ヴィランとの戦いが激化する日本。
そこは無法の荒野と化していた。
ロックダウンを発動した政府は、街を模した大型避難場所を日本各地に配置することになる。
その内部では民間の自治が作られることが多かった。
一見治安の向上を図るものではあったが、ある者は独自のルールが合わず自ら退所し、またある者は異形の見た目で追い出されるなどが続出し、そういった人々は瓦礫の隅で身を潜めるしかなかった。
彼らが独自に造った避難所は電気も水道も通らず、ヴィランから身を守る武器もあるにはあるが、それらはデトネラット製で信用が置けない。
政府はそういった民間の避難所にも物資を送ることを確約しているが、安全が約束されているわけではない。物資の強奪など、人々がヴィランに成るには十分な理由だったからだ。
そのため、その手の避難所へ若手のヒーローや仮免を持つヒーローが赴いて、政府公認の避難所への移動を要求する光景が日常化していたが、それで移動するものは本当に極一部である。
彼らが移動しない理由も、避難所で自治が発生した理由も、たった一つに集約される。
ヒーローが信用できないためだ。
そのため、ヒーローたちは避難所を離れてダツゴクの確保に励んでいた。
それは、彼らA組も同様に。
『現在複数のヴィランが出没しています。市民の方々は避難をお願いします──』
その放送もはや、時刻を知らせる鐘のように、各市町村で流れるお決まりの文言となっていた。
A組三班として区分された緑谷、麗日、尾白、耳郎、葉隠の五人が情報交換をするため目的地へと向かっている。
昨日は四人で一チームとして廃墟を進んでいたのだが、襲撃される囮としての役割も果たせなかったために、今日は作戦を変更。雄英高校の用意した護送用トラックを使い、食料を奪おうと画策ヴィランたちを捕まえる任務にあたっている。
「こっちは休む間もねぇぞぉ……」
「それはみんな一緒だよぉ」
コンテナのようなトラックの荷台から降り立ったグレープジュースは、よたよたと左右に身体を揺らしてピンキーへと近づいていく。
早朝から昼の数時間、彼女もヒーロー活動に従事したため疲れ切っている。しかし、彼女がもたれかかる崩れた柱が、常時であれば線路を支えるものであると知っているために、泣き言以上のことを言うつもりはなかった。
「みんな集まったな」
インゲニウムが集まったA組を集め、簡単なミーティングを行う。
「この辺はかなり荒れているな」
「避難所も襲撃されて大変だって」
「ヴィランが隠れやすいのかもしれない」
「道が悪いから物資が届けられないのね」
「ええ。警備を強化すべきですわ」
各々、割り当てられたルートを確認しあって情報を出し合う。非公認の避難所に政府が用意した物資を届けるのも、ヒーローの仕事の一つとなっている。
これからの指針の相談になったときに、デクの携帯端末に通信が入った。
『緑谷少年』
「オールマイト!」
『ダツゴク捕獲の首尾はどうだい?』
「みんなとの協力で順調に進んでいます」
エルクレス車内で、オールマイトは薄っすら笑った。優しい笑みで、それはA組からデクを引きはがしたときにはできなかった笑い方だった。
『まだ警察が認知していないヴィランも多い。気を抜かないように。私は雄英に向かう。……キミたちを見ているよ』
「はい!」
『戦闘続きで申し訳ないが、休息も大事だよ』
「はい。オールマイトもお気をつけて」
笑顔で通信を切った直後、オールマイトの激励を聞いていたインゲニウムは新たな指示を出す。
「みんな! では束の間の休息としよう! 全力で仮眠だ!」
「寝た……」
立ったまま眠り出すクラスメイトを横目に、テンタコルとウラビティが飲み物と軽食を周囲に配給する。
休憩などという腑抜けた時間を嫌うようにいきり立つダイナマイトだったが、その案は却下された。
代わりに、哨戒中のデクの隣に立って話しかける。
「オールマイトが見てんだ。俺はテメーの先に行く。デ……出久」
デクが答えに詰まった間に、レッドライオットとピンキーが二人の会話に割って入った。
「なんだかその呼び方慣れねぇな」
「違和感バリバリでしょ緑谷」
「うん。十年以上同じだったから」
「べつに良いんじゃねぇか。幼馴染って下の名前で呼び合うもんだろ」
「もんじゃねぇよ! どういう認識しとんだ!」
ショートからのツッコミにダイナマイトはようやく吠えた。
「幼馴染じゃなかったのか」
「腐れ縁だわクソ!」
周囲がショートとダイナマイトのコントのような掛け合いに笑顔になる。
しかし、それを油断と断ずる者たちがいる。
「ヒーローがよ! 隙見せてんじゃねぇ!」
架線に身を潜めていたヴィランたちが七人、A組たちの頭上から飛び出した。
攻撃が地面を砕き、土煙が舞い上がる。リーダー格らしき鋭い爪の個性持ちが、その両手を大きく振るいながら仲間を鼓舞した。
「物資を探せ! 車も頂戴するぜ!」
しかし、それ以上の声が聞こえない。
彼以外の仲間は、自身らの攻撃がヒーローたちに一切当たっていないことに気付いていた。おまけに、煙が晴れるころには、自身たちを【見下ろす】ヒーローたちが目に入っていた。
「──気付いていないと思ったか」
ツクヨミと《ダークシャドウ》が注意を引く。
「こんな世界で! いつまでもヒーローやってんじゃねぇ!」
怯えるヴィランたちが逃げ出そうとしたが、捕縛は一瞬だった。
ヴィランたちの脱出ルートにダイナマイトが爆音を含めた閃光を放ち、その隙にショートが逃げ道を塞ぐ。
進むべき道を失ったことで一塊となったヴィラン七人を、デク、セロファン、グレープジュース、フロッピーの個性で拘束することに成功。
「舐めんじゃねぇよ」
「どんな状況でも俺たちは」
「救けることを諦めない!」
ダイナマイト、ショート、デクの言葉はヴィランを諫めるものであると同時に、一人のヒーローの心をも救う言葉になっていた。
「ウィ! 警察に連絡しているよ! ヴィラン確保ってね!」
己もヴィランであると戒め、それでもなお手を差し伸べてくれる仲間たちのために青山も笑った。
しかし、それは束の間。
『東地区にヴィランの目撃情報あり。引き続き任務に当たられたし。詳細は──』
「次から次へ……! 全部ぶちのめす!」
「行こう!」
送られた音声通信を最後まで聞くことなく、ヒーローたちは割り当てられた車へと乗り込んでいく。
『あー、待った、待った待った』
ヒーロー公安委員会からの音声通信であるはずが、ずいぶんと腑抜けた声が聞こえてきた。
『西地区の避難所に物資運送中。たぶん狙いはそれだ。街の南と北、そちらにもヴィランの通報あり。割り当ては百に任せる』
「了解しましたわ、業さん!」
フェイカーからの言伝をクリエティが引き継ぎ、それぞれの班に指示を出す。結果、東地区に向かうのは緑谷チームだけどなった。
『西地区の避難所は商店街だ。市民もデトネラット製の武器で武装して防衛している。近いぞ』
五キロも走らないうちに、助手席のイヤホン=ジャックが反応する。
「聞こえた。複数の破壊音、車の走行音が遠くなってく」
「距離は」
「約二キロ」
「その距離ならいけるな、緑谷」
移動に一日の長があるセロファンが、デクへと声を掛ける。デクは自信ではなく、経験による確信と、己の個性への信頼をもって頷いた。
輸送車後方のハッチが解放され、デクが《浮遊》することで慣性によって空中に取り残される。エアフォースで空気を弾き、装甲車を一瞬で追い越していく。
装備によって指向性を得たことと《浮遊》を組み合わせることで、直線ならばデクはダイナマイトを越える空中移動を実現させていた。
一瞬ではあるが、飛行機雲が生じるほどの速度。
イヤホン=ジャックの示したルートの直線距離を詰めると、高速道路の高架下跡を爆走する一台のトラックが見えた。
運転席の天井から不自然に生えた剣山のような棘を見て、なにかしらの個性でトラックを操っていると見当をつける。
追いついたデクは、その剣山のような棘に向け《黒鞭》を振るった。《浮遊》を解き、車と綱引きをするようにアスファルトで削って引き摺られるデク。しかし、その力関係は拮抗し、すぐに車がウィリーするように前輪を浮かせてしまう。
トラックの幌の上から叩き落されたヴィラン二人が、地面を転がりながらすぐに反撃する。幸い、デクはトラックを抑えつけるために《黒鞭》と自身を繋いだままでいた。
反撃するヴィランの男の個性は、爆発性を持つブーメラン。デクは飛ばされた投擲武器を首を傾けるだけで避けてしまうが、それはすぐに戻ってくる。
もう一人の仲間が弾性のある身体をボールのように丸め、周囲の瓦礫を使って跳ねながらデクを攻撃。デクはその攻撃すらも、一歩も動かずに上半身を軽く逸らすだけだった。
その余裕が現れる態度に、ブーメランを投げたヴィランは鼻で笑った。戻って来た投擲武器の先端が、すでにデクの背後に迫っている。避けられるわけがない。
それは実際その通りで、緑谷は避けることをしなかった。代わりにその場で飛び跳ねながら回転し、ブーツを使って二本ブーメランを左右の足で弾く。
さらにデクの負傷を狙って体当たりしてきたヴィランの顔を、その回転を利用して裏拳で叩いた。
デクが弾いた投擲武器がトラックの後方で爆発し、車と一体化する個性を持った三人目のヴィランが、あまりの高温に涙目になる。おまけに、彼の不幸はそれだけではなかった。
周囲のヴィランを蹴散らしたデクが、アスファルトを砕くほどの力を込めて引っ張って、大きく後方へと傾いてしまう。それだけでも手痛いことだが、デクは追撃を選んだ。倒れてくるトラックの助手席側を蹴りつけ、一体化していたヴィランを車から力づくで引き抜く。
デクから逃れようと、仲間を見捨てて飛び出したヴィランを、テイルマンが必殺技で戦闘不能にし、セロファンが《テープ》で固定。もう一人のヴィランもウラビティが拘束していた。
そこに降伏を促すような、生易しい学生はいなかった。
「やったね! ヴィラン確保!」
「それにしても、ほんとにすごいね。緑谷の《ワン・フォー・オール》は」
イヤホン=ジャック感想に、デクは笑って頷いた。
無個性の自分。
借り物の個性。
そんなものを引け目に感じる必要がないと、みんなが認めてくれたからだ。
二人の友だちが、教えてくれたからだ。
イヤホン=ジャックに感謝を述べるまえに、不意に違和感を覚えて視線を上げる。《危機感知》の反応はなかったが、見られているという感覚があった。
目線を動かすと、高速道路の壊れた遮音壁からこちらを見下ろす一台のバイクを発見。真紅が瓦礫のなかで嫌に目を引いていた。
運転手は、世にも珍しい燕尾服を着用した男性で、顔はヘルメットで見えない。
ただし、こちらを見下ろしていることは良く分かった。
それも一瞬。男性はデクに興味を失ったかのように、そのまま走り出してしまう。
「策束くん、いまのバイク見えた?」
『見えた。追うか?』
「……《危機感知》は無反応だった」
『まあなら大丈夫じゃないかな。オール・フォー・ワンの監視役だとすれば泳がせておいたほうが良いし』
「了解」
『あとデクが壊したトラックは部品まで回収してくれ』
「……え」
『それ近くの避難所の持ち物だからさ。すげぇクレームだ』
話を聞いていた周囲のヒーローたちからも非難の声があがった。なぜなら、デクが放った一撃でエンジン部分と運転席部分まで大きくひしゃげ、廃車同然であるからだ。
『なんでもクレーム入れたいんだろ。それか直せる個性を持っているかもしれないし。あ、写真と、落ちてる部品の回収もよろしく』
通信が切れたと同時に、イヤホン=ジャックが頭を掻きむしる。
「さいっっっっあく! 元気ないときすこしは可愛げのあるやつだったのに!!」
「可愛いって思ったんだ! へぇー! ふぅーん! へぇー!」
「策束に聞かせてやりたいなぁ」
インビジブルガールとテイルマンの対応に、イヤホン=ジャックはさらに慌てた。
セロファンとデクはその光景に笑い合い、拘束したヴィランと車の部品を輸送車へ乗せ始めた。
日も沈みかけた夕方にようやく、デクたちは警察署にヴィランを引き渡すことができた。
「こちらA組三班、ダツゴク三名確保」
『たった三人か!』
セロファンの報告に野次のようなダイナマイトの報告が重ねられる。デクはその煽るような声色を聞いて苦笑いを浮かべた。
案の定、ダイナマイトは誇るように自身のチームが捕縛したヴィランの数を「四人」と告げる。
その直後、二班に配属されたショートから通信があった。
『ダツゴク六名を確保した』
『ああ!? 自慢かゴラァ!』
『数を競っているわけじゃないぞ、大・爆・殺・神ダイナマイトくん』
「ヒーロー名長すぎ小二すぎ。もう普通にバクゴーで良くね?」
セロファンのうんざりとした様子でツッコミに、ダイナマイトが怒号で返す。やり取りを聞きながら、デクたちは乾いた笑いを浮かべた。
『バクゴー、西地区の港にヴィランが出現との通報あり。一班、二班は位置情報を頼りに移動開始しろ』
『ダイナマイトだ!!』
『目撃証言から、ダツゴク喰有銀次、ヴィラン名ギンジと判断。タルタロス出身だ、決して油断するな』
「僕たちは!?」
デクらも車へ乗り込みんだ。西地区までの悪路は車では一時間以上かかる。それはわかっているが、すこしでもこの崩壊した国のために、なにかできると信じていた。
『デクたち三班は、そのダツゴクの捕縛に向かって欲しい』
『ふざけんな! 俺が行くわ!』
『ギンジは東へ移動中。近いのが三班だ。それに、気になる目撃情報もある。一班と二班は港を確認。でぇ……えぇと、よくわからないけど、空飛ぶバーカウンターがあったら報告よろしく』
バックドアを閉めるデクの手が止まる。通話口で、食事中だった一班らの咽る声が聞こえた。
通信を無理矢理終了させたフェイカーの言葉を思い出し、ウラビティら女性陣が顔を合わせて「空飛ぶバーカン?」と訝しんでいた。
セロファンが送られたギンジの情報を全員に共有する。
「個性《暴食》。腹にある大きな口でなんでも食っちまうって。空腹時には凶暴化っと……殺人、強盗の二十七件でタルタロスに収監。凶悪犯だな」
「こうして資料を見ると、オールマイト、エンデヴァー、ベストジーニストは本当にすごいんだね」
「うん」
ベストジーニストとサイドキック数名により逮捕されたヴィラン。タルタロスに収監された影響なのかそれ以上の詳細はなかったが、トップランカー単独ではなく、数人の補助があって捕縛されたという可能性があり、人数差に甘えて気を抜いていい相手ではない。
『二班、黒煙を目視! なにかが爆発してる!』
『一班も黒煙を目視。ヴィランはいないかな』
『二班は消火活動。一班は避難指示。人はいないと思うが、念のためよろしく』
「三班、《危機感知》に反応あり! 策束くん! ドローン飛ばして!」
『待ってたぜ!』
イヤホン=ジャックは装甲車の上部で一台のドローンが飛び立つ音を聞く。デクの指示に従い、ドローンは方角を決められていた。
『オーケー。たぶんいた……けど、二人いる。一人はギンジか? にしては個性が……地図情報を更新した。ルートを確認してくれ。オール・フォー・ワンによって個性を与えられている可能性がある』
フェイカーの軽い独り言を聞き、デクたち三班は顔を見合わせた。
トップランカーが捕縛したときよりもさらに厄介になっている可能性があるのだから。
デクは一足先に車外へと飛び出し、運転席の天井へ移動を開始。《ワン・フォー・オール》の身体強化は筋力だけに留まらず、視力や聴力といった五感も強化されているからだ。
装甲車が速度を上げ、ヴィランの進行ルートへと飛び出した。
一キロにも満たない距離にギンジはいた。傍らには女性がおり、なおかつ両肩からそれぞれ、灰色の触手が生えている。
足を止めて装甲車を目視していたギンジは、その触手を使い金属製のシャッターを破壊して逃亡を再開。
「ダツゴクの進路が変わったよ!」
「まずい! このさきには避難所が!」
「僕が行く!」
デクは空中での移動を開始。日中のときよりも周囲に建造物が多く残っているため、速度こそ抑えめではあるが、それでも徒歩のヴィランが逃げ切れるものではなかった。
日も傾き、光源は夕日のみ。視界が悪いがデクの瞳にはギンジの姿が認識できたが、その姿はフェイカーの言う通りデータとの差異が現れていた。
しかし、それ以上に予想外のことがあった。
(人質!?)
ギンジに手を引かれ、躓きながらも歩調を無理矢理合わせられる女性。金髪の妙齢で、日本人ではなさそうだと理解してしまう。
エアフォースを小刻みに発動させ距離を詰めるが、ギンジも一筋縄とはいかずに、空中のデクに瓦礫を投げつけるという反撃をみせた。
デクはその一つ一つの攻撃を冷静にいなしつつ、並走するように《浮遊》しながら人質の女性へと手を伸ばす。
彼女が手を掴んだ瞬間、ギンジは反撃するだろう。そのとき《黒鞭》と《煙幕》で対応を──そう思考を巡らせた途端、予想外のことが起こった。
伸ばされたデクの手から身を守るように、女性が身体を捩じって拒絶したのだ。デクの手は、反射的に引かれた女性の二の腕に触れただけで、救うことは叶わなかった。
目の奥でチカチカと光る、火花ではなく、真っ赤な花。直感では薔薇だったが、実際に薔薇を見たわけではない。瞬きにも満たない短い時間に、空中に薔薇の花びらが舞うような、そんな幻視をした。
(花──んぐっ!?」
強い痛みを感じ、個性が解けて地面に落ちる。慣性をそのままに地面を転がるデクは、痛みを堪えてギンジと人質の背中を追いかけ、立ち上がる。
よろめき、膝を付き、それでもデクが諦めることはない。
幻覚ではなかったのか、地面に広がる薔薇の花弁を踏み抜き、デクはギンジに追いついた。
痛みに悶えていた数十秒で、民間の避難所は無常にも火花が上がっていた。入り口のガラスは割られ、コンクリートもめくれ上がっている。
避難民に向けられたギンジの触手を《黒鞭》で拘束し、さらにギンジ本人にも《黒鞭》を巻き付けた。
「これ以上は──」
「やめねーよぉ!」
ギンジが暴れると、デクはそのぶん引き寄せられた。《ワン・フォー・オール》を五割か六割という高い比率で、負担なく使用できるデクにとって、本来ギンジのパワーはそこまで脅威ではない。しかし、さきほど受けた不可解な痛みが原因で、個性にも動きにも精彩を欠いていた。
「いまのうちに逃げて! 早く!」
突如現れたヴィランとヒーローの戦いに注視していた避難民たちが、デクの呼びかけに答えて逃げ始める。
人質を捕まえようとしていたギンジは、その光景に逆上した。
「このガキがぁ!!」
腕を強く掴まれたのか、女性が苦しそうに悲鳴を上げると、瞬く間にギンジの姿がさらなる変貌を遂げた。
両肩から伸びる触手を起点に、背中からさらに四本の触手が伸びる。
そのことに驚愕する暇もなく、ギンジの触手によって引き寄せられた。触手による攻撃は直撃こそしなかったものの、コンクリートの壁には大穴が開けられ、デクは距離を空けることを選択する。
痛みがあっても対等であったはずのパワーバランスは、その変化で完全にギンジへと傾いてしまった。
ギンジの腹部にある異形の口以外に背中の触手にも口が生えており、八つの口でデクを笑っているようだった。
人質を玩具のように抱きかかえるヴィランに攻めあぐねていたデクだったが、突如銃声が響き、ギンジの足元で土煙が舞う。
「うぉ!? なんだ!?」
「銃弾!?」
ギンジとデクがそれぞれ銃声のほうへ身体を向ける。
薄暗い廃墟の中から、強いマズルフラッシュとさきほどの発砲音。二発目も運良く外れ、ギンジの【足元の花畑】に消えて行く。
しかし狙撃手はその二発で弾道の予測を終えたらしい。三発目と四発目はギンジの触手に弾かれたものの、直撃していた。
そして五発目。右腕を掠めた銃弾によって、ギンジは人質を地面へ落としてしまう。
人質を手放したことで、目の前のヒーローにも再度警戒をしなければならないという状況。ギンジは対応が後手に回った。
デクも、人質にも当たりかねない乱暴な狙撃手に対しての警戒と、人質の救出を天秤にかけている最中、出遅れてしまう。
狙撃手は五発目を撃ったと同時に、狙撃ポイントからバイクを使ってギンジへと向かっていた。
狙撃手は男性だった。彼は運転席で立ち上がり、右手をギンジへと向ける。その右手が変形し、銃口へ変わったと最初に理解したのは、人質である女性だった。
恐怖していた女性は、諦めたかのようにきゅぅうと唇を強く結び、両手を組んで祈りを捧げる。
そして右手から放たれた銃弾は、【運悪く】女性の頭部へ吸い込まれていくようだった。
(間に合わない!)
デクは走り出したが、次の行動に迷い続けた彼では時すでに遅く、しかし銃弾の行方だけは《ワン・フォー・オール》がどこまでも計算してくれていた。
しかし、デクの予想は覆された。
空中で銃弾が止まる、という不可解な現象によって。
「なんだ……ん?」
目の前でゆっくりと進む銃弾を見て、ギンジも動揺していた。
ギンジへ向かっていたバイクも、急ブレーキでドリフトしながら警戒している。
「危ないところでしたね、お嬢さん」
流暢なイタリア語が聞こえてきた。暗闇から一人の男性が姿を現す。
その男性にもっとも警戒を示したのは、意外なことにギンジだった。その人物を認識したギンジは、背中の触手を広げて走り出した。
「ウォ──」
その一歩目で、ギンジはさきほどの銃弾のように空中で動きを止めてしまう。
デクは一定空間の動きを遅延させる個性だと判断。見れば、地面から半球状に空気が淀み、さらに撃ち込まれた銃弾は空中に固定されながらもゆっくり進んでいることも観察できた。
現れた男がヴィランかどうかはわからない。
しかし、さらに銃弾をギンジらに撃ち込む男は、間違いなく殺人未遂だ。
右手の義手を銃に変形させた男に向かって《黒鞭》を伸ばす。
「やめてください!」
回り込んだデクは、そこで初めて男性の顔を見た。若い、自分とそう変わらないのではないだろうか。右目を眼帯で覆い、執事のような燕尾服を身に纏っている。おそらく昼間、高速道路の上で見たバイクと同一のもの。
向き直った男は、左手でリボルバーをデクに向けた。緊張したデクだったが、すぐに違和感に気付く。
(《危機感知》が反応しない。この人──)
人質を巻き込むような銃撃に加え、ヒーローに向けて銃口を向けている。
行動だけ見れば破綻者であり、ヴィラン以外の何者でもないはずだ。
にもかかわらず、この心理はいったい。
そう考えていたとき、悲鳴が聞こえてきた。
「うあ!!」
ギンジが個性を解かれた銃弾に当たって、膝をついていた。いつの間にか人質の女性を横抱きにした男が、その場を離れようとしている。
「一体、なにが……」
「デクくん!」
装甲車で三班の仲間が合流し、状況を確認しようとしている。
フェイカーがドローンで随時報告はしていたものの、現状この街は、ギンジというヴィラン一人の話では収まらなくなっている。
「みんな! あれ!」
インビジブルガールが空に指を向け、注目を逸らす。
フェイカーは『空飛ぶバーカウンター』などと称していたが、事態はもっと複雑だった。
彼女が指を向けた先に、こちらに向かってくる船が見えたからだ。
「船が……飛んどる」
ネオン灯を纏っているかのような煌びやかなクルージングボートが、まるで海であるかのように進んでいた。その船は、デクらの頭上付近で降下し始める。
その甲板にはこちらを見下ろす複数人の姿。
その中の一人が進み出る。
大柄な男性。顔には革ベルトのような仮面が巻かれて、素顔を隠していた。
「もう大丈夫だよ、アンナ」
笑顔で眼下の女性にそう語りかけたが、アンナと呼ばれた人質の女性からの反応はない。
にもかかわらず、男は話し続けた。
「なぜって?」
後頭部に手を回し、仮面の留め具を緩める男。
たった十メートル上空で、その男は素顔を晒した。それだけ距離が離れていようとも、その顔をヒーローたちが見間違えるはずがない。
「俺が来た!!」
両手を広げ高らかに叫ぶその男は──
「オールマイト!?」
日本が世界に誇るナチュラルボーンヒーロー、オールマイトそのものだと思った。
唯一デクだけが、観察眼で否定する。
似ているが、似せているだけだ。骨格や筋肉の作り、肌年齢、眉の形に唇の厚さ、眉間の皺も鼻の高さも異なり、それにオールマイトは生で見ると画風もまるで違うように感じる迫力がある。サーナイトアイが見れば鼻で笑うクオリティだろう。
しかしそれでも、デクはその男を警戒せざるを得なかった。《ワン・フォー・オール》を形作る《危機感知》の個性が最大限の警告をしてきていたからだ。
「……ゴリーニ」
デクが《黒鞭》で動きを止めていた男性が、感情を込めずにつぶやいた。その単語で関係者だと認識したデクが、さらに情報を聞き出そうとしたのだが、その前にアンナの悲鳴のような声が響く。
「いや! 放して!」
しかし、それも束の間。すぐに大人しくなるアンナ。
彼女を見下ろすオールマイトのような男が、優しく声をかける。
「怖い思いをさせてしまったようだね、アンナ」
「……助けてくださってありがとうございます、おじさま」
「二度と俺から離れてはいけないよぉ?」
そこで初めて、デクが拘束する男性からも《危機感知》に反応があった。歯を食いしばり、ゴリーニと呼んだ男を睨みつける男性。
浮かび上がり、船へ回収されようとするアンナに向けてバイクを発進させる。デクは力を込めてそれを押し留める。
「放してください!」
「ダメです!」
「──これが最後の機会かもしれないんです!」
その必死の形相に、デクは迷ってしまう。しかし、この男性がアンナを狙っていることは理解できたため、放すことなどできるわけがない。
「なにがどうなってるの!?」
「わっかんねぇけど……とりあえずギンジってヴィランを──」
「って! 逃げとる!」
船に見惚れていたヒーローたちを尻目に、ギンジは逃げ出していた。彼の個性では説明しきれない跳躍力を見せ、ビルからビルへと、壁を崩しながら逃げていく。
柱を失ったビルの一部が崩れ、避難所から逃げ出した避難民の頭上へと降り注ごうとしている。デクはそれを察してバイクの男性を解き放ち、救助へと行動を移す。
「早く逃げて!」
「崩れさせっかよ!」
「みんなの誘導を!」
デク、テイルマンが落ちてくる瓦礫を破壊し、ウラビティとセロファンが崩れそうなビルを固定して被害を最小限に食い止めようとした。
そのビルを、黄金に輝く巨大な拳が突き抜ける。
轟音と悲鳴。
降り注ぐ瓦礫にヒーローも避難民も巻き込まれてしまった。
デクが瓦礫を振り払い、倒れ伏す避難民を起こす。デクも避難民も怪我を負い、頭を抑えている。
デクが退かした瓦礫を踏みつけ、一人の男が落胆するように声をあげた。
「あーしまったな、逃がしてしまった」
オールマイトとそっくりの男。避難民に逃げるように声をかけたヒーローの姿にようやく気付いたのか、男はデクへと笑いかけた。
「ヘェイ! その姿はヒーローかなぁ? ずいぶんと若いね」
瓦礫を一身に受けて怪我を負ったデクに向け、手品師のように板状のチョコレートを出して差し出した。
「チョコレートは要るかい?」
「お前が……やったのか……」
周囲には瓦礫の山。押し潰された避難民はいるだろうか。三班の姿も見えず、土埃でこちらを遠巻きに見ている避難民が多くいた。
「ああ、勘違いしないでくれ。あのヴィランは、この俺に楯突いた。平和の象徴となる、この俺にね」
「平和の、象徴?」
「オールマイトだよ」
「なにを──言って」
デクはこの惨状を生み出した男の目的などどうでも良かった。すくなくとも、ここにいる避難民たちは、ヒーローの失態によって安全を失い、ギンジによって住処を追いやれ、この男によって更なる追い打ちをかけられている。
その言及をしたかったのに、会話にもならなかった。
その感想はオールマイト似の男も感じるところなのか、鼻を鳴らして立ち上がる。
「やれやれ、凡人にこの俺の崇高な理想は理解できんか。ならば、子どもにもわかるように説明してあげようじゃあないか」
遅れて船が男の前に降りてくる。
男は一枚のコインを取り出して、地面へ落とした。その部分から円柱状に、地面がせり上がっていく。
男がコインをばら撒くと、その地点からカメラや照明が【生えてきた】。地面に落ちた箇所や、信号機や電柱に触れた箇所からも同様に。それどころか、いくつものドローンが空中で生まれ、そのレンズで男を映しているかのようだった。
ライトアップされた男が笑っている。
「ハロー、エブリワン。
「俺は新しきオールマイト。次代の象徴となるべき男だ。
「オールマイトがなぜ平和の象徴と呼ばれるようになったのか──。答えはいたってシンプル。
「強かったからだ!
「オールマイトの強さにヴィランたちは平伏し、力を持たぬ者たちは、その強さに憧れ、畏怖と羨望は希望となり、やがて象徴となった。
「だが、その象徴は失われた。周りを見渡してみたまえ。ヴィランに敗れ、世界から見放され、法と秩序を失い、原始に戻ったこの日本を。
「こうなったのは、オールマイトが力を失ったからだ。いまのヒーローが未熟だからだ。
「俺は誓う!
「オールマイト誕生の地であるこの日本で──いやこの日本から! 世界の新たな象徴となり飛び立つことを!
「オールマイトの理想を引き継ぐことを……そう──。
「次は……俺だ!」
「俺が正義! 俺が象徴だ!」
その言葉は、ヒーローの心をいとも簡単に蹂躙した。
もしヒーローに絶望している人たちが聞けば、新たな象徴の誕生を喜んでいたかもしれない。
「なにが正義だ!」
「ざけんなオラァ!!」
「語るんじゃねぇ!」
ダイナマイトとショートの攻撃を易々と防ぐヴィランに、デクが氷を割りながら拳を振るう。
「おいおいボーイズ。いきり立たないでくれよ、まだライブ中なんだ」
二人だけではなく、心強い援軍がいた。
『一班! 二班! 救助開始!』
『一班は立ってる人全員移動させろ! 二班で瓦礫退かすぞ! 三班返事しろ!』
『ドローンで位置確認済み。個別に指示を出す』
『怪我人はクリエティのもとへ! ヴィランは絶対に近づけさせないよ!』
A組がそれぞれ声を張り上げて避難活動を開始している。
『デク、待たせた』
「策束くん! 大変なんだ!」
怪我を押して立ち上がるデクは、耳元を抑えて通信先に呼びかける。しかし、それは素早く拒絶された。
『大丈夫、確認してる。三班は全員連絡取れてる、無事だ。ラブラバが電波ジャックして、映像も音声も通していない。間抜けだな。あとそいつはなんなんだクソさっさと黙らせてくれ』
友人の悪態が珍しく、このような状況でなければ苦笑いの一つでも零していただろう。
「《危機感知》が反応。ダツゴクの一覧にはないけどヴィランだよ。ゴリーニって呼ばれてた。人数は八。でも船の中に何人いるか」
『ゴリーニ? わかった、調べておく。ミルコと乱波がそちらに向かっている。それまで無理するな』
「了解!」
通信を終わらせたデクはすぐに《浮遊》とエアフォースで距離を詰める。ダイナマイトの《爆破》で生じた上昇気流でさらに高く飛ぶと、上空から氷の隙間を狙ってエアフォースをゴリーニへ向ける。
しかし、突如デクは重力に逆らえずに地面へ落下した。
激痛に悶えて周囲を見渡せば、ダイナマイトも同じように地面で受け身を取っていた。二人を守るように立ちふさがるショートが左右の手を振るっていたが、彼の《半冷半燃》が発動する様子はない。
「おいおいパウロー! おままごとの邪魔をするなんて大人げないだろー?」
「すみませんボス。しかし──」
「女ァ!! 返せ!!」
空中に浮かぶ船よりもさらに高く、ビルの屋上からギンジの声が響いてきた。
彼の狙いは逃走ではなく、アンナの再確保。そのために邪魔なヒーローには早急に退場を願い出るための破壊活動でしかなかったのだ。
アンナを狙うのはギンジだけではない。
道路を挟んで反対側、並走するように駆ける一台のバイク。尋常ならざるドライビングテクニックでビルの隙間すら飛び越えていく。
バイクとギンジが同時に飛び出し、しかしさきほどの《遅延》個性によって、義手から飛び出した銃弾ともども空中に張り付けにされる。
船上の一人が指揮者のように腕を揮うと、個性の範囲外からの巨大な瓦礫が飛んできた。個性が解けた瞬間に吹き飛ばされる二人。
ギンジは空中で体勢を立て直し、瓦礫を破壊してなおも突っ込んできた。
デクはバイクのほうへ《黒鞭》を伸ばし補助へ入る。どうしても悪い人間には見えなかったからだ。
「ギンジ、あまり欲張ると、なにも掴めないものだ」
船に乗り込んだギンジは、甲板で苦戦を強いられていた。デクすら警戒させるパワーを持つギンジを前にしても、船上のヴィランたちは余裕を崩さずにいる。
それは人数差だけで生じたものではない。
オールマイト似の男が、アンナの隣に並び立つ。
「やめろ!」
ギンジの制止も虚しく、彼の目の前で男はアンナの肩を強く抱き寄せた。
途端に男の足元を中心に、鉄のように無機物であった甲板から花々が咲き狂う。
ギンジは顔を歪めて逃げようとしたが、その背中を撃たれて倒れ伏す。呻き声をあげ、それでも逃げ出そうとするのは痛みに依るものではなく、恐怖だ。
「ギンジ、ああ、見せてやれないのが残念だ。世界の平和を!」
足元の花は浸食を続けていく。
薔薇の蔓がギンジを巻き込み、悲鳴をかき消してもさらに伸びる。
「これが! 象徴となる者の力! 俺の力だ!!」
アンナを抱き留めたまま、右手を掲げる男。その右手から金貨が撒かれ、地面へ落ちていく。
その地点のコンクリートが虹色の光を帯び、さらにはうねり始める。そのうねりの先端から布を解すように糸状のものが船全体を包み込む。
地面に広がり続ける光は、すぐさま周囲の人間も巻き込んだ。
糸に巻き取られる者、泥のような地面に沈み込む者、諦めて津波のような壁を見上げる者。
それでも一人でも必死に逃そうとするヒーローたちだったが、その波には抗えなかった。
『どうなってる!! なにが起こってる!!』
友人の声が響き、バイクに引きずられていたデクも背後を見た。
水槽に垂らした絵具のように緩慢な動きで広がり続ける光の繭を。
「みんな! 返事をして!」
『デク! 全員通信途絶! 頼む!!』
「──おう!」
デクは《黒鞭》を解除して、光の繭へと向き直る。
「ユナイテッド!! ステイツ!!」
脳裏には骨折の痛み。それでも、彼の覚悟は変わらなかった。《ワン・フォー・オール》を百パーセントで全身に纏い、《黒鞭》で関節を補強。《発勁》を腕で発動させ、大きく拳を振るった。
「スマァァァッシュ!!」
空気の壁は轟音を上げ、光の繭に巨大な風穴を開けた。それは空中に浮かんでいたであろう船にまで届き、しかし、一人の男が笑いながらデクを見下ろすことになる。
「キミがそうだね!」
そんな幻聴を聞きながら、デクすら光へ巻き込まれて姿を消してしまった。