟る。

 

 完全性と不完全性をひとつの肉体で表す究極の生命。四枚の翼を広げ、黒竜アルバ=ダァトはその本体を七年ぶりに世界へ晒す。

 

「必ず……必ずだ」

 

 呟く。

 

「お前を殺してやる。精々待ってろ、蜥蜴女」

 

 その金色の瞳がちっぽけな人間を映し出し、静かに笑った。そんな気がした。

 

 ふわりと巨躯が宙に浮く。羽ばたきもないのに竜は空を飛んでいた。恐らくは出力が桁違いの質量魔法(グラムマギア)だろう。ぐんぐんと天の月目掛けて上昇していく。雲すら彼女を妨げることは出来ず、断末魔もなく散っていった。何処を目指すというのか。いや、何処でもいい。世界のどこに隠れていようが関係ない。

 

 ……気づけば、俺がこの手で殺した彼女の死体は、いつの間にか無くなっていた。本体ではなく分体。アルという女は、アルバ=ダァトという竜の端末に過ぎなかったのだろう。本体はこの山に身を隠し、七年間眠り続けていた。そりゃ地下深くで寝ているだけなら痕跡も見つかりはしない。いくら探してもいないわけだ。

 

 気絶寸前の肉体に鞭打って、崩壊寸前の小屋へと歩を進める。左腕は相変わらず竜鱗に覆われた異形のモノだ。こいつも回収してくれれば良かったとも思うが、そうすると左腕が無くなるからやはり困る。というか、俺の元の腕はどこに吹っ飛ばされたのだろうか? 少し考えたが、もう探すのも面倒なのて放置することにした。この山の獣への餞別代わりだ。存分に食ってくれ。たぶん美味い。

 

 這うようにして辿り着いた小屋の中は、それはもうぐちゃぐちゃだった。溜息混じりに中を漁り、なんとか鞄と金を掘り出す。そして医療用の包帯も。少し考えた後に、布と包帯で左腕をぐるぐる巻きにした上で北部では何かと入り用な旅行用の毛皮マントを羽織る事にした。うん、これで少しは目立たないだろう……くそ、ニールにどう言い訳をすればいいんだ? 世紀の難問のように思える。

 

 壁によりかかり、少し考えた後に燐寸(マッチ)を手に取った。もうここに戻る事はない。

 行く宛てもないが、さりとて戻る場所もない。これは不退転の決意だ。或いは、アルという女を弔うために。育ての親である傭兵アルは死んだ。残っているのは、仇である黒竜だけ。

 燃え広がっていく火を少し眺めた後に、俺は背を向ける。この火が奴には見えているだろうか。既に月の一点を僅かに覆う程度にしか見えなくなった影を見上げ、そっと息を吐いた。

 

 道程は長く、果ては見えない。まずは北部で最も栄えている都市に、ニールの荷馬車で連れて行って貰うとしようか。話はそこからだ。

 この物語は輝かしい冒険譚などではない。もっと血生臭く、狂っていて、そしてある時代の幕引きを語り継ぐ為のモノ。

 

 これは人と竜の物語。

 あるいは──復讐の序章(カンタービレ)だ。

 

 

 






ここまでプロローグ。次話から話が動きます。

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